第25章 『正しい』中学生は
それから何日くらい、『海底神殿』でレベル上げをしただろう。あたし達のレベルは66まで上がった。ラスボスの適正レベルは70くらいだから、まぁ、これからいくつか残りのダンジョンを回れば、足りるだろう。
だいたい、ラスボス倒さなくてもいいんだよね。もうすこしストーリーを進めれば、ラスボス・ニルズベルグを追い詰める為に、あたし達が界の狭間に乗り込んで行くことになる。
そこで、現実? っていうか、地球? への帰り道を探せば良いんだ。
帰り道があるかは、うーん、もう、あるって信じるしかない。
あたし達は粛々とストーリーを進めていく。少しずつ、ダンジョンが『広がっている』という報告が、世界各地から上がって来る。ダンジョンに呑み込まれてしまった小さな村もあるという。それは、すべて、ニルズベルグの陰謀だ。ダンジョンを、異世界を広げることで、この世界を侵略している。
そのやり方は、何て言うか――そう、地球温暖化みたいな。ひたひたと確実に、でも個人には抗い様もなく続いて行く、諦めるしかない様な、自分には関係ないと笑うしかない様な、そういうやり方だった。
だけど、主人公達は――つまるところ、あたし達は、諦めないのだ。世界を、救っちゃうのだ。むふふー。ってあれ?
あたし達が、二ルズベルグを倒さないで、元の世界に戻っちゃったら。
そうしたら、この世界はどうなるの?
この世界は、灰クロの紛い物で作り物で偽物で、本物の世界が遠くにある。そういう、気分。だけど。
でも。
ジャスミンは? モーガン先生は? ローゼン先生は? リリアン先生は? 学生寮の寮母さんは? モルゲンロート学園の他学年の生徒は? ウツシヨの子供たちは? アトランティスの人々は?
どうなるの?
そんなの、現実の、本物の世界に生きるあたし達には関係ないこと? この世界の人間が自力でどうにかするべき?
わ。
……分かんない。なぁ。
二ルズベルグを倒してから帰ればいい? とは行かないんだな。確か。二ルズベルグを倒した時点で、二ルズベルグが構築していた『界の狭間』は崩壊してしまう。エンディングは、何とか『界の狭間』から抜け出したらしい主人公達が、モルゲンロート学園の保健室で目を覚ます所から始まる。
だから。
だからえーと。
選べるのは、どちらかだけで。
あたし達は、あたし達の為に、この世界を見捨てなきゃ、いけない。
ぐぅ。
どんなにこの世界が魅力的で、飛竜の上から見た景色が綺麗で、宿で出されるご飯が美味しくて、人々が優しくて、あたし達は勇敢な冒険者で、世界を救ってと祈られていて、も。
あたし達は、この世界の人間じゃない。今は、小人族とか妖精族とか竜人族とか豹頭族とか天使族とか、髪の真っ白な人間種族とか、そういう姿になっちゃってるけど。でも、違うんだ。
あたし達は、本当は地方都市の、まだ何者でもない、つまんない中学生で。でも、両親とか周りの人に、うんと愛されていなくても、それなりに大事にされて、幸運にも怪我も無く、大きな病気もせずに育ってきた、そういう生き物なんだ。
だから、帰るのは、きっと、あたし達の権利で、義務だ。
あたし達は、この世界ではなくて、本当の、あっちの世界で、何者かにならなきゃいけない。
あたしは少しだけ笑った。
笑えば、もう少し歩けるような気がした。
「ユカちゃん? どうしたの?」
そしたら不審だったらしい。『海底神殿』の薄暗くて、でも神殿の名の通り、白くて長い柱が何本も建っている広間で、サキちゃんが不思議そうに問いかけて来る。あたしは正直に答えた。
「……早く帰らないと、いけないんだなぁって、思って」
「そうだね、わたし達が『界の狭間』に行くのを待ってる子も多いって聞くし」
サキちゃんはさらりと答える。
そうなんだ。
聞くし、って、やっぱりカズキから聞いたんだよね。えーと、んーと、あたしは知らなかったし。いや、あたしだってケントと2人で話したり、アキラと2人で話したり、することもあるけどね!?
「……ん」
そういう諸々を飲み込んで、あたしは頷く。
ねぇねぇ2人ってどうなのー!? とは、聞けない。聞けたら、何か変わるのかな。思ったことを口に出来たら、何か世界は変わるのかな。うざったいって、思われるだけかな。
まぁ、ケースバイケースかな。
「帰るのさー、あのさー」
「どうしたの?」
ケントが何かを言い出したので、あたしが応じても、ケントはすぐには口を開こうとしなかった。しばらくしてから言った。
「……オレだけ、遅く帰るとか、出来るかな。や、ユカもこんなこと聞かれても困るかもだけど。なんつーか、参考までにっていうか」
「ケントだけ、遅く帰る」
あたしは鸚鵡みたいにその言葉を繰り返す。その手があったか!? でも、遅くってどれくらい?
ケントは、少し恥ずかしそうに、笑った。
「……オレさ。この世界が、灰クロ? って、ゲームの世界だって、分かってるよ。分かってんだけどさ、なんかさぁ……世界を救ってくれとか、頼まれちゃってさ。なんつーかさ、期待? されちゃって? そういうのってさ、オレ、今まで人生で1回もなかったんだよね。オレさ、元の世界? 現実? みたいな、ところではさ、兄貴がいてさ。出来が、いーんだよね。兄貴。何でも出来るし、爽やかスポーツマン? みたいな感じで。ちょっとカズキに似てっかな。そんな兄貴に比べたら、オレなんてオタクだしさ、調子が良いだけで、成績だって下から数えた方が早いし。なんつーかさ、無かったんだよ。こんな事。今日まで1回だって」
それは、内緒話のような調子だった。大きくはない声だった。だけど、あたしは――ううん、あたしだけじゃない、あたし達の誰も、決して聞き逃さないだろうなと思うような、声だった。
「この世界、救いてーなって、思ってさ。思っちゃっててさ。急いで『界の狭間』行って、みんなと帰って。それが正しい中学生なんだろうけど。だけど、オレ、オレ……何か、こんなの変かも知んないけど。オレ達、勝手に? つーか無理矢理? ここに連れて来られてさ。わけ分んなくてさ。この世界を恨むのが正しいのかも知んないけど――だけど、この世界、すっげー綺麗じゃん。優しい人も、いっぱいいるじゃん」
あたしだって、そうしたいよ!
あたしは喚きそうになって、ぎゅぅっと目を瞑る。あたしだって。あたしだって!
――だけど!
ソウマが、代わりに言ってくれた。いつも通りの、平坦な、落ち着いた、声で。
「無理だな。ラスボス・二ルズベルグを倒すと、『界の狭間』が崩壊する。二ルズベルグを倒したら、おそらく元の世界――地球に繋がる道も崩壊する。だから、この世界を救って、地球に帰ることは、出来ない」
言い切ったソウマは、あたしの方を見て笑った。
「……何て顔してんだよ、ユカ」
「えっ、変な顔してた?」
「虐待された犬みてーな顔してる」
「し、してないよー!」
っていうかどんな顔よ! それ!
でも一応、気になるから、両手でほっぺたを押さえたり引っ張ったりしてみる。そんな顔で固まっちゃったら嫌だからね。それにしてもまったく、もう、失礼な!
「『正しい』中学生は、元の世界に帰るんだよ。ほれ、歩け」
ソウマがあたしとケントの腕を掴んで引っ張る。ちぇっ。分かってますよ。




