第三章 第十話:血液型O型と、クリスという生き物
病室に戻る廊下で、同じようによぼよぼと点滴棒にもたれている女性と言葉を交わした。
産婦人科ではなく、婦人科の方で入院している方だった。子宮に毛が生えてくる病気だという。手術後でよぼよぼなのは、私と同じだ。それから、廊下で顔を合わせては少し話すのが、入院中の日課になった。彼女は同室の、左斜め向かいのベッドだった。
もう一人、帰り道に出会ったのは、検診の時に何度か会ったことのある妊婦さんだった。すでに出産を終えていたようだが、歩き方がおかしい。がに股のペンギンのように歩いている。産道が裂けてしまったそうで、そこを縫っているから抜糸もあると、悲しそうに自分の部屋へ戻っていった。
それを見送りながら、私はこっそり思った。
帝王切開で良かった、と。
痛み止めについては、私は少し困ったことになっていた。
帝王切開の後は通常、座薬か筋肉注射で痛みを抑えるのだが、どちらも血圧が90以上ないと使えない。私はもともと人より血圧が極端に低い。
麻酔が切れかけて痛みが戻ってくる中、看護師さんに「何とかして血圧を上げて」とむちゃぶりされ、とりあえず腕を振ってもう一度測ってみたら、ぎりぎり90だった。その記憶が、朝になってふっと蘇ってきた。
結局、その後も血圧が90を超えることはほとんどなく、内臓まで切ったのにロキソニンで乗り切るという羽目になった。若さだったのか、傷の回復だけは早かったようだ。
そして、入院中ずっと怖れていたことが一つあった。
抜糸だ。
私の傷は、縦ではなく横に切られていた。
当時21歳だった私に、担当の先生が気を遣ってくれたのだ。
水着を着ることもあるだろうから、隠れるように。そういう配慮だったらしい。
縫い方も独特だった。糸が2本と、ホッチキスだったのだ。
ホッチキス。
内臓まで切っているのに、ホッチキスで留めているのか。
退院までずっと、傷がパカッと開かないか怯えていた。怖くて、傷跡を一度も直視できなかった。お風呂に初めて入る日も、下を見られなかった。
抜糸の日、先生に「これからパカッと開かないですか?」と真剣に聞いたら、大笑いされた。
だって手術なんて、したことがなかったんだから。知るはずもない。
糸を抜かれる時は、少しの痛みと、ずるりとした感触があった。
怖くて見ていなかったけれど、抜かれた糸を見るとタコ糸くらいの太さがあった。
ホッチキスはほとんど何も感じなかった。
こんなので本当についていたのか。
でも、パカッとは開かなかった。
先生の腕が良かったのだと、後になってわかった。
3時間ごとに、授乳の時間が来る。
初めて息子を抱っこした。
片手に収まる小さな体。
足には点滴が刺されていた。
黄疸が出ていて、その治療らしい。
授乳の前後に体重を測り、何グラム飲んだかを確認するシステムだった。
最初はなかなか飲めない子が多いと、看護師さんが説明してくれていた。
いざ授乳してみると、彼はちゃんと飲んだ。
時間を計って、反対も飲ませる。
そして体重を測ると——初日から80グラムを飲んでいた。看護師さんもびっくりしていた。
おまけに、私の母乳はよく出た。
NICUのある病院だったため、母乳が出るなら貯めてほしいと言われ、毎回絞って看護師さんに渡した。
赤ちゃんの泣き声が聞こえると、勝手に母乳が吹き出した。母乳パッドが必要だと知ったのは、慌ててからだった。
ちなみに、息子は入院中に体重が減るどころか、どんどん増えていった。他の赤ちゃんと並べてみると、3356グラムで生まれたのに、4キロ強の強者の隣に置かれても、うちの子の方が一回り以上大きい。
骨格が、そもそも違うのだ。
ああ、このサイズなら下から生まれなくて当然だな、と思った。
ある日、血液型の検査があった。
かかとに針を刺し、血を数滴紙に落とす。
親が目の前で確認するシステムだ。
針を刺された瞬間、息子が大きな声で泣いた。
その声を聞いた瞬間、私は泣いていた。
普段、涙なんてほとんど出ない。
なのに、足に針を刺されて泣く息子を見て、代わってあげられないことが悔しくて、ポロポロと涙が出た。
お医者さんは笑いながら
「大丈夫ですよ」と言っていた。
血液型はO型。私と同じだった。
息子を見に、クリスが来た。
私はその時ばかりは気持ちが緩んでいた。なんてかわいいんだろう。
うちの子が一番かわいい。
どの親も思うことだろうが、本当にそう思っていた。
そう言うと、クリスは答えた。
「確かにかわいいけど、彼よりかわいい赤ちゃんはたくさんいる」
その瞬間から、私の中でクリスという人間は、別の何かになった。
何者でもない。それだけだった。




