第一話「転生初日・チュートリアルすら読めない」
最初に気づいたのは、天井だった。
見覚えのない天井。
金色の装飾。複雑な彫刻。天蓋付きのベッド。
……どこだ、ここ。
体を起こそうとして、気づいた。
重い。
いや、正確には……でかい。
自分の手を見る。
知らない手だ。
長い指の、きれいな大きな手。
俺の手じゃない。冴えない引きこもりの、ちょっと太った手じゃない。
鏡を探した。
部屋の隅に、大きな姿見があった。
そこに映っていたのは、見知らぬ男 だった。
亜麻色の髪。
茶色の目。
背が高い。
でも、屈強というわけじゃない。
肩幅は狭く、なで肩で、どちらかといえば細身だ。
顔立ちは整っているが、怖い顔というわけでもない。
むしろ、静かな印象の男だった。
どこからどう見ても、俺じゃない。
……誰だこれ。
俺は田中ひろし、三十四歳だぞ。
冴えない、ちょっと太った、子供部屋おじさんだぞ。
こんなイケメン、俺じゃない。
絶対に俺じゃない。
「陛下、お目覚めでございます」
声がした。
振り返ると、侍女らしき女性が深々と頭を下げていた。
年齢は二十代前半くらいだろうか。豪華なドレスに身を包み、表情は硬い。
怖がっているのか、緊張しているのか、あるいはその両方か。
……陛下?
俺が?
「あ、いや……」
なんと答えればいいんだ。
突然、頭の中で声が響き渡る。
「……おのれ、狂王!!」
誰かが、叫んでいた。
怒りと、恐怖と、憎しみが混じった声だった。
次に、頭の中に映像が流れ込んできた。
誰かの記憶。
冷たい目で人を見下ろす視点。
大臣が何かを報告している。
俺は……いや、この体の元の持ち主は、無表情のまま短く言った。
「一族郎党全員、処刑しろ」
次の映像。
広大な地図を前に、一人の男が笑っている。
大陸を指でなぞりながら、何かを計算している。
その笑みは、ゲームで完全包囲を完成させた時の俺に似ていた。
でも、ゲームじゃない。
次の映像。
小さな銀髪の少女。
廊下を歩いている。
その子が父親の顔を見上げた瞬間、ビクッと肩を震わせた。
……俺、何やらかしてたんだ。っていうかこの記憶は?
頭の中がぐちゃぐちゃに混乱している。
狂王?……そもそも俺、どうして転生?したんだ。
死んだのか? 眠っているのか? お母さんは今頃……。
考えかけて、止めた。
考えても答えが出ない。
今は目の前のことだけ考えよう。
「陛下? いかがなされましたか」
侍女が心配そうに覗き込んでくる。
「あ……ちょっと待ってください。今、整理してるので」
侍女が固まった。
三歩、後ずさりする。
まるで爆弾でも見るような目だった。
そうか。
王様は「ちょっと待ってください」とか言わないのか。
なるほど。勉強になった。
とりあえず状況把握が先だ。
ゲームの基本だろ、これは。
窓の外を見る。
石造りの城壁。
馬車。
剣を持った兵士。
空は青く、どこかの国の旗が風に揺れている。
中世ヨーロッパ風の世界か。
魔法がありそうな雰囲気はしない。
むしろリアル寄りだ。
机の上に書類が積まれていた。
財政報告書らしきもの。
文字は読める。なぜか読める。
この体に前の持ち主の知識が残っているらしい。
財政状況……赤字。まあよくある序盤の設定だな。
軍事力……そこそこ。弱くはない。
外交状況……隣国との緊張関係。具体的にはガレス、ラインベルト、アソセスという三つの国が周辺にある。
……信〇の野望で言えば、俺は中間に挟まれた中堅大名か。
包囲されたら終わる。まず外交から固めないと。
「陛下、大臣たちが会議室で……」
「あ、わ、わかった。行きま、行く」
廊下を歩く。
歩きながら整理をする。
俺のこの世界での、名前は、ミルケ・ジオ。この国、アトラクト王国の王らしい。
そして……どうやら前の俺の記憶には種類があるらしい。
言葉や文字、基本的な知識は最初から使える。
でも人の顔や、感情が絡む記憶は断片的にしか来ない。
強い感情が伴う記憶は、特定の場面で突然来るらしい。
「不便だが、仕方ないな」
独り言を聞いてギョッとした、侍女たちが道を開ける。
全員が怯えたような表情をしている。
ミルケ・ジオ、どんだけ恐れられているんだ?
会議室の扉の前で、俺は一度立ち止まった。
扉の向こうから、人の気配がする。
……何人いるんだ。
引きこもり十年。
人が集まる場所が苦手だ。
コンビニですら混んでると入れない俺が、大臣会議に出席するのか。
……落ち着け、ゲームだと思え。これはゲームだ。
大臣たちはNPCだ。怖くない
深呼吸する。
扉を開けた。
大臣たちが一斉に立ち上がり、深々と頭を下げた。
十数人はいる。
全員が俺を見ている。
……全員が、俺を見ている。
多い、視線が多い、胃が痛い。
表情には出さない。
出したら終わりな気がする。
俺は無表情のまま上座へ歩いた。
靴の音が会議室に響く。
全員が着席する。
誰も喋らない。
シーンとしている。
……あれ。誰も喋らないぞ。
ゲームなら大臣がチュートリアルを説明してくれるのに。
沈黙が続く。
大臣たちの視線が、全部俺に向いている。
胃が痛い。でも顔には出せない。
NPCだ。NPCだと思え。
「……な、何かあるか?」
大臣たちが一斉にビクッとした。
一人が恐る恐る口を開く。
老人だ。
白髪で、皺が深い。
目だけが鋭く、俺をじっと見ている。
「あ、あの……陛下。本日の議題ですが……」
その声は震えていた。
「……な、なんでも言っていいぞ」
また全員がビクッとした。
……なんで「なんでも言っていいぞ」でビクッとするんだ。
怖い。この状況が怖い。でも顔には出せない。
落ち着け。情報収集だ。ゲームと同じだ。
老大臣がさらに恐る恐る続ける。
「東の国境付近で、ガレスの斥候と思われる一団が……」
「く、詳しく」
「は、はい……」
報告が続く間、俺は書類を眺めながら必死に平静を保った。
十数人の視線が、ずっと俺に向いている。
やめてくれ、見ないでくれ。
……このパターン、ゲームでよく見る。
国境の緊張。斥候の侵入。
次は小競り合いになって、それから本格的な衝突に発展する。
対処法は決まっている。
まず情報収集。次に外交での牽制。
武力はあくまで最後の手段。
「パラネス」
老人の名前は覚えているようだ。
老大臣がビクッとした。
「は、はい!」
「お、お前に聞く。今すぐ答えられなくていい」
「……は」
「ガレスとの外交ルートは、現在は、ど、どうなっている?」
パラネスが目を見開いた。
何かを言いかけて、止まる。
また言いかけて、止まる。
どうやら「陛下が外交ルートを聞く」という事態が、パラネスの想定外だったらしい。
「……現在は、正式な外交使節の往来は止まっておりまして……」
「そ、そうか。検討しておき、おく」
「……で、では、それだけで……よろしいのでしょうか」
「ああ。今日はもういい」
全員がまたビクッとした。
「……か、解散していいぞ」
大臣たちが恐る恐る立ち上がり、次々と部屋を出ていく。
俺はその間、書類を眺めるふりをして、ひたすら耐えた。
ああ、噛みまくりだった。
早く終わってくれ、視線が痛い。
なんで全員俺を見ながら出ていくんだ。
最後の一人が出ていった瞬間、俺は小さく息を吐いた。
……疲れた。
十数人に見られただけで、これだけ消耗するのか。
引きこもり十年の弊害がこんなところで出るとは思わなかった。
「……陛下」
一人だけ残っていた。パラネスだった。
「な、なに」
「本日は……その……」
老大臣は言葉を選ぶように、慎重に口を開いた。
「……いつもと、少し違われますな」
俺は少し考えてから答えた。
「そ、そうか」
「……何か、ございましたか」
「別に」
パラネスは深く頭を下げ、去っていった。
その背中を見ながら、俺は一人会議室に立った。
……さて。
現状把握は終わった。
次は家族の把握だ。
前の記憶によれば、妻がいる。
妊娠中らしい。そして娘がいる。
八歳だそうだ。
ゲームで言えば、家族パラメータの確認だ。
まず妻から行くか、娘から行くか。
そんなことを考えていたら、廊下の角から視線を感じた。
振り向く。
そこには、銀髪の少女がいた。
八歳くらい。赤い目。
表情はないが、かわいい。
その目が、俺を見ていた。
……まるで、毛虫を見るような目だった。
「……やあ」
声をかけた。
少女は答えない。
「君が、アリスか」
少女は答えない。
ただ、毛虫を見る目だけが続く。
「……元気かい?」
少女は答えない。
毛虫を見る目・強。
「そ、そうか……」
少女はくるりと踵を返し、廊下を歩いて消えた。
俺は壁にもたれて天を仰いだ。
……ステータス確認すらできなかった。
さっきの大臣会議より疲れた気がする。
十数人に見られるより、八歳の娘に毛虫を見る目で見られる方が、なんでこんなにきつい。
「……詰んだ」
◇
廊下の影で一人の男が見ていた。
音もなく、気配もなく。
感情の読めない目。腰に剣。影のような存在感。
王室の護衛武官ジークシールドだった。
彼は何も言わなかった。
ただ、静かに考えていた。
(……『やあ』)
(前の陛下には、一度もなかった言葉だ)
(それと……)
彼はもう一つのことを考えていた。
会議室を出てきた陛下の顔を、パラネスが去った後、廊下で一人になった瞬間に見ていた。
ほんの一瞬だけ、その表情が崩れていた。
疲れたような。
ほっとしたような。
そんな顔を、前の陛下がしたことは一度もなかった。
(……中身が?)
その先は、考えない。
ジークシールドは音もなく、廊下の影に溶けていった。
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