たまごのような恋2
周りの人達から見ると、支樹のことを呼び捨てにするのは生意気だとか、礼儀がなっていないと思う人たちがたくさんいるだろう。
最初の頃はもちろん、呼び捨てにはしなかった。きちんと敬語も使っていた。
今から三年前の春、一人暮らしをしている兄の家に遊びに行ったときに始めて彼と出会った。
玄関に見慣れない靴があることに気づき、お客さんだと思っていた。部屋に入ると、彼が文庫本を読んでいた。初めて会う人だったので、少し戸惑った。
「はじめまして、琴音ちゃん」
そう言った彼を見ると、何度か会ったことがあるような感じだった。
「はじめまして、何で私を知っているのですか?」
慌てて挨拶をした後、抱いていた疑問を彼にぶつけた。
「あれ?俺のことを聞いていない?よく一緒に行動をしているって妹に話しているって、誠一がいっていたのに・・・・・・」
「支樹さん・・・・・・ですか?」
支樹は笑顔で「ビンゴ」と言った。
「いつまでもそんなとこに突っ立っていないで座りな」
兄が小さなテーブルにお菓子とジュースを置いてくれた。
「うん、ありがと」
お菓子の袋を開けて、口の中に入れた。いつもならおいしいと思うのだが、今日はお客さんがいるのでなんだか妙に落ち着かない。
「料理ができるんだよね?」
いきなり声をかけられたので、クッキーの欠片をこぼすところだった。その様子をしっかりと見ていた彼はくすくすと口元に手を当てて笑っていた。
「得意というわけではないですよ、少しだけできる程度です」
少し早口で話した後、ジュースを飲んだ。
「じゃあ、今度作ってもらおうかな」
「はい?」
唐突だなと思った。
「いきなりそんなことをいうか、ふつう」
「いいじゃないか、挨拶だよ」
「どこがだよ」
兄は呆れた顔で支樹を見ていた。
ときどき、こうして兄の家に来ていた。いつもなら一緒にゲームをやったり、勉強を教えてもらったりしているけれど、今日はいつもと違うので、おとなしくお菓子を食べていた。そんな私を見て気になったのか、支樹が声をかけてきた。
「それも食べてみな」
クッキーは一種類ではなく、何種類か袋に入っていた。袋の中を覗き込みながら、クッキーを取り出して一口食べると、なかなか美味しい。
「気に入った?」
「はい」
今まで食べたことがなかったけど、美味しかった。
「ところでさ、琴音ちゃん、学校からここに来たの?」
「はい、そうですよ」
「お疲れ様」
「あ、いえ・・・・・・」
「使わなくていいから」
何を言っているのかわからなかったので、聞こうとするのと同時に、支樹が口を開いた。
「敬語を使わなくていいよ」
敬語じゃなくていいってことは友達と話す感覚でいいってことだよね。正直、まだ少し混乱している。
「いきなりそんなことをいうから、琴音がオロオロしているだろう」
兄が苦笑いをしながら、私の頭に手を置いた。
「そんなに難しいことは言ってないよ」
ジュースを飲んで、少し落ち着かせた。飲んだ後、彼のほうへ向いて、私から話しかけてみた。
「支樹さんも今日、遊びに?」
「ストップ」
彼の顔を覗き込んでいると、彼がこういった。
「あのさ、支樹さんって言わなくていい、呼び捨てにして」
「いいのですか?」
「さっき、人の話を聞いていた?」
思わず、首を傾げた。すると、彼は溜息を吐いた。
「だから、敬語はいらない」
ほかの後輩達にもこのようなことを言っているのだろうか。
「わかった。支樹」
そう言うと、支樹は満足そうに笑った。
「俺はさ・・・・・・」
「ん?」
「今日、テスト勉強のために、ここに来た」
さっきの質問の答え。テスト勉強。たしか、テストは一ヶ月以上前からって前に兄が言っていた。
小さなテーブルにノートと教科書、筆記用具などがあり、その下には、鞄が置いてある。
「支樹、そろそろ、勉強を再開しないか?」
「これもうまいよ、ほら」
彼はひたすらクッキーを与えていた。あんまり食べ過ぎると、夕飯を食べることが出来なくなる。
「気に入った?」
「うん!」
「支樹、お前は何をしているのだよ」
兄をそれほど気にとめないで、すました表情をしていた。
「勉強?」
「嘘を吐くな、さっきまできちんとやっていただろう。おい、どうにかしろよ」
「何で私が?遊びに来ただけなのに・・・・・・」
なんで怒られなきゃいけないのか理解できない。
「電話してこなかったよな?」
「そ、それは・・・・・・」
いつも兄の家にこうしてくるときは電話なんてしていない。何曜日にバイトをするのかとかわかっているから、そんな必要はない。たとえ、ほかに用事があったとしても、合鍵があるから大丈夫。
「そんな、お兄ちゃんの行動は大体読めているから」
「おい、どういう意味だ?」
「ところで、私が来るまでどれくらい勉強をしていたの?」
兄は顎に手を当てて、ほんの少し考えていた。
「一時間」
それってしたうちにあんまりならない。学生なのだからもう少し真面目にすればいいのに。
そう考えていると、携帯電話の着信音が鳴った。これは支樹のものだとすぐにわかった。メールのようだが、彼はきちんと見ないで、そのままパタンと閉じた。
「アドレスを交換しようか」
「あ、ごめんなさい。携帯を持っていない」
それをきいた彼は驚いていた。当然のリアクションかな。昔はそんな便利なものはなかったけれど、現在では持っていて当たり前なのだから。持っていないことは今となっては、とても珍しいことだ。
「何か悪さをして買ってもらえなかったのか?」
「ううん。そうじゃない。必要性を感じないから」
返答にさっきより驚いた表情に変わった。
「じゃあ、これからもときどき、ここに来ようかな」
立ち上がり、鞄を持って、部屋を出ようとした。
「帰るのか?」
「あぁ、あんまり遅くまでいるわけにはいかないだろ。もう夕飯時だしな」
確かに時計を見ると、遅い時間だ。玄関まで送ろうと、私も立ち上がろうとしたときだった。
「良かったら、食べていかないか?琴音が準備するから」
キッチンをちゃんと見ていなかったので、そのあたりは把握していなかった。
「ちょっと、材料は?」
「あるから心配ない」
「お兄ちゃん、今から作っていたら、時間がかかるよ」
もちろん、何を作るのかにもよるが、簡単なものを作ったとしても、三十分以上はかかってしまう。
「あっちに行ってみればわかる」
兄はキッチンを指さした。キッチンに足を踏み入れると、鍋が置いてあることを発見した。中身を見てみると、たくさんの煮物が入っていた。おそらく、今日、帰ってきてすぐに作ったのだろう。たった今、気がついたが、炊飯器には炊き込みご飯があった。
「じゃあ、準備をするね。少しだけ待っていて」
煮物を温めている間に、器や茶碗などをテーブルに並べていく。兄が作っていてくれていたので、すぐに食べることができる。
「できたよ。食べよう」
椅子に座ろうとすると、支樹が近づいてきたので、どうしたのだろうと思っていると、耳元でささやいた。
「いい匂いだな」
低い声に思わず、手が震えた。
「な、何が?」
「夕飯。期待した?」
くすっと笑いながら、顔を覗き込んでくる。慌てて彼から離れた。
「何に?煮物の事だってわかっていたよ」
「そう?」
「あ、それともご飯かな。こっちも美味しそうに炊けているから」
「今日は誠一が作ったものだけど、今度は琴音が作ったものがいいな」
「またの機会に」
「なぁ、今度はいつこっちに来る予定?」
いつにするかは決めていない。気紛れに来ているからね。
「たぶん、お兄ちゃんのバイトがない日とか」
曖昧な返事をしたなと思った。
「じゃあ、そのときに俺も来ればいいのか」
なるほどと一人で納得をしていた。
そんなに私の料理が食べたいのかな。料理にはかなりの自信がありますっていうわけでもないのに。
そう思っていたが、今のうちにたくさん練習をすればいいかと思い直した。
グッと両手を握りこぶしにしていると、視線を感じた。
「そんなに気合を入れてくれると、嬉しくなるな」
「美味しいものを作るから覚悟しておいてね」
「了解」
「なんだ、すぐに仲良くなっているな。お前ら」
兄が交互に見ながら言うと、支樹が頷いた。
はじめに彼を見たときも思ったけど、綺麗に笑う人だな。
「どうした?じっと見て」
気がついたら、ずっと支樹の顔を見続けていたみたい。
「学校でもてるだろうなと思って・・・・・・」
「結構支樹はモテるよな。女子がいつも見ているし、告白だってされる」
「どうでもいいよ。興味ない」
支樹はあっさりと切り捨てた。
「あーあ、どこかに可愛い女の子はいないかな?」
「琴音は駄目」
「俺はただ見ていただけ」
困惑する私を放っておいて、言い合いを始めていた。
「ほら、ご飯を食べよう。冷めちゃうよ」
兄はまだ支樹を睨みつけていたが、支樹はお構いなしといった感じだった。
夕飯を食べ終わって、片付けをしていたところ、支樹が手伝おうとしてくれたが、やんわりと断った。皿洗いをしながら、支樹のことを考えた。よく見ると、かっこいい人。
年も離れていて、学校も違うので、会うことはそんなにないだろうとまだこのときは思っていた。




