■動物園
ある月曜日の朝練開始前の部室兼器具庫、二年生の部員は昨日の話題で大いに盛り上がっていた。
「昨日の智子、まじやばかったよね。」昨日撮ったであろう写真を携帯電話の画面で眺めながら、友奈がしみじみと言う。ちなみに、鹿海中学では学校内への携帯電話の持ち込みは勿論禁止されている。女子バスケ部の部員には、規律に対してルーズな部員が若干名いた。
「ケーキのホール毎持ってくるとか、頭おかしいでしょ。最高。」昨日の光景を思い出し、笑いながら帆紀が同意する。
「もー、あんまり褒めないでよ。照れるなあ。」智子が嬉しそうに言う。
「食べるの手伝ったの誰だと思ってんの。次は気を付けてよね。」優紀が少し低めの声と共に、智子に睨みを利かせる。
「はーい。優紀ちゃんありがとうございます。またよろしくね。」智子が調子に乗ったまま答える。
「ちょ、智子、反省してないでしょ。」優紀が怒った。
みんないいなあ。楽しそうだなあ。話についていけない私は、一人黙々と着替える。昨日の日曜日、女子バスケ部の二年生は、全員でスイーツバイキングに行ったのであった。私を除いて。
私だって皆と一緒にスイーツバイキングに行きたかった。堅物の両親が反対したせいで、私だけ仲間外れの気分だ。自分のいない所で皆が楽しんでいるという事実は、思春期の私には耐え難いものがあった。当の両親とは、「中学生が友達とバイキングに行くだなんて、生意気だ。」と納得し難い反対理由を伝えられてから、しばらく口をまともに聞いていない。
場の雰囲気に居たたまれなくなった私は、器具庫から一人先に出て、シュート練習に向かう。そして、気を紛らわすように、ゴールにボールを放り投げる。
ダムダムダム。
3Pラインに立ち、ゴールに狙いを定めていると、ボールをドリブルする音が後ろから近づいてきた。
「美香、私も混ぜて。」実月だった。
「もちろん。」
「ありがとう。」
実月の手から離れたボールは、綺麗な放物線を描き、シュッと静かな音を立ててゴールに吸い込まれていった。
「ねー、次は美香も一緒にスイーツバイキング行ける?」しばらくの間、お互いに無言でシュート練習を続けた後、実月が沈黙を破る。
「え.。うーん…。無理かも。」
「親がダメって言うんだったっけ?」
「そう。本当意味分かんないよね。」
「カラオケとかは?」
「カラオケも前ダメって言われた。」
「まじか。何処なら遊びに行ける?」
よみがえる両親との会話。
「何で全部ダメって言うの。何処なら遊びに行っても良いの!?」学生生活において最重要項目である円滑な交友関係の構築。そこに水を差す両親に、私は半ば発狂しながら言う。
「中学生が友達同士で遊びに行くのは学区内だけにしなさい。」母は頑として譲らない。
「皆で公園で遊べってこと?中学生が公園で何して遊ぶの?」
「とにかく、変な場所や、危ない場所は行っちゃだめです。」
「変じゃない場所や、危なくない場所って何処?」
「…、動物園とか、水族館とかなら行ってもいいです。」
「実月…引かないでね。」
「引かないよ。なになに?」
「動物園か水族館しか行っちゃダメだって言われた。」私は恥ずかしくて死にそうになりながら答える。
「成程。じゃあ、動物園に行こうよ。」実月があっさりと提案する。
「まじで?実月それでいいの?」私は呆気にとられる。
「いいじゃん、動物園。動物可愛いし。」
「本当に?動物しかいないよ?」
「それくらい知ってるよ!決まり。今度皆で動物園に行こう。」実月が目元をくしゃくしゃにして、私に笑いかける。
「めっちゃ嬉しいけど、なんか私に付き合わせちゃって申し訳ない。」友達同士で遊びに行けるかもしれないという嬉しさと同時に、中学生の女子が動物園になんか行って楽しめるのだろうかという不安がこみ上げる。ただでさえ、皆の専らの興味はテレビドラマと流行りの歌とお洒落なのに。
「そんなことないよ。絶対楽しいって。」実月が揺らぎのない自信を持って答える。
その後、実月が本当に動物園行きのイベントを企画した。そしてなんと、鹿海中学女子バスケ部の二年生全員で、動物園に行くこととなった。
当日、小雨が降る中、女子バスケ部の一行が市営動物園に入園した。
天候に恵まれないこともあり、私達以外の人影は見当たらなかった。閑散とした園内と、鼻につくムッとした獣臭に、私は皆の気分が盛り下がるのではないかと不安になった。
しかし、全くの杞憂であった。
ほとんど貸し切り状態の動物園で、私達は大いにはしゃいだ。
動物の檻の前を通る度、智子は中にいる動物のものまねをした。
ふれあいコーナーで、各自お気に入りのモルモットを見つけ、膝に乗せて餌をやった。優紀の選んだモルモットはお漏らしをしてしまい、優紀の履いているジーパンの色が一部濃くなった。
昼時になり、屋内の軽食販売コーナーに移動する。今日の来園者数に合わせてか、軽食の注文用のカウンターは一台しか開いていなかった。私達はカウンターに列をなす。
「美香、もう選んだ?」私の前に並んでいる里美が聞く。
「唐揚げのLとポテトのLにしようかな。」カウンターの上に掲げられたメニュー表に目を遣り、私は即決した。
「やっぱり唐揚げ美味しそうだよね。悩むな。」里美は真剣な面持ちでメニュー表の写真を見つめる。
「私の唐揚げ少しあげようか。」
「え、いいの?一個だけ味見させて欲しいです。」私より少し背の低い里美が、嬉しそうに目を輝かせて私を見上げる。
「全然いいよ。」里美の上目遣いの様子が可愛くて、頬が緩む。
「それにしても、動物園とか久しぶりに来た。こんなに楽しいんだね。」無事にメニューの決まった里美が、本日の感想を口にする。
「良かった…。もし皆がつまらなかったらどうしようかと思った。」
「美香が気にすることないでしょ。動物園に決めたのは実月だし。」
「あれ?動物園に決めた理由とか、実月、言ってなかった?」
「いや、全く?「次、動物園に行くから」って、決定事項を伝えられたよ。まあ、実月のことだし。なんか動物園の気分だったんでしょ。」
動物園行きの理由について、実月が私のことを庇っていたのか、それとも単に言い忘れていただけなのかは、悩むところであった。けれど、どちらにせよ、実月は私に責任を押し付けることなく、皆で遊びに行く機会を与えてくれた。
「実月、隣いい?」LLサイズに注文を変更したポテトをトレーに乗せ、私は実月の隣に座る。
「ポテトでかくない?」実月が食べかけのアメリカンドッグを片手に、私のトレーのポテトを指さす。
「実月も食べるでしょ?」
「え、食べて良いの?」
「いいよ。そのためにサイズ大きくした。」私はトレーを実月と私の間に置く。
「美香どうしたの?なんか頼み事でもあるの?」実月が聞く。
「いや、何というか…。今日はありがとう。企画してくれて。」面と向かって感謝の気持ちを伝えるのが恥ずかしく、つい、下を向きながら言葉を紡いでしまう。
「なんだ、そんなことか。」早速ポテトをつまみ上げながら、実月が拍子抜けしたような声を出す。
「まさかあの皆が動物園に行ってくれるなんて、今でも信じられない。」
「あの皆ってどの皆よ。」実月が笑う。笑った拍子にポテトの破片が口から飛び出し、トレーに着地する。「あ、ごめん!」実月が慌てて紙ナプキンで拾い上げる。
「全然いいよ。それよりさっきの話だけど、皆動物園ってキャラじゃないし。ダサいって言われて引かれるかと思った。」
「そんなこと無かったでしょ。皆めっちゃ楽しんでるよ。」
「うん。だからびっくりしてる。」
「ね、だから絶対楽しいって言ったでしょ。」実月が満足気に微笑む。