17.遠足 後日談(Ⅰ)
遠足の次の日は土曜日で学校は休みだった。めいっぱいはしゃいで疲れた生徒達が身体を休められるよう、教諭陣が気を遣って決めた日取りだ。
立派な門の前に立ち、カミラは小さく深呼吸をする。実家だというのに何故こうも毎回緊張してしまうのだろうか、我ながらなんとも情けない気持ちになる。
(別に今日は小言を言われるわけでもないんだから、臆する必要ないじゃない…)
そう自分に言い聞かせベルを鳴らす。実際、今日は父から呼び出されたわけではなく、カミラ自ら実家に赴いたのだ。
使用人が静かにドアを開ける。玄関に入るとヘレンが小走りで迎えに来てくれた。
「お帰りなさいませ、カミラ様。まさか貴女からこちらにいらっしゃるなんて意外でした。ささ、どうぞ中へ。今、お茶を準備致しますね。食堂かご自室、どちらでお取りなさいますか?」
「ありがとうヘレン。そうね、部屋でいただくことにするわ。ああ、荷物は自分で持つから気にしないで。」
そう伝えると、ヘレンは一礼してそのまま厨房の方へ消えていった。カミラは階段を上り、自室の扉を開ける。急な訪問にも関わらず、部屋は綺麗に掃除されていた。おそらく毎日欠かされていないのだろう、我が家の使用人達には感謝してもしきれない。
部屋の隅に荷物を置くと、荷物の中身を確認した。一番上に橙のかわいらしい紙袋がのぞく
(うん、ちゃんと持ってきてるわね。……それにしても、昨日は勢いで買ってしまったけど、本当に喜んでもらえるのかしら。)
紙袋を荷物の中から取り出すと、カミラは少し不安になった。厨房事情はあまり分からないが、名家のローゼンヴァルド家だ、きっと今家で使われているジャムだって、使用人達が厳選した超一流のものに違いない。そんな中、自分の独断で選んだものなど渡してもよいのだろうか。かえって迷惑なのではないか、そんな悲観的な考えが膨れ上がる。
(「こういうのは気持ちが大切」、ね……)
クラリスはそう言っていたけれど、果たして本当だろうか。彼女の周りではそうであっても、自分が当てはまるとは限らない。特にあの堅物で面白みのない父はどう思うだろう、考えれば考えるほど胃が痛くなってくる。
(それにしても、あの子がそんなこと言うなんて意外だったわ。もっと他人に興味がない人だと思っていたのに。)
記憶の中のクラリスは、四六時中本を読んでいて、クラスメイトなどお構いなしといった女だった。唯一心を開いているのは、隣のクラスのハワード=スタンフォードのみ。それがここ最近急に変わった気がするのだ。
(確かあの食堂事件あたりからかしら……?)
急に嫌な思い出がフラッシュバックし、思わずぶるっと身震いをする。ああいやだいやだ、一刻も早く脳内から追い出すようにぶんぶんと頭を振った時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「ヘレンです。お茶の準備が整いました。」
「ありがとう、入ってちょうだい。」
扉を開く音がした。失礼します、という挨拶の後にヘレンが部屋の中に入る。彼女が運んできたトレイには、白磁のティーセットと軽食が並んでいた。
「フェルディナンド様は、残念ながら本日お仕事で出ておりますの。」
「そう、相変わらず忙しい人ね。」
そんなことを言いつつも、内心ではホッとする。多少残念な気がしないでもないが、それでも安堵の気持ちが勝った。
ヘレンがティーカップに紅茶を注ぐ。こぽこぽと軽快な音が耳に心地よく響いた。目の前に差し出されたダージリンからは、甘い香りが仄かに沸き立ち、口をつけると全身から温まる。ほっと一息つくと、気持ちがだいぶ落ち着いた。
「最近、学校はいかがですか。」
ヘレンが何でもないように、それでいてどこかそわそわしながら尋ねてきた。おそらく先日父と話した件を気にしているのだろう。しかし、この質問はカミラにとって好都合だった。うまくお土産を渡すきっかけになる話題だ。
さて、何から話すべきか。前回ここに来た時からめまぐるしい日々が続いて、話をまとめるのに少し骨が折れそうだ。
「昨日、遠足がありましたの。レシーヌ湖とサントミモザの街に行きましたわ。」
「あら、素敵ですね。何か面白いものはありましたか?」
「同級生のクラリスという子と一緒に回ったわ。」
紅茶のおかわりを継ぎ足そうとしていたヘレンの手が一瞬止まる。カミラの口からエリオット以外の生徒の名が出ることは滅多にないからだ。
「魔導一家アインカイザー家の一人娘よ。」
「ああ、あの五属性操者で有名な方ですわね。」
「そう。……いつも本ばかり読んでいるからてっきり落ち着いた人だと思ってたんだけど、とんだ見当違いだったわ。湖では見るもの全てにはしゃぐし、しまいには元気が有り余って魔法の手合わせまで願い出てきたの、しかも土砂降りの中。おかげでびしょ濡れよ、委員長にも怒られるし。……でもやっぱり強いのよね、さすが五属性操者って感じ。それに、サントミモザでは買い物に連れ回されたわ。大人しそうな顔して結構我が強いの。あっちに行きたいこっちに行きたいって、子どもみたいだった。そうそう、街にはからくり時計があって、それを見た時も子どもみたいにはしゃいでいたわ。こんなにすごいの見たことないって……大袈裟よね?あと……」
自分でも驚くほど言葉が止まらない。話しても話しても言いたいことが尽きなかった。どうやら思っていた以上に遠足を満喫していたらしい。ふとヘレンの方を見ると、彼女は椅子に腰をかけ、にこにこと嬉しそうに話を聞いている。それが急に恥ずかしくなり、急いで話を切り上げる。
「ごめんなさい、私ったららしくもなく喋りすぎましたわ。」
「ええっ!?もっと聞いていたかったのに!!」
「別に話すほどのことでもないわ!!ただ遠足があっただけよ!!」
「でも、いつもより楽しかったでしょう……?」
ヘレンがいたずらっぽく笑うので、少し口を尖らせて答える。
「ただ単に遠足で、色々珍しいことが多かっただけよ。」
「ふふ、そうでしたか。色々満喫できたみたいで何よりです。」
そう言うと、ヘレンは改めてお茶のおかわりをカップに継ぎ足した。カミラはそれを受け取ると再び口をつける。美味しい。やはり彼女の入れる紅茶は格別だ。これを飲むと気持ちが和らぎ、いつもより少し素直になれる。
「……買い物の途中にね、クラリスお気に入りのジャム屋さんがあったの。あの子のお家ではそこのジャムしか使わないんですって。入ってみたら、本当に沢山の種類のジャムがあったわ。それで、少し試食したら美味しくてね。……彼女はご家族にいくつか買うみたいだったから、それで……」
そういうと、カミラは横に置いていた橙の紙袋をヘレンに差し出す。恥ずかしさと不安で、つい俯きがちになってしまう。
「……少量だけど、みんなで食べてもらえると、嬉しいわ。要らなければ捨ててもらえればいいから………」
ちらりとヘレンの様子を伺うと、彼女は少し口を開け、灰色の目を見開いている。次の瞬間、花が舞うような笑顔に変わり、嬉しそうに紙袋を手に取った。
「まあ、まあまあまあまあっ……!!お嬢様からお土産だなんて、わたくしすごく嬉しいですわ!!きっと使用人の皆も喜んでいただくことでしょう!!ああ、でも先にフェルディナンド様にお出ししなければ!!どれどれ……まあ、マーマレードに無花果のジャム。どちらも美味しそうですわ……ああ、本当にすごく嬉しい!!カミラ様、本当にありがとうございます!!」
「お、お父様はいいですわ……!!甘いものはあまり好きじゃないだろうし……」
紙袋を開いたヘレンは、今にも踊り出しそうな勢いで部屋の中を歩き回っている。どうやらカミラの言葉は届いていないようだ。その様子から、自分の心配が杞憂だったことが分かり、ほっと安堵する。ヘレンが浮かれている間に、荷物からもう一つ、今度は薄緑の小さな紙包みを取り出した。それに気づいたヘレンが不思議そうにこちらを見る。
「これは、貴女に。サントミモザで見つけて、貴女に似合いそうだなって思って買ったわ。……気に入ってもらえると嬉しいのだけど。」
それを聞くと、ヘレンは先程以上に目をまん丸にした。あまりに驚いてしばしの間言葉を出せずにいる。
「……っそんな、カミラ様がわたくしになんて……恐れ多いですわ…!!」
渡された紙包みをおずおずを開く。中からは、すずらんをモチーフにした可愛らしいバレッタが出てきた。ヘレンの顔がみるみるほころぶ。
「すごく、すごく素敵です……っ!!わたくし、本当に光栄ですわ!!このバレッタ、毎日つけますわね!!」
そう言うと、ヘレンはすぐにそれを己の髪に留めた。その時、彼女の灰色の目が少し潤んでいるように見えた。
バレッタは、ヘレンの落ち着いた雰囲気にとても似合った。白いすずらんとオリーブのリボンが、彼女のクリーム色の髪によく似合う。やっぱり買って正解だったと、カミラは内心満足した。
「ヘレン、すごく似合うわ。」
「ありがとうございます、カミラ様……っ!!」
まだ少し潤んだ瞳は、柔和な笑みを浮かべている。その聖母のような微笑みを見て、カミラは思わず口を開く。
「この間ヘレンに言われた通り、私、少し頑張ってみたの。……少しだけど人に優しくするよう心がけた。そしたら、少しだけ自分が変われた気がするわ。」
声が震える。何故かすごく緊張してしまう。本音を打ち明けるということは、どこか少しだけ罪の告白に似ているような気がした。
「でも、まだ不安よ。自分がちゃんと上手くやれているか全然分からないの。……もしかしたらまたダメかもしれない。失敗してしまうかもしれない。」
誰かに裏切られた時みたいに、誰かを傷つけた時みたいに。だから…
「だから……だからヘレンに、私のこと、これからもちゃんと見守っていて欲しいの!」
自分にはまだ、正しい道へと導いてくれる誰かが必要なのだ。
その言葉を言い終えた瞬間、視界が何かにさえぎられた。身体が包み込まれるような感覚から抱きしめられたのだと認識するまでにそう時間はかからなかった。
「……もちろんでございます……っ!!」
頭のほんの少し上から、ヘレンの震える声が聞こえる。瞳から真珠が数粒零れ落ちてたのは気づかなかったことにした。




