第81話 無魔の剣士
いつも読んでくださる皆様、本当にありがとうございます!
1週間程投稿お休みさせて頂き、本日から再開します!
ただ、毎日投稿できる程書き溜めができず、しばらくは毎週金曜日の19時に投稿していきます!
81話から第3章に入り、物語も更に盛り上げていきますので、引き続き読んで頂けると幸いです!
これからも『蒼天と正義の天秤』をよろしくお願いいたします!
ギィィィ……。
重厚なオーク材で作られた扉を押し開けた瞬間、テラの全身を叩きつけたのは、むせ返るような熱気と、鉄と酒の入り混じった強烈な匂いだった。
のちに世界を二分する『勇者と魔王の戦争』が勃発する、およそ五年前。
フラリス王国が誇る冒険者の街『トーファス』のギルドは、後世のそれよりもずっと荒々しく、どこか殺伐とした空気を孕んでいた。
吹き抜けになった広大なホールのあちこちで、武装した荒くれ者たちがジョッキを片手に声を張り上げ、時には獲物の取り分を巡って胸ぐらを掴み合っている。壁には無数の手書きの依頼書が乱雑に貼り出され、その一枚一枚に群がる冒険者たちの目には、ギラギラとした野心や欲望が宿っていた。
「これが、冒険者ギルド……!」
テラは、薄い蒼色の瞳を丸くしてその光景を見渡した。
村の長老から聞いていたおとぎ話の英雄たちとは少し違う、泥臭くて生々しい『現実』の冒険者たちの姿。だが、不思議と恐怖はなかった。むしろ、腹の底から湧き上がるような高揚感が、テラの胸を熱く焦がしていた。
背中に背負った、父から譲り受けた使い古された剣の柄をギュッと握り直し、テラは受付カウンターへと歩みを進める。
「すみません。冒険者の登録をお願いしたいんですが」
「ん? ああ、新規登録ね」
山積みの書類仕事に追われていた受付の女性が、顔を上げずに応じた。彼女はテラの質素な村の服と、荷物の少なさをチラリと見て、少しだけ面倒くさそうにため息をついた。
「じゃあ、申請用紙を作成するから、名前と年齢、それに得意な武器や『魔術』の系統を言って。登録料は銀貨三枚。最初は一番下のFランクからのスタートになるから、いきなり無茶な討伐依頼とかは受けられないわよ。最近は街道沿いでも魔物の動きが活発になってきてるから、命を落としたくなければ、まずは街の手伝いから地道にやることね」
「はい、分かりました。テラと言います。年齢は十六」
「得意な魔術の系統は?」
「……魔術は使えないので、武器は剣だけです」
テラの言葉に、受付の女性のペンがピタリと止まった。
「……魔術が、使えない?」
「はい。適性がないらしくて」
「あなた、人間よね?」
「……そう思います」
「……聞いたことないわ……人間が後天的に編み出した理の力である『魔術』すら使えないで、どうやって魔物と戦うつもり? 魔族が使う本物の『魔法』とまでは言わないけれど、せめて身体強化の魔術くらい使えなきゃ、外に出た瞬間にゴブリンの餌になるのがオチよ」
呆れたように肩をすくめる受付嬢。この時代、冒険者として生き残るためには、何らかの魔術の素養があることが半ば常識とされていたのだ。
だが、テラは卑屈になることもなく、ただ真っ直ぐに受付嬢を見つめ返した。
「魔術が使えない分、体は人一倍鍛えてきました。……お願いします」
「……はぁ。死んでもギルドは責任を持たないわよ。これがあなたのギルドカード」
ドン、とカウンターに置かれた小さな銅のプレート。
そこには『テラ:ランクF』という文字が刻まれていた。それを見た瞬間、テラの顔にパッと花が咲いたような笑顔が広がる。
「ありがとうございます!」
「おいおい、聞いたか?魔術が使えねぇってよ!魔術が使えない人間なんて聞いたことねぇよ!本当は家畜なんじゃねぇのか!?おい!家畜がいっちょ前に冒険者気取りか!?」
テラがカードを受け取ったその時、背後からあからさまな嘲笑が降ってきた。
振り返ると、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた三人組の男たちが立っていた。いずれもテラより頭一つ分は大きく、使い込まれた革鎧を着込んでいる。
「なぁ坊主。受付の姉ちゃんも言ってただろ? 魔術も使えねぇような家畜が冒険者なんて、笑わせんな」
「だからよ、俺たち先輩冒険者が、そのなけなしの路銀と背中の剣を『預かって』おいてやるよ。怪我して泣いて帰る前に、村に帰りな」
男の一人が、テラの肩を乱暴に小突いた。
周囲の冒険者たちは、また新入りの洗礼が始まったかと、酒を飲みながら遠巻きにニヤニヤと見物している。誰も助けに入ろうとはしない。ここは実力だけがすべての世界だ。
「……お気遣いはありがたいですが、遠慮しておきます。この剣は、父から譲り受けた大切なものですから」
テラは一歩も退かず、薄い蒼色の瞳で真っ直ぐに男たちを見据えた。
その怯えの一切ない凪いだ眼差しに、男たちは逆に苛立ちを募らせる。
「チッ、生意気な家畜が。痛い目見ねぇと分からねぇみたいだな!」
一番体格の良い男が、腰の短剣を引き抜きながらテラの胸ぐらを掴みかかろうと腕を伸ばした。
ギルド内での私闘はご法度だが、新入りの小競り合い程度なら暗黙の了解として見逃されることが多い。 男の太い腕が、テラの首元に迫る。
――だが。
「……え?」
男が間抜けな声を漏らした時には、すでにテラの姿はその場になかった。
テラは掴みかかってきた男の腕を紙一重で躱すと同時に、その腕を下からすくい上げるようにして掴み、己の体重を沈み込ませて男の懐へと潜り込んだのだ。
(魔術が使えないなら、相手の力の流れをそのまま利用するだけだ……!)
才能に恵まれなかったテラが、村で来る日も来る日も繰り返し叩き込んできたのは、己の肉体の使い方と、相手の重心を崩す極限の体術だった。
テラが腰を捻り、背負い投げの要領で男の腕を強く引く。
「うおわぁっ!?」
ドガァンッ!! という大きな音を立てて、巨漢の男がギルドの固い床に背中から叩きつけられた。
剣を抜くことすらしていない。ただの一瞬の体捌き。
喧騒に包まれていたギルドが、水を打ったように静まり返る。
「な、なんだと!?」
「テメェ、よくもアニキを!」
残りの二人が血相を変えてテラに飛びかかってきた。一人は短剣を振りかざし、もう一人は手のひらから初級の火の魔術である《火球》を放つ。
だが、テラは全く慌てなかった。
飛来する火の玉の軌道を冷静に見切り、最小限のステップで首を傾けて回避する。そのまま踏み込んだ足のバネを活かし、短剣を振り下ろしてきた男の死角へと滑り込んだ。
ドンッ!
テラの掌底が、男の鳩尾を的確に打ち抜く。
空気を肺から押し出された男が、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。残された魔術使いの男は、瞬きする間に仲間が二人沈められたのを見て、完全に腰を抜かして後ずさりした。
「ヒッ……! ば、化け物……魔術も使えねぇくせに……っ!」
「だから言ったじゃないですか。遠慮しておきますって」
テラは小さくため息をつき、倒れた男たちには目もくれずに、再び受付カウンターへと向き直った。
カウンターの奥で、受付の女性が信じられないものを見るように目を丸くしている。
「あ、あの……お姉さん。早速なんですけど、今日の宿代とご飯代を稼ぎたいんです。Fランクでも受けられる、魔物の討伐依頼ってありますか?」
まるで畑仕事にでも行くかのような、爽やかで屈託のない笑顔。
受付の女性は数秒フリーズした後、慌ててカウンターの下から一枚の依頼書を引っ張り出した。
「え、ええっと……街の東にある『ささやきの森』周辺での、ゴブリン討伐……これなら、Fランクでも受けられるわ。報酬は500ゴールドだから、今日の宿代くらいにはなるはずよ」
「500ゴールド! ありがとうございます! 行ってきます!」
テラは依頼書を受け取ると、呆然と見送る冒険者たちを背に、軽い足取りでギルドを後にした。
***
街の喧騒から少し離れた、『ささやきの森』。
木漏れ日が差し込む薄暗い森の中で、テラは静かに息を潜めていた。
視線の先には、依頼書にあったゴブリン――ではなく、その倍近い巨体と筋力を持つ上位種、『ホブゴブリン』が三匹、涎を垂らしながら辺りを徘徊していたのだ。
Fランクの初心者であれば、遭遇した瞬間に逃げ出さなければ命はない相手。
(いきなりホブゴブリンか……魔物の動きが活発になってるって話は本当だったんだな)
テラは音もなく背中の使い古された剣を引き抜いた。
ギギッ……。
草を踏む微かな音に反応し、ホブゴブリンたちが一斉にテラへと赤い眼光を向ける。太い棍棒を振り回し、鼓膜を裂くような雄叫びを上げて突進してきた。
「――ふぅっ」
テラは深く、静かな呼気を吐き出した。
魔力を持たない彼が、この過酷な世界で生き抜くために鍛え上げたのは、極限まで研ぎ澄まされた動体視力と、それに完璧に呼応する肉体の連動。
一匹目が棍棒を振り下ろす。テラはその軌道を完璧に見切り、半歩だけ横へ逸れた。
空を切った棍棒が地面を叩き割るのと同時に、テラの剣が閃く。
ザシュッ!
無骨な鉄の刃が、硬い魔物の皮膚の『隙間』――関節の柔らかい部分を正確に斬り裂いた。
「グギャァッ!?」
体勢を崩した一匹目を蹴り台にし、テラは空中へ跳躍。そのままの勢いで、二匹目の首筋へと剣を叩き込む。
魔術の派手な爆発も、光の斬撃もない。あるのは、ただ愚直なまでに鍛え抜かれた物理的な剣技だけ。だが、その一振り一振りが致命的で、一切の無駄がなかった。
着地と同時に振り返り、最後の一匹の腹部に剣を深々と突き立てる。
ドサリ、ドサリと、三匹のホブゴブリンが地響きを立てて倒れ伏した。
「……よし。これで当面の路銀には困らないかな」
剣の血糊を払い、鞘に納めるテラ。
息一つ乱していない彼は、木々の隙間から見える蒼い空を見上げた。
「……ここからだ」
これからこの世界を飲み込む暗雲のことなど、今の彼はまだ知らない。
魔術の才能はない。特別な力も持っていない。それでも、自分のこの手と剣だけで、世界に名を刻む英雄になってみせる。
のちに世界を救うことになる無魔の剣士の冒険が、今、静かに幕を開けた。




