草の根―⑩―
P.M.7:40上万作市内 ラーメン屋 わさの
ラーメン屋、わさの。
店の特徴について言えば、色々な意見があった。
ただ、共通しているのは、その店は毀誉褒貶ということだろう。
古臭くもなく、新しくもない醤油ベースのラーメン。
敢えて強調するなら、牛骨を出汁に使っているところだろうか。
スーパーの惣菜では物足りない時に腹を満たせる餃子、レバニラ炒めという主要メニューはカバーされている。
チャーハンは、酒を飲んだ後のお腹にそこそこ優しい。
値段は高くもなく安くもない。
あれば困らない程度の町中華の店である。
しかし、毀誉褒貶の毀と貶があるとすれば、
「お客さん、それ止めた方が良いよ~」
距離感もなくデリカシーの欠片もない声。
極めつけが、求めてもない助言をする店主の男は間違いなく《貶》だろう。
現に、電脳世界での店の評価で、店主が偉そうというのは的を射ていた。
スキッパ―はそう考えながら、卵スープをレンゲで一口入れる。
何回かこの店に来る中で、スキッパ―は卵スープが意外と食べられるというのを学んだ。
「山さん……俺たち出た方が良いかな?」
スキッパ―から見て、二人の男が上座にいた。
一人は、年齢が悪い意味でわからない山土師。
“ビーニー”を被っている。
もう一人は、額の広い短髪の男だ。
威嚇を目的としているのか眉毛を細く剃り、目の鋭さと揃えていた。
太ってはいないが、肩幅が広い。
鍛えているのか上半身はがっしりとしている。
ただ、スキッパ―は、この男の肩が背中に彫った刺青と洋ナシ腹――つまり、ビール腹――をした上半身を電脳世界に晒せる自己顕示欲の高さには、内心呆れてもいた。
「マザキさん、前面的じゃないけど……“チカラさん”を集団に入れておいて」
間崎と言われた男は、山土師から言われて頷く。
“チカラ”さんとは、“力人衆”……政声隊の荒事専門集団を表す言葉だ。
間崎と言われた男は、そのまとめ役である。
電脳右翼や中立的な知識人からも、政声隊との繋がりを非難されているが、山土師は無論公式には認めていない。
少なくとも、山土師の言い分としては認めて飲み友達であろうが。
「S.P.E.A.R.にも付けておいた方が良いかもね……それとなく、顔の若い方が不自然に思われないから」
そういって、若い男に頷いた。
男の恰好は、白黒の格子模様の長袖シャツとデニムを着ている大学生風の男である。
「無論、主役は秋津さんだからね……あんたのS.P.E.A.R.の手腕は買ってるけど、それ忘れないでね?」
どこか、業界人じみた言い回しで山土師は大学生の右肩を左で叩く。
激励の意味だろうが、大学生風の男はどこか距離を離したがっていた。
「高校生の女の子が、この国を軍事化させようとする悪しき独裁者に立ち向かう……いい構図じゃないの?」
間崎は、山土師の言葉に笑った。
上座の男たちの笑いが座敷席を一文字に結ぶテーブルを中心に広がる。
心からの笑いでなく、苦笑いというのが気付かないのは、山土師と間崎がそう気付かないからか。
はたまたわかっていながら笑っているのか。
この店の毀誉褒貶の毀の面が座敷席に表れていた。
“ラーメン屋わさの”の奥の座敷席で開かれる、政声隊のデモを終えた後の打ち上げ会。
同時に言うと関係団体が集まり、次のデモの予定を立てる戦略会議でもある。
関係団体はスキッパ―が認識する限りでは、政声隊、S.P.E.A.R.と“地自労”の二十代以上の男女が出席者だった。
“地自労”に至っては、春の地方公務員研修の後に集まっていると聞く。
「“地自労”さんも飲んで飲んで!! 河上 サキに煮え湯を飲まされて“わさの”さんでしか飲めないんだから、さ?」
業界人でどこか評論家を思わせる饒舌さで、喋り散らす。
河上 サキという名前に、どこか地自労関係者の顔色に影が宿った。
“わさの”というラーメン店自体、三軒ある。
いずれも、わさの三兄弟によって運営されていた。
一軒目は、山陰の河竹市にあった。
なんでも、河竹市役所を巡る汚職事件があり、河上 サキとその友達がすっぱ抜いたらしい。
河竹市の“わさの”は、そのあおりを受けた。
しかも、河竹市の“わさの”の子どもたちが絡んでいた――河竹市職員の長男、河上 サキの友人と反目関係にあった次男――というのもまずかった。
そのおかげで、河竹市の“わさの”は閉店。
河竹市役所は“ワールド・シェパード社”の民営化の洗礼を受けることになり、研修として県外に訓練をする羽目になった。
二軒目の“わさの”は海外。
カナダのバンクーバーだが、こちらは紅き外套の守護者の戦いによって大破したらしい。
三兄弟の悪評判も合わさって、再開店の予定は立たない。
最後の上万作の“わさの”は、割と荒事とは縁がないように見えた。
しかし、店主が三男坊で甘えられたこともあってか、言葉と行動を弁えないところがある。
損益分岐点ぎりぎりで経営出来ていたが、リピーターはいない。
駅前で肩の張った店を敬遠する、一見の客で成り立っていた。
しかも、酒の後にラーメンを食べたいときに限って閉まっている、という不便振りである。
地元民から言えば、「ラーメンはわざわざ、“わさの”でなくても食べられる」という評価が一般的だからだ。
しかし、それ故か、“政声隊”関係者はこの店をよく使う。
上万作の“わさの”にとって、彼らは願ってもないリピーターだった。
しかし、荒事慣れしていて、極端な政治的主張を言う者が顧客に入った後の影響は、カウンター席とテーブル席の空きが物語っていた。
「それにしても……これで何人目だっけ、山さん?」
「五人目だね……ウチのは」
間崎と山土師の会話は、最近騒がせている事件のことである。
というよりは、寂れた場末のラーメン屋で毎回開かれるバカ騒ぎに似合わない話題だった。
「服と炭しか残していない……」
上万作市を騒がせていたのが、ある事件である。
十代の少年少女の変死事件。
いずれも、服を残して炭しか残していない怪死を遂げた。
「いずれも昏睡状態から目覚めた奴らなんだよな……」
上万作市で騒がれている事件の共通点があった。
「“上万作症候群”……快方したのにな……」
“上万作症候群”……これは、ある事件が起きたのを機に発症が確認された病気である。
「“白光事件”……」
スキッパーは参加者が口にした事件に関しては、何かの資源開発の実験による事故という認識である。
だが、
「是音台高等科学研究所、その事故の後に産業用地……政府としては、事故を風化させたいし、管理下に置きたいもんな」
山土師の言葉を支持する同意の声が上がり始める。
それは怒号となり、政府――というよりは、渡瀬政権――への批判に変わった。
陰謀に立ち向かうという明らかで分かりやすい正当性を、酒の肴に叫び始めた。
「だが、山さん……聞くところによると、あっちも用心棒を抱えているとは聞くな?」
「三条さんから、許可は得ている……一応、みんなにアレを持たせろ」
間崎と山土師の言葉に、正義の宴を楽しんでいた同席者の手が止まる。
「山土師さん……大丈夫ですか?」
そういったのは、バイカーのジャケットを着た髭の男。
年齢は三十代中盤から四十代前半に見える。
「良いんだよ……デンウヨも用意してんだから、お互い様だって!!」
山土師の言葉が軽く座敷席に響く。
髭のバイカージャケットの男の懸念には理由がある。
政声隊の幹部が、政市会と話すと言って、刃物を携帯して逮捕されたのだ。
小競り合いが起きて出したのだが、残念ながらこちらに正当性は認められなかった。
それに、様々な暴力行為によって、活動の場を狭められている。
スキッパ―から見て、皮肉なことだが、政市会と政声隊、どちらも強硬路線で自縄自縛にある点ではことごとく似ていた。
「ついでに聞くけど、山さん……あの話って本当か?」
間崎の切り出した話に、山土師は頷いて、
「ああ、あのデンウヨをボコったのが、深紅の外套の守護者、ロック=ハイロウズって話だ!」
夕方ごろに参加者の子連れ女性を追い回そうとした電脳右翼三人組が、大けがを負わされたという報せが政声隊内を駆け巡った。
「でも、あの顔写真を検索掛けてもそんなやつは――」
「出てこない……“ワールド・シェパード社”の一部が、ネット検索で出なくしているらしい」
参加者の声に山土師がどこか胸を張って言う。
「振志田支社長が言っていた……これは、俺たちのS.P.E.A.R.に説得してもらう方が良いだろう……しかも、秋津さんと同じ学校じゃないか。連絡を取ってもらえよ」
S.P.E.A.R.の立役者と言える青年が、携帯通信端末を慌てて取り出し、液晶を急かされるまま叩く。
「でも、説得に失敗したら……」
一文字に結ぶテーブルを囲む一人が弱気を見せると、
「正しいのは俺らだって!! それにこっちが動かなきゃ誰がするんだよ、ええ!?」
正当化と恫喝が木霊する。
間崎は大笑いして、睨んだ。
宴会とミーティングは、士気を挫こうとする者への“九六”を入れる時間に変貌を遂げた。
山土師と間崎、二人の視線がやがて、スキッパ―に交わる。
二人が肌の褐色な青年――つまり、自分――を映し出し、
「すみません!」
トレーナーのポケットに入れていた携帯通信端末が振動する。
着信が入ったのだ。
続く気配から、メールではなく電話だろう。
「もしかして、バイト?」
山土師の怒気の混じった声は無く、どこか馴れ馴れしい言い回しとなる。
言葉に困りながら、周囲に会釈する。
「わかったから、遅れないようにね」
山土師の言葉に、間崎も笑顔を作る。
断りの言葉を入れながら、座敷席を後にした。
※※※
スキッパ―は“ラーメン屋 わさの”から歩いて、携帯通信端末への着信された番号に掛けなおした。
「振志田支社長が、ロック=ハイロウズの情報を流しました」
“ワールド・シェパード”社は主に二つ部隊がある。
一つは実戦を担当する“スコル”。
もう一つは、諜報や情報分析を担当する“ハティ”。
それぞれ、北欧神話の太陽と月を追う二頭の狼から来ていた。
スキッパ―は、後者のハティで振志田に近い政声隊の動向を探っている。
その命令は、携帯通信端末の向こう側にいる人物からだった。
「ついでに言えば、政声隊……三条から預かった武器を持たせるそうですけど――」
スピーカーから聞こえた指示に、スキッパーは驚きの声を上げる。
「大丈夫ですか!? そんなことをしたら……わかりました」
スキッパ―は、戸惑いを抑えながら電話を切る。
まもなく、メッセージが送られた。
彼を直轄する者からで、あるリンクが貼られている。
液晶越しに押して、スキッパ―はメッセージを送った。
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