32、君と出会った日
すべては気まぐれの偶然がもたらした奇跡だった。
少年、八井田玄は高校生活に疲れていた。
自分がやるべきこともわからず、ただ毎日を送っていた。
自分の同級生に病気で入院している人がいる。
その情報は彼にとって何でもないものだった。
かわいそうにと一言思うだけで、それ以上発展する感情はなかった。
玄は担任の先生らと入院している同級生の見舞いに行くことになった。
鈴音市民病院に向かう彼の様子はただただ面倒くさそうだった。
彼は日々の授業を受けるときと同じような「かったるい」という言葉が聞こえてきそうな表情をしていた。
病院に入り、玄は入院中の同級生と出会った。
八井田玄は桜田記代子と出会った。
玄の目が覚醒した。
彼女の何かが玄の中に眠っていた「生まれ落ちた者の使命」というようなものを覚醒させた。
自己紹介をすることになったとき、玄は緊張気味に言った。
「ぼ、僕は八井田玄。い、今は小説を書いてて、し、将来の夢は小説家」
玄は小説家になる夢を話した。
なぜ小説家だったのかはわからない。ただそのとき不意に出て来たワードだった。
それが彼の運命を決定した。
◇◇◇
すべては気まぐれの偶然がもたらした奇跡だった。
桜田記代子は生死の境にいた。
もう助かる見込みはなかった。
死の宣告が彼女を縛り付けていた。
小説家になりたいと思ったことがあった。しかし、もうそんな悠長な行為は許されなかった。
彼女は小説ではなく遺書を書かなければならない運命のもとにあった。
自分の誕生日を祝いに同級生がやってきた。
彼女にとってはただ辛いことだった。
悠久の未来が約束された者たちに対して、自分は未来をなくしてしまった者。
この隔たりを埋めることはできなかった。
そんなとき、彼女は普通の少年と出会った。
桜田記代子は八井田玄と出会った。
記代子の目が覚醒した。
彼の何かが記代子の中に眠っていた「生まれ落ちた者の使命」というようなものを覚醒させた。
彼は小説家になると語った。
それは自分が一度夢見た世界。
彼がなぜ自分の夢を知っていたのか、いや知っていたのではない。
それはしょせんただの偶然。
それから、八井田玄は本気で小説を書いて持ってきた。
彼が持ち込んだのは天使ノワーゼットの物語。
記代子はこの物語を知っていた。
自らが描いた天使、そして自らの手で落とした堕天使。
八井田玄は地獄の底からノワーゼットを吊り上げて来た。
ただの偶然。いや、自分の奥深くに眠る潜在意識が彼を動かしたのかもしれない。
何でもいい。
二人にとってそんなことはどうでもいい。
今日がそこにあればいい。
今日が君と出会った日であればいい。
この世界にそれ以上のものは必要なかった。