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第五十七話 レジオの一日

「おかえりなさいませ!お屋形さま。」

 ティリスが玄関から出てきて、厩舎にやってきた。

 後ろからアリスティアもやってくる。

 カズマは、若い馬丁に轡をあずけたところだ。

 相手が聖女二人だとわかって、馬丁は深く頭を下げる。

「ああ、ただいま。」

 ただいまと帰ってくる家があるということが、なんだかくすぐったい。


 カズマが死ぬ前は、いつ帰ろうがいつ起きようが、だれも気にしていなかった。

 弁当すらあったことがない。

 そんな生活にも、飽きて、いついなくなろうかなんて、考えていた。

 中年の、定年間近の男なんて、生ごみ以下だな。


 くそが、誰の金で食ってきやがったか…

 農協だけに、ATMか…


「まあ、いまそれを言ってもしかたがない。所詮は、過ぎてしまったまぼろしだ。」

 カズマの声に、ティリスは不思議そうな顔をした。

「なに?」

「いや、時は戻っちゃくれないってことさ。」

「なに?わかんないわね。」

「ああ、腹減ってないか?」

「ええ、ちゃんと食べているわよ。」

「そうか、産婆さんは頼んだか?」

「ううん、ベスが産婆さんもできるからって、たまに見に来てくれてる。」

「そうか、産屋はできる限り清潔に保て、やわらかく編んだ綿の布で…」

 ティリスは顔を赤くして、カズマの顔を見上げた。

「わかった、ありがと、大事に思ってくれて。」

「ああ…」


「ちょっと入れない雰囲気ですわね。」

 アリスティアがあきれている。

「いやその、ただいまアリス。」

「はい、おかえりなさいませ、お屋形さま。」

「ただいまって言える家があるっていいなって、思ったのさ。」

「それはよろしゅうございましたね。」

「ああ、まったくだ。」

 二人は微笑んで、俺の横に立った。

「夕ご飯、なにかな~?」

「オークとバッファローの合挽きミンチで作った、わらじハンバーグですよ。」

「ラッキー。」


 みんなで玄関を通ると、奥の部屋から間島恵理子が顔を出した。

 割烹着みたいな前掛けをしている。

 なにかの作業中か?


「お屋形さま!やりましたよ!石鹸!完成です!」

「おお!やったなエリコ、現物見せろ。」

「これです!」

 エリコの手には、白っぽい四角い固形物。

 若干、薬っぽいにおいもするが、椰子の実油のにおいもする。

「なるほど、実験はしてみたか?」

「はい、手を洗っても荒れたりしません、体を洗っても大丈夫。」

「よし、よくやった。褒美に、石鹸の売り上げの3%はお前にやろう。」

「え~、3%ぉ~?」

「アホ、考えてもみぃや、これからレジオ領だけやない、全国に売り出すんやぞ、何億個売れると思うんや。」

「な、なるほど。」

「3%なんて、破格やぞ。」

「へ~い。」


「よし、ほならその石鹸の試験や、みんなで風呂入るぞ。」

「「「は~い!」」」

 なんでチコまで手を上げる?

 エリコも?

「領地の衛生管理については、恵理子が中心になって改善策を考えろ。」

 廊下を歩きながら、俺は恵理子に指示を出した。

「うち?」

「ああ、おまえが一番わかってるやろ?」

「そらまあ、そうですが。」

「具体的には、トイレの処理、下水処理ってところからはじめる。」

「はい。」


「恵理子は、この世界の平均寿命を知ってるか?」

「いいえ。」

「三十五歳だ。」

 ジェシカの情報だから、間違いはないだろうな。

「ええ?」

「その中でも、特に乳児死亡率が高い。生まれた子供のうち、半数がその場で死ぬ。」

「うげ。」

「不衛生な環境での妊娠、出産、栄養管理の不足だ。」

 子宮頸がんも、不潔な環境が原因であることも立証されています。

「わかります。」

「孤児院の子供たちに、衛生観念を教えてくれ。」

「そうですね、特に入浴ですか。」

「そうだ、初潮の処理、生殖行動。」

 恵理子は真っ赤になっている。

「ん?どうした?」

「カズマさん、十七歳の割りに、生々しいこと平気で言わはりますな。」

「あ、ごめん。」


「お屋形さまと、エリコの会話の一割も理解できません。」

 アリスがティリスに向かって言う。

「安心して、わたしもよ。」

「どう言う、頭の構造をしていらっしゃるんでしょうね?」

「まったくだわ。」

「安心しろ、お前たちにもわかるように、あとで説明してやるから。」

「はあ…」


「ティリス、堆肥の生産はどうだ?」

「はい、牛も百頭を超えましたので、寡婦・孤児それぞれ五〇名ずつを貼り付けて、草刈と攪拌をまかせています。」

「そうか、できたものから順に、南の平原に運び込む。」

「はい、あの・お屋形さま?」

「なんだ?」

「寡婦・孤児が耕す畑をいただきたいのですが。」

「それなら、城門でてすぐのところを使え。できたもので、使わないものは市場に出せばいい。」

「ありがとうございます。」

「ラル。」

「はい!」

「南の平原の農地に、農奴五〇人のための小屋を作れ。」

「はい。」


「魔術師を一〇人くらい使ってもかまわん、しっかりしたやつで五〇年ぐらいもちそうなやつをな。土台の強化も忘れるな。」

「屋根材は?」

「かわらを使っていい。」

「はい。」

 ラルは、ゼノについて大工仕事をいろいろ覚えた。

「アルかテオに着いてもらえ、明日からかかれ。」

「御意!」

「なんだ、ラルまでゴルテスに毒されやがって、俺は信長じゃねえ。」

「ノブ?」

「俺の国の、有名な武将だ。」

「へえ。」

 恵理子はくすくす笑っている。


「いいか、俺の直接の家族はおまえらだけだ、頼りにしてるぜ。」

 カズマは回りに目を走らせて、いっきに言った。

「その上で、言ったことは確実にやれるようにしろ。時間がかかってもかまわん、いいものを作ろうとする姿勢があればな。」

「ウチも?」

「そうだ、お前は俺の奴隷だからな、家族のうちだ。」

「へえ~。」

「チコも?」

「おまえは~?どうなんだ?一緒に暮らしているけど、お前はチグリスの娘じゃんか。」

「一緒に暮らしてたら、家族じゃないの?」

「お前がそう思うなら、それでいいさ。」


 俺たちは、連れ立って浴室に向かった。


 浴室の脱衣所で、ぱっぱと来ているものを脱いでいくと、(ほとんどティリスとアリスがやっちゃうんだけど。)さっさと中に入る。

「今日の風呂焚きはチコか?」

「どうしてわかるの?」

「いや、湯が多い。」

「ふうん。」

「一生懸命井戸から運んでくれたんだな、ありがとう。」

 チコは真っ赤になって、手を振りながら下がる。

「そそ、そんなことないよう。」

「あはは、まあいいさ、恵理子、せっけん。」

「ははい!ってぇ!前くらい隠さはったらどないやねん!」


「べっつにいいじゃん、いやなら見るな。」

「屁理屈や~!」

 恵理子は、目の前に広げた指の間から凝視していた。

「アホ、指の間から丸見えやん。」

「あら?」

 エリコはタオルを巻いている。

「みっともねえ体じゃなかったら、隠す必要もないだろう。」

「そういう問題ちゃううやろ!」

 やはり、現代人の恥じらいというやつは、この国ほどおおらかでもないらしい。

 まあ、俺は染まるのが早すぎたのか?

 チコなんか、マッパでもぜんぜん平気だもんな。


 アリスは、ティリスの手を握って入ってきた。

「ころんではいけませんよ。」

「ありがとう。」

「チコ、ティリスのことは頼むぞ。」

「かしこまり!」

 すぐに、アリスの反対側に回る。


「おお!よく泡が出るじゃん!やったな恵理子。」

「そうでしょ?いいかんじなんやよ。」

「よし、背中出せ、洗ってやる。」

「あ!いいな~、エリコさま。」

「なんだ、チコも洗うか?」

「じゃあ後で。」

「ウチが洗われるのは、規定路線なんかい?」

「まあいい、そこに座れ。」

「はいはい、背中だけでええからね、前はあかんよ。」

「なんだよ、そのくらいサービスしろよ。」

「まだアカン!」


「そう言えば、劇場のほうはどうなんだ?」

「ああ、あれは大分進んでますわ、孤児院から十二歳から上の女の子を選んで十人、レッスン中です。」

「ほう。」

「楽団も、リュートだけでなく、笛や太鼓、ラッパも見つけました。」

「そうか、よくやった。あとで褒美をとらす。」

「ホンマですか?」

「もちろんだ、やるって言ったろう?」

「うれしい~。」

「石鹸も褒美やったじゃないか。」

「この調子で行けば、奴隷解放も目の前やね。」


 エリコは銭の話を聞いて、にんまりとうれしそうに笑った。

 ついでなので、おもきし洗ってやったら、あんあん言いながらぐったりとなってしまった。

 けっこう感じやすいんだな、ふはは。



 カズマは、気がついていなかったんだけど、町の復興は思ったより進んでいる。

 朱雀大路の周りだけでなく、紫宸殿などもすでに形が整っていたのだ。

(そう言う呼び名じゃないけどね。)

 被害のひどかった東地区も、カズマの思ったように改造が進んでいた。

 そのことは、夕食後のウォルフの報告と、図面を見て初めてわかるんだが。

「すごいな、こんなに進んでいるんだ。」

「お屋形さまの指示のとおり進んでいますよ。」

 たいしたやつだ。

 感謝してもしきれないな、なにか褒美を考えなきゃな。

「そうか、ウォルフは、ちゃんと寝ているか?必要なら陣借り者からどんどん人を使えよ。」

「わかりました。ただ、足し算・引き算だけでなく、割り算・掛け算ができないと困るんですよね。」

「そうだな、孤児院でも少しずつ教えてはいるんだが。」

「難しいです。まあ、選抜は進めています。」


「なんなら、エリコ…はまだ使えんか。」


「エリコは、頭がいいですが、ほかにとられていますからねぇ。」

「すまん、ゲオルグ=ベルンはどうだ?」

「ああ、彼は使えますよ、よく働いています。」

「そうか、必要な人材はどんどん登用して、作業が滞らないように気をつけてくれ。」

「かしこまりました。」

「ああ、資金は国王からもらってきた、金板三〇〇枚ある。」

「さ、三百枚?」

 日本円に換算すると十億円くらいだが、イシュタール王国は物価がむっちゃ安いので、価値的にはその五倍くらいはある。

「こいつはおまえに預けておくので、うまく使ってくれ。」

 ウォルフは、革袋を持ってはらはらと涙をこぼした。


「どうしたんだよ?」

「お・お屋形さまは、そこまで私を信用なさっておられるのですか?」

「ああ、そうだよ。お前は、信用に足る人間だろう。」

「か、かしこまりました、このお金は、命に代えて活用します!」

 床に膝まづいて、ウォルフは号泣した。

「よせやい、おまえは俺の最初の文官だぞ、信用しなくてどうするんだ。」

「お屋形さまは、これを私が持ち逃げするとか考えないのですか?」

「ああ、そういうことか、しないだろう?」

「し、しませんが、人には魔が差すと言うこともあります。」

「そんときゃ、俺に人を見る目がなかったってことさ。気にするな。」

「わかりました。」

 どうわかったのかはわからんが、ウォルフは二~三打ち合わせて下がって行った。



 レジオ男爵領自体の広さは、東京の山手線の中くらいのごく狭い地域である。

 しかしながら、中心部に城壁で囲まれた区域が、京都市中京区くらいある。

 これが、レジオ男爵の領主館があるレジオの街と呼ばれる。

 その周辺に、農業を営む村が三つあって、まあ簡素な木塀に囲まれて畑を耕している。

 ここいらでは、せいぜいがオークが単独でやってくる程度で、Dクラスの冒険者であれば討伐または撃退できる。

 これに対して、レジオ男爵は高さ一メートルの猪垣を作ることによって防ぐことにした。

 口で言うのは簡単だが、実際にそれを作るとなると、膨大な人員を必要とする。

 そこで、男爵は冒険者ギルドに要請して、土魔法使いを集めたのである。

 土魔法使いは、あまり使い道がないと言われてきたが、ここに至って脚光を浴びた。


「はあ?塀ですか?」

「そうだ、このくらいの高さで、厚みはこのくらい。

 わざわざ見本を作って見せる。

 塀が立つと、その横に堀ができる。

 まあ、土が行ってこいと言う感じだ。

 言って聞かせて、やって見せ、ほめてやらねば人は動かじ。

 …と言うじゃないか。

 カズマは、できる限り見本によって説明することにしている。

「へえ~、これを土魔法で作るのですか。」

「そうだ、土魔法使いならうまくできるだろう?」

「はあ…」

「できないなら王都に帰れ。」

「いやいや!できますよ!」


「ナマ返事してるんじゃないよ、できるならさっさと始めろ。」

 カズマ、容赦ないな。

「お前たちの活躍に、女子供の命がかかっているんだ、手抜きはするな!」

「「「へい!」」」

 高さ一メートルで、幅が約六〇センチ(二尺)これを、ひじから手首で測らせる。

 そして、これを延々畑に沿って立てるのだ。

 猪程度には破れない、ウサギなども入れない。

 そんな塀を巡らせれば、農民たちは安全に作業ができる。

 女子供も安心して農作業に参加できる。



 低ランクの冒険者を大量に送り込んで、森から腐葉土を運び出してもらった。

 これも、マゼランの冒険者を呼んでみた。

 低ランクと言ったのに、マルソーやジャック、レミーまで来やがってなに。やってるんだか

 落ち葉を山盛り集め、草を刻んで牛糞に混ぜ込んだ。

 これに、ティリスが発酵菌を活性化させて、短時間で発効促進する。

 ほぼ一日で、使用可能な堆肥が完成するのだ。

 畑の隅にはこの堆肥の山がなん十か所もできていて、これを畑に運ぶのが孤児・寡婦の仕事である。

 適材適所、できるものができることをする。



 公共事業としてこれを推進して、農業の振興を図るんだ。

 これを、時止めの魔法の袋を使って、王都やマゼランに出荷する。

 これには、ライザと言うおばちゃんに任せた。

「あたしが?」

「ああ、頼むよ、ライザでないと信頼して、この袋を預けられないからな。」

「お屋形さま!」

「信頼できる家臣は、何人いてもいいんだからな。」

「はい、一身に替えて!」

 ライザは膝をついて袋を受け取った。


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