第9話 涙とルイーゼの訪問
最近というものの、エルウィン様が帰ってきて以来、私はシリル様と気まずくなっていた。
…私が一方的に気まずいだけなんだけどさっ!
だって!エルウィン様が、変なこと言うから!
その、私が、その…、シリル様のことを──。
いや、待ってほしい、まだ決まったわけじゃないの!
ただ、気になるというか、あの言葉によって嫌でも気になっちゃうというか。
なんか、時限爆弾だけ持たされて、1人でオロオロしている感じ。
おかげで、シリル様には変だと思われていると思う。
マーサたちは、なぜかニヤニヤしているだけで、何も言ってこない。
フランクですら、「もうすぐ春ですかね〜」とか言う。
もうすぐ夏だよ…!!
だから、誤魔化すようにフェルナンド様にばっかり話しかけてしまう。
毎回、フェルナンド様が不思議そうな顔をしながらも、私の話に付き合ってくれる。
なんかもう、申し訳なくなってきたよ〜〜!
だってさ、この結婚は、そういうのではなかったじゃない…!?
私だって1ミリもそんなつもりなかったのよ?
男の人のことなんて、好きになったことがなかったし。
学校で出会った男の子たちは、意地悪で大嫌いだったし。
周りには祖父かお父様か使用人くらいしかいなかったし、最近仲良くなったネイデンさんはそういうのじゃないしさ。
私にとっても『寄り添う家族』という響きは、聞き心地がよかった。
幼少期は田舎に1人預けられたのもあって、祖父母もいたし、領民も優しくしてくれていたけど、本当はいつもどこか寂しかった。
お姉様たちは、王都でお父様と一緒にいられるのに、どうして私は一緒じゃダメなんだろうと思ったことも何度もあった。
それらを考えると、弱くなっちゃいそうで、私は没頭できる翻訳に逃げたところもある。
お母様が生きていたら、たくさん頭を撫でてもらえたんだろうかと、そんなことを思いながら、絵本を翻訳していたのが懐かしい。
だから、シリル様の提案は、本当に嫌じゃなかった。
お父様も、お姉様たちも、私のことを可愛がってくれているのはわかっている。
それでも、『温かい家族像』というのは、おとぎ話くらい私にとっては自分のものな感じがしなかった。
シリル様の言う『寄り添う家族』はその夢に見た温かい家族かもしれないと思ったら、恋とか愛とかは別によかったの。
なのに、今更違う思いが湧いてきちゃうなんて…。
シリル様を困らせちゃうよ〜っ…!
「メリンダさん、今いいですか?」
夕食後に、フェルナンド様の方から声をかけられた。
「はい、大丈夫ですけど、どうかしましたか?」
「実はですね、ルイーゼから手紙と伝言を預かっていまして…」
「ルイーゼ様って、フェルナンド様の婚約者の方ですよね?」
「はい、そうです」
「婚約者様が、私に手紙、ですか?」
どういうことだろう。
お会いしたこともないし、一度会っておきたいとか、かな?
でも、私、たいして伯爵家のことわかっているわけじゃないし。
むしろルイーゼ様の方がわかっているかも、将来の女主人だし。
他には何が考えられるかな、…フェルナンド様に近づかないでください的な…?
え、わ、ロマンス小説の定番みたいなこと…!?
「これなんですが」
フェルナンド様が手渡してきたのは、この前の旧古代語が書かれていたルイーゼ様の手紙と同じようなものだった。
さすがに文字は、現代語だったけど。
受け取ると、ふんわりと香水の香りがした。
「開けてもいいですか?」
「はい、どちらかというと、中身を早く確認してもらいたいと言いますか…」
フェルナンド様は、歯切れ悪くそう言った、
ものすごく戸惑っている雰囲気を感じるんですが、…今度は何があったんですか、フェルナンド様。
そんなこと言われたら、こちらも緊張してくる。
フランクがすかさずペーパーナイフを渡してくれたので、それでゆっくり開封した。
中身も普通の便箋だし、現代語だ。
さらさら〜と目を通していく。
読み進めれば読み進めるほど、目で追うのがなんとなく遅くなっていく。
え、っと〜。
「お茶会、ですか?」
「…はい」
「私と2人きりで、ですか…?」
「…この前の旧古代語の件で、『どうしてもお会いしたいの!』と、きかなくてですね」
おおお…?
目をつけられた的なことで、合っています?
それ、大丈夫です?
「どうやら、友達になりたいとのことでして…」
「私とですか!?」
ちょっとだけ大きい声が出た。
え、ルイーゼ様って、たしか侯爵家のご令嬢でしたよね?
今は、一応伯爵家夫人ってことになりますけど、ほんの少し前まで子爵家のただの4女だったんですが、それ本当に大丈夫な案件ですか…!?
「いつか義理の親子になるので、『友達じゃ失礼かもしれないけど〜!』とはしゃいでいまして」
そこじゃない、多分そこじゃないです、ルイーゼ様!
「もし、メリンダさんがお嫌じゃなかったら、会ってあげてくれませんか?」
侯爵家のお嬢さんからのお誘いなら、どのみち私に断れないのでは?
緊張するけど、旧古代語を書くご令嬢…、ゴクリ、会ってみたいかも。
フェルナンド様の顔も立てられるし、シリル様もルイーゼ様と良好な関係の方が助かるかもしれない。
社交、お茶会、女性同士の会話、将来の義理の娘さん…。
まずい、うまく出来る気がしなくなってきた!
顔を青くしていると、フェルナンド様が申し訳なさそうに続けた。
「もしメリンダさんが向こうの家に訪問するがお嫌でしたら、我が家に連れて来させてもいいので」
「あら、それはいいじゃありませんか〜!」
「マーサ…、でも、私お茶会のおもてなしなんてやったことないよ?」
「フェルナンド様を訪ねていらっしゃるルイーゼ様の好みはこちらで把握していますし、私たちもお手伝いしますよ!」
それは、正直助かるなぁ…。
「他の方をご招待するわけではないので、奥様が不安になることはございませんよ」
「ルイーゼのわがままなので、正式な茶会じゃなくて大丈夫です。そこはもう言ってありますので、メリンダさんの好きにしてもらえれば」
それなら、一択だ。
ここに来てもらった方が、まだ緊張しなさそう。
正式なお茶会じゃないのも、なんとかなりそうな気がしてくる。
「シリル様、ルイーゼ様をお招きしてもいいですか…?」
テーブルの向こうで、ずっと様子を見守ってくれていたシリル様の方を見た。
今のは、自然な感じで、話しかけられたと、思う…!
最近の私は、シリル様相手だとうまく喋れないから。
「ああ、もちろんいいよ。むしろ、メリンダはいいのかい?」
「はい、実は私も一度お会いしてみたいと思っていたんです」
「それなら、ルイーゼ嬢のわがままを聞いてあげるといい。フェルナンド、そのように伝えておきなさい」
「もちろんです。すみません、メリンダさん」
「いえいえ、ルイーゼ様にお返事を書くので、渡していただくことは可能ですか?」
「はい。僕からもしっかり言っておきますので、よろしくお願いします」
「メリンダ、本当によかったのかい?」
寝る前のひと時、いつものようにシリル様は私の部屋でハーブテぇーを飲みながら、心配そうに訊いてきた。
「ルイーゼ嬢相手でも、無理だったら断ってよかったんだよ?」
「そういうわけにはいきませんよ。フェルナンド様の婚約者様なら、私だって少しは関係ありますし。それに、会ってみたかったのも本当なんです」
シリル様の目が、まだ不安そうに揺れている。
私が頼りないから、心配なのかな…。
「旧古代語を書ける方にお会いできるの、楽しみなんです」
「ああ、それはたしかにそうだね。そうか、無理していないならいいんだ。メリンダの好きなようにしてくれる方がいいからね」
「心配してくれてありがとうございます。でも、無理はしていません」
「ふふふ、私の奥さんは頑張り屋さんだねぇ」
シリル様の目から不安の色がなくなって、ホッとする。
いくら私が社交が苦手だからといって、上級貴族の方を家に呼びつけておいて頑張っているは、相当甘々な評価だと思う…。
むー、今回は貴族らしいことを頑張れる機会かもしれない。
苦手と言って逃げてないで、ちょっとは頑張ってみようかな…。
シリル様は柔らかく笑って、その手が私の方に伸びてくる。
いつもみたいに頭を撫でてくれるんだろうとわかって、思わず身を竦めてしまった。
…い、今撫でられたら、おかしくなる!
そう思って、避けてしまったんだけど、後悔した。
シリル様が、見たことない表情が抜け落ちたような、戸惑った顔になっていた。
あ、まずい…!
思った時には、遅くて、シリル様は眉毛を下げて笑った。
「はは、子ども扱いしすぎたかな。メリンダはもうレディーなのにね」
その優しい手が、ゆっくり引っ込められるのを見て、感じたことのない胸の痛みが走った。
ズキズキとも、ジリジリとも違くて、心臓が苦しい。
いやだ、行かないで…!
「あの、ちがくて…」
「さて、そろそろ寝る時間かな」
「シリル様、あの…っ」
「メリンダも無茶しないようにね、じゃあおやすみ」
シリル様は最後まで笑っていたけど、あんなのシリル様の笑顔じゃなかった。
いつもだったら、頭を撫でてから部屋を出るのに、私と目を合わせないように出て行ってしまった。
その後ろ姿を、扉が閉じるまで見ていることしかできなかった。
間違えた…。
私、自分のことでいっぱいいっぱいで、間違えた。
シリル様に、あんな顔させちゃった。
力なくとぽとぽベッドに向かい、そのまま倒れるように沈んだ。
ボスン、とさすがにもう慣れた伯爵家のベッドは、柔らかくてそのままどこまでも沈んでいけそうだった。
私が、中途半端なせいだ…。
家族にもなりきれなくて、この気持ちにも向き合えなかったから、私のせいだ…。
慣れたはずなのに、今日のベッドがまた広く感じる。
泣く資格なんかないのに、ポタポタと涙が零れてきて、顔を布団に押し付けるしかなかった。
「メリンダ様ですね!お会いしたかったんです!」
「ようこそおいでくださいました。私のわがままでこちらに来ていただいて、申し訳ありません」
「いいえ!先にわがままを申したのは、私の方ですわ!それに伯爵家に来るのは、いつも楽しみなんです!」
ルイーゼ様は、ふんわりとした紺色の髪に、優雅な所作が、見惚れるようだった。
それでいて、やっぱりとても可愛らしかった。
旧古代語で薔薇の花束で許してあげると書けちゃうくらいだものね。
キュッと引き上がった猫目も、意志の強そうに感じさせて、フェルナンド様があの手紙の日に焦っていたのがなんとなくわかるようだった。
「こちら、手土産なのですが、よかったら」
「まあ、ありがとうございます」
マーサが向こうの侍女から受け取ったのは、ケーキのようだった。
「マーサ、お茶と一緒に出してくれる?」
「はい、かしこまりました」
マーサはしっかり頷いてくれるので、心の中でホッと息を吐く。
お茶会が決まってからというもの、フランクとマーサが作法を一から見直してくれた。
練習として、実際にどうしたらいいのかも一緒にやってくれたから、大丈夫ではあると思う。
何かあったら教えてくれることになっているし、頷いた時は『出来ていますよ』の合図だ。
気を抜かずに頑張ろう…!
シリル様とは、あのあとから『普通』に戻った。
普通というのは、レストランで会った時くらいになった。
つまり、シリル様が私の頭を撫でることはなくなったし、今まで以上に適切な距離になった。
話も出来るし、私も慌てなくなったけど、今までより他人になったと言っていい。
心の距離がぐんと離れたと、痛いほどにわかる。
私が先に遠ざけたんだ、シリル様から距離を取られても何も言えない。
むしろシリル様の気遣いだとわかる。
シリル様は優しいから、レストランくらいに戻してくれたんだ。
シリル様が私を無視したり、拒絶したりなんかしない。
そんなことするわけがない、わかっている。
でも、確実に離れた何かを、猛烈に寂しく思ってしまう。
あの手が、私を撫でてくれることは、きっともうない。
それがたまらなく悲しくて、泣きたい。
私に、そんなこと言う権利も、ないのに…。
ルイーゼ様を案内して、一緒にテーブルに着く。
すぐにお茶が注がれて、ゆっくり飲む。
心を落ち着けるのには、ぴったりだ。
「美味しいですわ」
「お口に合ったようで、よかったです」
「メリンダ様、いえ、ルース伯爵夫人!」
ルース伯爵夫人…!
人から言われると、本当に嫁いできたんだなと思う。
でも、今の私は、そう呼ばれてもいいのかな…。
「あ、よかったら名前で呼んでください」
「では、私のことも、ぜひ名前で!」
「わかりました、ルイーゼ様」
「それでですね、メリンダ様!あの文字、どうして読めたんですの!?」
ルイーゼ様は、優雅なのに、目の奥のキラキラが抑えきれていない様子だった。
まあ、そうなりますよねぇ。
「私もお訊きしたかったんです。旧古代語を書ける方が、現代にいるとは想像もしていなかったので」
「私、あの手紙は絶対読めないものにして、フェルナンドを困らせてやろうと思っていたのです。それなのに、ちゃんと我が家まで来たんですよ!もうびっくりしちゃって!」
「ああ…、じゃあ、私余計なことをしてしまいましたね」
「いいえ!薔薇の花束を持った、たじたじのフェルナンドが見られたので大満足ですわ!」
そう言って、本当に満足そうな笑みを浮かべたので、私もつられて笑った。
「フェルナンド様、取り乱していらっしゃいましたよ」
「そりゃあそうでしょうね。いいんですよ、先に約束を破ったのはフェルナンドなんですから。たまには困らせてやらなくちゃ」
ふふんと勝ち気に笑うルイーゼ様が、眩しかった。
羨ましいと言ったら、怒られちゃうかな…。
「お2人は仲がいいんですね」
「婚約して、もう10年近くになりますからね。長い間一緒にいるからだと思いますわ」
「長い間…」
もっと長い時間一緒にいたら、私もシリル様とこんなふうになれたのかな。
「フェルナンドはたまーにあんなふうに頼りないところがございますのよ、こちらが困っちゃいますよね!その点、伯爵様はとーっても大人ですから、メリンダ様も困ったりされないんでしょうね」
「大人…」
「そうですよ!社交界でも、伯爵様はずっと密かな人気でしたものねえ。今回再婚されて、悔しがっていた方が何人かいましたし」
「…シリル様は、おモテになるんですね」
「ご本人はそんな気はなさそうだったので、またそんなところが余裕があって女性人気が高かったのでしょうけど。だから、結婚なさったと聞いて、こんな朗報があるのかと思いましたのよ!メリンダ様、どうやってあの伯爵様の気持ちを動かされたんですの?」
ルイーゼ様は、訊きたいことがいっぱいある!とワクワクした顔をしていたけど、私はぽっかり穴が空いたような気分だった。
私、どうして結婚してもらえたんだろう。
シリル様は、適切な距離の『家族』になりたかったはずだ。
なのに、私が、シリル様を好きになっちゃったから…。
もう、どうしたらいいんだろう。
「メリンダ様!?どうされたのですか、どこか痛いですか?」
「…へ」
目の前のルイーゼ様が慌てたように、ハンカチを差し出した。
それを見て、ようやく自分が泣いていることに気づいた。
部屋の使用人も、ルイーゼ様の侍女も、顔には出していないけど、困惑した様子だった。
「あ、わたし…、本当は全然シリル様に、見合っていないんです…」
言葉に出してしまった。
言葉にして、泣いていると自覚したら、ハラハラと落ちる涙が止められなくなった。
「うっ、う…」
「メリンダ様、だ、大丈夫ですよ!」
ルイーゼ様はこちらに来て、そっと抱き締めてくれた。
それは、マナーとしてはダメかもしれないけど、嬉しかった。
ルイーゼ様も、優しい方だったみたい。
この家に関わる人は、みんな優しい。
初対面のルイーゼ様に支えられて、泣きじゃくってしまうのだった。




