食を拒む少女 14
あー、と僕は思わず頭を抱えそうになった。
せっかくシャルリア様のお名前を出すことは伏せていたのに、アイリーン様は名乗ってしまわれた。
アイリーン様の気質を考えれば、推して知るべきことではあったけれど、シャルリア様やカルヴィン様の手前、もう少し抑えられるのではとも期待――思っていた。
「フリンデルって」
「ああ。それに隣にいらっしゃるのは第1王女殿下と第1王子殿下じゃないのか?」
「どうしてコーミクス相手にわざわざお見えに?」
周囲の、酔ってはいらっしゃらない方々の囁き声は止むことはなかったけれど、そんなことにはまったく構われる素振りは見せられず、アイリーン様はコーミクスさんを前に、腰に手を当てられながら前かがみになられる。
「あなたがクラベル・フリンデルの父親よね?」
アイリーン様の質問に対し、コーミクスさんは赤ら顔のまま、しばらく考え込むような仕草を見せられた後、
「何のことだかさっぱりわからねえな。そんなことより、俺の酒の弁償はちゃんとしてくれるんだろうなあ、王女様よお」
コーミクスさんが丸椅子からのっそりと立ち上がられる。
身長はおそらく成人男性の平均程度といったところだけれど、がたいはよく、目の前に立たれるとそれなりの威圧感はある。
コーミクスさんの影がアイリーン様を覆い――
「それ以上、我らが主に近づくというのであれば、容赦なく切り落とします」
いつの間にやらアイリーン様とコーミクスさんの間に割って入っていらしたシャラさんが、コーミクスさんの喉元にナイフを突きつけられている。
シャラさんは魔法をお使いになられない分――おそらくはお城のメイドさんは皆さんそうなのだろうけれど――御自身では戦闘能力は低いとおっしゃるけれど、暗殺とか、潜入とか、あるいはこの今の状況のような1対1で主君をお守りする場合などには関係なく、その能力の高さが窺わせられる。
どよめきが起こり、コーミクスさんが威圧されたように1歩下がられる。
「弁償なら、すでにユーグリッドが済ませているわよ。店主に」
アイリーン様は特に怖気づかれたとか、怯まれる様子もなく、淡々と会話を続けられる。
そして、急に鋭い口調で
「あなた、クラベルの父親でしょう? だったら、少なくとも娘が1人立ちするまでは面倒を見るのが当然じゃないの? それが、その実の娘を売り飛ばすって、どういうことなの? もっとも、どんな理由があろうとも、私はあなたを許したりはしないけれど」
それでも一応、上に立つ者の矜持としてか、話は聞かれるおつもりらしい。
「おい、コーミクス。お前、最近羽振りが良かったのは――」
周囲にいる男性客が、恐る恐るといった様子でコーミクスさんに確認される。
彼ら、この酒場に集まっているお客は、最近、このコーミクスさんにご馳走になっていたのだというのだから、その費用の出所がもしやと疑うのは当然だろう。
「あなた方に罪はありませんよ」
そのうちの何人かが、口を押えて床に蹲られそうになったところで、シャルリア様が静かにおっしゃられる。
「あなた方は料理を口にするとき、屠殺された牛や鳥の事を考えたりはしないでしょう? それを考えていては食事なんてできませんから。村を襲う魔物の群れを討伐するとき、その魔物に子供がいる可能性を考え、討伐することを躊躇いますか? それと似たような事です。どう使っても硬貨は硬貨。それ以上の価値も、意味も、持ちはしません」
「だったらよう」
コーミクスさんが、自身の喉元に突きつけられているシャラさんのナイフの刃の部分を掴まれる。
何をしているのだろう。
まさか、シャラさんが他人の指を切り落とすことを躊躇されるとでも思っていらっしゃるのだろうか。
たしかに、平時であればそうだろうけれど。
しかし、シャラさんはコーミクスさんが反対の手を振り上げるのを見て、ナイフから手を離されると、アイリーン様を抱えられ、そのまま後方宙返りを決められて、僕たちの側へと降り立たれた。
「そんなことも出来たんですね」
戦いが出来るだろうことは、何となく察していたけれど。
「アルフリード。無駄口叩いている暇があったら、あれをどうにかしなさい。クラベルさんの父親だからって――」
「分かっています。姫様方に手を挙げた相手に対して、手加減などあり得ません」
シャラさんに代わり、僕が前へと1歩進み出る。
「アイリーン様、お怪我はありませんか」
そのシャラさんは、アイリーン様の身体を確かめるように、心配そうに声をかけていらっしゃる。
「アイリーン、あなたは何を考えているんですか?」
「姉上のおっしゃる通りだ。アルフリードとシャラがいるからと油断や慢心をしてはいけない」
背後では、カルヴィン様とシャルリア様に窘められて――お説教をされているアイリーン様が「だって」と言い訳をされている。
「アイリーン。ひと言文句を言うところは私たちも認めていた事ですが、流石にあれはやり過ぎなのですよ」
小雪さんにまで言われてしまい、アイリーン様は「ごめんなさい」と謝られていた。
「俺が俺の物をどうしようと、それは俺の勝手だろうが」
今だ省みられるおつもりはないらしいコーミクスさんに対し、僕は目を細める。
たとえ酔っていようとも、言って良いことと、悪いことがある。むしろ、酔っているからこそ本心で話している可能性があり、なおのこと、許すことは出来ない。
「あなたの娘さんは、クラベルさんはあなたの所有物ではありません。れっきとした、1人の、クラベル・アルムダンという、可愛らしい女の子です。あなたが親だからといって、どうこうしようが自由であるはずなどあり得ません」
コーミクスさんは、不機嫌そうに
「ああん? だったらお前は何なんだよ。あいつの男か?」
「私は、アルフリード・フィート。畏れ多くも、ラヴィリア王国王城にお仕えさせていただいております、雑用係であります」
メイド、ではないよな、うん。
「その雑用係さんが、何だってあいつの肩を持つ?」
「料理人として、そして1人の人間として、彼女を放っておくことは出来ませんでしたから」
本当は、クラベルさんの父親には、事情を窺って、問題を対処できたらと、心の片隅では思っていた。
しかし、どうやらそんな甘い考えではいけないらしい。
クラベルさんだけではなく、クラベルさんの御母上のオリーヌさんまであのような状態では、おそらく、この男性を捕まえない限り、安寧とした暮らしを手に入れることは難しいだろう。
結婚までされて、子供までおつくりになられたのだから、以前は、それは仲睦まじくいらしたのだろし、その家族の仲を結果的に引き裂くことには、罪悪感がないと言えば嘘になるけれど、それでも、この父親がいることはクラベルさんとオリーヌさんの平穏を、現在進行形で脅かしている。
「アルフリード。迷っているようならば、私が――」
「いえ、カルヴィン様。お心遣いには感謝いたしますが、そこまで、御身にご負担はおかけ致しません」
殺めようという訳ではない。
しかし、彼らを、家族をバラバラにしてしまうことには違いなく、1つの家族を終了させてしまうという意味では、似たようなものかもしれない。
少なくとも、刑の執行と、いずれ許されるまでは。
「ふんっ」
甲高く、瓶の割れる音が聞こえ、周りのお客の騒ぎも大きくなる。
コーミクスさんの手には、割れた酒瓶が握られている。
「おっ、ごっふ」
凶器は厄介だ。
投げられると、防ぐことは出来るだろうけれど、姫様や若様ではない、他のところに被害が出る可能性を否定できない。
コーミクスさんが振り上げられた瓶を投げ飛ばされる前に、一瞬で間合いを詰めると、振り下ろされる前に鳩尾に掌底を叩き込む。
肘だと、最悪、殺してしまうかもしれないし、姫様方の目の前で人殺しはまずいし、僕だってやりたくない。
「クラベルさんの心に傷を負わせた件、許せることではありませんが、彼女のことは、僕が責任を持ってお癒しいたしますから、あなたはきちんと刑に服してください」
悶絶し、気を失われたコーミクスさんを拘束した僕は、なぜか拍手などされているお客の方々に頭を下げ、彼を引き下げ、馬車へと乗り込み、ギルドへと向かった。




