シンクシ 3
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宿の裏にある開けた林道を登ってゆくだけで簡単に辿り着くことの出来る場所に、その温泉とやらは湧いていた。
天然の石造りによって囲まれていて、うっすらと湯気も立ち上っている。
他にもいくつかあるらしいのだけれど、とりあえずは宿から1番近くにあったそのお湯につかることにした。
うわー、気持ちいい。
護衛、あるいは付き添いという立場である以上、大声を出してはしゃぐことは躊躇われたけれど、もし、1人で、何も気にすることなく来ていたら、きっとそうやって気を抜いてしまうだろうと思えるほどには気持ちの良いものだった。
もちろん、お城のお風呂は広い。
温泉という、お風呂をご飯の種にしているここにも負けないくらいには(もちろん、1つを比較すればだけれど)広い。
しかし、それとは違い、この場所の空気がそう思わせるのか、もう、なんというか、余計なことを考えるのがどうでも良いかと思えるほどに気持ちがいい。
身体がふにゃふにゃになって溶けてしまいそうだ。もちろん、そんなこと、従者として、態度には出さないけれど。
護衛としてしっかり気を張っていなければならないと思うのだけれど、別の場所にいらっしゃるのか、幸いなことに、僕たち以外の利用者は、少なくとも男湯の方にはいらっしゃらず、まさか、この崖(僕たちがいるのは外の景色の見える、外に作られている湯船だった)を登ってくるとも考えにくいし、とりあえず、背後から人の気配がするまではのんびりしようと決めた。
場所によっては混浴になっているところもあったのだけれど、アイリーン様の要望により、今いるのは、男女の湯の境目には垣根の設けられている露天の温泉であり、女性陣の方の様子が窺えないのは(変な意味ではなく、様子が分からないということだ)少し気がかりではあるけれど、シャラさんがいてくださるので、問題はないだろう。
「へー、素敵なところじゃない」
そんなことを考えながら、ぼんやりと夜空の星を見上げていると、垣根の向こうから感心していらっしゃるような声が聞こえてきた。
「アイリーン様。走られますと御髪もほどけてしまうかもしれませんし、危険です。お待ちください」
先に入られたアイリーン様を追ってこられたシャラさんの注意なさる声が丸聞こえだった。
中のお風呂とは違い、ここには遮るものが垣根の1枚しかないのだから当然ではあるのだけれど。
「外のお風呂なんて初めてだったけれど、とっても気持ちのいいものね。お姉様も早くいらして!」
パシャパシャと水を切って進むような音がしたかと思うと、今度はひたひたと石の上を歩く2人分の音が聞こえてきた。
先程の声がアイリーン様とシャラさんのものだったことから、今の足音はシャルリア様と小雪さんのものだろう。
って、何を想像しようとしているんだ僕は。
「アイリーン。ここにも『走るな、危険』と張り紙がありますよ。私達はお客として訪れているのですから、こちらのルールや作法は守らなくてはなりません」
はたして、今度はゆっくりとお湯につかる音が聞こえてきた。
「何でしょう。お屋敷のお風呂と役割としては同じであるはずなのに、より、身体の芯からぽかぽかとしてくる気がするのですよ。これが、温泉の効能というものなのでしょうか」
続いて聞こえてきたため息から、小雪さんもかなりご満足していらっしゃるようで、何よりだ。
といっても、僕がこの温泉自体に何かをしているわけではないのだけれど。
「お姉様。お姉様の髪は私が洗ってあげる」
しばらく隣を気にしないようにゆらゆらと足を伸ばしてくつろいでいると、隣からそんな声が聞こえてきた。
「……アイリーン。髪くらい、そろそろ1人でも洗えるようになった方が良いですよ」
アイリーン様がはしゃいでいらっしゃるのかと思ったら、そうではないらしい。
アイリーン様もシャルリア様も、いつもナティカ様と一緒にお風呂に入っていらっしゃるのだけれど、アイリーン様は普段は御髪をナティカ様に洗っていただいているのだろう。会話からすると、シャルリア様はおひとりで洗っていらっしゃるみたいだけれど。
それで、今日はナティカ様がいらっしゃらないから、代わりに、お姉様に洗って貰おうと思われたのだけれど、直接おねだりするのは照れ臭くいらしたのだろう。
「でも、今日は私が洗ってあげます」
「ありがとう、お姉様。あ、そうだわ、だったら、私は小雪の髪を洗ってあげるから、小雪はお姉様の髪を洗ったらいいんじゃないかしら」
やっぱり口実でしたか、とシャルリア様がおっしゃられると、アイリーン様は少し言葉を詰まらせられた。
「うっ……でも、私がお姉様の髪を洗ってあげたいと思っているのは本当よ。だって、お姉様の御髪は銀細工みたいにさらさらと素敵だし、アンデルセラムじゃ銀の髪って珍しいんでしょう? 金の髪はありふれているけれど」
だからね、とアイリーン様が可愛らしくおねだりされると、シャルリア様は「仕方ありませんね」とおっしゃられた。
「ありがとう、お姉様! 私も今度からは1人でもきれいに髪を洗う練習をするわね!」
続けてお湯から上がるような音が聞こえたかと思うと、楽しそうにシャルリア様の手を引かれているらしいアイリーン様の声が聞こえてきて、
「そうだわ! ねえ、小雪の髪も私が洗ってみてもいい? たくさん練習したいのだけれど、だめかしら?」
思い立ったらすぐにという、アイリーン様の行動力はすさまじい。
「では、お願いするのですよ」
「ありがとう、小雪」
「アイリーン。早くしないと、ずっとお湯から出たままでは、風邪をひいてしまいますよ」
ごめんなさいと謝る声が聞こえてきて、それからシャラさんが小さく笑ていらっしゃる声も届けられた。
それから、アイリーン様の気持ちよさそうにされている声と、今度は交代して、洗っていらっしゃるアイリーン様に、シャルリア様が丁寧に教えていらっしゃる声が聞こえてきて、僕は何だか微笑ましい気持ちになっていた。
シャルリア様は、
「シャンプーの前に、お湯で良くすすぐのです」
とか、
「しっかり、泡立ててからですよ」
とか、優しく、丁寧に手ほどきをなさっていらして、しっかり良いお姉さんをなさっていらした。
「はい、出来ましたよ。次はアイリーンの番ですから、今の通りにやってみてください」
「はい、お姉様」
アイリーン様も、シャルリア様を慕っていらっしゃるご様子で、シャラさんが何もおっしゃらないのは、きっとそんな必要もないからなのだろうなあと、想像して、いや、想像しかけて、途中でやめた。
声を聞いていると、決して見てはいないのだけれど、だからこそ余計に想像を掻き立てられるというか。
別に、シャルリア様や、アイリーン様や、小雪さんが仲睦まじくされていらっしゃろうとも、どうということはなく、むしろ微笑ましい光景だと思うだけだけれど。
僕は頭を振って、再び浮かびそうになった光景をかき消した。
あまりはしゃがれ過ぎて、のぼせてしまわれなければ良いのだけれど、まあ、きっとその辺りはシャラさんが見られながら調節してくださっている事だろうから安心だろう。
「カルヴィン様の御髪をお洗いいたしましょうか?」
「……いや、私は大丈夫だ」
にぎやかな(おそらくは他にお客様がいらっしゃらないからなのだろうけれど)女湯に比べて、男湯は非常に静かで、僕はのんびりと身体の疲れをとることが出来た。




