■遅刻
鹿海中学女子バスケ部の対外試合の際は、移動手段に応じて集合場所が異なっていた。
自転車での移動の場合、鹿海中学校の正門前に集合。公共交通機関での移動の場合、地下鉄”鳥水町”駅の改札前に集合となっていた。
その日、地下鉄”鳥水町”駅の改札前で、バスケ部の二年生軍団は携帯電話を片手にざわついていた。
集合時間を五分過ぎても、十分過ぎても、実月が改札前に現れないのであった。
まだ中学生の私達は、携帯電話を持っている子と、持っていない子がいた。実月は携帯電話を持っている子であったため、同じく携帯電話を持っている何人かがメールと電話をした。返答はなかった。
私は携帯電話を持っていない子であったため、その様子を指を咥えて見ていた。
「先に行こうか。」痺れを切らした三年生の先輩が、時間切れの合図を告げた。
先輩の指示は絶対である。改札をくぐろうとする先輩方に、私達も大人しく続く。
丁度その時、友奈の携帯電話が鳴った。
「うん、友奈だよ。」「おはよう。」「うん、うん。今いつもの改札の所。地下鉄に乗ろうとしてる。」「うん、分かった。じゃあ、伝えておくね。」「おっけー、気を付けてね。」友奈の電話の相手は、実月のようだ。
「実月、寝坊したって。」電話を切った友奈が、私達にアナウンスをする。
「今日どうするって言ってた?」里美が心配げに聞く。
「今から直ぐに準備して、三十分後くらいに行くって。だから先行っててってさ。」
「良かった。来れるのね。」
「実月一人で来れるかな。方向音痴じゃなかったっけ?」知恵が懸念を抱く。
「確かに。誰か一人だけ待ってるのがいいかもね。」友奈も懸念に同意する。
実月の案内人として選ばれたのは私であった。
携帯電話を持っていない私がわざわざ選ばれたのは、きっと私が案内人に自ら立候補したためだと思う。また、その頃、私と実月の仲の良さは周知の事実となっていた。異を唱える人もいなかったのだと思われる。
皆と別れて一人、改札前で待つこと四十分と少しが経った頃、階段を慌てて降りてくる実月の姿が見えた。
実月は私を目にすると、泣き出しそうな表情を浮かべ、走り寄ってきた。
「ごめんね。」私に抱きつき謝る実月。全力で駅に向かってきた証に、額に汗が流れていた。
「全然いいよ。それより来れて良かった。」実月の匂いに全身を包まれ、その香りを堪能した私は、機嫌良く答える。
「寝坊しちゃってさ、最悪。大遅刻だ。」落ち込んでいる実月が小さくつぶやく。
「大丈夫、大丈夫。さ、切符買って乗ろう。」実月を励まし、目的地までの正しい金額の切符を購入させる。
今日の目的地は、いつもより乗り換えが複雑であった。その為であろう、二人並んで地下鉄に揺られている最中に、実月の携帯電話に一通のメールが届いた。差出人は友奈だった。
[みつきとみかへ 生き方分かる?]
メールを読んだ私と実月は、呼吸が乱れるほど笑った。打ち間違いでここまで面白くなるものなのかと感動さえした。
「やばい、涙と涎が出る。」実月が声を震わせながら言う。
「私は鼻水出そう。」私の声も震えていた。
「あ。やっちゃった。タオル忘れた。」ひとしきり笑った後、涙か涎かを拭こうと、スポーツバッグを漁っていた実月が言う。
「一枚貸してあげるよ。」いつもタオルを二枚持ち歩いている私がすかさず提案する。
「え、いいの?」
「いいよ。だって二枚あるし。」そう伝え、実月のバックの上にタオルをほいっと乗せる。
「ありがとう。色々ほんとごめん。」実月が肩身を狭そうにする。
「そんなそんな、大層な。それよりも試合頑張ってね。」
「任せて!…試合に出させてもらえたらだけど。」
会場に着くと、大幅な遅刻にも関わらず、実月は直ぐにレギュラーとして選ばれて試合に出場した。
そして、圧巻のプレーを披露し、コートで一際目立つ存在となった。
試合後、相手チームのコーチから実月が声をかけられた。
「君、良いバネしてるね。成長に期待してるよ。」
実月の実力を認められるのが、自分事のように嬉しく、誇らしかった。
また、実月が試合の合間に首から掛けているタオルが、私のタオルであることも、私の自尊心を大いに満足させた。
後日、実月はタオルを自宅で洗濯し、ポリ袋に入れて返してくれた。
戻ってきた私のタオルは、実月の匂いに染まっていた。強めの柔軟剤とほのかな煙草の香りの入り混じる、実月の家庭の匂いだった。
私はそのタオルを枕元に置き、実月の匂いに包まれて眠りについた。朝起きると、タオルを丁寧にポリ袋の中へと戻し、匂いが劣化しないようにした。
その行為を何度繰り返したか分からないが、最後は母親に使用済みのタオルと間違われて洗濯をされ、全ての匂いは消えてしまった。