魔法の仕組み
「おい、由眼。説明してもらおうか」
ホームルームが終わり、教室に残る生徒もまばらになった頃。 俺は由眼の席の前に立っていた。
「さっきのアレは何なんだ。それに、みんな何もなかったみたいな反応してるじゃねぇか」
由眼はゆっくりと立ち上がる。 そして当然のような口調で言った。
「まぁ、ついてきたまえ」
「説明する気あるのか?」
「あるとも」
全く信用できなかった。 由眼は白杖を手に教室を出る。 仕方なく俺も後を追った。 廊下を歩く。 すれ違う生徒たちが、ちらちらと由眼へ視線を向けていた。 諏訪家。 盲目の魔女。 入学初日から話題になるには十分すぎる肩書きだ。 そんな人物と並んで歩いている俺にも、ついでみたいな視線が刺さる。 居心地が悪い。 階段へ差しかかったところで、由眼が不意に口を開いた。
「この学校は綺麗だね」
「は?」
「廊下も階段も。普通の清掃では綺麗にならない場所まで綺麗だ」
なんで急にそんな話になる。
「それがどうしたんだよ」
「魔法だよ」
即答だった。
「……は?」
「この学校には清掃用の魔法がかけられている」
由眼は手すりを軽く撫でながら続ける。
「私は学校専属の魔法師なんて聞いたことがない」
「それが何か関係あるのか?」
「ないわ」
「ないのかよ!」
思わず声が出た。 こいつ、本当に会話が成立しない。 由眼は気にした様子もなく階段を下りる。
「なぁ、さっきのは何なんだよ」
下駄箱へ着いたところで俺は再び問い詰めた。 由眼が靴を履き替える。
「学校専属の魔法師がいるということは、それだけ危険だということよ」
「だからそっちじゃねぇ!」
俺が聞きたいのは学校の防犯事情じゃない。 さっき教室で起きた異常現象だ。 由眼はようやく俺の方へ顔を向けた。
「君は、あれをどう解釈した?」
「どうって……」
思い返す。 杖の音。 突然の無音。 誰も動かない教室。 そして由眼だけが平然としていた。
「時間停止とか?」
由眼は即座にため息をついた。
「馬鹿ね」
「おい」
「まだその辺の生徒の方がまともな答えを出すわ」
失礼すぎる。
「じゃあ何なんだよ。説明つくのか?」
由眼は校舎の出口へ向かいながら言った。
「仮に時間停止の魔法が存在するとしましょう」
「おう」
「時間を止めたら、どうなると思う?」
どうなると言われても。 俺が考えている間に、由眼は続ける。
「まず魔法師本人も動けない」
「……あ」
「時間が停止している以上、その世界は一切進まない。思考も運動も変化も発生しない」
なるほど。 確かにそうだ。
「つまり時間停止は理論上成立しない」
由眼は断言した。
「世界そのものを停止させる魔法なんて、実質的な世界崩壊よ」
「そんな禁忌、犯すわけないでしょう」
俺は言葉を失った。 確かにその通りだ。 だとしたら――
「じゃあ、あれは何だったんだ?」
由眼は少しだけ口元を緩めた。 まるで教師が出来の悪い生徒を見るように。
「だから今から教えてあげるのよ、柊玲司」
校門を出る。俺は由眼の後を追いながら、どこへ向かうのか考えていた。
「……どこ行くんだ?」
「ついてきなさい」
相変わらず説明が足りない。本当にこいつは、人に物を頼む態度を知らないらしい。仕方なく後ろを歩く。その時だった。
夕日が差し込み、舞い散る桜が風に流れる。銀色の髪が淡く光を反射し、その背中だけがやけに鮮明に見えた。まるで白いキャンバスに描かれた、一枚の絵みたいだった。
――綺麗だ。
思わずそう思ってしまう。だが、本人に言ったら調子に乗りそうなので黙っておいた。すると由眼が、不意に口を開いた。
「一つ、忠告しておきましょう」
「なんだよ」
「私は諏訪家の人間よ」
その声には、妙な自信があった。いや、自信なんてものじゃない。それが当然だと信じて疑わない声だった。
「魔法家第一位」
由眼は振り返らない。それでも、その言葉だけで十分だった。
「この国の魔法家系の中で、最も古く、最も強い家系」
風が吹く。桜が舞う。
「私に使えない魔法は、ほとんど存在しない」
さらっととんでもないことを言いやがった。
「だから、その言葉は心の中にしまっておくことね」
「どの言葉だよ」
「綺麗だ、」
「っ!?」
思わず足が止まった。こいつ、見えてないんじゃなかったのか。由眼は少しだけ口元を緩める。
「顔に書いてあったわ」
「絶対嘘だろ」
「さてね」
夕日に照らされた銀髪が揺れる。
……自慢だけしてればいいものを。
どうしてこう、余計な一言まで付いてくるんだ。
「さて、本題に移りましょうか。学校で使った魔法について」
由眼がそう言った瞬間、俺は思わず唾を飲み込んだ。ようやく説明する気になったらしい。
「まず結論から言うわ。あの時、私は三つの魔法を同時に使った」
「三つ?」
「ええ」
由眼は白杖で地面を軽く叩く。
「一つ目は『固定』」
「固定?」
「物体の固定よ。私と君の周囲を除いた教室全体を固定した」
なるほど。だから誰も動かなかったのか。
「二つ目は『遮断』」
「外の音を消したってやつか」
「正確には、音が入ってこないようにしただけ」
由眼は淡々と続ける。
「そして三つ目が『意識阻害』」
その言葉だけは、少し不気味に聞こえた。
「魔法を受けた本人は、起きた出来事を認識できなくなる」
「……だからみんな普通だったのか」
「そういうこと」
俺は思わず空を見上げた。固定。遮断。意識阻害。三つの魔法を重ねることで、時間が止まったように見せていたわけだ。
「なるほどな……」
ようやく納得がいく。だが、一つだけ疑問が残った。
「仕組みは分かった」
俺は由眼を見る。
「でも、なんでそんなことをする必要があったんだ?」
由眼は少しだけ肩をすくめた。
「私は忙しいのよ」
「意味が分からん」
「だって、ここには事情を抱えた人が多いのでしょう?」
その瞬間。背筋がぞくりとした。
「おい」
由眼は黙ったまま歩く。
「いつからだ」
「何が?」
「とぼけるな」
俺は足を止めた。
「いつから俺の心を読んでる」
夕日が差し込む。由眼は立ち止まったまま、少しだけ口元を緩めた。その表情は、どこか悪戯が成功した子供みたいだった。
「それは――」
風が吹く。桜の花びらが二人の間を横切る。
「秘密だ」
由眼はそれだけ言うと、くるりと背を向けた。
「さあ、もう十分でしょう。帰りたまえ」
「おい、待てよ。秘密ってどういう――」
――カン。
杖の音が響いた。
次の瞬間。
「……は?」
気づけば、俺は自宅の前に立っていた。
さっきまで確かに由眼と話していたはずなのに。
「なっ……」
慌てて周囲を見回す。
誰もいない。
由眼の姿もない。
校門どころか、学校の影すら見えなかった。
「……また魔法かよ」
思わず額を押さえる。
頭がおかしくなりそうだった。
「秘密ってどういうことだよ……」
言い終えた頃には、返事をする相手なんてどこにもいなかった。




