第8話:ゴミ袋二つの夜逃げと、声なき涙
ある日、母としんちゃんがまた激しい怒鳴り合いの喧嘩をしていた。
いつものことだ。
いつ収まるのやらとウンザリしながら、妹を寝かしつけ、自分も寝床に入ろうとしていた時のこと。突然、バンとドアを開けて母が入ってきた。
「必要なものはこれに詰めて! 今から家を出る」
そう言って渡されたのは、七十リットルのゴミ袋が二枚だった。
私はただ無言でそれに従い、私たちは家を失った。この時、自分が何をゴミ袋に詰めたのか、全く記憶がない。
大切にしていた本や、必死でアルバイトをして買ったパソコンはどうしたのだろうか。
ただ、パンパンに膨れ上がったゴミ袋を下げて寒い外へ出たこと、そして黙って車に乗り込んだことだけを覚えている。
ちなみに、マンションには壊れかけのエアコンと、脱水機能が壊れて手で絞らなければいけない洗濯機だけをわざと残してきたらしい。しんちゃんに処分費用を払わせるための、母の嫌がらせだった。
しばらくは車中泊が続いたが、やがて親戚の「お金持ちのおばさん(ばーばんの妹)」が、空いている二階の部屋に住まわせてくれることになった。
母よりも権力のあるこのおばさんに、母は絶対に逆らえなかった。
おばさんは肉嫌いなのに料理がとても上手で、そして何より優しかった。
趣味のパチンコで勝っても負けても生活に支障はなく、仲間からもらった新鮮な野菜を私たちに分けてくれた。
「パチンコは限界になってやるものではなく、趣味でもできるのか」
と、私はこの時初めて知った。
しかし、肩身の狭い生活が嫌だったのか、母は私にこう命じた。
「お父さんに連絡して、家をなんとかさせろ」
私は嫌悪感で震えながら、父に現状を伝えた。受話器越しの父の声は、ひどく優しかった。
父は、世間から見れば恐ろしい暴力団の幹部かもしれないが、ニコニコと笑う小柄なおじさんだった。
昔から、私たちが好きなお菓子や伊勢海老、そして彼の手作りで私が大好物だった「いかなごの釘煮」を、惜しみなく大量に届けてくれる人だった。
私が免許を取った時は、新車のワゴンRまで買ってくれた(それはすぐに母に取り上げられ、しんちゃんの車にされてしまったが)。
今回も、父はすぐに家を探してくれ、おばさんの家の近くのアパートを借りてくれた。
ゴミ袋だけで逃げてきた私たちには、家電も家具も何もない。
父は、そんな私たちに嫌な顔一つせず、生活に必要なものをすべて新品で揃えてくれた。
母の洗脳のせいで、生理的な嫌悪感が拭えず、私は父に横柄な態度をとり続けていた。
それでも父は、怒ることもなくニコニコと笑いながら、こう言った。
「何かあったら、いつでも言うんやで」
手を振って帰っていく父の背中を見つめながら、私は「ありがとう」と笑顔で伝えたかった。
でも、それは私には絶対に許されないことだった。
母の前で父と親しくすることは、この家族における最大の裏切りだったからだ。
その夜。
父がすべてを揃えてくれた真新しいアパートの部屋に、弟の姿はもうない。
優しい父の顔。
売られた弟。
母の呪縛。
何もかもが心に溢れかえり、私は誰にも気づかれないよう、一人で声を殺して泣いた。
2章はここで終わりで次回から3章
18歳からのわたし、が始まります。
多少のズレはありますが、
月曜朝、木曜夜の更新を目指して過去を思い出し、執筆しまするので応援してやってください(*・ω・)*_ _)




