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神律スキル編纂局 ~その不具合スキル、直します~  作者: にのまえあゆむ


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第9話 伸び代

「うーん、ちょっとモニタリングを一時停止しようか」


 画面を眺めていたマージン室長が、いつも通りの落ち着いたトーンで指示を出した。


 セレナがすぐに端末を叩き、激しく明滅していた赤い警告灯と、少年の人生のタイムラインがピタリと停止する。


 画面の中の青年は、冷え切った炉の前で拳を握りしめ、今にも心が完全に折れてしまいそうな表情のまま静止していた。


「そんな……。システム上のエラーは一切出ていないのに。私のロジックは、何一つ間違っていないはずです!」


 フィオは慌てて手元の端末へと手を伸ばし、警告の理由を確かめようとした。

 だが、そこに並ぶのはコードのバグではなく、周囲からの嫉妬や孤立によって少年の心が限界を迎え、スキルの適合率が急落しているという生々しい警告だったのだ。

 数値化できない周辺環境の壁を前に、彼女は丸眼鏡の奥の瞳を愕然と見開いたまま、言葉を失っていた。


「フィオくん、君のロジックは間違っていないよ」


 マージン室長はいつもと変わらぬ調子のまま、静かにスクリーンのタイムラインを見上げた。


「ただね、これが『地上に放流する』ってことの現実なんだ。天界のシステムの中でどれだけ綺麗に辻褄が合っていても、向こうには感情を持った人間がごまんといる。規格外の天才が現れれば、引きずり下ろそうとする凡庸な奴らが必ず現れる。それが、地上における環境の壁ってやつさ」

「じゃあ、やっぱり上限解放なんて、間違っていたんでしょうか……」


 フィオの声が弱々しく響く。

 あらかじめ決められた完璧な安全圏に縛り付けておけば、こんな嫌がらせを受けることも、孤独に苛まれることもなかった。よかれと思って組み上げたレアスキルが、逆に彼の平穏を壊し、不幸にしているのではないかという疑念が彼女を襲っていた。


 だとすれば、地上の人間にレアスキルを授ける意味はなんなのだろう。

 周囲との軋轢を生み、宿された本人は不幸になる。そんなスキルは、果たして必要なのだろうか。


「……あの、室長」


 フィオが苦悶の表情を浮かべる中、静止しているモニターを見つめていたヤマトが、そのままの姿勢で声を上げた。


「これ、このまま最後まで見ちゃダメですか?」


 ヤマトの言葉に、マージンが片眉を上げた。


「見てもいいけど、このままだと来年にはハンマーを置いて、廃業してると思うぜ?」

「でも、適合率の波形は下がっていますけど、まだゼロにはなっていませんよ」


 ヤマトはコンソールの端に表示された、小さく刻まれている魂魄の微動を指差した。


「これって、モデルになっている彼が諦めてないってことですよね? 心魄の鉄槌も拒絶してるわけじゃない。実際、この状況になっても彼はハンマーを手放してないわけですし」


 ヤマトは静止した画面の中の青年を見つめていた。

 嫌がらせを受け、炭も満足に回してもらえず、周囲から孤立している。それでも青年の煤汚れた手は、事実、ハンマーを手放してはいなかった。

 魂の波形は深く沈み、限界を迎えているように見えるが、その奥底にある小さな光までは消えていない。


「これって、スキルが無理やり枠内に引き戻さなくなったからこそ、彼が自分の意志で踏ん張ってるってことでしょう? 前世の病室で、僕もよく同じような顔で行き詰まってたので分かるんです。もうちょっとだけ、彼を信じてみませんか?」


 ヤマトの言葉に、セレナは驚いたように目を見開いたが、すぐにふっと優しい笑みを浮かべた。


「新人くんがそう言うなら、先輩として付き合わないわけにはいかないわね。室長、いいですよね?」

「ああ、もちろん。元々のんびり見届けようって言ったのは僕だからね」


 マージン室長はニヤリと笑うと、デスクの角から腰を上げた。


「それじゃ、モニタリングを再開しよう。フィオくんの仕込んだスキルの伸び代をどう使いこなすのか、最後まで拝見しようじゃないの」

「了解。じゃあ、テスト再開するわよ」


 セレナが起動キーを小気味よく叩く。

 停止していたタイムラインが再び動き出し、さらに数ヶ月が経過する。

 青年の状況は最悪のままだった。質の悪い鉄屑しか与えられず、ろくな炭もない。満足な道具すら揃わない、うらぶれた工房の片隅。


 しかし、青年の瞳の奥の火は消えるどころか、むしろ静かに青く澄み渡っていた。


「ん? 見て、フィオ。魂魄の同調率が、また上昇を始めてるわよ」


 コンソールを覗き込んでいたセレナが、静かに画面を指差した。

 青年は誰からも顧みられない粗悪な鉄の塊を、何度も何度も炉にくべては叩いていた。

 良い素材がないなら、己の技術と心魄の鉄槌がもたらす魂の共鳴で補い、至高の鉄へと鍛え上げればいい。

 嫌がらせという過酷な環境が、逆に彼の執念を燃え上がらせていたようだ。


「凄い……。上限を動的に引き上げる私のロジックを、完全に自分のリズムにしてる」


 フィオが丸眼鏡を指で押し上げ、食い入るように画面を見つめる。

 青年がハンマーを振り下ろす一打ちごとに、画面のグラフはかつてないほどの鋭い波形を描いた。

 それは、スキルに振り回されているのとは違う。

 青年自身の魂が、スキルの用意した上限を何度も自力で押し広げ、拡張し、貪欲にその先へと手を伸ばしている証だった。


「なるほどね。スキルからの最後の一押しを待つまでもなく、自分で上限の枠そのものを叩き壊して広げちゃったわけだ。それもこれも、スキルがあってのことだね」


 マージン室長が感心したように小さく笑う。

 青年が最後の一打ちを強烈に振り下ろし、そして完成した一振りの剣は、粗悪な鉄から生まれたとは到底信じられない、驚くほど緻密な肌目を持った一振りの銘刀だった。


 そこから、この魂とスキルを持つ人物の人生は劇的に変わった。


 たった一振りで周囲の雑音を黙らせた青年は、その後も自ら上限を更新し続け、数々の名作を世に送り出していく。

 やがて彼が打った刀が『国宝』として数百年先まで珍重され、自身も歴史に名を残す名工へと至る軌跡が、ただ一つの揺るぎないシミュレーション結果として、スクリーンに静かに刻まれていった。


「……なるほどね。環境の壁を自力で叩き壊す、か」


 マージン室長は顎をさすりながら、満足そうに頷いた。


「よし、最初のケースは問題なさそうだ。だけどフィオくん、環境テストはこれだけじゃ終わらないよ? 地上の環境ってやつは、いじわるな同業者だけじゃない。別のパターンでも、この伸び代が機能するか確かめておこう」

「はい!」


 先ほどまでの暗い表情は消え、フィオは力強く頷いた。

 そこからは、プロの仕事としての迅速な検証作業だった。

 セレナの手によって、次々と異なる環境データがシステムに投入されていく。


 状況変更の二番目として、その日暮らしを営むしがない冒険者の子としての人生が選ばれた。

 旅から旅への不安定な暮らし、まともな工房すら持てない移動生活の境遇。それでも彼はスキルの上限を突破し、身の回りにある限られた道具だけを頼りに、仲間の命を守る頑強な武器や防具を鍛え上げ、仲間を支える立派な職人となった。


 続いて、歴史ある高名な門閥、貴族の子として生まれた人生。

 伝統という名の重圧と、周囲からの「泥臭い鍛冶など貴族のすることではない」という冷ややかな視線に押し潰されそうになりながらも、彼は自らの意志でスキルの限界線を押し広げ、家柄の枠に収まらない、自分だけの新たな芸術の領域を切り拓いた。


 生まれも、育ちも、直面する環境の壁も全く違う。けれど、どの世界線においても、一度は深く沈んだ魂の波形が最後にはスキルの用意した上限を力任せにブチ破っていく。


 そんな力強い軌跡が、次々とスクリーンに確定していった。


「いろいろ試したけれど、どれも問題ないわね。最終的には最高到達点に至るわ」


 セレナがキーボードから手を離し、特設ルームの明かりがいつもの平熱のトーンへと戻っていく。


「ヤマトさん、本当にありがとうございました。私だけの基準で、危うく人間の可能性を閉じ込めてしまうところでした」


 フィオは丸眼鏡を外し、目元を袖でごしごしと拭ってから、ヤマトの方を真っ直ぐに向き直って深く頭を下げた。

 突然の真摯なお礼に、ヤマトは少し気恥ずかしそうに頭を掻いた。


「僕がしたことなんて、何もありませんよ。それよりも、過酷な環境をひっくり返せるだけの『伸び代』を仕込んでおいたのは、他ならぬフィオさん自身じゃないですか」

「ヤマトさん……」


 フィオが眼鏡をかけ直し、嬉しそうに微笑む。


「お見事。素晴らしいレアスキルの完成ね」


 二人のやり取りを特等席で見届けたセレナが、満足そうにパチパチと手を叩いた。


「そうだね。これなら、我が品質管理部としても文句なしで承認できるよ」


 マージン室長が手元の端末でホログラムの承認印をポンと押した。


「フィオくん、このレアスキル、自信を持って地上へ放流して大丈夫だよ。君の作ったスキルは、地上の人間にちゃんと必要なものだったよ」

「はい! ありがとうございました!」


 新しく書き換わった仕様書を大切そうに胸に抱き、フィオは調律室の扉へと走る。

 その途中で一度だけ振り返り、ヤマトに深く頭を下げてから、彼女は新しい未来を届けるために、元気よく飛び出していった。

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