閃刃―⑥―
前にいた筈の、長髪の日本人――ナオト=ハシモト――が左の運転席に移動し終えている。
サイドウィンドウを開けると、
「君たちの車を貸してほしい。タダとは言わない。TPTP協力法では、対”ウィッカー・マン”組織に所属するものは、緊急要請を受けた場合、車両及び住宅の貸与の義務がある。その補償は、もちろん否定されない」
ナオトの機銃の様な言葉に、ヤコボは二の句を告げられなかった。
「その要請は君の端末にも送られている。確認してくれ!」
抗議の声も上げられなかった。
端末の画面をよく見たら、確かに着信を受けている。
指を滑らせながら、ヤコボが通知画面からメッセージを見ると、ナオトの要請が届いていた。
TPTP協力法は、TPTP基本法を上位文書とし、TPTP傘下での対ウィッカー・マン対策の方法を定めた法律である。私的財産の制限、同補償に加え、交通制限時の道路の使用の優先権が定められていた。
「キム、どういうことだ!?」
「ジョンさん、この車を渡さないといけない。この日本人……俺たちに、車を降りろって」
ジョンの熱気の唸り声に、キムが冷や汗を流しながら説明する。
「バンクーバーはTPTPを厳守しなければならない特区になっていて……戦場――」
ヤコボの解説は、自分の座っている座席への振動に遮られる。
ジョンが蹴ったのだ。
キムの静止する声を振り切り、茶髪の荒くれ者はナオトの前に立つ。
「ふざけるんじゃねぇ……俺の親父は議員だ。日本に圧力を加えるぞ!?」
車の外から聞こえてくる罵声と共に、雨音と水気を含んだ風が車内に入り込んできた。
ヤコボは真っ青な顔で、年長者を止める為に外へ出る。
キムも遅れて出る頃には、ジョンは、銀色の甲冑を纏う日本人に掴みかからんとしていた。
「それに、テメェはもう隊長じゃねぇ! ヤコボ、端末をよく見ろ!!」
ジョンに言われて、ヤコボは手にした端末の画面を見る。
端末内の受信箱には、五つの新しい着信が入っていた。
新しく加えられたその内の、二つの件名。
“TPTP基本法、同協力法違反者:ナオト=ハシモト“
“TPTP基本法、同協力法違反者:ブルース=グザヴィアー=バルト“
――これは一体――ッ!?
新しく着信したメッセージと添付された画像には、ナオト=ハシモトの端末の権限は排除されたと伝えられていた。
しかも、その連なる名前には、“深紅の外套の守護者“も含まれていた。
雨の冷気が相対的に温かく感じてしまう程、ヤコボの背筋は恐ろしさで凍り付いていく。
彼は、目の前の銀色の日本人を見つめた。
しかし、隊長職だったナオトの視点は、自分と別に向いている。
ナオトの視線と同じ方向に、ジョンとキムが辿った。
彼らの視線に続いた、ヤコボは恐怖で出来た氷柱が、喉と肺から突き出るかと思った。
目の前に広がる、“スコル“の装甲と一斉に構えられた、電子励起銃。
警察官の軽機関銃に、目まぐるしく輝く赤と青の警告灯。
更に、その背後で直立歩行の鉄の蟹の甲羅が聳え立っていた。
背後の甲羅から韓国語が流れてくる。
「ナオト=ハシモト、ブルース=バルトはTPTP条約締結国間の秩序を乱し、”ワールド・シェパード社”社員に傷害を負わせ、逃亡中である。引き渡しを求める! 現地警察からも要請されている」
銃口に晒された上に、見たこともない兵器にヤコボは混乱した。
蟹の甲羅から生えた二本足は、どう見たって”ウィッカー・マン”としか言い様がない。
目の前の元隊長は、何かとんでもないことをやらかしたのだろう。
しかし、隊員が出動しているならまだしも、背後の機械まで持ち出す事態である。
それは、自分たちでは、既に手に余る事態と言うことではないのか。
まるで丘に打ち上げられた魚の様に、ヤコボが口を開閉させていると、
「韓国の議員の息子として、ハシモト氏の拘束に協力します!!」
いきなり、隣のジョンが大声を上げた。
しかも、自分の身分を馬鹿正直に言ったので、ヤコボの息が止まりかける。
キムも最年長者の突然の発言で、顔を真っ青にさせるが、
「キム、ヤコボ、考えろ。これは、良い機会だ。馬鹿でもいいから、俺たちの地位を言っておけば、アイツらに口利きしてもらえる。親父らも良い思いが出来て、本国を見返せる」
ジョンの耳打ちは、ヤコボだけでなく、隣のキムにも聞こえるほど大きかった。
「国の為に何かをしていたら、兵役免除……スポーツ選手よりも近道じゃねぇか。それに、今やっていることも曖昧にしてくれる」
ジョンの言った兵役免除は、ヤコボの中の倫理心を悪魔に差し出す最後の一手だった。
ヤコボたちが、ナオトに目を向けると、
「良い車じゃねぇか!」
陽気な声が、ヤコボたちの背後から響いた。
その声の主を見ると、狐の毛の様な髪をした白人が立っている。
苔色の外套で、銃身と弧に反った剣が一対、腰に掛けられていた。
男の緑色の眼は、腰の刃と冷たさを含んでいる。
メッセージにあった、ブルース=バルトだった。
「爽やかな青色だな……女も喜ぶ色。でも、何で寝ているんだ?」
快活で人好きのする笑みだが、車を楽しむ者の眼ではない。
この車を持つ者の意図の全てを見抜き、ヤコボ達が取り繕う様を楽しんでいるようだった。
「というか、車に乗る奴は、女に夜景を楽しませて然るべきだろ。寝ているんなら、お前らには過ぎた玩具だ」
「おい、お前……誰の許可を貰って、車を覗いているんだ!」
ジョンが狼狽する。
だが、ブルースは彼の静止に構わず、更に奥へ踏み込む。
苔色の外套の男は、寝ぼけ眼の日本人女性二人を起こして、椅子を操作。
機械仕掛けの椅子を畳み、彼女たちの順路を作る。
ヤコボ達は、目の前の状況に見向きもしない、緑の外套の男の動作を見届けた。
余りにも、自分たちは愚か、周囲の剣呑な空気も無視しすぎて言葉が出ない。
「許可……許可を取るのは、誰からだ?」
寝惚け眼の女性たちの手をブルースが取って、ふと口を開く。
彼の言葉は、無数に構えられた銃よりも、額に突きつけられた一丁の様に響いた。
「許可の意味位、分かるぜ……『無数の銃や、ロボットを向けられても、媚びを売らない奴』から取るもの、だろ?」
ブルースは、ジョンに一歩近づいて、
「『議員の肩書を使って、意識失った女に大勢で好き放題する奴』からじゃねぇのは、三歳児でもわかるぜ?」
「ふざけてんじゃねぇよ、テメェ!」
ジョンの力いっぱい振りかぶった拳が、ブルースという男の顔面を襲う。
誰もがその血が狐色の髪を赤く染めると思ったことだろう。
だが、染まったのはジョンの方だった。
ジョンの拳よりも、白人の右肘鉄が圧倒的に速い。
彼の苔色の外套の右肘に、ジョンの血と幾つか歯片がくっ付いている。
韓国人の議員の息子は、声を上げる間もなく仰向けに、紅く潰された鼻を夜の雨に晒した。
車から出たばかりの日本人女性たちが、目の前の光景に目を覚ます。
突如起きた事態に、言葉を失った彼女たちにナオトが駆け寄った。
銀甲冑の男の言葉に、女性たちは2、3回頷くと、銃を構える警察と”ワールド・シェパード社”の集団へ駆け込んだ。
「おい、ヤコボ。逃げるぞ!?」
キムの声で我に返ったが、ヤコボの足が前に進むことは無かった。
キムは膝を付き、鈍角となった腹を支えている。
抱えたキムをブルースは右足で無造作に蹴り、ヤコボの前に転がした。
雨で出来た水溜りに、彼の口から出た吐瀉物の分泌物の膜が出来る。
苔色の外套の男は、キムの後頭部に右足を乗せ、吐瀉物と雨水のスープを飲ませた。
後頭部に向け、ブルースは右足を強く踏む。
キムの胸に入れた遮光眼鏡が、雨の降る音に混じって乾いた音を上げて割れた。
彼は、外套を翻すと、
「アイツを隊長と呼びたいなら――」
ブルースの言葉と共に、ヤコボの視界に帳が降りる。
視界は外よりも真っ暗で、痛覚が左頬からの激痛だけが訪れた。
その反動で意識が切れる間際、
「そう出来る行動を、普段から心掛けろ……ゴミ屑」
ブルース=バルトから放たれた苔色の衝撃は、突き上げられた肘鉄砲。
ヤコボが気付いた時には、夜と瀝青よりも黒い無意識の海に沈んでいった。
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