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ゴールデン・ウイーク・シャッフル  作者: 中山恵一


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河合園観光(裏)


「うーん、これってさ、裏を書けない?」


『裏? と言いますと?』


「んだから、こういう感じで40年前、普通のホテルマンで

 今は、ダイニング・バーの経営者ってかマスター

 って人の昔話ってのじゃなくてさ


 社会人になってから、グレて不良中年になった

 裏社会の人間の物語。その方が面白くね?」


『そういうもんなんすか?』


「そういうもんだって」



・・・




刑務所の面会室。冷ややかなアクリルの向こう側に座る男の背後には、まるで時間を忘れさせたかのような重苦しい沈黙が張り付いていた。


弁護士の久野(くの)は、手元のノートパソコンを開き、そこに書き殴られた事件の概要と、男がこれまでに語った断片的な経歴を静かに見下ろした。チャイナ・マフィアの麻薬密輸、リゾート不動産のリフォーム会社、そして半グレの元締めだった杉田という男の下働き。


「――で、杉田ですか」


久野が呟くと、囚人服に身を包んだ男は乾いた笑いを漏らし、自分の手のひらをじっと見つめた。そこには、かつて土木現場や歓楽街の宴会芸で酷使され、そしてバブルの狂騒の中でカネを動かし続けた名残が、かすかに刻まれているようだった。


「先生、不思議だと思いませんか?」男はかすれた声で言った。


「俺はただ、上司の言う通りに動いていただけで、自分が犯罪に加担しているなんて微塵も思っていなかった。……いや、思いたくなかったのかもしれません。でも、あの杉田が、どうして最終的にチャイナ・マフィアの手先になんて成り下がっちまったのか。


……あの男の生き様をたどっていくと、すべては、あの1981年の『河合園観光』に入社した日から始まっていたような気がするんです」


久野はペンの先をノートの余白に置いた。バブルという巨大な幻影に踊らされ、暴力団の企業舎弟に嵌め込まれ、いつの間にか底なし沼へと引きずり込まれていった男たちの物語。その真相へと至る扉が、今、静かに開かれようとしていた。



・・・



弁護士の久野は、差し出された資料と、目の前の男――チャイナ・マフィアの事件で逮捕された男が語る言葉の続きを、静かにノートに書き留めていた。


1981年、最底辺高校の飲食学科を出たばかりの若者が、「気合いと根性」という言葉だけに縋って飛び込んだ河合園観光。そこは会社組織というよりも、歪んだ上下関係と理不尽な暴虐が支配する「猿山」だった。


「指示通りに動けば『空気を読め』と怒鳴られ、自分で動けば『勝手なことをするな』と殴られる。……逃げ場のないあの地獄のような社員寮とホテルの厨房で、俺は『考えること』を完全に放棄させられたんです」


男は自嘲気味に鼻で笑う。


「でも、ホテルのキッチンから追い出された1983年の春、配属されたリゾート観光営業の部署は、もっと狂っていた。そこにあったのは料理の腕前でも客へのサービス精神でもなく、ただ『カネになるなら何でもやる』という剥き出しの狂気でした」


ゴルフ会員権、リゾートマンションのブローカー、ノンバンクからの資金調達、海外不動産の投機、そして為替や有価証券の先物取引――。折からの財テクブーム、そして中産階級から中小企業のオーナーまでが狂奔したバブル前夜の狂騒曲。


国中が「カネに働かせる」こと酔いしれていたその中心で、先輩たちにしごかれた「体育会系の理不尽な縦社会への順応」と「思考停止の指示待ち」という歪んだスキルだけが、なぜかその世界で奇跡的に噛み合ってしまった。


「気づいた時には、大学を出たエリート崩れの連中すら俺の下で使っていた。1984年、日経平均が1万円台に乗ったあの頃、俺はすでに杉田という半グレ経営者の手駒として、ブローカーのマネージャーにまで祭り上げられていたんです」


久野はペンの動きを止め、アクリル板の向こう側にいる男の目をじっと見据えた。「そこから先、バブルがはじけて会社が闇に沈み、あの男――杉田はなぜチャイナ・マフィアと手を組むことになった? その経緯をもう少し詳しく聞かせてもらいましょうか。事実を知っておかないと、いけないのでね」


物語は、狂った時代の歯車がさらに深く噛み合い始める、破滅への助走へと入っていく。



・・・


弁護士の久野は、差し出された手元の資料から顔を上げ、目の前で静かに語る男を見据えた。バブルの狂騒から始まった物語は、ついにその闇の核心――なぜあの男たちが国際的な犯罪組織の歯車へと堕ちていったのかという、歴史の裏面へとたどり着こうとしていた。


「――チャイナ・マフィアとの縁は、最近になって出来たもんじゃないんです」


男は乾いた唇を舐め、遠い過去を思い出すように視線を宙に泳がせた。


「河合園観光が創業した、1948年頃にまで遡るそうです。中国大陸の混乱から逃れ、戦後のドサクサですっからかんだった東京に流れ着いた者たちがいた。その中には、のちに河合園観光ホテルとなる店に入り込み、当時の華僑や初期のチャイナ・マフィアと太いパイプを作っていた連中がいた。……そういう血と黒い歴史が、あの会社の奥深くにずっとこびりついていたんです」


1980年代の終わりから1990年頃にかけて、世界は日本発の狂気――いわゆる「トーキョー・カミカゼ・バブル」に酔いしれていた。あの頃はまだ、東京の闇を牛耳る日本側の人間や、日本に根を張る古い華僑たちが主導権を握っていた。しかし、時代はその足元から音を立てて崩れていく。


1998年頃:アジア通貨危機による経済の急冷


2000年頃:ITバブルの崩壊とそれに伴うマネーフローの変質


2000年代前半:メガバンクの再編騒動と、それに付随する不良債権の徹底的な大掃除


日本のバブルが完全にはじけ、国内の金融・経済システムがクリーン化、あるいは硬直化していくにつれて、権力の力学は決定的な変化を迎えた。東京にいた古くからの華僑やそれに協力していた日本のヤクザから、本拠地である香港や上海に居を構える巨大な華僑資本、そして容赦のない「チャイナ・マフィア」「黒社会」の組織そのものへと、主導権が完全にシフトしていったのだ。


「日本のまともな大企業や銀行が、あんな危うい連中を相手にするわけがありません。行き場を失い、シノギをすっかり干からびさせた杉田のような半グレ経営者たちは、生き残るためにその新しい『海外の主人』にすり寄るしかなかった」


男は自嘲気味に肩を揺すった。


「今の若い連中が『闇バイト』とか何とかで簡単に引きずり込まれるのと同じです。俺たちも結局は、時代が変わっても使い捨てられるだけの、ちっぽけな手駒にすぎなかったってことですよ」


アクリル板の向こうで、男はふっと息を吐き出した。戦後の混乱期に産声を上げ、バブルの狂騒で膨れ上がり、そしてアジア全体の裏社会の荒波に呑み込まれて消えていった河合園観光と杉田の末路。すべてのピースが噛み合った今、久野は静かにペンを置き、男に問いかけた。


「……なるほど。その構造のなかで、あなた自身は具体的にどんな『貿易の仕事』に組み込まれていったんですか? 麻薬の密輸に直結するまでの経緯を、もう少し詳しく聞かせてもらいましょうか」




弁護士の久野は、差し出された手元の資料に視線を落としつつ、目の前の男が語り出す「2003年頃の再会」の記憶に耳を傾けた。


ITバブルの崩壊とともに仕事が消え、失業者の群れに放り出されていた男。金に飢えたその足が向かったのは、かつて自分をこき使っていた半グレ経営者・杉田が主催する「中国投資セミナー」だった。時代はちょうど、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)という言葉がもてはやされ、世界中のマネーが中国大陸へと向かっていた黎明期――リーマン・ショック(2008年)の足音が聞こえる直前のことである。


「……なるほど、そこで再び杉田と繋がったわけですか」


久野の呟きに、男は乾いた笑みを浮かべた。


「ええ。藁にもすがる思いで行ったそのセミナーで、杉田は得意満面で上海から来たという中国人の男を紹介してきたんです。それが、すべての始まりでした。『これからは中国の時代だ、貿易で一攫千金だ』って言われて、その中国人が経営する貿易会社に飛び込んだ。最初は、本当に普通の商社だと思っていたんです」


男が語る初期のシノギは、極めて地味で手堅いものに見えた。東南アジアの漁港を回り、豚の配合飼料に使われる安価な魚粉や、日本国内の食品加工で使われる調理用のダシ用魚粉などを買い付け、国内の需要家へ高値で売りさばく。一見すると、どこにでもあるような泥臭い食品卸・水産物の流通ビジネスだった。


「豚のエサから料理のダシまで、扱っているモノ自体は至ってまともでした。だから、俺も疑わなかった。裏社会の人間が絡んでいるなんて夢にも思わず、ただ『金になる仕事』に食らいついていただけなんです。……あの時は、それがまさか、巨大な麻薬密輸組織の巨大な隠れ蓑(フロント)だなんて、想像もしませんでしたよ」


男はそう言って、再び冷たいアクリル板の向こうでうなだれた。表向きの「魚粉の貿易」という堅実な商取引の裏側で、いかにしてチャイナ・マフィアの闇のルートへと絡め取られていったのか。久野は静かにペンを走らせ、その先の告白を促すように男の顔を見据えた。


「まさか、魚粉の中に麻薬が混ざっているだなんて思ってもいなかったんです。」


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