河合園観光
今回の御題は昭和バブル、ひょっとすると同じような事が起こるかもしれないんで、昔の事件を参考にした何かを書いてみて、まずは概要ってか、あらすじで、いけるって思ったのには広げて膨らましてって連絡するから
そーんな連絡を受けて書いてみた。
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1986年、大学卒業後に買ったスーツの袖を通し、「河合園観光株式会社」の入社式へと足を踏み入れた。同期入社の面々と緊張した面持ちでパイプ椅子に腰掛けると、前方のステージに設置された巨大なスクリーンがうす暗くなり、重々しいBGMとともに会社の歴史フィルムが上映され始めた。独特のくぐもったフィルムの音とともに、厳かなナレーションがホール全体に響き渡る。
「我が社、河合園観光株式会社は、1948年に創業した上場企業です。我が社の象徴とも言える河合園観光ホテルの前身は、石川県の料亭経営者だった創業家の河合力蔵が1938年に開いた高級中華料理店『中華殿』。敗戦後のどさくさにまぎれて、中華殿には在日朝鮮人や中国人、今で言うチャイナ・マフィアやコリアン・マフィアが入り込み、店を占拠するようになり河合家は迷惑を被っていたが、園田國三が追い出したことで同家の信頼を得て店長となりました。
戦後まもなく、河合力蔵が亡くなり河合家で相続争いが起こり、その際にこの『中華殿』を1948年に改装しホテルにしました。ホテルの創業者は園田國三。園田が河合家から独立したことで、目黒河合園と河合園観光は経営が別々になりましたが今も良好な提携関係を保っています。
開業後しばらく、河合園観光ホテルは進駐軍の社交場として使われるようになり、当時は首都圏において1・2位を争うと称されるほど評判が高く。当時の羽振りがよかった進駐軍が、米ドル支払いで利用していた事で好調に経営されました。
――(中略)――
1984年に惜しまれながら創業者の園田國三が亡くなりましたが、國三の奥様であったミツコ取締役が河合園観光、子会社の大日本ヤマト観光の2社を仕切り、経営状況は良好な状態です。」
マフィアとの抗争やら進駐軍のドル払いやら、昭和の激動をダイジェストにしたような映画さながらのエピソードが淡々と語られていく。
(……すごい歴史だな。マフィアっておいおい、映画のワンシーンみたいじゃないか)
薄暗いホールの中、あまりのスケールの大きさに圧倒されながら、私は内心でぽかんと口を開けていた。戦前の高級中華から進駐軍の社交場への変貌、そして今や上場企業。めまぐるしい過去の変遷を聞きながら、私はぼんやりと考えていた。
――まあ、これだけ歴史のある会社だ。今日明日あたりは本社でみっちりビジネスマナーを叩き込まれて、それから各部署への配属や丁寧な社内研修が待っているんだろうな、と。
しかし、その甘い予測は、フィルムがプツリと途切れた瞬間に音を立てて打ち砕かれることになった。
電気がパッと明るく戻ったステージの上、人事部長の険しい顔をした男がマイクの前に立ち、低く響く声でこう言い放ったのだ。
「――以上が我が社の歴史だ。なお、本年度の新入社員に対する社内研修や座学の予定は一切ない。
全員、明日からそれぞれの現場へ直ちに出向いてもらう」
ざわめきが一瞬でホールを支配した。えっ、と隣の同期が間抜けな声を漏らす。研修なし。いきなり現場。私たちの社会人生活は、予想の斜め上を行くカオスな最前線から、音もなく幕を開けたのだった。
・・・
1987年の初夏。目黒「河合園観光ホテル」の薄暗い休憩室。
制服のネクタイを緩めた20代の若い社員たちが愚痴をこぼし合っている。
「……でさ、今年のゴールデンウィークのあのバタバタした最中に、俺たちからすりゃ雲の上の存在だった経営陣がまるごと代わっただろ。あの、ゴーンスパークグループってところの代表――鷹田保次ってオッサンが会長に座って、その部下の松本なんとかってのが社長になったっていう」
「あぁ、あのニュースで名前だけ聞いたような……。なんですか、あの人たち。うちの会社、ただでさえ底地は目黒河合園のもんで、建物しかねえわ、その所有権だって国有地とごちゃ混ぜでよく分かんないボロボロの状態なのに、何が悲しくてそんなヤバい連中に買われたんですかね」
「バカだな、そこがミソよ。連中が狙ったのはうちの会社単体じゃねぇんだよ。……おい、ちょっとグラス貸せ」
グラスにビールを注ぎ足すと、声をひそめて話し始めた。
「奴らはな、1980年代半ばからのバブルの好景気に乗っかって、不動産の地上げで土地を転がしたり、株の買い占めで企業を乗っ取る『会社荒らし』の仕手集団だ。……『ゴーンスパーク』ってな。で、あいつらが本当の標的にしてたのは、隣の『大日本ヤマト観光』なんだよ」
「大日本ヤマト観光……? あの、河合園観光と兄弟会社みたいなところで、列島改造ブームのおかげで莫大な資産を持ってるっていう、あの?」
「そう。河合園観光は昔こそ良かったけど、いまやジリ貧のドン底だろ?でも、うちの会社は『大日本ヤマト観光』の大株主だった。つまり、うちの株を買い占めて経営権を奪えば、そっくりそのままヤマト観光の資産にも手が届くって寸法よ。やり方がメチャクチャだろ」
「でも、創業者の園田一族のミツコ取締役がずっと会社を仕切ってたんですよね? そんな簡単に乗っ取れるもんなんですか?」
「そこが運の尽きよ。1984年に創業者の園田國三さんが亡くなってから、ミツコ取締役が実権を握ってたんだけど、そのあとヤマト観光の中で内紛が起きたんだよ。ゴーンスパークはその内紛の隙を突いて、ヤマト観光の専務をうまく抱き込みやがった。結果的に、河合園観光の発行済み株式の約8割――約2,200万株をゴーンスパーク側に握られて、経営権を奪われちまったのさ」
「ミツコ取締役だって、自分の息のかかった人間をヤマト観光の副社長に据えて必死に抵抗したらしいけどな。……まあ、旧経営陣とゴーンスパーク派の対立で、現場の俺たちは毎日ピリピリしっぱなしだ。あんな連中、とっとと会社から消えてくれねぇかな」
・・・
時は流れ、夏休み、秋の彼岸の繁忙期をすぎ、世間が激動の渦に巻き込まれた頃。
1987年10月――歴史的な株価大暴落、「ブラックマンデー」が起きた。集まった若手社員の表情には、以前のような愚痴を通り越した、冷や汗が滲んでいた。
「おい、聞いたか……? あのブラックマンデーとやらで、ゴーンスパークが買い占めまくってたリゾート観光関連株が、大暴落したらしいぞ」
「……はっ、いい気味だ。仕手戦なんてやってるからバチが当たるんだよ。自業自得だろ、あんな連中」
「でも先輩、笑い事じゃないらしいですよ。ゴーンスパークの連中、株の暴落でできた莫大な損失の穴埋めをするために、河合園観光の手形を乱発しまくってるって噂です……。もううちの会社の株価なんて下がりっぱなしで、手の施しようがないって……」
「手形の乱発……!? それって、マジでやばいんじゃねえのか? このままじゃ不渡り出して、会社が本当に潰れるぞ……!」
「ああ、もう手遅れかもしれないな。最近、会社にやってくる債権者を見てみろよ。金政留だの西野洋だの……あのゴーンスパークの連中よりも、さらに目つきの鋭い、どう見ても裏の臭いがするヤバいオッサンたちが毎日のように出入りしてるだろ」
「ひっ……名前からして絶対に関わりたくないタイプじゃないですか……」
「自分たちが会社に出資した資金だってどうなるかわかんないんだぞ。このままじゃ共倒れだ……。債権者たちも自分たちの金を回収するのに必死で、1988年の2月から、怪しいオッサンの代表格な金政留とかいうのが経営に参画しちまうんだからな」
「で、さらに『吉田寿永光』っていう有名な地上げ屋までが取締役だ。……お前ら、こないだの朝礼の社内放送テレビ見たか?その吉田が、満面の笑みで言ってただろ」
「なんて言ってたんですか? その時、当番で見てませんでした」
「『河合園観光ホテルの土地のうち、国有地になっている部分は、政治家の口利きで民間へ払い下げさせる! 所有権の問題をきれいさっぱりクリアにして、うちでリゾート再開発をするんだ!』ってよ」
「はあ……? 底地は目黒河合園のもんで、建物だって怪しいのに、政治家の口利きで国有地をどうにかするって……それもう、ホテル経営じゃなくて、完全に裏社会の不動産ブローカーのセリフじゃねぇか」
「この会社・・・どうなってしまうんでしょうね、入社した時は安定大企業と言われていたのに……」
そして、季節は過ぎて翌年、狂乱の夏。1988年8月の繁忙期の真っ只中、事態は誰も想像していなかった最悪の形で、全国に知れ渡ることになる。
「おい……お前ら、テレビ見たか? 朝のニュース……!」
「どうしたんだよ、そんな青い顔して」
「うちの会社の名前が……『河合園観光』の名前が、全国放送のニュースで流れたんだよ!」
「えっ……? 倒産ですか!?」
「倒産じゃねえよ……。鷹田会長が……失踪した!」
「……は? 鷹田会長が?」
「8月12日の朝、新大阪駅で秘書に『俺は一人で東京に行くから、おまえは帰っていい』って言い残して、新幹線に乗ったきり行方不明だってよ。東京へ行く途中で、名古屋の結婚式に出席するために 途中下車するはずだったのに、会場にも現れなくて、それっきり連絡が取れないってテレビで騒がれている」
「な、なにそれ……失踪事件じゃないですか……!」
「名古屋駅で降りる前に、岐阜羽島駅あたりで東海地方の『いかつい連中』―― つまり暴力団員に連れ去られたって目撃証言もあるらしい」
「やっぱりな……。ゴーンスパーク関連の借金とか、裏社会の面倒な連中に負債を抱えさせたトラブルで、損失補填をするような金も無くて消されたっていうか……殺されたんだよ、きっと」
そこにいる皆の背筋には、冷たいものがゾクゾクと走り抜けていた。
「……先輩、俺たち、こんな会社に大丈夫なんですかね……?」
「大丈夫なわけねぇだろ……。ゴーンスパークだって、もう時間の問題だって噂だ。……おい、心の準備だけはしとけよ。この会社、もう長くないかもしれねぇからな」
その予感は的中する。この年の11月2日、ゴーンスパークは大阪地方裁判所から破産宣告を受け、完全に崩壊。河合園観光を含めた同社所有の株は、すべて裏社会の闇の中へと流出していくこととなるのだった。
・・・
それから、40年ちかくの時が流れた
とある地方都市の片隅、あるいはかつての華やかさが薄れた温泉街の路地裏。落ち着いた照明のレストランで、カウンターの向こうからグラスを磨く元ホテルマンの店主が、常連客にぽつりぽつりと昔話を語り始める。
「いやあ、今の若い子たちには信じられないだろうねぇ。あの頃は何もかもが狂っていたというか、バブルの残り香がまだ毒々しく漂っていた時代だったよ」
グラスをクロスで拭いながら、店主は苦笑いを浮かべ、カウンターの向こうの客に目を向けた。
「君、河合園観光なんて会社、名前を聞いたこともないだろ? 今じゃすっかり昔の、それも誰の記憶にも残っちゃいない黒歴史さ。だけどね、あの平成の初め頃、あの会社と、その裏にいた『ヨシマン商事』って名前は、連日のようにワイドショーや経済誌のトップを飾っていたんだよ」
客が手元のグラスを傾けると、店主は少し声を落として話を続けた。
「始まりは1990年の1月だったか……。経営不振に陥っていた河合園観光が、ヨシマンの支援を受けて再建案をブチ上げたんだ。当時のヨシマンなんてのは、もう金になるなら何にでも手を出す文字通りの何でも屋さ。東京・南青山の地上げだの、居酒屋チェーンの乗っ取りだの、果ては霊感商法の関連企業への巨額融資に、ノンバンクを通したパチンコや性風俗産業への資金提供……。眉をひそめるどころか、世間の目を完全に引ん剥くようなきな臭いビジネスばかりやってのけていた」
「そんなところに大株主になられたら、まともな経営ができるわけがない。翌月には111億円もの第三者割当増資を引き受けてさ。もう会社の実権は完全にヨシマンに握られていた。現場で働く我々ホテルマンからすれば、足元がどんどん崩れていくような恐怖しかなかったね」
店主は小さく息をつき、遠い目をした。
「案の定、翌1991年の4月には大阪地検と府警が動いた。世に言う『ヨシマン事件』の不正取引の一斉捜索さ。あの時の緊迫感といったらなかったよ。現場の人間はただ振り回されるだけで、株価なんてめちゃくちゃだった。1992年の夏には500円台だった河合園観光の株が、監査法人による粉飾決算報道で11月には100円ちょっとまで急降下。最後の悪あがきか、下旬に200円台まで戻したものの、年末にはあっさり100円を割り込んでおしまいだ」
「その後も関係者や債権者が右往左往して再建策を出したり増資を試みたりしたけどね……タイミング悪く、不動産バブルが弾けて世の中は一気に不景気。リゾート観光業界全体が冷え切っている最中だったから、やったことすべてが空回り。救いようがなかったね」
グラスを置く音が、静かな店内に小さく響いた。
「一番恐ろしかったのは、そのあとさ。ヨシマン事件の不祥事のせいで、メインバンクだった山和銀行の会長が引責辞任に追い込まれた。それだけじゃ済まなかった。1993年からは山和銀行のグループ幹部宅を狙った襲撃事件が10件以上も相次ぎ、横浜駅前の支店には銃弾まで撃ち込まれたんだから。そして極めつきが、1994年9月の山和銀行名古屋支店長射殺事件だよ。ヨシマン事件の首謀者を裏で支援していたのが他ならぬ名古屋支店だったからね……『あぁ、これは裏社会の見せしめ報復なんだ』って、世間中が震え上がった瞬間だったよ」
店主はそこで言葉を切り、フッと肩の力を抜いたように笑った。
「それから少しずつ、形骸化した会社が解体されていった。事件から5年経った1997年の1月には、あの河合園ホテルの建物もついに取り壊されてね。同年5月には上場廃止、会社も休眠手続きさ。名前を変え、河合園観光ホールディングスになり、最終的には東北の方へと本店が移されていった……。ま、これがバブルの幻に踊らされ、暴力と金の泥沼に沈んでいった、かつての一大リゾート計画の末路さ」
「……さて、昔話はこれくらいにして、お代わりはどうだい? 今夜はもう少し、穏やかなお酒にしようじゃないか」




