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最終章:沈黙の別府湾

 それから数年後。

 豊臣秀吉は島津を蹴散らし、九州全体を制圧。豊臣秀吉はその後、天下統一を成し遂げた。大友宗麟おおともそうりんは豊後一カ国のみの領主となり、臼杵城で余生を過ごしていた。

 夏の夕暮れ、中庭で時々思い出していた。島津の猛攻により、豊後の街と自分の理想が灰燼に帰したこと。初めて会ったフランシスコ・ザビエルに聞いたキリスト教の理想。自分が幼い頃に勃発した内紛を見て、時代の非情さと武家の窮屈さに嫌気がさしていた彼に、生き甲斐を与えてくれた。

 宗麟の外交手腕や準備等は秀逸であった。だが、ただ一度の敗北で全てが灰燼に帰した。


「もし時を得ずば、攻めるも守るもはかなし、はかなし、か」


 まだ元服前、塩法師丸と呼ばれていた頃に、学問の師匠から聞いた言葉だ。時代が味方していないならば、何をしても成就することはないという意味だ。あたかも、宗麟自身のことを指しているようにも読めた。

 宗麟は、震える手で十字を切った。残されたのは、この豊後一国。かつて銀の雪が舞った別府湾の東を振り返ると、その視界の先には何もない。沖の浜は、豊後慶長地震により完全に沈没したのだ。


「……すべては夢。神のみが知る、水底の記憶か」


 そして一年後、豊後の民に祝福をと祈りながら、宗麟はその生涯を閉じた。


◇ ◇ ◇


 そのころれんは、三重とともに豊後・宇右神宮の本宮にいた。漣の持つ、安土から持参した撃針ファイヤリングピン式の鉄砲。これを渡しに来たのだ。

幾多の鉄砲もムレイシも海に沈んだが、信長が漣に渡した、短筒式のそれこそが、最後の一丁だった。「二度とこれを人々に思い出させないための戒め」として、三重の手で宇右神宮の奥にある御所山宝物庫ごせやまほうもつこの奥深く、七幡神しちまんじん封書ふうしょを巻き付けて保管された。七幡神の封書は、いかなる高位の者でも触ることすら出来ない。この世に二度と出さないためには、妥当な行いだろう。

 

 そして三重は、生涯をかけて「情報の操作」を行った。

 沖の浜で何が起こっていたのか。ムレイシとは何だったのか。彼女は七幡の鳩を使い、それらを「神罰による島の沈没」や「ただの迷信」という物語へと巧妙に書き換えていった。それこそが今語られる、「瓜生島伝説うりゅうじまでんせつ」となった。


 その後、漣は周りの執り成しで新しく豊後の家臣として召し抱えられ、変わらず「隠密」として、豊後内の情報収集を生業としていた。時には伝書鳩に手紙を渡したりする縁で、三重とはつながっているようだ。

 中島は秀吉の覚えがめでたく九州征伐に参戦した。その後連絡は途絶えたが、三重の鳩によると、堺で商売を始めたとのことだ。

 泉は伊勢から紀伊へと渡り、宇右の鳩ネットワークを応用した「情報の仲買人」となった。

 相生は豊後で触れたキリスト教に傾倒し、長崎のコレジオに入学した。その後ヨーロッパに渡るも、禁教令が発布され、日本には戻れなくなった。



 時は流れ、現代。

 大分県大分市は自らの市を「南蛮文化発祥の地」と宣言している。だがその宣言に対し、出土される考古物や文献はまだ少ない。

 当然だろう。三重の仕掛けた謎と、別府湾の底に眠る沖の浜の捜索の難易度がそうさせる。

 だが、そこにはあったのだ。大友宗麟の広げた「ムジカ」の理想を形たらしめる、南蛮文化の禍々しいほどの輝きが。



(完)

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