【第3話】失われた手足と、紡がれる新たな歩み
東の空が白み始め、訪問看護ステーションの窓から柔らかな朝の光が差し込み始めていた。
大劇場での惨劇と、深夜の命がけの脱出劇を経て、ステーションの広い土間には重苦しくも力強い熱気が満ちていた。
泥と血に汚れた衣服のまま、床に腰を下ろす脱走してきた若い魔法医たち。その中心で、両手首を固く包み込まれたマルクと、右足の傷口を布で固く圧迫されたルークが、浅い息を繰り返していた。
「……信じられません。同じ医療に携わる者が、仲間に対してこんな残酷な真似をするなんて……!」
アリアが両手を胸の前で固く握りしめ、溢れる怒りに声を震わせた。リクも牙を剥き出しにし、太い腕を誇示するように固く握りしめている。
脱出してきた若い魔法医の一人が、無念さに唇を噛み締めながら、透とアリアに向かって静かに語り始めた。
「老役員たちは、自分たちの権力と高額な魔法医療の利権を守ることしか頭にありません。橘先生が下民街で『予防医療』と『公衆衛生』によって感染症を収束させた噂が王宮にまで届き、王族の方々が関心を示されたことが、彼らには耐えがたかったのです」
若者は血の滲む拳を床へ叩きつけた。
「僕たちがいくら『このまま魔法だけに頼っていては医療が崩壊する』と訴えても、耳を傾けるどころか、見せしめにルークの右足を、マルクの両手を奪いました……。魔法を編む手足を奪えば、もう二度と患者の前に立てないと……そうやって僕たちを脅し、支配しようとしたのです」
「そんな……っ!」アリアが絶句する。
「でも……僕たちはもう、あんな血も涙もないギルドに未練はありません」
若い魔法医たちが、一斉に透の前で床へ深く頭を下げた。
「橘先生! 僕たちに……僕たちに本当の手当てを、人を救うための『看護』を教えてください! 命を見世物にする魔法ではなく、目の前の患者に寄り添う知恵を学びたいんです!」
さらに若者の一人が、大切そうに抱えていた革袋から、怪しく青赤い光を放つ大きな結晶を取り出し、透の前に差し出した。
「これは……ギルドの地下奥深くに祀られていた秘宝『赤の魔導石』です。高額な回復魔法の触媒として、奴らが利権を貪るために独占していたものですが……逃げ出す際、僕たちが持ち出しました。こんな石に囚われた医療など、もう終わりです!」
若い魔法医たちの覚悟に満ちた瞳。透は静かに頷き、差し出された魔導石と、彼らの顔を順番に見つめた。
「来てくれてありがとう。君たちの志は、ここで絶対に無駄にはさせない」
◇
一方その頃。王都の中心にそびえ立つ王都魔法術医ギルド本部。
最上階の豪華絢爛な執務室では、ギルド長ガルブレイスが、金の盃で高価な葡萄酒を傾けながらご満悦の表情を浮かべていた。
「ククク……見事な大集会であったな。あの手当て屋め、自分の無力さに打ちひしがれ、惨めに逃げ帰りおったわ!」
周囲を囲む老役員たちも、下劣な高笑いを上げた。
「これで王族の方々も、あのような不快な平民に興味を失いましょう!」 「やはり我がギルドの絶対的な権威には、何者も敵いませんな!」
そこへ、一人の部下が蒼白な顔で部屋へ駆け込んできた。
「ギ、ギルド長……! 大変でございます! 地下牢に囚われていた亜人や下民どもが、全員逃亡いたしました! さらに……見せしめとして放置されていたマルクとルークの手助けにより、若い魔法医たちが何人も連れ立って出奔いたしました!」
役員たちから一瞬、動揺のどよめきが上がった。しかし、ガルブレイスは鼻で失笑し、ワインを一口煽った。
「フン……逃げただと? 愚か者どもめ、放っておけ!」
「で、ですが……! ギルドの秘宝である『赤の魔導石』までもが、奴らの手によって持ち去られております!」
「何だと……!?」
一瞬ガルブレイスの顔が強張ったが、すぐに執拗な蔑みの笑みがその口元を歪めた。
「フン……構わん! どうせ魔導石の真の扱い方など、あの青二才どもに解るはずもなかろう。それに、両手首を失ったマルクも、右足を失ったルークも、二度と魔法も編めぬ『ただの木偶の坊』だ! 手足を奪われた障害者どもが、外の世界で生きていけるはずがなかろう!」
ガルブレイスは立ち上がり、冷酷な命令を下した。
「逃げた若造どもも同罪だ。本日をもって全員【破門】とし、二度と魔法術医を名乗れぬよう王都中に触れ回れ! 飢えと絶望の中で惨めに野たれ死ぬがいいわ!」
老いた亡者たちは、自分たちの利権が守られたことに酔いしれ、再び盃を交わし始めた。彼らはまだ気づいていなかったのだ。自らの傲慢ゆえに、医療の未来を担う若者たちと、真の尊厳を自ら捨て去ってしまったということに。
◇
下町訪問看護ステーションの個室。
透は、脱出の際の激痛と疲労で傷口を痛めるルークとマルクの処置にあたっていた。手際よく消毒を行い、感染を防ぐための清潔な包帯を固く巻き直していく。
だが、包帯を巻かれた自らの腕と脚を見つめ、マルクの目からぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
「橘先生……僕は……」
マルクの声が、悔しさと絶望に震えていた。
「手首を失った僕は……もう二度と、患者さんの体に触れることもできない……。清拭も、消毒も、ORSのスプーンを持つことだってできないんだ……。足のないルークも……もう自分の足で患者さんの家へ訪問に行くことすらできない……。僕たちは……ただの木偶の坊になってしまった……!」
ルークも自らの右膝の下を擦り、歯を食いしばって俯いた。周囲で見守る若い魔法医たちも、胸を痛めて言葉を失う。
しかし——透の表情には、諦めも哀れみも一切なかった。
透は穏やかな笑みを浮かべると、両手を失ったマルクの前腕と、右足を失ったルークの膝の上に、自身の温かな手をそっと重ねた。
「何を言っているんだい、マルクさん、ルークさん」
透の澄んだ声が、静かに室内に染み渡る。
「手足を失ったからって、君たちの『医療者としての価値』がなくなったわけじゃない。歩けないなら、歩ける足を作ればいい。手が使えないなら、使える道具を腕に繋げばいいんだよ」
「え……? 作る……ですか……?」
マルクとルークが驚いて顔を上げた。
透はポケットから使い古しのナース手帳を取り出すと、素早い手つきで鉛筆を動かし、図面を描き始めた。
前世の日本の病院で、リハビリテーション科の作業療法士(OT)や理学療法士(PT)、義肢装具士たちと共に、事故や病気で手足を失った患者たちの退院支援(QOL向上)を行ってきた豊富な経験。それが、透の頭の中で異世界の素材と結びつき、見事に組み上がっていく。
「リク! 下町の腕利きの大工さんと、金属加工ができる鍛冶屋の職人さんを至急呼んでくれ!」
『おうっ! 任せるッス! すぐに連れてくるッス!』
リクが威勢よく飛び出していった。
透は描いた図面を二人に見せながら、力強く語りかけた。
「ソケット式の義手と義足だ。マルクさんの腕には、革ベルトと軽量な木材で固定するソケットを作る。先端にはカチリと着脱できるアタッチメント(留め具)を取り付けるんだ。スプーンを固定すれば自分の力で食事や水分補給ができるし、カルテを挟む板や包帯を保持する具器も付け替えられる」
「僕の腕に……道具を繋ぐ……!?」
「そうさ。そしてルークさんの右脚には、人間の関節のしなりを模した、木と金属バネによるソケット式の義足を作る。体重を乗せても痛まないよう、クッション材を敷き詰めるんだ」
透の言葉に、二人の瞳に小さな希望の光が宿り始めた。
「焦らなくていい。道具を作ったら、少しずつ体重を乗せる練習……【リハビリテーション(機能訓練)】を始めよう。看護っていうのはね……病気を治すことだけじゃないんだ」
透は二人の目を見つめ、あたたかく語りかけた。
「たとえ身体に障害を抱えても……道具を工夫し、環境を整えることで、【その人らしい生活(QOL)を取り戻し、再び社会の中で自分の役割を持って生きていけるよう援助すること】……それこそが、看護の本当の真髄なんだよ」
「その人らしい……生活を取り戻す……」
マルクとルークの胸の奥で、冷え切っていた情熱が激しく脈打ち始めた。
◇
数日後。
ステーションの広い作業場には、下町の職人たちが夜を徹して作り上げた【異世界初の義手と義足】が並んでいた。
「さあ……立ち上がってみよう、ルークさん」
透とアリアが両脇を支え、ルークは緊張した面持ちで、右脚に装着された木製の義足へゆっくりと体重を傾けていった。
カツン……ッ
滑り止めの革が張られた木製の足先が、しっかりと石畳の床を捉えた。
「あ……あぁ……っ! 立てた……! 僕の足で……立っている……!?」
両脇の支えをそっと離されると、ルークは一本足ではなく、確かに両足でバランスを取りながら、自分の力でまっすぐに立ち上がっていた。その瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出た。
「焦らず、一歩踏み出してみよう」
透の優しい声に促され、ルークは義足を前に振り出した。
カツン……カツン……っ
ぎこちなくはあったが、ルークは確かに、自分の足で床を踏みしめて歩いていた。
「歩けた……! 僕……また自分の足で歩けるんだ……っ! 橘先生……っ!!」
ルークはその場に崩れ落ちるように膝をつき、自分の義足を抱きしめて声を上げて泣いた。
隣では、マルクが義手のアタッチメントにカチリと固定されたスプーンを使い、器からスープをすくい上げて自分の口元へ運んでいた。
「あ……スープが……飲めた……! 人の手を借りずに……自分の手で……食事ができた……っ!」
マルクも溢れ出る涙を拭おうともせず、震える義手を見つめて歓喜の叫びを上げた。
「橘先生……! 僕、また患者さんの手当てができます! 患者さんの家族に、手当ての仕方を教えることができます……っ!!」
二人は涙で顔をくしゃくしゃにしながら、固く抱き合った。
見守っていたアリアも、リクも、脱出してきた若い魔法医たちも、胸を熱くして嵐のような拍手を送った。
「す……すごい……! 手足を奪われた人間が、再び自分の力で歩き、食事をし、役割を取り戻すなんて……!」 「ギルドの老いぼれたちは『木偶の坊』と笑い、破門にしたけれど……橘先生の手当ては、人間の尊厳そのものを蘇らせている……!」
若い魔法医たちの心から、ギルドに対する恐怖や未練は完全に消え去っていた。
手足を奪われ、破門にされようとも。橘透の教えのもとで、彼らは「生きる歓びと生活を支える看護師」として、力強く、誇り高く再起を果たしたのだった。
その頃・・・王都や周囲の貴族の間で不吉な風が吹き始める・・・・・




