大雨の向こう側 壱
東京は雨が降っていた。
晴れると思われた空は、静かに裏切った。
今日俺は剣道七段の審査に向かう。
普通なら年齢規定があり十五の若者がなれるものではない。通常であれば何十年の月日をかけて成る領域だ。
だが俺は、その領域を超えてしまった否超えてなければならなかった。
俺は生まれつき才能は無かった。
だからこそ瞬発力、判断力、反応速度、そして間合いの詰め方や空間認識力――剣に必要な物を一つずつ削り上げるしか無かった。
父の思いを背負い、雷や台風が来ようが、掌の皮膚が取れようが鍛錬を怠る事はなかった。
そうでなければ過去に呑まれてしまう。
歩く足元と雨音の中で、ふと、あの樹木が生い茂る山奥での修行の日々を思い出す。
朽葉卯士郎――父が他界したあと俺を引き取り、朽葉流を継がせた男だ。
『言っておくがのぉ、儂には弟子がおらん。じゃから、お前が朽葉流を継ぐのじゃ』
『朽葉流の免許皆伝を許可するまで徹底的に叩き込んでやるわぃ』
囲炉裏の前、朽葉師匠の目は鋭く、だが何処か慈しむ様な目で俺を見た。
そうして山修行をして約七年が経った頃、何時もの様に夜明け前から素振りをしていた。何ら変わりのない事だった。
気がつけば掌の皮が裂けて血が出ていた。それでも気にせず剣を振りかざしていた。師匠は道場の戸を開けるや否や少しだけ俺を見て喋りかける。
『おい、血が垂れておるぞ』
『はい、気にする事はありません師匠』
師匠は何時もの様に無表情で俺を見つめ一拍おき口を開いた。
『正直儂は、この七年間でお主の成長は著しく少し驚いておる』
『恐縮です。師匠の教えがありました故ここまでの研鑽を積む事ができました』
俺がそう言うと道場は静寂が流れ師匠が喋りだす。
『儂はお主が怪我をしていても何故止めなかったか分かるか?』
『いえ、分かりません』
『お主が怪我をしている事すら認識しておらんかったからじゃ』
『……お主は、剣が先に進んでおる』
師匠がそう呟いた。その言葉は妙に耳に残っていた。俺はどう返答するべきかと思ったが言葉が見つからなかった。その時だけ掌の痛みを感じた。その沈黙の中、師匠は道場にある戸棚から古い巻き物を手にし俺に喋りかける。
『座れ』
師匠はそう言い俺は促された様に正座する。
『本来なら、お主にはまだ早い』
そう前置きをし俺の目を鋭い目で見てこう言う。
『じゃがお主は止まらん。ならば、刀に喰われぬよう教えてやろう』
巻き物を握られたその手は微かに硬かった。
『朽葉流免許皆伝。――剣の先は、お主で斬り開け』
言い終わると立ち上がり背を向け道場を出た。これまでに見ないくらいに背が低く見えた。俺は礼を言おうとはしなかった。言えなかった。静かに深く頭を下げた。
道場の蝋燭の灯火が風で揺れる。
それは何処か節目を感じた。
そうして朽葉流の免許皆伝まで至った。
新陰流の間合いに、鹿島新當流の柔軟な体捌き――それを融合した剣術は、技だけではなく、心の統御する稽古もあった。
それにより、呼吸、足運び、気配の消し方、相手の癖の見透かす洞察力、崩さず勝機の道を見出す判断力。それらをこの数年間で積み重ねてきた。
それが俺の剣だ。
そうこうしているウチに会場に着いた。
手には協会から支給された特別願書を持っている。これが無ければ審査すら受け付けない。
「すみません特別願書の提出なんですけど宜しいですかね」
「お名前よろしいでしょうか?」
「柊裕朔です」
「少しお待ち下さい」
この待ち時間が一番無意義だそう思っていると受付が戻って来た。
「確認ができました。エントリーナンバーは五百六十番です」
「ありがとう御座います」
エントリーナンバーの腕章を着け入ると周りの視線が俺に向く。
予測はしていた。周りは初老の剣士がばかりだ。この中で十代は俺一人。だが俺には関係ない。あるのは審査という名の試練だ。
呼ばれる時間を待つ間、隣に座っていた初老の男性が喋りかけてきた。
「少し良いか坊主」
「何か御用ですか?」
「君は若く見えるが何歳だ」
「十五歳です」
そう答えると初老の男性は太々しくこう言った。
「規定には五十代半ばが規則だぞ」
「許可は得ています。反論が有るなら受付へ」
「……」
「剣は中立ですから」
そう話していると五百十六番が呼ばれ俺は動く。面倒な初老を背にし、審査会場へと向かう。
「君が特別願書者だね。名前は?」
「柊裕朔です」
「なるほど…名前はよく知っている。朽葉流の免許皆伝者にして、幾度も剣道ジュニア大会で優勝を重ね、約三十戦以上の戦歴を持つ若者だな」
「はい、そうです」
「ふむ……普通なら年齢規定により七段審査は五十代半ばが基準だ。だが君の場合、戦歴と資格の双方、常軌を逸する」
俺は軽く会釈し少し耳を傾ける。
「それに、君の師は今まで弟子を取った事の無い朽葉卯士郎。君が唯一の弟子である事も加味している。これらの理由から、特別願書を認めた」
「ありがとう御座います」
「この特別審査はこの国で初めての事だ。だから審査方法も違う」
「承知しました」
審査員が目を細め沈黙が流れ審査員は話し出す。
「審査方法は最初に組み手だ。当然私たちの誰かがその相手をする。その次は試合をしてもらう相手はその時に明かされる」
「承知しました」
「では審査を始める」
そう言い、一人の審査員が立ち上がり、堂々とした佇まいで鋭い空気へと変わった。
「では挨拶を」
「お願いします」
相手は上段の構えを取る。
「では始め!!」




