08.アンバーとジェイクと、元・勇者たち
冒険者ギルド【煙水晶】の裏口と道を塞ぐほどの大きな猪を観察していたら、Wマッチョが現れた。彼らの真っ白なフリル付き腰エプロン姿は、清潔感がある。
二畳ほどの大きさの、風呂敷のような魔法布を広げる。その大きさまで解体して魔法布に収納し、続きは厨房でするのだそうだ。解体ショーは生々しいのに、街の人々は老若男女が集まっていた。
「前にいる殆どが屋台や料理店の店主か従業員だ。ああ、肉屋も来てるな。外でやるのは久々だからな。欲しい部位をチェックしたり、他店と重ならなければこの時点で予約もできる」
アンバーの隣で、小さな料理店の店主ジェイクが教えてくれた。ディルクより一つ年上なのだそうだ。つまり三十歳。こうして並ぶと、ディルクと同じくらいの背の高さだと気付く。羨ましい。何を食べたら背が伸びるのだろう。
「道が血だらけにならない?」
「放血はもちろん、全体の洗浄魔法も内臓摘出も済ませるんだ。街に運ぶ前にな」
「へぇ、そうなんだ」
「これから、頭・尻尾・足先を切り落として、皮を剥ぐ」
うわぁ、そうだよ。そうだよな。初めて見るのがこのサイズってキツイなぁ。どうしようかな。
「‥‥‥ジェイクはどの部位が欲しいの?」
「牙を少しと肉は挽き肉用のバラ、後はそうだな‥‥‥買えたらスネと肩ロースだが、人気なんだよな」
「肩ロース、美味しいよねぇ‥‥‥」
人気の部位は早い者勝ちか話し合いで分け合う。今日はギルドが賑やかになりそうだ。
解体は見たい気もするが、平気でいられるかどうかわからない。迷っているうちに、最初に珍しい形の長い牙が切られ、ふわっと知っている香りがした。
ああ、そうか。なるほど。八角猪の八角は、香辛料の八角、スターアニスだ。この世界では猪の牙になっているのか。面白いな。肉は今日じゃなくても残っていたら買うとして、八角は欲しいな。料理にも紅茶にも使えるからな。
「ね、牙って人気?」
「ん?そうだな。だが、いつも当日に売り切れることはないな。買えると思うぞ。欲しいのか?」
「うん」
「‥‥‥これから出掛けるんだろ?双子にアンバーの分の牙を取っておくように言ってやるよ」
「本当?ありがとう!」
ズン!
解体が始まった。切ったらそのまま、地面に広げた魔法布に、猪の頭が吸い込まれた。体の割に頭はそれほど大きくない。そして、キレイな断面をガッツリ見てしまった。
「‥‥‥」
アレは肉、アレは肉です。そう、正面に見えますのは、スペアリブです。
「‥‥‥‥‥‥大丈夫か?」
「うん。でも、もういいや」
「そうか」
断面は忘れて、八角の香りだけを記憶に残そう。ジェイクに牙を頼んで、アンバーは街歩きに戻ることにした。
「いつか慣れるかな。子供も見に来るぐらいだ。慣れないとな」
ギルド横の細い道を歩くと、向こうから赤い髪の男が近付いて来た。ルーファスだ。
勇者アレンのパーティーにいた男で、現在はギルドのB級冒険者だ。すれ違う時にアンバーをチラと見た。昨日と同じだ。何も言わずに、ただ見るだけ。
「こんにちは」
「‥‥‥」
試しに後ろ姿に声をかけてみたが、スルーされた。聞こえてはいるはず。
ディルクから真面目な人だと聞いてるから、許す。きっとコミュ‥‥‥いや、慎ましい人なんだと思うので、許す。ルーファスは恥ずかしがり屋さん。そう記憶した。
今から八角猪を見に行くのだろう。欲しい肉でもあるのだろうか。
「おい、ルーファス」
「‥‥‥ジェイクさん」
大まかに解体されて魔法布に消えていく八角猪の肉に人々は夢中だ。その賑やかな所から少し離れる位置にルーファスを見つけたジェイクが近付いて声をかけた。
「欲しいのは?」
「牙を四半フィート。それと、どの部位でもいいから肉を少し。残っていたらでいい」
「そう双子に言えばいいんだな?」
ルーファスが頷いた。ジェイクは苦笑する。燃えるような赤い髪の男は、見た目は派手だが性格は地味だ。そして、大勢の人々が集まる場所は話しかけられるから苦手だし、競り合うことをしたくない。
「そこで新人冒険者に遇わなかったか?」
「遇った。すれ違った。昨日もギルドの広間で見た」
「ああ、カウンター席に座ってたか?」
ルーファスはまた黙って頷いた。解体する双子の向こうにいる若い女性たちが、ルーファスを見ている。勇者パーティーにいたのだ。なかなかの男前だし、そりゃあモテる。本人がその気なら、もっとモテるはずだ。勿体ない。
最初の方で切った尻尾は誰も求めなかったようなので、ジェイクが「尻尾は俺が買う」と双子に声をかけた。
「それでは、これにて終了」
「通りを塞いでご迷惑をおかけした分、割引をさせて頂きますぞ」
拍手が起こった。ムッチョが魔法布を巻いて、モッチョが素早く掃除をした。殆ど汚れていないが大事なことだ。
この後は、ギルドの掲示板に八角猪の部位ごとの金額が貼り出される。そして受付開始だ。厨房で更に切り分ける作業があるため、貼り出されるまで三十分ほどかかる。
予約を取るためには並ばないといけないので、ランチタイムがある店の料理人などは、ここで家族や従業員・友人に欲しい部位を頼んでから店に戻る。予約さえ取れたら、可能な時間に来れるよう取り置いてもらえるのだ。
「さて、俺も並びに行く。じゃあな、ルーファス」
数年前まで冒険者だった小さな料理店の店主ジェイクは、ルーファスを理解してくれる数少ない人間の一人だ。その彼を見送ると、ルーファスは来た道を戻る。大通りに出て左右を見た。
さて、あの青年はどっちへ向かったか?
すれ違った時に「こんにちは」と声をかけられて、焦っているうちに結局は黙ってしまった。昨日もアンバーの後ろを通るのに、話しかけられないようにと、わざと大きな足音を立てて歩いた。
挨拶くらいならば誰にでもするルーファスだが、アンバーには言えない。
アレンに、彼を見守って欲しいと頼まれた。
* * *
火山島の深部で生息する岩漿鰐が、火山の噴火で溶岩流と共に流れてきたところを、ルーファスが仕留めた。普通の人間では不可能でも、熱に耐性があるルーファスには可能だった。
連なる島を丸一日かけて渡り、何度か利用している港町でも静かな宿に着くと、元・勇者でA級冒険者のアレンと白魔法使いフェリクスが部屋を取って待っていた。ルーファスが来るまで認識阻害魔法を使っていたので、騒ぎにはなっていなかった。
彼らは王都へ向かっている途中だった。ルーファスが近くにいることを知り、他のパーティーメンバーを自分たちが泊まる宿に残して、ここへ来たのだと言う。
「ルーファス、明朝にはここを出てガレイルのギルドへ戻るだろう?‥‥‥実は、頼みたいことがあるんだ。アンバーという青年を、ギルマスのディルクに保護してもらうことになっているんだけど、もし彼が冒険者になることを選んでいたら、後輩として見守ってくれないかな」
「‥‥‥」
「ああ、大丈夫。話しかけなくていいんだ。見守るだけでいい。寧ろ、声をかけなくていい」
「‥‥‥?」
「すみません、ルーファス」
首を傾げていると、フェリクスが笑顔でアレンを押し退けた。
「私たちがガレイルに戻るまでの、可能な時間で良いので、お願いできますか? 彼がどんな風に暮らしているか、後で私たちに教えてください」
二人は、随分とそのアンバーという青年を気にかけている。
「‥‥‥ただ見守れば、いいんだな?」
「そう、頼むよ」
「キレイな子ですから、すぐにわかりますよ」
「そうなのか?」
「ルーファス、あの子に手を出してはいけないよ?」
アレンが威圧してきた。
「‥‥‥」
より眩しくなったアレンの光と理不尽な威圧に、ルーファスは目を閉じて黙り込む。
面倒くさい。正直、アレンがこんなに面倒くさい男だと思わなかった。
「アレン」
威圧がなくなったので、困った顔のフェリクスに視線を向ける。彼の結界がなければ、今頃は宿の主に夜警隊を呼ばれている。
「アレン、そろそろ嫌われますよ」
「どうしてかな?」
「ルーファスの顔を見てください。『面倒くさい』と書いてあります」
「‥‥‥本当だ、書いてある」
「それから、あの子の好みのタイプは私の方がよーく知っています。だから大丈夫ですよ、ルーファス。普通に見守ってあげてください」
「‥‥‥つまり、俺はアンバーの好みではないから、問題ないと言っているのか?」
「「‥‥‥」」
二人が目を逸らした。
フェリクスが「そろそろ戻らなくては、お馬鹿さんたちが騒ぎ出しますよ」とアレンに言っている。
お馬鹿さんたちとは、今のパーティーメンバーだろう。確かに、あんなのとよく一緒にいられるなと思うが、フェリクスは冒険者になってから、遠回しな言い方をやめたらしい。
「では、ルーファス。僕たちは王都での用事が済んだら、二人でガレイルに戻るよ」
「ある程度、派手に動いて噂は流します。あの子にも、私たちがどうしてるか聞こえるようにしたいので」
どうしてそこまでする?
アンバーとは何者だ?
いくら二人の頼みでも、引き受けて良かったのか?
思い惑うルーファスに、フェリクスが囁くようにこんな言葉を残した。
「もし、あの子の気持ちに反してしつこく言い寄る者がいたら、アレンに教えてあげてください。そして、危害を加える者がいたら、たとえ捕まえても生かしておいてくださいね」
私が、始末しますから。
* * *
銀色の美しい男の微笑は、思い出すだけで寒気がする。アレンより、どちらかと言えばフェリクスの方が恐ろしい。あの男こそが、本物の魔王なのではないかとさえ思う。
勇者パーティーにいた頃は、周りに気付かれないようにしていたようだが、二人は何か同じ想いを抱えて支え合っているようにルーファスには見えた。二人は恋人同士なのかもしれないと思っていたが、誰にも言わなかった。
冒険者になって自分がソロになったのは、自由と静かな環境に身を置きたかったのが一番の理由だが、二人の邪魔をしたくないのもあった。だから、二人に誘われても断ったのだ。
「‥‥‥」
ルーファスは先程から、歩いては立ち止まるを繰り返している。チョロチョロと自由に動き回り、屋台の食べ歩きや買い物を楽しんでいる青年を、ただ見守っていた。
俺は一体、何をしているんだ?
‥‥‥などと、思ってはいけない。そして、アンバーに何かあってはならない。ギルドの中は、ギルマスも職員たちもいるから安全だが、外では可能な限り見守って、大きなトラブルは未然に防ぐ。
そう、魔王が始末しなくて済むように。
また、視界の端に赤いのが見えた。派手な赤は賑やかな街の中でも目立つ。同じ方向に用があるのか。それとも、恥ずかしがり屋さんも街歩きが趣味とか‥‥‥?
「でも、動きが不自然なんだよな」
「え?何が?」
「あ、ううん。その網の上の長くて茶色いのって?」
「焼き甘蕉だよ。初めて食べるのか?」
あ、やっぱりバナナなんだ。
アンバーよりずっと年下の少年が、網の上の一本を手に取って皮を剥き始めた。熱そうだが慣れた手付きだ。
「丸ごと焼くんだ?」
「見た目は悪いけど、こうして焼くと甘くなって美味いんだ。ほら、一口食えよ」
「いいの?」
「美人にはサービスだ。父ちゃんはいつもそうしてる」
アンバーは吹き出しそうになった。店主の父親が売っている姿を、いつも隣で甘蕉焼いて見ているのだろう。
スプーンで掬った柔らかい甘蕉を差し出されたので、アンバーはそのままパクッと食べた。
「ん〜っ!本当だ、甘い!あったかトロうま〜!」
「‥‥‥っ」
少年はスプーンごと渡すつもりだった。真っ赤な顔で固まった少年に、八本ちょうだいと言った。
「は、八本も?」
「うん、いくら?」
「えっと‥‥‥一本銅貨二枚だから‥‥‥」
一本二百円くらいだ。高価なバナナだ。アレンに返す分の魔石はちゃんとあるし、小遣いならまた稼げばいい。ふふ、今日のオレの財布の紐はユルめだぞ〜。
魔法鞄から硬貨を入れた財布代わりの革袋を出す。少年は甘蕉を焼きながら、まだ指を使って計算をしている。八本も買う客は、そういないらしい。
「えーっと、銀貨一枚と‥‥‥銅貨四枚?」
「違う違う、銀貨一枚と銅貨六枚だよ」
「あ、あれ?」
少年は別の意味でまた赤くなった。
「ごめんね、美味しいからたくさん買っちゃって。五本で銅貨十枚だから、銀貨で一枚だろ?」
「うん」
「それに加えて三本で銅貨六枚だ。全部で八本。はい、銀貨一枚と銅貨六枚」
「あ、本当だ」
少年は納得して代金を受け取った。焼き上がったばかりの甘蕉を、アンバーが開けた魔法鞄に一本ずつ数えて放り込んだ。鞄の入口が小さいと、こうするしかない。
風が吹いて、少年が艷やかな鉄紺の髪に見惚れていると、アンバーが笑顔で「またね」と言った。
誘われるように次の客が来たので「いらっしゃい!」と、急いで甘蕉のヘタを切り落として皮に切れ込みを入れていると、父親が休憩から戻って来た。
「いらっしゃい。代わるぞ、飯食ってこい。他に誰も来なかったろ?」
「キレイな姉ちゃん来た」
「マジか、やったな」
「八本売れた」
「マジか!スゲエな!」
父親はしっかり店番をした息子を褒めた。子供相手だと、金額を誤魔化されることはよくあるので、父親は金については何も言わなかった。
珍しく並んだ客に、焼き甘蕉を一本ずつ売る。息子はまだ休憩しないでヘタを切り落としている。
「なぁ、父ちゃん。やっぱり計算教えてくれよ。代金間違えたら、姉ちゃんが違うって言ってくれた」
「‥‥‥そうか、親切な姉ちゃんだな」
「次に来た時も教えられたら、みっともねぇ」
「そうだろ?教えてやるよ」
金の計算?そんなに売れないだろ?面倒くせぇよ。
つい最近まで教えようとしてもそう言っていた息子が、やる気になってくれたのは嬉しい。何がきっかけになるか、人生わからないものだ。
「で、どんな姉ちゃんだった?」
「うーん、俺よりちょっと年上で、細い美人で髪がキレイで‥‥‥」
少年は腕を組んで考える仕草をして、ハッとして顔を上げた。
「魔法鞄持ってたから、冒険者かも!」
「お前、美人なら名前聞いとけば良かったのになぁ」
「そうだ!しくじった!」
「ははっ。さあ、もういいから早く飯食ってこい。大きくなれねぇぞ」
額を小突くと、いつもなら不機嫌になるのに、息子は「いてぇ」と言って笑った。
「‥‥‥」
さすがに、アレンも少年は威圧しないだろう?
‥‥‥しないよな?
よくある年上への憧れだろうから、大丈夫だ。
大丈夫だよな?
これは、報告などしないからな。
ルーファスは、焼き甘蕉を八本も買ったアンバーに頬を染めた少年を心配した。
因みに、あの父親の依頼で甘蕉を入手しているのはルーファスだ。
街で誰かに絡まれることはなかった。逆に拍子抜けだ。
街歩きを堪能したアンバーが上機嫌でギルドに戻ると、受付のケイトに黒い魔石を少し買い取ってもらった。
「金貨三枚です」
「ひゃあ」
金持ちになった!
「と、取り敢えず預けていい?」
「はい、アンバー様」
ギルドカードを渡すと「街歩きはいかがでしたか?」と聞かれた。大きな丸メガネの奥は変わらず見えないが、きっと優しい瞳をしているのだろうなと想像する。
「ちょっとずつ食べ歩きしたよ。ガレイルって美味しいものがいっぱいだよね」
「ふふっ、良かったです」
ギルドカードが手元に戻ると、後ろに誰かが並んだので、小さな声で「香油どうもありがとう。この香り、すっごく好き」と急いで礼を言って、受付カウンターを離れた。後ろからメキッという音と「ヒッ」と悲鳴が聞こえたが、気にしない、気にしない。
街歩き中にずっと近くにいた赤い髪の人は、ギルドに着いた途端にいなくなっていた。ほんのちょっぴり寂しい気持ちになるから不思議だ。
ムッチョくんとモッチョくん、いるかな?
広間を覗く。すっかり忘れていたが、八角猪の牙を取り置いてもらうのをジェイクに頼んだのだ。広間のスターアニスの香りと、数人が話し合う姿を見て思い出したアンバーだった。
「なあ、肩ロースは譲るし、バラ肉も付けるから」
「‥‥‥」
「‥‥‥無理だよな」
「‥‥‥ったく、仕方ねぇな。ムッチョさん、俺の分のヒレを半分コイツに分けてやってくれ。その代わり、その肩ロースは俺に」
「承知しました」
「い、いいのか?」
「滅多にない大物だからな」
「‥‥‥悪いな」
仲良し。幼馴染みだったりして。ヒレって希少部位だよな。大きな猪の場合はどのくらいあるんだろ。
双子の手が空くまで少し待とうと、カウンター席に座ってやり取りを眺めていると、後ろから声をかけられた。ジェイクだ。
「どうしたの?お店は?」
「今まで上でギルマスと話をな。店は休みだ。俺の店は不定休」
「わぁ、自由だね」
「まぁな」
あ、そうか。ジェイクはまだ冒険者だと、ディルクもそう言っていたな。冒険者は自由であるべきだ。
「スネと肩ロース買えた?」
「少量だが欲しい肉は買えた。‥‥‥アンバー、ちょっといいか?」
「どうぞ」
ジェイクが隣に座った。スパイスの匂いがする栗色のソフトモヒカンの髪の無精髭。その横顔を見て、何の話かなと言葉を待つ。
「ディルクの恋人になったってな?」
「うん、そう」
「そうか‥‥‥羨ましい」
「ん?どっちが?」
「もちろん、ディルクが羨ましい。可愛い恋人ができたんだ」
「ディルクの方が可愛いよ」
「‥‥‥‥‥‥なるほど??」
そうかなと首を傾げて、ジェイクは魔法鞄からグラスを取り出す。
「酒は入ってない、葡萄の果汁だ」
「飲んでいいの?」
「ああ」
「いただきまーす」
アンバーになってから、この世界で飲む初めてのジュース。前世でもあまり飲めないような高級で濃厚な葡萄そのものといった味だ。
「‥‥‥躊躇なく飲むんだな。俺が果汁に何か入れるとは少しも疑わないのか?」
「え?いつも料理持って来てるのに?」
「料理はまず双子に渡すからな。何か入れたらバレる。これは、魔法鞄から出して直接お前に飲ませたんだぞ?」
半分になった葡萄の果汁を見て、再びグラスに口を付けて飲む。ヤバうま。
「‥‥‥ジェイクはやらないよ。だって、ギルドの中でそんな事をしたら追い出されるし、食材大事にする人だし、店だって持ってるのに」
ディルクの食品収納庫に媚薬入り熟成チーズ入れたお馬鹿はいるけどね。
「どうでもいいと、ヤケになったら人間は何でもするだろう?」
「ヤケになった人の顔じゃないよ。これ、すっごく美味しいけど、オレが飲んじゃって本当に良かったの?」
「俺がまだ店を持つ前に、ダンジョンで入手したとっておきだ」
皮の中身が果汁でいっぱいの大葡萄で、皮が薄いからちょっとした衝撃や傷で破裂してしまう。ダンジョンでもランダムで出現する、静寂と実りの階にしか生っていない。
「美味いだろ?最後の一杯だ。今の俺がアンバーに出来るとしたら、料理とコレくらいだ」
ジェイクが辛そうな顔をして、真っ直ぐにアンバーに向き、頭を下げた。
「熟成チーズに媚薬を入れたのは、俺の妹だ。アンバーがそれを食べたと聞いた。すまなかった‥‥‥」
アンバーは目を瞠った。
では、ディルクの恋人だったのは‥‥‥。
「ジェイクの、妹?」
「ああ、そうだ。俺の妹のリタだ。今はこの街にいないが、D級冒険者だ」
「‥‥‥」
ふーん。リタ。リタ、ね。忘れてもいい名前だけど、オレと同じD級なのか。
「どうしてジェイクが謝るの?」
「それはもちろん、兄だからだ。アンバーは、俺の友人の大切な恋人で‥‥‥」
「謝らなければならないのはそのリタって人で、謝るのはオレにじゃなくディルクにだ」
ジェイクが栗色の瞳を見開いた。アンバーはグラスの果汁を全て飲んで「ごちそうさま」と言った。
「ディルクにもオレにも効かないんだから、無駄で無意味な嫌がらせだったね。熟成チーズは美味しく頂いたよ。ざまぁないね」
「‥‥‥!」
「ディルクの次の恋人が食べたら面白い、とか考えたのかな? 食品収納庫だよ。手に取らなきゃそのままずっと残る。遊びに来た友人や子供やお年寄りが食べる可能性だってあるよね? もしかしてそれも想定内? オレ、そんな考え方で卑怯な手を使う人って、嫌いだな。たとえジェイクの妹でも、二度とディルクに会えないように出来ないかなぁ」
儚げな美青年から驚くほど辛辣な言葉が出てきて、ジェイクは息を呑んだ。
「ねぇ、二人もそう思わない?」
「「仰るとおりで」」
目の前に大胸筋の壁があった。切り分けられた八角猪を買いに来た客は、広間にはもういなくなっていた。この後は、時間がなく予約だけして帰った者が空いた時間に受け取りに来るだけだ。
「アンバー殿、八角の牙はどれくらい必要ですかな?」
「えーとね、これくらい」
ムッチョに右手の親指と人差指で長さを示した。十五センチメートルくらいだが、長さの単位がわからない。
「‥‥‥半フィートで、よろしいですかな?」
「うん」
「承知しました」
ムッチョが厨房へ行き、モッチョが残った。アンバーは先程買った焼き甘蕉を取り出す。
「あっつぁ!掴んじゃった!熱い、熱い」
一本ずつコロコロと、カウンターテーブルに茶色い甘蕉を転がすように置く。
「「‥‥‥」」
モッチョとジェイクがその様を瞬きして見ている。
「これは‥‥‥甘蕉ですかな?」
「うん。モッチョくん、食べたことある?」
甘蕉は、ここ二・三年でガレイルに出始めたばかりの果物だ。そのまま剥いて食べたことがあるが、覚えているのは青臭い微妙な味の記憶だけだ。
「緑がかった黄色いのならば、一度」
「その顔は、まだ熟してないのを食べたんだね。焼くとトロトロで甘いんだよ。皮ごと焼いてるから見た目がアレだけどね。本当に美味しかったから、みんなに買ってきたんだ。今夜のミーティングで食べることってできる? こう縦半分に切って開いて、スプーンで食べるといいよ。シナモンパウダーとかあれば、かけても美味しい」
「「ほぉう、なるほど」」
ムッチョが戻ってきたところで、アンバーが揃った双子に礼を言う。
「ムッチョくん、モッチョくん、室内履きを作ってくれてありがとう。ピッタリだし履きやすくて、オレ本当に嬉しい」
若葉色の瞳がキラキラと大きく見開かれた。
「こちらこそ、アンバー殿に喜んで頂けて、何より嬉しいですぞ」
「こちらは、今夜必ず皆で頂きますので」
モッチョが焼き甘蕉手に取ると、熱そうな顔は一切せずに寧ろ嬉しそうに微笑んで、厨房へ消えた。
「ではアンバー殿、こちらのご確認を」
ムッチョから、カットされた焦茶色の半フィートの牙を渡された。切り口を見るとやはりスターアニス。八角猪は、角が八本あるのではなく牙が八角なのだ。本当に面白い。金太郎飴みたいに切って使おう。革袋から銅貨五枚を支払う。
「やった。ジェイク、予約してくれてありがとう」
「いや‥‥‥俺は」
双子が咳払いをした。
「‥‥‥ああ。また、必要な時は頼ってくれ」
「うん、ありがとう」
今朝と変わらない笑顔を向けられ、ジェイクは少し心が軽くなった気がした。
「あ、ジェイクも焼き甘蕉食べる?」
「いや‥‥‥、俺もこれから街歩きして、その店で買うよ」
最近は、店とギルドの往復ばかり。買い出し以外では、のんびり街を歩くなどしていなかった。
「それがいいよ。オレそろそろ行くね。事務員のお姉さんたち、まだ忙しいかな?」
「お姉さんたち?」
「ベスさんとミーナさんだよ。ジェイクも知ってるでしょ?」
「そりゃ、もちろん‥‥‥」
絶対に怒らせたくない受付だったと、先輩冒険者から何度も聞かされている。アンバーは、現在事務員になっているその二人を、お姉さんたちと呼んでいるのだ。
‥‥‥いや、お姉さんはさすがに、無理がないか?
「ジェイクもそう呼べば?」
「‥‥‥はい」
「ほっほ、アンバー殿」
「ご婦人方なら、もう帰られましたぞ?」
「ありゃ。じゃあ明日にしよう」
トンと、高さのある椅子から下りたら、鉄紺の艷やかな髪が揺れた。「じゃあね」と、軽やかに広間を出るアンバーが、今は眩しく映る。
「「冒険者に戻りたくなりましたかな?」」
「‥‥‥」
「「おや、当たりましたか」」
「‥‥‥心を読まないでくれよ」
「「ほっほ」」
料理が趣味のジェイクがB級冒険者になったばかりの頃に、妹のリタも冒険者になった。
リタは、ジェイクの父親の再婚相手の連れ子で、両親はその後すぐに事故で他界してしまった。気持ちは全く兄妹になりきれていないまま、家族はジェイクとリタの二人きりになった。
リタは十四歳で、葡萄酒色の髪が自慢の気が強い少女だった。冒険者になると言ったので、ジェイクがリーダーの、他の新人冒険者たちが数人いるパーティーに加えた。折角ならしっかり冒険者として育てようと考えたからだ。
しかし、あまり向上心のない彼女はずっとD級のまま昇級試験を受けず、五年が経ち十九歳になった。気の強さに加えて、自意識過剰な女になっていた。
S級冒険者のディルクが【煙水晶】のギルドマスターになった。リタは押しに弱い彼の恋人にしてもらい、住まいに転がり込んだ。
忙しい男なりに大事にしていたはずだが、飽きたのか、物足りないのか、リタは新人冒険者だった若い男と、何も言わずに出て行った。他にも数人の冒険者と関係を持っていたと後で知った時は、本当に情けなくなった。
友人のディルクを裏切る行為やギルドにも迷惑をかけたことで、申し訳なくなったジェイクは冒険者をやめようとしたが、ディルクに止められた。
今は休めばいい。いつかまた冒険者に戻りたくなる日が来るから、と。
自分だってまだ慣れないギルマスとしての仕事やリタとのことで疲れきっているはずなのに、友人であるジェイクを心配してくれたのだ。
ジェイクは妹の恥を抱えて生きることを選び、ガレイルの街に残った。幸い、ジェイクを知る者の大半は同情的だった。ギルドの近くで小さな料理店を開いて、今に至る。
「店はまだ閉めるつもりはないし、不定休だからどうにでもなる。食材探しから始めるか。折角なら新メニューも考えたい」
「おお、新メニューですか」
「それはそれは、楽しみですなぁ」
「ギルマスに、そう伝えてくれるか?」
「「‥‥‥」」
双子が意味ありげに微笑む。
「‥‥‥‥‥‥何だよ、自分で言えって?」
「「それが宜しいかと」」
「わかった、わかったよ。今度な。体が鈍ってるのはバレてるから、仕上げてから言わないと笑われる」
ムッチョとモッチョの大胸筋を見ながら苦笑いした。双子は自慢気にピクピクと動かして見せるが、ここまで立派だと、さすがに羨ましいとは思わない。
「妹‥‥‥いや、リタを、すぐにでもギルドを出禁にしてくれて構わないと、それだけは伝えてくれるか?」
「「承知致しました」」
兄妹として過ごした時間はない。リタも自分を兄と慕わなかった。他の新人冒険者と同じ扱いをされたことが、面白くなかったのだろう。周りにチヤホヤされていたから、自分だけは甘やかさないように、厳しくしないと彼女のためにならないと思ったのだが‥‥‥。
結局は、何一つ伝わらなかった。
今頃どこで何をしているのかも知らない。
兄妹の縁は、切りたくても、切れない。
切れないなら、こちらから解いてやるよ。
兄の手と恋人の手に、唾を吐いて離れたのは、お前だ。
「‥‥‥よし。焼き甘蕉の店に行ってみるか」
スッキリした。決断してしまえば、こんなものだ。
「じゃあな」
先程の新人冒険者にも負けないほど、男の足取りは軽やかに見えた。
読んでいただきありがとうございます。
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