流体金属アンノウン
なんだそんな事かと思った。
私たちは神様から決められて人を殺しているのだ。それは私達に当てはまる事じゃないと思ったのだ。
「神の声が聞こえる?」
ふと老婆は言う。
「シスターから神の声を聞いているよ」
「それはおかしいわ」
老婆は言う。
シスターだろうが何だろうが、人の口からきいた時点で、それは人の言葉になってしまう。神の声に従うという事は、自分自身が神の声を聞いて動く事を言うのだという。
「うーん。そうかも?」
私はそう聞いて幼いながらに考えさせられた。
その日の夜、ふとかすかに声が聞こえてきた。
『きこえますか……きこえますか……』
確かに聞こえるその声。周りを見回してみても私に声をかけている者の存在は分からなかった。
『あなたの友人は、死ぬべき時ではないのです』
これが神の声かと思った。
「でも神様が決めたんですよ」
どこにいるかもわからない神様に向けて呼びかける。
『あなたは神からそう聞いたのですか? シスターは間違った解釈をしてしまっています』
「シスターが間違えるなんて……」
『シスターでも間違える事があります。シスターの間違いを正せるのはあなただけなのです。シスターを救えるのはあなただけ』
シスターを救えるのは自分一人。
そう聞いて私は生唾を飲んだ。
「でも、私にできる事なんて」
『あります。簡単な方法が』
生唾を飲んで、私はその声に耳を傾けた。
その声に導かれて地下室に向かった。
中にはドンパに使う魔法の粉が保管されているという場所で、誰も立ち入ってはならないと言われていた。
「だけど、シスターと、テリーヌを助けるためだから」
私は足が震えるのをガマンしながら地下室に向かった。
今思えば、あそこはただの火薬庫ではなかった。
いくつもの培養液で満たされた透明な強化プラスチックの中では得体のしれないものがうごめいている。壁はレンガ作りの孤児院の地下に似合わない強化カーボン製だった。
おそらく核にも耐えられ、放射線も遮断する代物だったろう。
つまりここはシェルターなのだ。
その中に一人の男が椅子に縛り付けられていた。
点滴で、体に何かを投与されている。私は証拠を残さずに廃人にする薬を投与している状況とそっくりだと思った。
これは授業で習った事なのでよく覚えている。
『その男性がシスターとあなたの友達を助けてくれます。縄を解きましょう』
私は疑いもせずに縄を解く。
「お嬢ちゃん。一体?」
「シスターとテリーヌを助けて」
その男はそれを言われると合点がいったという感じだった。
私の事を担ぎ上げ、部屋の奥に向かった。
私に壁のある場所に手を当てるように言う。
『アインステナ。照合』
機械音声がそう言い、継ぎ目も何もないと思っていた壁がいきなり開いた。
「これで、シスターとテリーヌって子も、死ぬ必要がなくなるぞ。お嬢ちゃん」
私はその男の言葉を聞く。
その時の私は、死ぬ必要がなくなるというのが、何の救いなのかがわからなかったが。
「これが奴さんか」
男は言う。中には培養液の中にある得体のしれない物。
なめくじのようと言えばいいか? 何かの形をしているものではない。
意思を持つ水銀のようというのが一番近いだろう。
培養液のなかで動くはずもない金属の塊がユラユラと動いていた。
「このプラスチックはなアルカリに弱いんだ」
男は近くにあったビンを取り出す。
アルカリ性の水溶液か何かだろう。それをプラスチックにかけると、熱湯をかけられた氷のように溶けだしていく。
中の溶液が抜けだし、ドバドバと流れていって部屋が水浸しになった。
中の金属は意思があるようにして溶液の中から出てくる。そして、私に狙いを定めた。
「何!」
私の体におおいかぶさったそれは、溶けていった。
まるで私がその金属を吸収しているようにしてどんどんと私の体の中に入っていき、気づかば影も形もなくなっていたのだ。
「なんだったの?」
体に痛みはない。違和感一つない。
本当にあの得体のしれないものが自分の体の中に入ったなんて考えられなかった。
「お嬢ちゃん。ついてきな」
男は言うと私の手を取った。
男は私の事を抱えて孤児院から逃げ出したのだ。
「流体金属アンノウンは?」
「培養液のタンクをぶっ壊したんだが」
私は男に連れられてある場所にいた。
そこはこの街の庁舎だ。自分でもいろんな手続きのためにここに来たことがある。
一般人は入れない、この庁舎の最上階である屋上で、あの老婆とこの男が会話をしているところだった。
「なぜかこの子の中に入っていったというか」
「報告は受けています」
なぜ、孤児院の前で、私に神の声について教えてくれた老婆がこんなところにいるのかわからなかった。