4
「どこへ行く」
「だって、あれは……」
気になって顔を動かすが、大きな体が邪魔で、よく見えない。
「これって全てアルザス様が描かれたものですよね?」
「そうだ」
「とてもお上手ですのね。私、奥の絵が見たいのですけど」
お上手、と誉めたのに彼は首を傾げた。
まさか絵を誉められた事がないのだろうか。
「グロテスクですけど、リアルで、悲鳴をあげたくなる絵です」
「……それは誉め言葉か?」
「はい」
そう話している間もなんとか奥を見ようと試みるが、全てアルザスに阻止される。
「なぜそんなに嫌がるのですか」
「先程描き始めたばかりだからだ」
「途中描きでも構いませんよ」
「私は嫌だ」
そんな押し問答が続き、フィラルタは強引に体を乗り出して奥を見た。
彼の体の隙間から見える、見覚えのある顔。──否、見覚え以上だ。あれは……。
「……私?」
その瞬間、アルザスの体が怯んだように鈍くなり、フィラルタは素早く彼の背後を抜けた。
そしてキャンパスに近づいてきた途端、自分が無惨に惨殺されいる姿が目に飛び込む。
「……凄い」
床に倒れて血を流している。目はどこかをじっと見つめていて、片手片足は切られたのか、生々しく放置されている。
──これって……。
もしかして、とピンときた。惨殺公の噂は、娶った妻を何人も殺しているというもの。
今部屋中にある絵の惨殺された女達のモデルは、アルザスの元妻達ではないだろうか。
そして、フィラルタもモデルにされている。アルザスは妻達を実際に殺したのではなく、殺した絵を描いた……?
「なぜ、私を絵にするのですか」
「君が綺麗だからだ。あの男は綺麗な娘しか寄越さない」
あの男、というのは今回フィラルタを花嫁に選んだ縁戚の伯爵の事だろう。
しかし、生々しい惨殺絵画のモデルにしておいて、綺麗だからなどと言われても色々と複雑だ。
「これを見た妻達が全員逃げてった……?」
「最初の一週間くらいは私にまとわりついて来たが、そのうちなぜか来なくなり、おまけに絵を見て出てった」
恐らく、アルザスの容姿からまとわりついていたのだろう。
だが感情が見えない彼に悲しくなったか、もしくは腹が立ったのか──理由は定かではないが心が離れ、最後に自分が殺されている絵を見て完全にアルザスへの想いを絶ったのだろう。
「……君は、逃げないのか」
ゆっくりとそう尋ねられて、アルザスへ視線を移す。
「なぜ?」
「今までは全員逃げて行った。私は止めない。だから君も逃げたいなら逃げればいい」
平坦に、淡々とそう言う彼を、フィラルタは見上げて少しだけ睨む。
「私は別に逃げませんよ」
もしかしたら三倍も年が離れている所へ嫁がされたかもしれない。山ほど愛人がいる所へ嫁がされたかもしれない。
殺人鬼呼ばわりされていても、それはただの誤解で、惨殺絵画を描く美男に嫁ぐ事なんて何の不幸もないではないか。
「でも私、ここまでふっくらしていませんよ」
ほとんど血や肉片に隠れて見えないが、描かれた裸体のフィラルタは少し腕や腰回りが太い。
「そうか?」
「そうですよ」
女としては引くわけにはいかない問題だ。
胸を張ってそう言うと、彼はいきなり手をこちらへ伸ばし、フィラルタの頬を両手で包んだ。
そのまま上を向かされ、整った顔が至近距離にある。
「……そういえば」
「なんですか?」
「初夜がまだだったな」
静かな水面の様な瞳に、熱がちらつく。
驚いて言葉も出ないフィラルタをよそに、アルザスはゆっくりと顔を寄せてきて、そのまま暖かな唇が重なった。
啄まれて、舌を絡めとられて、初めての心地にうっとりしてしまう。そのまま体を軽く押されて、壁際に追いやられる。腰に回った彼の手がなければ立てやしない。
空いた片手がフィラルタの細い首を圧迫するみたいに撫でられて、少し苦しい。
「綺麗だ」
じっと鋭い瞳で見つめられて、顔が熱くなる。そんなに分かりやすく彼は表情を出してはくれない。だが、言葉が率直で、嘘がないとわかる。
世辞でも嫌みでもなく、彼は本心からフィラルタを賞賛している。
顔が特別綺麗なわけではないフィラルタにとって、今まで言われた事のない言葉だった。人の好みというのは偉大だと思う。
アルザスは床に落ちているパレットから絵の具を指の腹で、掬い取る
それをフィラルタの頬や首に彩りながら口づけをされて、気づいたら床に座り込んでいた。
お互いの息が上がって、熱を宿した瞳が絡み合う。
──この人、怖くない。
皆が恐れている様な人じゃない。フィラルタにとっては別の意味で脅威を感じるが、噂で流れている殺人鬼には程遠い。
鏡で見れないが、自分の顔は赤や青の絵の具で色付けられているのだろう。
今までもこんな風に妻達と楽しんだのだろうか。
たとえ逃げて行ったと言っても、一度くらいはやはり義務として彼女達も耐えるだろう。妙に嫌な気分になって逞しい彼の胸を押して拒むと、弱々しい力にもかかわらず彼は動きを止めてくれた。
「どうかしたか」
「今までの奥様方にも、同じことをなさったのですか?」
「同じこと? いや、君が初めてだ。私は生身の女性には性を感じないから」
何でもないように言うが、フィラルタは言葉を失ってしまった。
──それは、つまり……?
娶った妻を抱く気にはならないが、惨殺絵画の中にいる女は抱きたくなるのだろうか。だから綺麗だと思う女を絵にして一方的に解消していた、と。
「わ、私は生身の女ですが……」
「だから君が初めてと言ったんだ。絵画ではないのにこんなに気が高ぶるのは経験した事がない」
抱き寄せられて、首筋に口づけされた。
フィラルタは自分を落ち着けながらもう一度部屋の中を改めて見てみた。
彼曰わく、この惨殺絵画達はただの絵画ではなく、性を感じる女性と同じなのだ。生身の女性ではないが、彼が他の女性を見てほしくなくて、フィラルタは拗ねて頬を膨らませる。
「あなたは私の夫なのでしょう? なら他の女性の絵は処分して下さい」
「わかった。絵は手放そう。丁度、いくつか欲しいと言われていたから」
こんな惨殺絵画を欲しいだなんて、悪趣味な人がいるものだ。
「そういえば、君に話し忘れていたが、庭を今日手入れさせたんだ」
「手入れ?」
あの不気味すぎる魔の庭を?
「花が見たいと寝言で言っていたから植えた。咲いたら一緒に見よう」
確かに、昨日意識が朦朧としていた時に言った気がする。それをまさか真剣に受け取ってくれるなんて。
「だから、君は逃げないでくれないか」
表情は淡々としているはずなのに、なぜかアルザスが大きな犬に見えた。
「もう他の女性を書かないと約束して下さいますか?」
頷く彼が可愛くて、笑いながら抱きしめる。
「だがフィラルタ、注文が入った時にはどうすればいい? 君の絵を与えたら何をされるかわからないぞ」
「絵にそんな事を思うのはきっとあなただけですから大丈夫です」
アルザスの膝に乗せられて、触れるだけの口づけを交わした。
花が咲いた頃には、フィラルタの愛称であるフィーと、呼ばれているかもしれない。
未来を思い描いて、フィラルタは微笑んだ。
2012.05.27 天嶺 優香
完結。短編として書いたものなので色々と端折ってます。青髭公の話が書きたかったのになぜか違う話になってしまいました。




