第7話 スキル開発部門の少女
新しく与えられた自分の部屋、四〇二号室のベッドで、ヤマトは心地よい小鳥のさえずりで目を覚ました。
前世の病院のベッドとは違う、自分だけの空間。そして健康な身体。
それだけで朝から気分が軽かったが、同時に昨夜の最後の記憶が蘇り、ヤマトは苦笑した。
(……セレナ先輩、ちゃんと起きられたかな)
何しろ、隣の部屋である。
身支度を整えて青い結晶のキーをポケットに仕舞い、ドアを開けて廊下に出ると──案の定、すぐ左側の四〇一号室のドアの前で、一人の女性が幽霊のように項垂れていた。
「うぅ……頭が割れる……。なんでアムリタって、あんなに翌日に残るのかしら……」
髪を少し乱し、こめかみを押さえて今にも消え入りそうな声で呻いているのは、昨夜あれだけ男前にジョッキを煽っていたセレナ先輩だった。
「おはようございます、セレナさん。だから言ったじゃないですか、飲みすぎだって」
ヤマトが声をかけると、セレナはビクッと肩を跳ね上げ、目の下にうっすらと隈を作った顔を向けてきた。
「お、おはようヤマトくん……。昨日、私、なんか変なこと言ってなかったかしら……?」
「さあ、どうでしょうね。オフの日のすっぴんの話とか、よれよれTシャツの話とか、色々聞いた気がしますけど」
「う、嘘っ!? 最悪だわ、記憶をデリートしたい……!」
頭を抱えて本気でへこむ先輩の姿を横目に、ヤマトはクスリと笑いながら、手持無沙汰だった水分補給用のネクタルウォーターを差し出した。
「ほら、これ飲んでください。少しは楽になりますから」
「……ありがと。ヤマトくん、本当に気が利くわね……」
お隣同士、どこか気まずさと頭痛を抱えた先輩の歩調に合わせながら、ヤマトは二日目となる職場への道を歩んでいった。
「あ、おはよう、ヤマトくん、セレナくん。ちょうどいいところに来た」
神律スキル編纂局の重厚な扉を開けると、デスクに肘をついて気だるげに書類を眺めていた室長のマージンが、顔を上げて二人をひらひらと手招きした。
その対面に立っていた先客が、弾かれたようにこちらを振り返る。
そこにいたのは、ヤマトよりも少し年下に見える、小柄な御使いの少女だった。
きっちりと隙なく着こなした制服の胸元には、職人の工具を模したような、細緻なデザインの銀のブローチが光っている。真面目そうな丸眼鏡の奥の瞳は、徹夜明けなのか少し血走っており、手には厚みのある仕様書のような束をぎゅっと抱え込んでいた。
「こちら、開発編纂部二課のフィオ・ルミナスくん」
マージンからの紹介に、小柄な少女──フィオは戸惑ったように視線を彷徨わせながら、ヤマトとセレナに対してちょこんと頭を下げた。
「開発編纂部……二課?」
「言ったでしょ。女神様が人類に授けるスキルを開発している部署よ」
ヤマトが首を傾げていると、セレナが耳打ちしてくれた。
そういえば、初日にセレナがヤマトに説明をしていた。神律スキル編纂局は、スキルを開発する開発・編纂部、スキルの不具合を調査・改善する統括・品質管理部、そして魔界側の闇スキルに対する対抗措置を行う危険対策部がある──と。
どうやらフィオは、そんなスキル開発の部署に所属している御使いのようだ。
「特に二課は、数十万人に一人へ授けられるレアスキルや、一時代に一人にしか授けられないようなユニークスキルを開発する部署なのよ」
「それって、凄く責任重大じゃないですか」
地上の人間は、出生時に一つだけスキルを授かる。それは、その後の人生を左右する極めて重大なものであり、失敗は許されない。
レアスキルやユニークスキルともなれば尚更だ。
ヤマトが納得の混じった視線をフィオに向けると、彼女の前に座るマージン室長が、手元の書類から顔を上げて眼鏡の奥の目を細めた。
「実はね、彼女は開発・編纂部でも注目されているスキル制作者でさ。今回、ごく限られた魂に付与されるレアスキルの開発を任されたらしいんだが……そこでちょっと悩んでいるようでね、私から声を掛けたんだよ」
マージン室長はデスクに気だるげに体重を預けたまま、ひらひらと手を振って、二人に机の上のホログラムを見るよう促した。
「二課の机上の論理だけで煮詰まってるなら、うちみたいな現場を診る部署の視点が入れば、何かブレイクスルーがあるかもしれないと思ってね。……で、ちょうどそこに現場帰りの二人が来たわけだ。フィオくん、せっかくだから、その行き詰まってる仕様書をこいつら──特に、新人のヤマトくんにも診せてごらんよ」
「え……あ、あの……」
フィオは驚いたように丸眼鏡の奥の瞳を揺らし、抱え込んだ仕様書の束をさらにぎゅっと強く抱きしめた。
極度の人見知りなのだろう。自分の大切な仕様書を、他部署の見ず知らずの人間──しかも昨日入ったばかりだという新人に診せることへの気恥ずかしさと戸惑いから、制服の萌え袖で口元を隠すようにして、おずおずと一歩後ずさった。
「……本当に、この方に診せるんですか? その、昨日入られたばかりの、新人の……」
「まあまあ、固定観念のない新人の意見ってのが、意外と核心を突くこともあるかもしれないよ? 特に彼は、他の世界だけど元人間でね、女神サマに直談判して御使いになり、この仕事に就いた変わり種なんだ」
「人間から……」
マージン室長にそう促され、フィオは困惑しながらも、ゆっくりと仕様書をデスクに広げてホログラムのコードを展開した。
すると、専門分野の話に入った途端、彼女の雰囲気が一変した。
先ほどまでの内向的で怯えるような態度が嘘のように、その瞳に職人としての強い熱が灯り、口調が途端に早口になったのだ。
「……私の開発しているレアスキルは、〝魂魄の鋳型〟といいます。数十万人に一人に授けられる、特別な鍛冶特化のレアスキルとして設計しました」
フィオはホログラムのコードを指差しながら、熱を帯びた声で語る。
「このスキルを授かった人間は、鉄を叩き、刃を研ぎ澄ます鍛冶の世界に興味を抱くようになり、やがて偉大な名工へと至る仕様です。その鍛冶師さんが日々の炉の温度や槌を振るう腕のブレに悩まされることなく、いつでも最高の腕前を発揮して、たくさんの人に喜ばれる作品を作って幸せになってほしいと考えました」
「最高の腕前を、いつでも……」
ヤマトが呟くと、フィオは丸眼鏡の位置を直しながら、さらに身を乗り出してきた。
「はい! そのために、効果のブレを極限まで無くす超高精度の安定化コードを組み込みました。システム的には絶対に完璧なはずなのに……っ」
一生懸命になるあまり、彼女の言葉はどんどん加速していく。
「なのに、テスト環境のシミュレーションを回すと、不可解なエラーが起きるんです。最初は確実に素晴らしい業物を量産して、若くして天才鍛冶師と称賛されるようになります。でも……そこから何故か、途中で鉄を叩くのをやめてしまうんです。工夫を凝らすのをやめ、新しい打ち方を試さなくなり、最終的には魂の適合率がゼロになって、スキルを完全に拒絶して心が折れてしまう……」
そこまで一気に捲し立てると、フィオはハッと息を止め、自分の早口に気恥ずかしくなったのか、またすぐにもぞもぞと萌え袖のなかに手を引っ込めて身を縮めた。
丸眼鏡の奥の、少し血走った瞳が、すがるようにヤマトを見つめる。
「その人間の家庭環境を変え、何度シミュレートしてもハンマーを置いてスキルを拒絶してしまう……。ヤマトさん、これ、どこをどう診ればいいんでしょうか……?」
ヤマトは、モニターの中に展開されたシミュレーションデータを見つめた。
魂の適合率を示す折れ線グラフが、ある時期になると右肩下がりに急落し、やがて活動ログの更新が完全に停止する。他のデータを見ても、時期に微妙な差はあっても必ず急落している。
出生時にこの特別なレアスキルを授けられたからこそ、物作りに出会い、天才と称されるまでになったはずの人間であるはずなのに、そのデータが示すのは、何故か冷酷な結末だった。
「……あの、フィオさん。僕、スキルのシステムとかコードのことはまだ全然わからないんですけど……」
ヤマトはおずおずと、モニターに並ぶ活動ログのタイムラインの一角を指差した。
「このテストモデルのログ間隔、なんだかすごく不自然に感じます」
「不自然……ですか? データの異常値なら、上層部がすべて許容範囲内だと検証済みですけど……」
フィオが丸眼鏡の奥の瞳をパチクリと丸める。
「いえ、数値のエラーじゃなくて、その……人間としての動き方の話なんです。このサンプル、スキルを授かってからの数年間は、ものすごく不規則な時間で、深夜まで何度も試行ログが残ってますよね。でも、一躍天才って呼ばれるようになってからは、寸分違わぬ正確な等間隔で制作成功のログだけが機械的に並ぶようになっている」
「それは、そうなるでしょうね。私の組み込んだコードが完璧に機能している証拠です。スランプも体調不良もなく、常に最高効率で名作を生み出し続けているんですもの。それが職人さんにとって一番の幸せ……ですよね?」
「でも」
と、ヤマトはさらにログの先……適合率がゼロになり、活動を停止する直前のログを指した。
「鉄を叩くのを完全に辞めてしまう直前のここ……一度ハンマーを振り上げてから、次に振り下ろすまでの時間。が、それまでの数倍に伸びて、不自然な空白ができています。これって、何かのシステムエラーなんですか?」
「いいえ、検証環境の処理落ちはあり得ません。その空白も、魂魄の同期プロセスのなかで発生する正常な待機時間として、システム上は正しく処理されています」
「僕、前世でずっと病院のベッドにいたから、こういう『変わらないデータ』の不気味さがよくわかるんです」
ヤマトは自分の胸に手を当て、静かに語った。
「毎日同じ時間に起きて、同じ点滴のデータを刻んで、完璧に管理された何も変わらない明日が来る。身体が治らないのも辛いですけど、何より『自分の力では、明日を今日より良くできない』っていう実感が、一番心を削るんです」
「明日を……今日より……?」
「画面のこの不自然な空白時間なんですが、もしかして、待機時間とかじゃなくてハンマーを振り下ろすのをものすごく躊躇してるんじゃないでしょうか? 毎日、同じ〝完璧〟しか作れない日々に、心が耐えられなくなって……とか?」
ヤマトの生身の人間としての実感がこもった指摘に、フィオは息を呑んだ。
「躊躇……? システムが正常値として処理している待機時間が、人間の、迷い……?」
フィオは大きな丸眼鏡の奥にある瞳をせわしなく瞬かせ、慌てたようにホログラムの魔導端末を叩いた。
二課の上層部が「問題なし」と切り捨てた、適合率急落の直前にあるわずかな空白。その時間帯にテストモデルが残していた、魂魄の出力ログの最深部を掘り下げていく。
ぶつぶつと細かな数式を呟きながらデータをスクロールしていた彼女の指先が、ある一画で、ぴたりと止まった。
その瞬間、フィオの顔から、すうっと血の気が引いていった。
「嘘……。ここで、出力値が跳ね上がろうとしてる……。これまでにない独自の荷重、神律の定石にないアプローチを試して……満点を超えた先に届きそうになってる。なのに、どうして……!?」
丸眼鏡の奥の瞳が、絶望に大きく見開かれた。
「私の作ったスキルが、その新しい工夫から生まれた出力のブレを……全部、体調不良と同じエラーとして検知して均一化しちゃってる。システムが、このサンプルの成長しようとする意志を、全部残さず握り潰していたんだわ……!」
自分の善意で組んだシステムが、受け取った人間を名作を吐き出すだけの機械に変え、その心を内側から死滅させていた。
データの裏側に隠されていた残酷な真実に気づき、フィオは細い肩をがたがたと震わせ、今にも泣き出しそうな顔で身を縮めた。
抱え込んでいた仕様書の束が、デスクの上にパラパラと崩れ落ちる。
ヤマトは目の前の先輩のあまりの変わりように少し慌てて、おずおずと手を伸ばした。
「あ、あの……フィオさん? すみません、僕、スキルのこともよく分からないのに、勝手なことを言って困らせちゃいましたか……?」
「……いえ、困るとかじゃなくて……私が完璧だと思って組んだコードが、そんな風に魂を縛る仕様になっていたなんて……っ」
「あー……でも」
ヤマトは、デスクに落ちた仕様書をそっと拾い上げて手渡しながら、少し声を和らげた。
「システムの中に、あえて『満点を超えていける余白』を残すのって、できませんか? あらかじめ決められた上限をなぞるだけじゃ、人間はいつか工夫をやめてしまいます。システムが用意した完璧なレールの先へ、自分の意志で足掻いていけるような『自由度』があった方が、案外、人間には大切だったりするので」
「私の、優しさ……」
「もし、ですけど」
ヤマトは、困ったように苦笑いを浮かべながら続けた。
「システムの中に、あえて少し隙間を残すのって、できませんか? 僕、前世の病室で完璧に管理されてたからこそ、誰かのちょっとした失敗とか、不完全さにすごく救われていて……そういう完璧じゃないものの方が、案外、人間には重要だったりするので」
「完璧じゃない……仕様……」
フィオは涙をためた丸眼鏡の奥で、ぱちくりと目を丸くした。ヤマトの言葉が、彼女の頭の中で、まったく新しい仕様書の構造へと形を変えようとして──。
「……あの、少し私の方で検討させてください。開発レギュレーションに引っかからない方法があるか、一度持ち帰って考えてみます!」
フィオはハッとして、デスクに散らばった仕様書の束をひったくるように抱きしめてから、お辞儀もそこそこに足早に調律室を飛び出していった。
嵐のように去っていった少女の背中を見送り、ヤマトはぽかんと立ち尽くす。
「行っちゃいましたね……」
「開発二課の人間はみんなあんな感じさ。職人気質でね」
マージン室長は気だるげに笑うと、「まあ、僕らの仕事はここまでだ。お疲れさん」と書類に目を戻した。




