一章 〝出会い〟
八月の初旬、朝からの暑い日差しに道路は熱され、蜃気楼のようにぼやけている。
その暑さがピークに達した昼頃、とある村のバス停に、一台のバスが到着し乗客を降ろしていく。
「暑い……」
乗客の一人、桐生和真は、バスから降りながら、汗をシャツの袖で拭い、照りつける太陽を恨めしそうに見上げながら、くせ毛のある髪をかき分けていく。
バスの中は冷房が効いていて、比較的快適だったが、その反動もあってか、バスから降りると、余計に暑さを感じてしまう。
バスが去って行く様子を見ながら、和真は、バスが通ってきた道を振り返ってみた。
道路から見て両脇には土手があり、土手の下には陽の光を反射して光り輝く川が流れている。
自分が住んでいた所と違い、ビルなどの大型の建物は並んでおらず、代わりに、田んぼが並んでおり、木造で建てられた家々は、民家という言葉がよく合いそうだと和真は考えていた。
「で、何でお前も一緒に来るんだよ?」
元々たれ目気味なことに地味な見た目もあって、不機嫌そうに見られやすくも、あどけなさの残る顔を、暑さのせいで更に不機嫌そうにしながら、和真は、自分の後ろにいる少女へ振り返る。
「何よ? 私が来たら悪いことでもあるの?」
鞍馬春香は、肩に掛かる程度まで伸びた髪と、チェックのスカートを風で揺らしながら、仁王立ちをしていた。
和真と同じ高校に通っており、幼馴染でもある彼女。
スレンダーな体系だが、風に揺らしていたチェックのスカートとピンクのタンクトップ姿は、女の子らしさを出している。軽く吊り上がった目つきも、活発な印象に一役買っており、高校で、かなりの人気者になっているのもうなずける話である。
「ていうか、あんた私に連絡しなかったのはどういうわけよ!」
とは言え、それは一般的な高校男子の話であって、和真からは、口うるさい幼馴染にしか感じない。
「叔父さんから話を聞かなかったら、置いてけぼりにされてたじゃない!」
和真としては、置いていくつもりで話さなかったのだが、そんなことを言っても、いつものように目の前の少女に蹴られるのは予想できるので、黙っていた。
「もういいから、とりあえず旅館に行こうか」
半ば諦め気味に言いながら歩き出す和真に、釈然としない顔で大きなリュックを背負いながら春香も付いていく。
「それにしても、本当に静かな所だな」
春香と一緒に歩きながら、地図を片手に旅館を探す和真。
数分ほど歩いているが、車は走っておらず、見かけるのは、農作業に精を出している村人と、自転車をこいでいる見回りの役員の人ぐらいだった。
「そういえば、和真は何しにここに来たの?」
すれ違う人に挨拶をしながら、春香が和真に質問する。
「何しにって、お前……俺がここに来た理由も知らないで付いてきたのか?」
春香の問いかけに、あきれた様子を見せる和真を見て、春香は口を尖らせながら、不機嫌そうな顔をする。
「だって、黙って付いてくるつもりだったんだから、そんなの知るわけないじゃない!」
ほぼ逆切れに近い言い分だったが、春香の凄みに圧されながら、和真は頭をかきながら、面倒くさそうに口を開く。
「絵を描きに来たんだよ。都会じゃ、どうしても描けるものは限られてしまうからね。それに、静かなところのほうが、集中して描けるし」
自分の背中に背負っている、画材の入ったリュックを指差しながら、和真が説明する。
「へー、そういえば、和真って絵を描くのが好きなんだっけ?」
理由を言ってくれたからか、いつもの調子に戻った春香が、和真の背中を眺めていく。
「別に、好きってわけじゃないよ」
春香の言葉に、神妙な表情になる和真。
「ただ、絵を描いているときは、嫌なことや、そういうのを考えずに済むだけだよ」
和真の表情に気付いた春香は、身を乗り出すように和真を見つめる。
「あんた、時々そういう顔をするよね。ねぇ、あんたの嫌なことって――」
「着いたよ」
春香の声をさえぎるように、和真が旅館を指差していた。
旅館を見て、春香が「わぁ」と、感嘆の声を上げる。
村の様子から、もう少しみすぼらしいものを予想していたのだろうか、高級旅館とまではいかないが、それでも、学生の身分の二人からすれば、十二分すぎるぐらいの立派な旅館であった。
玄関には、灯篭が飾られており、夜中には、灯りが付いて風情が出そうである。庭には、石を敷き詰めて作られた川がある。外観も、旅館らしく和風な作りになっており、趣のある雰囲気が伝わってくる。
「えっと、〝姫野旅館〟……うん、ここで間違いなさそうだ」
旅館の看板を確認して、和真と春香は旅館の中へと入っていく。
旅館内は、外観のイメージに反さない雰囲気で、木材を基調として作られた室内からは、ほのかに木の香りがしていた。
「あら? もしかして、桐生さんのところの子かしら?」
内装を眺めていた二人に、すだれの奥から、着物に身を包んだ、物腰の柔らかそうな女性が姿を現した。
「あ、はい、初めまして、桐生和真と言います。この度は、よろしくお願いします」
相手の穏やかな雰囲気に、自然と和真はお辞儀をしていた。
「礼儀正しくていい子ね。私は、この旅館の女将をしている、姫野真央よ。庚一さんは元気にしているかしら?」
和真の様子を見た真央は、柔和な表情を崩さずに、軽く会釈をしながら、和真の叔父のことを聞いてきた。
「はい、おかげ様で」
当たり障りのない言葉を返す和真に、「そう」と静かに返事をする。
「ところで、庚一さんから二人で来ると聞いていたのだけど、その子がそうなのかしら?」
春香に視線を向けられ、思わず、春香もお辞儀を返すが、すぐに、はっと顔を上げる。
「え? 二人って、私は、えっと……」
とまどった様子を見せる春香に、面白そうに真央が笑顔を向ける。
「庚一さんから、和真君ともう一人女の子が来るはずだって聞かされていたのよ」
余計なことをと思う和真だが、話をつけてくれたということは、春香の宿泊費用は考えなくてもよくなる。
「遠慮しなくていいのよ? 庚一さんとは昔なじみだから、二人ぐらい、大したことはないわよ」
真央の言葉に、春香は「よろしくお願いします」と再びお辞儀をする。
「で、この子は、和真君のガールフレンドなのかしら?」
真央の突然の言葉に、かぁっという音が聞こえそうなぐらいの勢いで、春香の顔が真っ赤に染まる。
「わ、私は、そんなのじゃ――!」
「そうそう、こいつはただのおまけ……うぐっ――!」
顔を真っ赤にして、否定しようとする春香の隣で、和真も一緒に否定しようとするが、春香のひじ打ちをわき腹に受け撃沈する。
二人のやり取りを見て、真央はクスクスと微笑みながら、二人を客間へと案内した。
――真央に案内され、客間へ通じる廊下を歩きながら、和真は、縁側から見える景観を眺める。
日当たりが良く、大きな池には、鯉が優雅な姿で泳いでおり、整地された木々は、季節によっては、きっと、美しい花を咲かせていることだろう。
和真が、そんなことを考えている内に、客間へと到着していた。
「ここが和真君の部屋で、隣が春香ちゃんの部屋ね。それじゃ、ゆっくりしていってね」
お礼を言いながらお辞儀をする和真と春香に別れを告げ、真央は、自分の仕事場へと戻っていった。
「それじゃ、私は、着替えとかあるから、あんたは村の中でも見て回って来なさいよ」
和真の返事も聞かずに、春香は自分の客間に入っていった。
相変わらず、勝手なことを言っていると思いながらも、村の中を見て回る気はあったので、自分の客間に荷物を置いて、和真は、旅館の外に出かけた。
――昼下がり、村の中を歩き回る和真は、村の人気のなさから感じる、ある違和感に気付いた。
子供が見当たらないのだ。農作業の手入れを行っている大人は見かけるが、自分ぐらいの年齢の村人は一切見かけない。
こういう村では、上京などで、若い人が少なくなるという話を、ニュースや新聞で見たことはあるが、それでも、小さな子供が見当たらない理由にはならない。
「あ、あの……」
考え事をしていると、不意に声が聞こえた気がして、和真は、辺りを見回す。整地された広場で、木々が立っている以外は、何も無い。
「す、すみません!」
気のせいかと思い、再び歩き出そうとしていた和真の頭上から声が聞こえ、見上げると、そこには、着物姿の少女が木の枝にしがみついていた。
高さは、三メートルほどだろうか、枝が揺れると「キャッ」と、小さな悲鳴を上げながら、少女の体と一緒に、長くのびた美しい黒髪も揺れている。
「す、すみません、木登りをしていたら、降りられなくなってしまって……あの、よければ、助けてくれませんか?」
目にうっすらと涙を浮かべながら懇願する彼女を見据える和真、見ず知らずの人とはいえ、助けを求められては、ほうっておくことなど出来ない。
しかし、どうするか、木登りは苦手なほうではないが、うかつに登って、二人分の体重で枝が折れてしまう可能性は十分にある。かといって、助けを呼びに行くまで、この枝が耐えられる保証も無い……。
そんなことを和真が考えているあいだに、少女の体重に耐え切れなくなってきたのか、音を鳴らしながら、枝の根元がささくれだってきた。
もう時間がないことを察した和真は、両手を広げる。
「俺が受け止めるから、そこから飛び降りるんだ!」
和真の言葉に、少女は、一瞬躊躇したそぶりを見せるが、目を瞑りながら、意を決して、木の枝から飛び降りた。
「っと!」
長く伸びた美しい黒髪を宙に舞わせながら、飛び降りた少女の姿を見て、腰に力を入れ両手で受け止める和真、しがみついていた態勢から飛び降りたことで、少女を抱きとめる形になる。
抱きとめた少女の髪から、ふわりと石鹸のいい香りがする。背中に回した手が髪に触れると、手入れをしっかりしているのだろうか、手触りがよく、いつまでも触れていたくなるような感覚になる。
木の枝にしがみついていた姿からは分からなかったが、非常に華奢な体つきだ。自分も、決して体つきはいいほうとは言えないが、それでも、自分と比べると、二周りほども小さい。
「あ、あのー」
そんな場違いなことを考えていた和真に、少女が声をかけ、和真は、慌てて彼女の体を離す。
「あっ! ご、ごめん! えっと、け、怪我はなかった?」
頭をかきながら、和真は、彼女の姿を見る。
緊張からか、顔がほんのりと赤く染まっており、長くのびた美しい黒髪は、よく見ると、赤いリボンで後ろを結び、着物の凛とした雰囲気の中にも可愛さを出しており、自然の光沢を放っている黒髪は、着物姿によく似合っていた。
色白の肌と、やはり、華奢な体つきだが、不思議と、不健康さや幼さは感じられず、むしろ浮世離れした魅力を和真は感じていた。
「はい、おかげでこの子も無事でした」
「この子?」
和真が尋ねると、少女が胸で組んでいた手の中から「ぴぃ」という鳴き声が聞こえた。
少女が手を開くと、そこには、ひな鳥が口を開けながら、こちらを見上げていた。見たところ怪我はないようである。和真が、木を見上げると、少女のしがみついていた枝の更に上のほうで、鳥の巣があり、親鳥と思われる鳥が、こちらを見つめている。
「この子、あの巣から落ちたみたいなのです。親の所に戻そうと思ったのですけど、私が降りられなくなってしまって……」
言いながら、先ほどの状態を思い出したのか、少女は恥ずかしさで顔を赤く染めている。
「貸して、俺が戻してくるよ」
木の高さを見て、これなら登れるだろうと思った和真は、少女からひな鳥を受け取ろうとする。やや戸惑った様子を見せたが、少女は「お願いします」と言って、和真にひな鳥を手渡した。
和真は、ひな鳥を胸ポケットに入れ、木の窪みに足をかけながら、最後に登ったのは、いつだったかなと考えながら、登りはじめる。幸い、足をかける場所が多く、足場を確保することは難しくはなかった。順調なペースで登っていき、少女がしがみついていた枝の根元を通り越し、ひな鳥の巣にたどり着いた。
うっかり落としてしまわないように、和真は、慎重に胸ポケットからひな鳥を取り出し、そっと、巣へと返していった。
まるで安否を喜ぶように、親鳥がひな鳥に駆け寄り体をすり寄せていく。その様子を見た和真は、自然と笑みがこぼれていた。
降りるときも、細心の注意を払いながら、和真は、無事に、少女の元に戻ってきた。
「本当に、ありがとうございました」
和真の様子を見ていた少女は、ひな鳥が無事に戻れたことに、控えめな笑顔でお礼を言ってきた。その少女の笑顔に、和真は、つい見惚れてしまった。
「あ……ご、ごめんなさい! 私、助けてくれた人よりも、小鳥のほうに気が行ってしまって……」
和真の視線を勘違いしたのか、少女は、申し訳なさそうに、お辞儀をして謝ってきた。
謝り方にすら、おしとやかさを感じる。
「え? い、いや、気にしてないよ。それよりも、君のほうこそ怪我はしなかったかい?」
謝ってきた彼女の様子に戸惑いながら、和真は、少女の心配をする。
「私は大丈夫です。えっと……」
和真の言葉に、顔を上げて口をつぐむ少女を見て、和真は口を開く。
「あ、俺は、桐生、桐生和真っていうんだ」
「桐生さん、素敵な名前ですね」
和真の名前を聞き、少女は、自分の胸元に手を当てる。
「私は姫野天寧と申します。お怪我はありませんか、桐生さん?」
天寧と名乗った少女に、「大丈夫」と答える和真は、目の前の少女の苗字に聞き覚えがあった。
「ん? 姫野?」
自分が宿泊している旅館と同じ苗字に気付き、和真は、彼女に旅館のことを話した。
「そうだったのですか、偶然ですね。私はあの旅館の娘なのですよ」
笑顔で答える天寧の言葉に、和真は、鼓動が早くなり、胸がざわつくような、言葉では言い表せない、不思議な気持ちになっていた。




