草の根―⑦―
午後4:13 上万作駅前広場
上万作通り。
上万作駅を起点とした商業施設や郊外に通じる目抜き通りである。
駅前には、日本の百貨店の歴史を踏襲するかの様に、広島市内を拠点とする百貨店の支店が設けられていた。
電車を使って生鮮食料品や生活用品を産地や工場から運び、駅近くの百貨店や系列店に卸して売る。
当然、鮮度や品質は保たれている。
物の質の高さ、その豊富さは人の流れも生んだ。
駅は市内や学校へ向かう、人々の重要インフラを担う。
その利用の際に百貨店を利用する顧客にもなる。
やがて、百貨店を中心にしたモノの流れは、サービス業――ファストフード店や居酒屋などの飲食――を中心に駅前は発展していった。
当然、学生向けの軽食――たこ焼きや二重焼き――を扱っている店舗に広島県の名物でもある、お好み焼き店も増えてくる。
このグラデーションが穏やかな、駅前の目抜き通りを彩る商店街を形成していった。
ロックは、日本の駅と百貨店について考えながら上万作通りを歩いている。
革帯に包まれた深紅の長外套。
その下には灰色のフード付きのトレーナーに、群青色のデニム。
そして、腰に巻かれた革帯束には、ロックの胴ほどの大きさの鞄をストラップで括りつけている。
上万作学園での一日を終えて帰宅した後、ロックはブルースから自宅の周りを散策するよう言われたのだ。
『取り敢えず、サキと一緒に飯の食える場所とか知っておいてもバチは当たらんだろ?』
それが携帯通信端末に送られたブルースからのメッセージだった。
危険な場所や地理を把握しておくのが主な目的なのは言うまでもない。
しかし、ブルースは目的よりも何かにつけて楽しむことを前面に出す。
ロックにとって、それが却って回りくどく聞こえた。
ブルースからの煩わしさを振り払う様に、ロックはため息を吐き出す。
ロックにとって、日本は初めてだった。
海外はアメリカやイギリス、欧州大陸の国の一部には行ったことはある。。
任務ではあるが、アジア圏では日本が初めての国だった。
――日本はパンが美味いとは聞くが……。
子どものころ、カナダのバンクーバーの台湾資本が買った日本式百貨店――そこのアンパンを食べたのが、日本食の初体験だった。
――帰りにパンでも買ってみるか?
給料は生活用と娯楽用で分けるように、ブルースから言われていた。
菓子パンの一つは買っても、社会勉強として許されるだろう。
一通り、周囲を歩き、ロックは上万作駅前の階段を上った。
上万作駅は、駅舎機能をプラットホームの上階部分に集約した橋上駅だ。
駅舎へ行くには、駅利用者向けの駐車場やバス停を島とした円形交差点の前の階段や昇降機を使う。
階段と昇降機の場所は、橋上駅を挟むよう南北に設けられた二つの円形交差点のそれぞれにある。
北側円形交差点は、ロックやサキの通う上万作学園のある是音台方面に面していた。
南側円形交差点は、伊那口や港湾に続く国道に設けられている。
しかし、橋上駅の外の両側は、駅を中心に作られた町つくりとは、かけ離れた彩を放っていた。
『とっとと帰りなさい、デンサヨのチンピラさんたち~』
『上万作で汚い言葉を散らかさないでください、デンウヨのネクラオタク~』
デンサヨは、電脳左翼。
一方で、デンウヨは電脳右翼である。
それぞれの声の主は、“政治をまともにしたい市民の会”――通称、政市会――と“政治に声を張り上げ隊”――別名、政声隊――の二団体の構成員からの拡声器を通した声である。
双方の団体が南北の円形交差点で同じような、言い合いを展開していた。
横断幕やプラカードに何か書いてあったが、どちらの主張も似たり寄ったりなので、目はおろか耳に入れることすら止めた。
ロックにとって、上万作に所縁があるわけではないので、雑音を右から左へ流すことにする。
線路をまたいだ橋上駅を北から南の往路としたので、復路は来た道の逆方向にとった。
ロックは階段を降り、橋上駅の北側の円形交差点に出る。
しかし、ロックが再び北側の円形交差点側のデモを見ると、状況が変わっていた。
双方の主張合戦は警察に制される政市会、“ワールド・シェパード社”に介入された政声隊という形で終わる。
それから、両陣営は散り散りになった。
駅から離れる“政声隊”のデモの構成者の女性。
ロックと帰路が同じなのか、彼の前を歩いている。
彼女はプラカードを乳母車の後ろに掛け、押していた。
乳母車の子どもは周囲の騒音に関係なく、ただ空を見上げて無邪気に小さな手で空を弄っている。
どちらもロックには気づいていない。
そんな彼女の姿がカーブミラーに入り込む。
乳母車の女性に気づいた三人の男。
政市会側のデモにいた男たちだ。
年齢としては、二十代から三十代。
ブルゾン、パーカーとジャージの上着を着ていた。
友好的な雰囲気は望めない。
女性がカーブミラー越しに、ロックをようやく捉える。
カーブミラーの中でロックの背後に立つ三人の政市会員に、彼女が振り向いた。
男たちは嫌らしさを秘めた目線を女性に送る。
彼女は離れようとするが、男たちは歩みを早めて後に続いた。
“お見送り”。
電脳左翼か電脳右翼のどちらが先に始めたのかは定かではない。
デモの終わった後、敵対する活動家の後姿を撮影し電脳世界に晒す行為だ。
携帯通信端末を三人のうちの真ん中の男が構えると、
「やり過ぎだ」
ロックは、一言とともに三人の前に躍り出た。
同時に、真ん中のパーカーの男の右手から携帯通信端末が落ちる。
ロックの左手が、パーカー男の右手を捻り上げたからだ。
ロックは左手の親指伝いに、パーカー男の手の甲を握りつぶさんと力を精一杯入れる。
ロックは男の右手を更に外側へ捻り、政市会員は右手から仰け反りながら跪いた。
小手返し。
合気道の技で、よく使われる護身術だ。
ロックは、仰け反る男の右腕を更に外側へ更に捻り上げる。
それから、ロックは男の右手が地に達したところで放した。
携帯通信端末で撮影していた男の右手首を、ロックは左足で盛大に踏みつけた。
「このや――」
「この野郎!!」と言いたかったのだろうか。
ロックの右側から躍り出たジャージの上を着た男は、呻きながら右足を抑えていた。
そして、ジャージの男は横転。
彼は右脚全体を抱えて、叫び始めた。
ロックの右足が入ったのだろう。
鉄板を仕込んだ深紅の革靴で右側の男の足の甲を踏んだのち、ロックはつま先で右脛の骨を潰したのだ。
当然、ロックの鋼鉄の両足に蹂躙された二人の政市会員は横転したまま泣きわめく。
特に右側のジャージの男は、タイヤで遊ぶパンダの様に全身を盛大に揺らした。
左側のブルゾンを着た政市会員の男は、何が起きたのか分からないのか、目を泳がせる。
彼の目がロックの獰猛な笑みを映す。
二人が叫んでいる声とロックという、五感の内の聴覚と視覚による恐怖の伝達に、ブルゾンの政市会員は走り去った。
その男と入れ違いに、ロックに警察とワールド・シェパード社の社員が駆けつけてくる。
やがて、買い物帰りの主婦や下校途中の学生にも物々しい雰囲気が伝達。
――しまった!!
視線がロックに集中し始め、胸中で毒づきながら駅前を後にした。
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