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停滞(13)

たぶんエタリます。あがいてみますが・・・


高級感に満ちていた。

内装もそう。テーブルもそう。室内の空気にすら高級感が存在した。

淡い紫色を基調にした和服姿の女性スタッフ。彼女達の接客態度も、よく指導が行き届いているのだろう。全ての所作が洗練されている。顧客の役員クラスとの会食でも、ここまでの店を使うことは多くない。


4月中旬。大阪ミナミの繁華街にある和食料亭。

時刻は18時48分。

約束時間の19時まで20分ほどの時間を余らせて入店した俺と森は、緊張した状態で異常に座り心地のよい木製の椅子に座していた。座り心地が良すぎて、逆に座り心地が悪い。

そんな俺たちの緊張とは対照的に、芝山美波だけは実に嬉しそうな顔をしている。そしてそわそわとして落ち着いていない。その落ち着きの無さは、俺たちがいま胸に抱えている思いの類とはまるで異なるものなのだろう。例えるなら、遠足を待ちわびている小学生のそわそわ感とでもいうか。これから食す高級料理に期待を膨らませているのか。否、そうではあるまい。

芝山美波が心待ちにしているのは、□□商事の菊元なる女性課長との再会なのだろう。

はるばる九州から、この菊元氏とY社を担当している営業部門の人間がわざわざ出向いてきてくれるのだ。


(こちらから九州に伺う)


一方的なお願いをしようとしている。いや、そんな域ではない。場合によっては法に触れかねない申し入れをしようとしているのだ。ここはこちらから九州に出向くべきだ。趣旨を伝えるや瞬く間に追い出されかねない申し入れなのだ。


(もしお時間が頂戴できれば、こちらが九州に伺います)


そう口にした俺の手から芝山美波は強引にスマホをひったくった。


「お菊ちゃん、ちょうどいいじゃない。こっちにおいでよ。仕事にかこつけて」


受話器の向こう側の菊元なる女性は、さぞ混乱したことだろう。俺が逆の立場であったなら、何が起こっているのか皆目見当がついていないだろう。それでも先方の決断は早かった。


「そう、嬉しい。また日程が決まったら連絡してね」


その芝山美波の言葉に、□□商事の課長である菊元が、こちら側、すなわち関西に出張でばってきてくれる事が分かったのである。損得そんとく云々ではないのだろう。芝山美波とこの菊元なる人物との関係は。



約束時間ちょうど、7時きっかりに現れた濃紺のスーツ姿の女性には、課長の肩書に相応ふさわしい気品さが備わっていた。目を見張るような美人という訳ではないが、清楚さと落ち着きとがバランスよく同居している。

この人物が、芝山美波と親しい間柄であるはずの菊元なる□□商事の女性課長。

その隣に立つのが、これも紺色のスーツ姿の男性。中肉中背で年の頃は40代前半といったところか。俺と同じくらい、そして森よりは確実に若いだろう。

紺色のスーツをこの年代で着こなすのはなかなかに難しい。相応の貫禄がなければ、下手をすれば若く見え過ぎてしまうことが多いのだ。しかしこのスーツ姿の男性は、これを見事に着こなしている。

交換した名刺に記されている肩書は『営業第一部第一課長』。古い慣習であるなら『営業部門一丁目一番地』、すなわち花形業界の営業課長ということになる。


「N社の担当営業部門のマネージャーを務めております木下と申します」


木下という営業課長が、名刺を差し出す。背筋を伸ばして腰を折るその仕草は、まさに教科書通りのお辞儀だった。教科書通りであるが、そこに初々しさは感じられない。何十年と基本を繰り返した者のみが出せる風格と自然さ。極めてシンプルな動きの中に、そんなものを感じさせる所作だった。


俺の横に立って名刺を差し出した森が、小さく、ごく小さく舌打ちをするような気配があった。それは気配の域を出ない。凡そ誰も気づかないような小さな気配だ。

その意味が俺には分かる気がした。


(しまった!)


おそらくはそのような心中なのだろう。すなわち、この場では我々の方が先に名刺を差し出さねばいけないシチュエーションだったのだ。

そんな営業の基本のすらも消し飛んでしまうほど、俺たちは緊張している。

いけない。ここで雰囲気に飲まれてはいけない。


(どうぞお掛けください)


森が手の動きだけで二人に着席を促した。全く椅子を引きずる音を立てず、二人が着席する。

それを待って俺たちも椅子に腰を下ろす。


まずは遠路の足労に対する礼を口にしたあと、森がテーブルに置かれていたメニューを手渡す。女性課長に手渡すべきか、営業一課長に手渡すべきか、俺なら迷ったところであるが、森は女性課長に手渡した。レディーファーストと云ったところなのだろうが、これが正解なのかどうか、俺には判断がつかない。


「私はウーロン茶を」


メニューに視線すら落とさず菊元課長が言う。


「私も同じで」


木下課長が続く。

確かに酒を交わしながらする話ではないし、その雰囲気でもない。芝山美波を除いて全員が固く緊張しているのだ。いや、少し違うかも知れない。□□商事の両課長は緊張している訳ではなく、まるで状況を把握できていないだけだ。従って俺たちに気を許すような態度が取れないだけなのだ。



芝山美波がグラス半分ほどのオレンジジュースを飲んだ以外は、俺たち二人と先方の二人、ほんの少し唇を湿らす程度にしか飲み物を口にしていない。


(御社のご健勝に)


森のそんなセリフで軽くグラスを合わせたものの、その後はあまり言葉のやり取りが続かないままに時間が過ぎていく。

俺の横に座している森が、本題を切り出すタイミングを計っている。タイミングも難しいが、何よりその話題への導入が問題だ。ストレート過ぎても相手が引くだろうし、回りくどければなお具合が悪い。

明らかにぎこちなかったこの場の空気を一瞬で変えたのは、意外にも言うべきか、やはりと言うべきか、芝山美波だった。

芝山美波と菊元なる課長の思い出話は、まるで女学生同士の会話のように明るく、遠慮も駆け引きもなかった。

女性二人の昔話が一段落着いたとき、本題を切り出すには絶好の会話の空白ができた。

N社のCRプロジェクトについて詳細を理解しているのは、森ではなく俺だ。

上席を差し置いての発言は控える。そんな悠長が許される状況ではない。そうこうしているうちに着々とT社の裏工作が進んでいても全く不思議ではないのだ。


「お忙しい御二方の時間をあまり頂戴する訳にもいきません。早速ですが本題に入らせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」


意を得たりという表情を二人の課長が見せた。俺の作戦はとりあえず成功したと考えていいだろう。森がほっと一息ついたようだ。

からからになっていた喉を、いちどウーロン茶で潤した後、俺は続けた。森も(お前に任せた)という表情だ。自然と背筋が伸びる。


「菊元課長には以前に電話でお伝えしております。本日お時間を頂戴したのは、N社関西地区で計画されているカーボン・レデュース・プロジェクトの件です」


先方の課長二人の表情は変わらない。菊元課長から木下なる課長へは、事前に内容が伝わっているのだろう。

さて問題はここからだ。いま我が社はT社に仕掛けられている実質上の談合について、何をどこまで、どのように伝えるか。何度も相手の反応を想像し、それに対しての対応をシミュレーションしてきた俺だが、結局のところ、こう相手を導くのがベストとの結論に達しないまま今日に至っている。

相手はいまも俺の言葉を待っている。ならばさらに踏み込まねばなるまい。


「ここからは大変にデリケートな話題となるのですが、実は本件について、某業界大手企業から、当社にある申し入れがありまして・・・」


競合メーカ、すなわちこれから案件を巡って戦う企業からのある申し入れ。

勘のいい人間なら、それが談合の申し入れであることに気付くだろう。それが俺の期待だった。デリケートと言う形容も、暗にそれを示したつもりだ。さらに敢えてT社の名を出さず、業界大手と評した。

二人は今も黙している。ならばいよいよ談合というワードを口にせねばいけないと覚悟した時、木下課長が落ち着いた声色で、視線を真っすぐ俺に向けて口を開いた。


「N社のCRプロジェクトに関しては、大部分の機械をT社さんが受注される事が、既に決まっているというのが我々の認識なのですが・・・」


全く予想もしていなかった木下課長の言葉に、俺も森も完全に言葉を失った。



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