四章 〝慟哭〟
和真は走っていた――。
ただ、ひたすらに――。
息を切らし。
動悸が激しく乱れ。
脈は速くなり。
足が震えそうになるが、それでも、和真は、がむしゃらに走っていた。
額からは大量の汗を流しながら、その顔は、歯を食いしばりながら、険しく歪ませている。
幸い、道中はほとんど人がおらず、通行人にぶつかる心配はなく、その歩を止めさせられることはない。
生贄――。
先ほどの雑貨店の主人から聞かされた言葉が、和真の脳裏に繰り返されていた。
何故、天寧が?
生贄にされるとどうなるんだ?
どうして彼女は笑顔でいられたんだ?
どうして……!
様々な思いと感情が、胸の中で湧きながら、とにかく和真は走っていた――。
「ゼ……ェァ……ハァ……ッハァ……」
旅館にたどり着くと、苦しそうに、肩で息をしながら、和真は、両手を膝につけて屈んでしまった。
呼吸を落ち着かせようと、ゆっくり息をしてから、和真が顔を上げようとすると、旅館の扉が開く。
「か、和真さん? どうしたのですか、そんなに息を切らして」
天寧だった。
和真の様子に、驚きの表情を上げながら、和真に駆け寄ると、彼の体を支えようと、背中に手を回した。
「ハァ……ッハァ……あ、天寧さん……俺……」
どうにか、息を整えて声を出そうとするが、思うように言葉が出せず、和真は、憔悴しきった顔で、天寧を見つめる。
「と、とにかく中に――」
背中に手を回したまま、和真を旅館の中へと移動させようとした天寧だったが、和真の後ろのほうを見つめ言葉を止めた。
「天寧さん?」
天寧が言葉を止めたことに気付き、和真は首だけを動かし、天寧が見つめているほうへと振り向いた。
そこに立っていたのは、昨日、天寧に村の案内をしてもらったときに出会った、この村の長と名乗る男だった。
「天寧、そんなところで何をしている」
威圧感を感じさせる低い声を響かせながら、天寧と和真を交互に見やり、和真に視線を向けると、男は、目を細め険しい表情になった。
「彼の……介抱をしていたのです。具合が、悪そうでしたから……」
男の言葉に、天寧は、和真のほうへ視線をそらしながら答えた。
「昨日も言ったが、自分の立場が分かっているのか」
「…………」
男の刺すような視線と言葉に、天寧は無言になり、目を伏せる。和真の背中に当てられた手はかすかに震え、和真は、ようやく落ち着いた体を起こし、男へと振り向き口を開く。
「立場って、天寧さんは何かをしたのですか?」
「君には関係ない」
和真の質問に、男は即座に答え、和真は不満げに目を細めながら続ける。
「生贄のことじゃないんですか」
和真から発せられた言葉に、天寧は両手で自分の口を押さえながら、驚きの表情を上げる。
「どこでそれを……いや、この村の問題だ。よそ者の君には関わり合いのないことだ」
驚きから、男も、一瞬目を見開き和真を見据えるが、すぐに、元の目つきに戻り、旅館に向かい、和真の横を通り過ぎようとする。
「生贄なんか間違っている! そんなことをしたって、問題が解決されるわけないじゃないか!」
男が和真の横を通りすぎて、扉の前に差し掛かったところで、和真が男へ振り向き、啖呵を切る。
「これは村の掟で、大人の問題でもあるのだ! 子供で、何も知らないよそ者の君には、関係ないことだと言ったはずだ!」
和真の言葉に、男は、首だけを和真へと向け、先ほどと同じ言葉を吐く、怒号の混じった声には、周りを響かせるような迫力を放っていたが、それに負けないように和真は続ける。
「よそ者だから、子供だからなんだっていうんだよ! 間違ったことを正しいって言うのが大人なのかよ!」
今にも掴みかかりそうな勢いで言葉を発しながら、和真は握りこぶしを作って、男へと一歩足を踏み出す。
「掟とか、村の風習だからとか、そんなのは、責任を放棄して諦めてしまった大人の言い訳だ!」
「なんだと!」
和真の言葉と迫力に、男は一瞬気圧され口をつぐむ。
「一人の女の子に全部押し付けて、その子の幸せを踏みにじって、そんなのが正しいことであってたまるか!」
「一人の娘だからだ! ここの村の者をすべて救うことが出来るのならば、たった一人の犠牲など些細なことだ!」
「そんなのっ!」
「和真さん!」
更に、男へと詰め寄ろうとする和真に、天寧が体を預けるように、和真の背中に寄りかかり制止した。
「もう……いいんです。和真さん……」
「天寧さん……?」
天寧の制止の言葉と行動に、和真は握りこぶしを開いて、両腕を下ろす。
「……天寧さんは、それでいいのかよ。生贄とか、そんなのにされて、怖くないのかよ……」
「覚悟は、もう出来ています……ありがとう、和真さん……」
天寧の言葉に、歯を噛み締めながら和真が顔を伏せる。
「私のために、そこまでなってくれて、本当に、嬉しかったです」
顔を伏せた和真の背中に、天寧が額を当てながら、優しく、しかし、とても寂しい口調で続ける。
「出来れば、あなたには、知られたくなかった……このまま何も知らずに、思い出のままにして欲しかった……」
和真は、背中に感じる小さな温もりを感じながら、ただ、怒りに体を震わせていた。
「…………」
言葉を失い、その場に立ち尽くしていると、ふっと背中から感じていた温もりが消えたことに気付き、和真は、天寧へと視線を向ける。
すると、天寧は、和真の横を通り過ぎ、旅館の前に立っている男に近付いていく。
「……もう、いいのか?」
「はい……お父様」
男の言葉に、天寧は静かに答えると、男は、寂しそうな表情をしながら、「そうか」とうなずき、旅館の中へと入っていった。
「あ……」
旅館の中に入っていった男の後を天寧が付いていくのを見て、和真が駆け寄ろうとすると、天寧がゆっくりと和真に振り向き、微笑んでいた。
「ありがとう、和真さん」
その表情に、和真は足を止めてしまった。
「ほんの少しでしたけど、本当に……本当に、楽しかったです」
「天寧さん……俺は……」
天寧の言葉に、和真は言葉が上手く紡がれず、再び顔を伏せてしまい、その場に立ちつくしかなかった。
「ありがとう、和真さん……さようなら……」
天寧の言葉に、はっと顔を上げるが、旅館の扉は閉まっており、すでに天寧の姿はなかった。
和真は、睨みつけるように、空へと顔を向け、怒りと不甲斐なさの混ざり合った気持ちを爆発させた。
「くっそおぉぉぉっ!」
和真の咆哮が、曇りで淀んでいた空に響く。
「和真……」
その咆哮を聞いていたのは、旅館の影から、そっと幼馴染の名をつぶやく少女と、
「あの子がそうなの?」
「ああ、間違いない」
「うふ。いいこと思いついちゃった」
「オマエ、本当、性格悪いよな」
遠くから眺めている二人のよそ者だけだった。




