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パンドラの箱 ~黄昏に踊る鎮魂歌~  作者: るびん
Episode1:Believe in Esperanza
8/41

シーン7:10年早い未来 ~前編~

 ピッ、ピッ、ピッ・・・


 静かな暗闇に支配された部屋の中、心拍数を告げる音とその光だけが寂しく踊る。ほかには何も、無い。かすかに動くものさえも、闇にあがこうとするもののカケラすらなく。

 時が動いているのかいないのか、それさえも疑わしくなってしまうほどに。

 だが、そんな静寂は突如乱される。


 ガラッ!


 本当ならばさほど大きくない音だったのだろう、しかし今この空間にはその音はうるさいほどに響いた。


 コツ・・・


 そして足音を出来る限り立てないように細心の注意を払いながら部屋の中へと足を踏み入れる人影一つ。獲物を狙う獣の様に鋭い瞳を輝かせ辺りをうかがいながら、静かに病室の中たった一つ、なんとも寂しそうに置かれているベッドへと近づいてゆく。


 ピッ、ピッ、ピッ・・・


 そんな訪問者に構わず、ほぼ一定のリズムで音を打ち続ける心電図。


「・・・・・・」


 人影は、それの配線を確認する。その表情はうかがい知れない。だが・・・少し笑った気がした。

 手を伸ばす人影。その先にあるのは、呼吸器に繋がる電源のスイッチ。それを何度も確認するようにして、ゆっくりと・・・しかし確実に。


 カチッ!


 ごく小さな音。しかしそれは、静寂の海の中では信じられないほどに大きかった。


 ピッ、ピッ、ピッ・・・


 だが、何故か時間が経過するも心電図に変化は少しも見られない。


「・・・?」


 首を傾げる人影。なおも時間が経つのを待つ。


 ピッ、ピッ、ピッ・・・


 けれども、変化は未だに見られない。


「・・・・・・?」


 理由が、分からない。

 呼吸器は間違いなく停止している・・・それは素人の自分でも分かるだろう。

 そのはずなのに、一向に自分の予期した通りにならない。何の変化も無く、穏やかに。


 バンッ!


 徐々にイラついてきて、激しく音を立てて心電図から何から全てのスイッチを切った。一つ残らず確かに。

 それにより、部屋は完全な闇でなかったことが分かった。カーテンの隙間から差し込む僅かな月明かり・・・・・・それが、際立つようになったからだ。

 それを頼りに、闇に慣れた瞳でベッドを確認する。ゆっくりと、しかし力強く上下する布団。そのことから、そこに横たわる者が間違いなく息をしていることは明らかであった。


「・・・?」


 おかしい。今夜が峠・・・それほどに危険な状態であったはずだ。だから、生命を維持する目的で彼女に取り付けられた数々の機械の電源を切れば、その息は。

 ・・・しかし、ベッドの膨らみは安らかな眠りのそれであった。


 変化は突如。


 むく・・・


 ゆっくりと起き上がった。


「!?」


 そして、緊張感の欠片も無いあくびと共に言葉を掛ける。


「ふわ~ぁ・・・思ったより来るの遅かったですね?」

「な!?」


 人影の驚きよう、それは当然だろう。ベッドで眠っていたのが、予想とは全くもって異なる人物だったからだ。


「き、霧島麻人!?」


 そう、そこで寝ていたのは僕だったのだ。取り付けていた器具だって、形だけのもの。電源を切ろうが何をしようが、もともと健康な体なのだ、その行為は何の意味もなさない。


「ど・・・どうして!?」


 その動揺だらけの言葉は当然だろう。それに対し、僕は冷静にベッドに腰掛けたままで答えた。


「あなたがここに来ることが分かっていたからですよ。だから、楓の病室を変えてもらいました。それから、それがすぐにはばれない様にわざわざこんなセッティングまでして、ね」

「な・・・ぜ?」


 人影は心底驚き、動揺を隠せない。

 僕は立ち上がり、真剣な表情になる。そしてその人に向かって強い口調で言った。


「何故?そんなの分かり切っているでしょう。あなたを捕まえる・・・いいえ、謝らせるためです!」

「・・・なんだと?」


 相手のその声はどこか怒気を感じた、いやそれだけではない。僕に対して、殺意にも似た。

 だけど今更それに臆すはずも無く、僕は窓へと近づいてゆく。


「何人もの人を殺し、そして楓まで傷付けたあなたを、僕は許さない。何が何でもその理由を聞き出して、そして謝ってもらいますよ―――」


 僕は、カーテンの端をつかむ。

 そして力いっぱい。


 シャッ!


 思い切りカーテンを開いたことで、急に部屋の中に入り込む月の光。本来ならそう強い明かりではないけれど、先ほどまでかすかな光しかなかったことに慣れていた僕らには眩しいほどだった。

 そして僕は、月明かりではっきりと顔が見えるようになったその人に向かって、その人の名を告げた。




「高坂先生!」




 そう・・・今、僕の目の前に立っているのは、担任であり生徒会の顧問でもある“高坂昭典”その人なのだ。彼こそがこの事件の犯人。幾人もの人を無残に殺し、楓さえをも傷つけた人。

 生徒会の役員が犯人ではなかったのだ、事情聴取をいくらしてもアリバイをいくら調べても辿り着けるはずも無かった。

 殺害された人たちのことをよく知っていて、行動の制限が無く、学内や生徒のことならば情報をすぐに手に入れられる立場の人。

 犯人は生徒会の関係者だろうとは僕らだけでなく、島崎警部たちだってすぐに予想してしまった。しかしそれは生徒の誰かだとの勝手な思い込みに繋がり、顧問である高坂先生を詳しく調べていなかったのだ。


「・・・な、何のことだい?」


 先生はそんな僕の言葉に驚いたようではあるけれど、すぐに平静を装って言う。表情もすぐに普段の落ち着いた教師のものになる。

 だけど、それだって僕には演技だって分かっている。


「とぼけないでください。今ここにいるのが何よりの証拠なんですから」

「ははは、何を言っているんだ?私は仕事で遅くなってね。鈴鳴の見舞いに来たのだが、あいにく深夜だろう?中に入れてもらえなくてね。それでこっそり入ってきたんだよ」


 それが取って繕った嘘であることは明らかなのだが、月明かりに照らされた先生の表情には余裕の色が現れていた。それは澱みなく、いつもとなんら変わりなく。


「・・・じゃあ、どうして機械の電源を切ったんですか?」


 僕はその瞬間をベッドの中からこっそりと見ていた。

 しかし、先生の答えはそれをごまかすものでなく言い訳するものでもなく堂々と。


「私が電源を切った?・・・はて、覚えが無いが・・・見間違いじゃないのか?」


 さすがは大人、とでも言うべきか。それが演技なのは間違いないのだが、焦りの様子は無い。自分にミスは無いと信じている。

 しかし、その先生の言葉も僕は予想していたのだ。だから僕は、まるで劇の台本にでも書いてあるかのように、あらかじめ打ち合わせしていたとでも言うほどに何一つ迷い無く。


「ここで本当なら、スイッチに指紋が残っている・・・と言いたいんですけど、さすが先生ですね。しっかり手袋をしてる」

「はは、さっきも言ったろ?いくら見舞いに来たとは言え、一応は不法侵入なんだ。指紋を残すわけにはいかないからね」

「用意周到ですね」


 今まで証拠が何一つ残っていなかったのは伊達じゃない、といったところか。


「そもそも、どうして私が犯人なんて?」


 いささか余裕を見せてそう言った高坂先生。証拠なんて何一つ無い、そう確信しているのだろう。


「そうですね・・・状況証拠でいいのなら、説明しますけれど?」

「な・・・・・・・・・に?」


 少しばかり緊張感の増した病室。

 先生の声色も一瞬とはいえ、うわずった。


「まず、山下雄一の件から始めましょう。雄一が演劇にあれほど情熱を燃やし、朝練であれ夕練であれ誰よりも早く舞台に行って準備なり練習なりをするということはさすがに誰もが知っているということは無いでしょう。ですけど、クラスメイトや先生なら?」

「・・・」


 何も言わず、睨むことさえもしないで聞いている高坂先生。

 僕はそのまま続ける。


「しかし、そのことを偶然知る事だってありえますからこれだけで絞るなんて出来ません。では、次は芹沢ぼたんさんです。彼女の家を知り、その行動を知りうる事が出来たのは誰か?」

「生徒会役員なら誰でも知っていると思うが?」

「そうですか?島崎先輩でも一度しか彼女の家に行ったことは無いと言っていました。ここは高校です、地元の人間ばかりということは無いでしょうから、住所を見ただけですぐに場所が分かるなんて人は稀です・・・・・・先生はどうですか?」


 しかしその僕の問いかけが別に答えを待つものではないことは分かるのだろう、特に答えようともせずに言葉の続きを待つ。

 その通り、僕はすぐさま自分の言葉を否定した。


「もちろん、これだってあらかじめ調べるなりなんなりしておけばいいでしょう。では、次は徳永充先輩の件にいきます。始業ベルが鳴る前の事件ですよね」

「何が言いたい?」

「僕らは事件が起こってすぐに現場に駆けつけました・・・でも、そこには誰一人いなかった。ですけど、僕らに出くわすことを避ける場所はあそこにはいくつもあるんですよ」


 すると高坂先生は溜め息を吐いて言った。


「その一つが職員室、と言いたいのか?馬鹿馬鹿しい・・・ほかにも自由教室やコンピュータールーム、それに図書室があるじゃないか」

「言いませんでしたか?始業ベルの鳴る前、だと」

「・・・・・・なるほど」


 そう、その時間なら授業前である自由教室、コンピュータルームには必ず鍵が掛かっている。普通の本だけでなく貴重な本もある図書室にだって、鍵が掛かっていることはお分かりだろう。


「犯人があらかじめ鍵を借りるなんてことはしていないでしょうね、あんなに早く人が駆けつけることを予想しているはずが無いですから」


 当然だ、誰が未来の見える人間がいるなんて予想するものか。


「それに楓がこうも言っていました。高坂先生が汗を掻いて職員室から出てきた、と」

「・・・で、次は?」


 先生はそう吐き捨てるように言う。そこには多少ではあるけれど怒りにも似た気配を感じた。


「実は、よくよく考えると朝倉早紀先輩と相川巴先輩の件だけで、犯人が生徒ではないと断定出来てしまうんですよね」

「どういうことだ?」


 僕の言葉に少しだけ驚いたかのような声になる。

 それも当然だろう、誰もがずっと生徒が犯人だとして調べていたのだから。


「朝倉先輩の時と相川先輩の時、この二つの共通点、分かります?」

「さあな。早く言え」


 いつも丁寧な先生のこのような物言い。

 もう僕を生徒という扱いにしてはいないのかもしれない。


「・・・どちらも授業中、ということです」

「だから?」

「高坂先生は、自分の授業中に生徒の誰かが欠席でもないのにいなかったら、その事を警察に話したりしませんか?」

「!?」


 そういうことだ。

 日本の警察は優秀、不審な生徒がいなかったかどうかくらい調査しているはずだ。

 授業中に・・・しかもよりによって生徒会に所属している者がいないならば、それを気にしない教師がいるだろうか?しかし、警部たちはそんな話を耳にしていないという。


「つまり、授業中に犯行に及べる条件は絞られるということです。まず、部外者。しかしこの場合は誰かがどこかで目撃しているでしょう。次に、休んでいた生徒。しかしこれも親が外出したことを不審に思うでしょう。では、残るのは?」

「その時授業の無い教師、と言いたいのだろう?」

「無かったですよね、高坂先生?」

「ああ」


 それも調べてあることくらい予想しているのだろう、先生は特にごまかしたりはしなかった。

 そして、次だ。


「相川先輩の時は、何か自動発火装置のようなもの作って設置でもしておけばこの条件はクリア出切る様に見えます。でも、はっきり言ってそれは無理です」

「何故?」

「家庭科室にだって普段は鍵が掛かっているからです。あらかじめ設置しておくにしても、鍵を借りる必要があります。しかし、生徒が鍵を借りる時は記録が残るんですよ」

「そういう決まりだからな。それに、調理実習の予定も無かった」

「はい。ですから、犯人は生徒ではなく、自由に鍵を扱える教師です」


 教師には鍵を持ち出す時に記録を残す必要は無いし、鍵は職員室の中に置いてあるので生徒がこっそり持ち出すのは不可能に近いが教師なら誰も不審に思わない。いくつも鍵があるところからどこの鍵を持ち出したのかなんて、ほかの先生たちには分かるはずも無いだろう。


「・・・そして、楓です。楓はかなり早い段階から先生を疑っていたようです。でも、それを僕らに言うことを躊躇し続け、結局直接確かめることにした。彼女がそこまでするのは、生徒会の関係者ではどう考えても先生だけなんです。篠塚さんとはそこまで親しいわけでもないし、ほかの役員の人とはほとんど面識が無い」

「どうして私だと?」


 先生は本当に分からないのだろう、首をかしげる――楓が、よく僕だけに言っていたことがあったのだ。


「楓の将来の夢・・・・・・それは、高坂先生のような教師になることなんですよ」

「なっ・・・」

「だから、高坂先生が犯人だとは信じたくなかった。状況が全てそうだと指し示していても、どうしても」

「・・・・・・・・・」


 少しの間、時が止まったかのように僕も先生も押し黙る。

 どのくらい経ったか・・・いや、実際にはほんの僅かな時間だったのだろうけど僕は長く感じたその時、先生が何かを呟いた。


「・・・・・・私のような?馬鹿者め・・・」

「え?」

「―――それで終わりか?」

「何がです?」


 もう高坂先生の表情はいつもと同じだった。

 しかしその瞳は鋭く、氷のように冷たい。


「所詮は状況証拠だな、私が犯人だとそれだけで言い切れるものか。当然、逮捕だって出来るはずは無い」

「状況証拠を甘く見ないでください。一つ一つは弱くとも、積み重ねればそれは大きな意味を持つ」

「?」

「未来は無限の可能性の上に成り立っている――そう教えてくれた人がいます。それは今回のことにも当てはまるんです」

「全くもって意味が分からないことを言うな。霧島、君はそんな生徒だったか?」


 的を射ない僕の言葉に、呆れたような調子になる先生。

 今、先生は何を思っているのだろう?

 焦っているのか?

 笑っているのか?

 怒っているのか?


 ・・・それとも、後悔しているのか?


 それは僕には分からないけれど。


「一つ一つでは、犯人が先生であると断定出来得る可能性はあまりにも低いです。ですけれど、全ての事件での各可能性を合わせたら?可能性を絞って容疑者を絞って・・・するとどうなります?」

「私だけが残る、と言いたいのか?」

「はい、そういうことです」

「馬鹿馬鹿しい・・・確かにそうなるかもしれないが、言い訳などいくらでも利くだろうが」


 確かにそうだろう、いくら全ての状況が高坂先生を示していても、彼がやってないと見事なまでに言い切ってしまえば逮捕は出来ないかもしれない。

 動機、アリバイ、状況証拠。それらが完全に揃っていても、物的証拠が無ければどうしようもない。それは僕にだって分かる。これまで証拠は何一つ無い。

 今だって、確かに僕がこの目で高坂先生が楓にしようとしたことを目撃したわけだが、指紋をはじめとした証拠は無い。

 これが大勢で見たと言うならば信憑性が高く、逮捕に至るかもしれないけれど、たった一人・・・それも被害者となるはずだった人物と親しい僕では信憑性はほとんど0だろう。

 高坂先生もそれを承知している、その表情は余裕だ。今まで警察ですら何一つ証拠を発見出来ていない、だからだろう。


 ・・・だけど、今回ばかりは違うんだ。


「でもね、先生。実は一つだけ、先生がここでした事の証拠があるんですよ」

「・・・・・何?」


 僕の声色からそれがハッタリではないと思ったのだろう、先生の声が少しだけ低くなる。


「先生、僕は先生が今晩ここに来て何をするかが予想出来ていたんです・・・手袋をしているだろうことも、ね」

「・・・・・・」


 先生は僕の言葉を静かに聞いている。

 ひょっとしたら、お互いに少し汗を掻いているかもしれない。

 何故か、そんな気がした。


「・・・先生、暗視カメラって知ってます?」

「!?」


 弾かれたように部屋の中を見回す先生。

 きょろきょろ見回すも、その目がカメラを捕らえることは無い。


「探しても無駄ですよ」

「どこに・・・隠してある!?」


 そう怒ったように言う先生に対し僕は、少し笑って答えた。


「ここです」


 バッ!


 勢いをつけて布団をまくる。

 そこには、小型の・・・けれど確かにカメラがあった。


「僕がここでずっと撮影していたんですよ。もちろん、ズームも使ったので何をしていたか、そしてそれが誰であるかも見れば一目瞭然でしょうね。都合のいい事に、僕には警察に知り合いがいるんです。ですからこれは、警察から借りてきた高性能のものですよ」

「この・・・っ!よこせっ!」


 先ほどまでの落ち着いた表情はどこへやら、まるで鬼のような形相を浮かべる先生。

 そして声までも張り上げた先生に、僕も同じように声を荒げた。


「嫌です!これはあなたが犯人であることの証拠なんですから!」

「なら・・・力ずくでもらうぞ、霧島・・・っ!」


 普段の先生とは似ても似つかない、冷たく・・・それでいて鋭い目つき。

 そして、ポケットから同じように冷たく光るナイフを取り出し僕に向けた。

 さすがにそれにはたじろぐ。


「せ、先生・・・それは反則では・・・・・・?」


 月明かりがかえってナイフを怪しく照らし出す。

 一瞬だけそこに高坂先生の表情が映し出されたような気がしたが、それはどうしてか凶悪な殺人犯のものではなく、どこか悲しそうに怯えている男のものに見えた。

 そして先生は狂ったように声を上げてナイフを掲げる。


「うるさい!おまえが悪いんだ・・・関わらなければよかったものを・・・おまえも、鈴鳴も、みんな、みんな・・・・・・首を突っ込むからいけないんだあぁぁぁっっ!」


 ナイフを振り上げて襲い掛かる先生。

 思わず僕は、悲鳴を上げる―――――


「うわあああぁぁぁっっ・・・・・・なんちゃって!」


 ―――――フリをした。


 すかさず、ベッドの下に隠しておいたものを引っ張り出す。

 ちょっと重いものだったけれど、そこは火事場の馬鹿力だ。


 ガキイィィンッッ!


「!?」


 それは、振り下ろされたナイフをものともせず受け止めた。


「な、なんだ!?」


 全く予想だにしていなかったのだろう、先生の声はうわずっていた。

 それとは対照的に、何もかもが予想通りの僕に焦りは微塵も無い。


「警察がたまに凶悪犯相手に使ってるトコとかテレビで見たことあるでしょ!?なんていうのか知らないけどさ・・・こんな頑丈な盾をナイフなんかじゃ貫けないですよ!」


 大体しゃがんだ僕ぐらいの大きさはある盾。あれだ、よく銃撃戦や立てこもった犯人に向かって突撃していくときに使う防護盾だ。これもあらかじめ警部から借りておいたんだ。


「でやあっ!」


 そしてそのまま盾で先生を壁に押し付ける。


 ダンッ!


「ぐっ!?」


 押し付けるというより、ほとんど叩きつけるようだった。

 かなり激しい音が響く。


 カラン。


 その衝撃からか、先生の手からナイフが零れ落ちた。

 だけど油断はしない、次の行動へ移す。


「てぃっ!」


 ズダンッ!


「がはっ!」


 先生に抵抗の隙を与えないとでも言うかのように盾の角度を変え、そのまま巻き込むようにして先生を床に押し倒した。

 さらにその盾の上から僕の体重を掛ける。


「・・・くっ・・・・・・・・・・」


 もう余程のプロでもない限り、これから逃れることは出来ないだろう。

 それを先生も察知したのか、抵抗を止めた。


「霧島、無事か!?」


 場が再び静かになるとほとんど同時に、部屋の中に駆け込んでくる人影。

 僕は肩で息をつきながら、その人に向かって少しだけ笑って言った。


「・・・・・・・・・遅いですよ、島崎警部」




 ガチャリ


「高坂昭典、連続殺人の容疑者として逮捕する」

「・・・」


 抵抗する事無く手錠に掛けられる高坂先生。

 いつものものとも、先ほどまでのものとも違う表情だった。


「・・・先生、どうしてこんなことを?」


 こうやって大人しくしているところからして、生粋の殺人鬼ではないだろう。何か、理由があるはずなのだ。誰もが、そして僕や楓が尊敬して慕っていた先生をこうまで変えてしまった何かが。

 ところが、先生の口から放たれた言葉は、あまりにも信じられなくて。


「・・・霧島、君はおそらく勘違いしているのだろうな」

「え?」


 先生はとても落ち着いた声だった。それでもどこか、自らを嘲笑するかのような物言いで。


「私は、君たち生徒が思っているような出来た人間では無いよ。自分の生き方一つも自分で選ぶことの出来ない・・・そしてたった一人の女性のために全てを投げ出せる勇気さえ持たない弱虫なんだ」

「どういう・・・ことですか?」


 だがその問いかけに先生は答えない。

 代わりに島崎警部を急かした。


「さあ、刑事さん。もう行きましょう。何も隠しません、全て話しますよ」

「あ、ああ・・・」


 警部は少々躊躇いつつも、先生の手の手錠を隠すようにして病室の外へと連れて行く。


「先生!」


 ピタ。


 僕の呼びかけに歩みを止めた。

 先生は、背を向けたまま言う。

 それは強く、同時に儚く。


「・・・霧島。これが私の教えられる最後のことだ」

「せん・・・せい?」


 先生は、いつも教壇に立っている時の、しかしどこか脆い声で言った。


「弱い者は、謝ることさえも出来ない・・・おまえは、私の様になるな」

「先生・・・」

「・・・」


 それは悲しく響いた。

 殺人犯になってしまった自分への怒りと後悔を感じて。

 だから、こんなように自分を否定して。

 だけど僕は、その言葉を素直に聞き入れることは出来なかった。


「それは・・・違うと思います」

「何?」


 僕の答えは全くの予想外だったのだろう、ほとんど反射的に先生は振り返る。

 僕は、続けた。


「弱いことは悪いことじゃない。弱いからこそ、助け合える。弱いからこそ、優しくなれる。弱いからこそ、強くなれる」

「・・・・・・」

「先生は、弱いんじゃない。悲しかったんだ」


 先生は心底驚いたようだった、その表情は見えないままだったけれど。


「かな・・・しい・・・・・・?」

「信じることが出来なかった。自分の想いも、愛する人の想いも。だから・・・自分の指に指輪をはめられなかった」

「!」


 そう・・・先生が犯人ならば、それは必然に――朝倉先輩と将来を誓い合っていた、ということ。

 だが、先生が指輪をしているところなど、ただの一度も見たことが無かった。もちろん、教師と教え子の関係では色々と問題があるからかもしれないが、それくらいいくらでもごまかせる。

 けれど、そうしなかった。


「悲しいですよね、大切な人と自分の心を信じることが出来なかったのですから」


 どんな理由があったのかは知らない。だけど、事件を起こしたのは間違いなく先生の“悲しさ”だったのだ。

 しばしの沈黙。

 島崎警部も、僕と高坂先生のやり取りに一切口を挟まず見守っていた。

 それほど長い時間ではなかった。けれど、その間に先生にはどれほどの思いが巡ったのだろう?

 朝倉先輩との思い出だろうか?

 命を奪ってしまった人たちの最後の表情だろうか?

 それとも―――自分が本当に望んでいた未来の光景だろうか?


「・・・霧島」

「はい?」


 先生の表情は、うつむいているためにうかがい知れない。


「教師に道理を説こうなど、10年早い」

「え?」


 だが、そんな言葉とは裏腹に見えたものがあった。

 月明かりを僅かに反射したそれは、音も無く静かに零れ落ちる。


「馬鹿者が・・・・・・・・・」


 そう呟くと、島崎警部に連れられて部屋を出て行ったのだった。


「先生・・・それでも、10分で変えられる未来もあるんですよ、きっと・・・」


 一人病室に残された僕は、どこかやるせなさに包まれていた。

 どこで歯車は狂ってしまったのだろう。

 本当ならば、高坂先生と朝倉先輩は皆に祝福されて。

 いつもと同じように、どこか変だけど優秀な生徒会が大騒ぎを起こして。

 雄一は演劇の道に進み、楓は教育大学を目指して。


 ため息をついたちょうどその時、駆け込んできた人がいた。


「霧島君!」

「あ、蓮理さん・・・」


 蓮理さんは、楓の病室で僕の代わりに彼女の様子を見ていてくれたのだ。

 だが、僕のいた病室に飛び込んできた今の蓮理さんは肩で息をしている。

 走ってきたのだろうか?

 何故?


「・・・まさか!?」


 彼女が走ってまで僕を呼びに来る理由、それはたった一つ。


「鈴鳴さんが・・・鈴鳴さんが・・・・・・っ!」


 言葉にならない、泣き叫ぶような声。


「・・・・・・っっ!」


 僕は、急いで楓の病室に向かった――。

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