始まりの始まり 2
「ですが、殿下を見ていると……」
「言わないでください。先生には辞めて欲しくないんです」
ラスコーが背後を気にする素振りを見せることでダワイラは多少、少年の意図がわかった。
背後には女官が一人、護衛の武官が一人。それぞれじっとふたりの様子を眺めていた。ラスバ帝の意思は帝王学そのものに現れていた。十年もすれば彼はあらゆる意味において文武両道に通じた帝王に育つだろう。そのために不要な要素を一切切り捨てる。ラスバ帝の意向に沿わない教師は即刻解雇される。ダワイラの前任の理科教師も同じようにして首を切られたのだろう。
「ですが……確か今日の昼食には西園寺卿の他に義娘の康子様もご同席されるとか……」
ちらりとダワイラは少年東宮の様子を伺った。明らかにそこには康子の名を聞いて安心している少年らしい姿があった。
だがそれも一瞬のことだった。再び憂鬱に襲われた少年は静かに口を開く。
「先生は母上の妹君であったと……カグラーヌバ・キラーナがそこにあるとおっしゃるのでよう。確かに康子様なら私の境遇を知らずに好きなことをおっしゃるのかもしれません。西園寺の鬼姫と異名を取られる方ですから……」
「甘えるのも殿下には大事なことですよ」
ダワイラの言葉に明らかに社交辞令というような笑みをラスコーは浮かべた。
「ですが帝の機嫌を損ねるだけでしょうね。兼州公カグラーヌバ・カバラ将軍は未だ帝の逆鱗に触れて蟄居の身。他国のしかも宰相の跡取りの嫁だから嫌味一つくらいで済むと思いますが……私の境遇が変わるとは思えません」
諦め切った少年の姿にダワイラはただ脱力感だけを感じていた。
「そうですか……ですが殿下。私はいつか殿下にこのような無理を強いている世の中を変えたいと思っています」
「先生……」
ラスコーの言葉が終わるまもなく護衛の兵士がダワイラの片腕を掴んだ。
「博士。それ以上は……」
護衛はそう言うとダワイラを強い視線で睨みつける。ダワイラは自分の運命を悟った。
「どうやら私も今日で解雇のようですね」
「先生……」
少年が力なく笑う。ダワイラは護衛の手を振りほどくと教材をまとめて立ち上がった。
「今日まで楽しかったですよ。ただ……あなたを救えなかったことが……」
「博士!」
兵士はそう言うと力強くダワイラの腕を引っ張る。ただ身を任せるようにしてダワイラは兵士に弾き飛ばされ勉学の間の中央に叩きつけられた。
「先生に乱暴するでない!」
ラスコーの言葉に兵士は一瞬緊張したがすぐに倒れたダワイラを引っ張り上げて立たせた。静かに眼鏡をかけ直しダワイラは穏やかな視線で少年東宮を見上げた。
「では……」
「どうかご無事で……」
立ち去るダワイラにラスコーは静かな笑みを送って見送った。