食を拒む少女 20
◇ ◇ ◇
クラベルさんが御自身で初めて作ったカレーを食されてから数日が過ぎた。
あの日の食事を境にして、クラベルさんは一応、御自身で調理をされたものであれば、たとえ市販の物であったとしても、口にすることが出来るようになっていた。
僕たちは毎回お手伝いをさせていただいたし(もちろん費用はこちら持ちだ)アイリーン様や小雪さんは――シャルリア様はあまり話していらっしゃるところをおみかけしなかったけれど――生来のものか、クラベルさんともすぐに打ち解けられた。
最初こそ、大いに恐縮されていたクラベルさんだったけれど、他人とコミュニケーションをとることにかけては、アイリーン様はシャルリア様を遥かに凌駕されている。ご本人が自覚していらっしゃるかどうかは別にして。
案の定、食事を一緒にした翌日には、正確には御一緒にベッドに入られた様子だったから、その日の夜の内には大分自然なご様子で、楽し気におしゃべりをなさっていらした。
元々、逃げ出される前までは普通に食べることが出来ていたのだから、その時の感情を上書きするような、楽しいとか、嬉しいとか、そういった正の感情があれば克服の手助けにはなるのではないかと、最初から全部予定通りに進められたかというと嘘になるけれど、結果だけを見れば症状が改善しているので、試してみた価値は十分過ぎるほどに証明されているだろう。
「ここまで出来たのならば、後は御自身にお任せしても大丈夫でしょうか?」
拾ってきた子猫の面倒は最後まで見るべきだ、そうでなければただの自己満足だ、とは言うけれど、その子を親御さんの下へとお返しして、病気や怪我の治療も済ませたのなら(済んだかどうか、本当のところはまだ分からないけれど)あとは僕たちがあまり関わり合いになり過ぎるというのも、クラベルさんとオリーヌさんの生活を乱してしまいかねない。
「そうね。でも、1つだけ、気がかりなことはあるけれど」
シャラさんの気にされていることというのは、おそらくは僕と同じことだろう。
今、というより今後しばらく、アルムダン家には稼ぎ頭がいらっしゃらないのだ。
つい先日、売られそうになったクラベルさんを1人にすることは、オリーヌさんも心情的に不安に思われるところもあるだろう。
「それは困りますね……」
僕は困っていたのだけれど、シャラさんには何か考えがあるようで。
「クラベルさん。それから、オリーヌさん。今後のことですけれど、何かお考えなどありますでしょうか?」
クラベルさんとオリーヌさんは、食い扶持のため、これから街の方へお仕事を探しに出かけられるところのようだった。
そこまでは僕たちも付いて行くことは出来るけれど、そろそろお城に戻らなくてはならないし、小雪さんのこともいつまでもお連れしているわけにはゆかない。
「いいえ。私は仕事がありますけれど、同じところでクラベルもというのは無理があるかもしれませんし、かといって1人にもさせられませんから、最初は苦しいかもしれませんけれど、私の見学についてきて、そこで一緒に働くというのが、いくらかマシかもしれないと考えておりました」
「でしたら、学院へ通うというのはいかがでしょうか?」
シャラさんの提案に、オリーヌさんとクラベルさんが揃って目を見開かれる。
「学院は寮もありますし、先生方がいてくださるので安全面でも安心です。同じ年齢くらいの子と顔見知りになることは、それだけでも有意義なはずです。そこで過ごすための諸々の費用に関しては、奨学金という制度――要するに卒業後、職に就いてからの利子のない借金のようなものですね――を利用すればどうとでもなります。そうすれば、こちらの家での、少なくとも金銭面での負担は、軽くなるはずです」
アンデルセラムの学院も、ラヴィリアの学院も、似たようなものだということは、以前、紹介していただいたことがあるので、何となくは知っている。
僕はほとんど学院に通ってはいなかったけれど、シュエットから話は聞いているので、学院という場所に関してある程度の知識はある。
「何より、今後、もし同じようなことに巻き込まれそうになった場合に対処する自己防衛の方法を学び、それに必要な知識を得ることが出来ます」
もっとも、主な活用の場がそのような場ではないことを祈るばかりだけれど。
「年齢的には、少し周りよりも低いかもしれませんが、そのことは何のマイナスにもなりません。自分がいかにするかということが重要な場所ですから」
それも平均的に見ればという話で、例外がないということでもないらしい。
もっとも、クラベルさんの年齢に関しては、憶測でしかないのだけれど。
「もしその気があるのでしたら、私の方から推薦状をお書きしますが?」
シャラさんはそんなことをおっしゃられた。
「卒業生の推薦ということであれば、無下にはされないでしょう」
シャラさんは御自身が推薦された場合のことに、かなり自信を持っていらっしゃるご様子だった。
後で理由をお尋ねしたところ「私は、私がいた年の最優秀の生徒だったから」とのお答えをいただいた。
最優秀か。
まあ、お城に勤めていらっしゃるくらいだし、納得も出来る話ではある。
「もちろん、これはただの私のお節介なので、断ってくださっても構いません。ただ、私としましても、クラベルさんの今後には、過程に携わった者として、責任などと大仰な物言いをするつもりはありませんが、気になりますから」
オリーヌさんが、確認されるようにクラベルさんへと顔を向けられる。
その表情は「あなたが決めていいのよ」とおっしゃっているようだった。
「私……私は、出来ることなら、通ってみたい、です。そこでは、シャラ様や、アルフリード様のように、お料理の勉強もできるのでしょうか?」
「あなたが望むならね」
シャラさんが微笑まれ、クラベルさんがオリーヌさんへと顔を戻される。
「お母さん――」
「行ってきなさい、クラベル」
クラベルさんのおっしゃりたいことは、口に出されずともオリーヌさんに伝わっていたようだ。
それ以上は、多分、久しぶりの再会ということもあって、たくさん伝えたいこともあったのだろうけれど、おふたりの間で言葉は交わされなかった。
「学院までは私が案内しますから、私たちがお城まで戻って――」
「いや、このまま乗せていっても構わない」
シャラさんは御自身のことでお城の馬車や、姫様若様方のお時間を遣わせたりはされたくなかったのだろうけれど、カルヴィン様はその言葉を途中で遮られた。
「ここまでも一緒に乗ってこられたのだから、十分に同乗するだけの広さはあることは確認済みだ。学院で学ぶということならば、早ければ早いほど良いだろう」
「でも、お兄様。クラベルにだって家族との別れを惜しむとか、荷づくりとかの時間だって必要なんじゃないの?」
「ありがとうございます。アイリーン様。ですが、ここまで寛大なお言葉をかけていただき、これ以上、皆様方のお手をお借りするわけにはゆきません」
元々、持ち物もあまりありませんから、とシャラさんが捕捉されると、クラベルさんは、再び、オリーヌさんと向き合われる。
「お母さん。行ってきます」
「いってらっしゃい、クラベル」
おふたりがぎゅっと抱きしめ合われ、頬にキスをされる。
「決めたのでしたら、すぐに荷物をまとめてしまいましょう。最低限、着替えなどは必要でしょうから」
例によって、僕とカルヴィン様は立ち入ることを許されず、シャラさんとクラベルさん、オリーヌさん、それからついてゆかれたシャルリア様とアイリーン様によって、準備が済まされたのは、それから20分もしないうちのことだった。




