プロローグ 〝異形〟
深夜零時を過ぎた深夜、とある家の押入れの中で、一人の少年が身を潜めて隠れていた。
隠れている少年の体は震えており、押し入れに隠れながら、わずかな隙間を作り室内を覗くと、彼の双眸には、震えの正体である異形の姿へと変貌していく、両親の姿が映っていた。
皮膚を破るほどに筋肉は肥大化させ、血まみれの筋繊維が露わになっている。
目はくぼみ、白目をむいている瞳は焦点が合っていない、猛獣の牙と見間違うほどに伸びた犬歯と、異様に伸びた爪を持つ姿は、もはや、人のそれとはかけ離れたものだった。
「……っ!」
見つからないように、すすり泣きを必死に我慢し、両手で口を押さえ、がたがたと震えている足は止まらず、涙を流す彼の心には、ただ、目の前の出来事に対する恐怖しかなかった。
なおも変貌を遂げていく両親の姿を見ながら、彼は、ある都市伝説の話を思い出していた。
〝異形〟と呼ばれる存在、それに接触することが出来れば、超常の力を得られるのだという。
都市伝説ゆえ、そんなものを信じるのは、オカルトに興味がある人ぐらいであるが、この都市伝説には続きがあった、それは、〝異形〟に触れ、力を得られなかった者は、異形の怪物へと姿を変えてしまうというものだ。
目の前で起きていることを見なければ、関係のない話として済ませていただろう。
どうしてこんなことになったのか、何故、こんな恐ろしい目に合わなければならないのか、夢なら早く覚めて欲しいと彼は願う。
体を変異させる度に、痛みからか、二人は近くにある家具や壁に腕や足をぶつけて暴れていく。
家具や壁が壊れる度に発する騒音に、恐怖で体が跳ねそうになる。両手で耳をふさぎ、目を瞑り、腹の中から何かがこみ上げてくるのを我慢しながら、少年は、必死で堪えようとしていた。
もしも、見つかってしまったらどうなってしまうのか、自分も異形の怪物へと変貌するのか、それとも、あの肥大化した腕や足に体を引きちぎられるのだろうか……どちらにしても、恐ろしい目に合うのだけは間違いないだろう。
――あれから、どれだけの時間が経ったのだろう……。
夜も更け、陽が差してきた頃、騒音が聞こえなくなると、壊れた家具などを掻き分けながら、押入れから姿を現し部屋を見回した。
笑顔になれば、歳相応の無邪気な可愛らしい顔になるだろう、だが、部屋を見回す少年の顔は、無邪気さからとは、かけ離れた表情になっていた。
一日中泣き続けたからだろう、充血により、少年の目は真っ赤に染まっていた。
頬には涙がつたった跡があり、生気が抜けたような虚ろな表情になっている。
家具や壁は無残に壊されており、辺りには破片が散らばっていた。
恐怖と両親が元に戻っているかもしれないという淡い期待から、部屋を見回しながら両親の姿を探すが、この室内には、自分以外は誰も見当たらなかった。
夢じゃなかった。
夢であって欲しかった。
悪夢なら、このまま覚めて欲しかった。
「…………」
瞳を真っ赤に腫らし、虚ろの表情を浮かべていた少年の頬を、一粒の雫が流れた。
――安堵と、夢じゃなかったことの自覚、様々な思いから、真っ赤に腫らした瞳から涙が止まらなくなっていた。
「う……うあぁぁっ!」
嗚咽を交えた少年の悲痛の泣き声が室内に響き渡った。
――泣き疲れ、自分の体を抱きしめるように座っている少年は、背後に、何者かの気配を感じた。
両親が戻ってきたのだろうか……。
もはや、少年には、逃げる気力は残ってなく、虚ろな表情のまま、後ろを振り向いた。
「えっ……?」
異様な光景に、少年は思わず声を出した。
そこに立っていたのは、黒い少年だった。比喩表現ではなく、輪郭は少年のようではあるが、まるで、その部分だけをくり抜いたかのように、真っ黒に染まっていたのだ。
目の前に佇む存在を少年だと思ったのは、輪郭だけとはいえ、自分に酷似していると思ったからだ。
黒い少年は、自分に指を差したり、手を振ったりしている。もしかしたら、パントマイムで、自分が何者なのかを説明しようとしたのかもしれない。
だが、少年には、この黒い少年が何者なのか、直感的ではあるが理解していた。そして、それと同時に、少年は拳を握り締めながら、ふらつく体を前に出しながら歩きだしていく。
その様子を見た黒い少年は、面白そうに笑っていたような気がした。
「僕が、必ず――」
歩を進めていく彼の顔からは虚ろな表情は消えており、その瞳には、強い光を宿していた。




