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いわし雲  作者: 火鳥-HITORI-


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4/4

現実


「急停車します。電車が急停車します」

 耳馴れない車内アナウンスで、私は目を覚ました。電車は程なくして停止した。車内は意外にも静寂であったが、乗客たちの表情には少し、不安な色が浮かんでいた。私もそのうちの一人だった。窓の外を見ると、私の乗っていた車両は、ちょうど駅のホームの先頭に位置していて、ホームには、たくさんの人だかりが出来ていた。私は、何となく氣付いてしまった。私だけではなく、乗客のほとんどが感づき始めたようだった。窓の外の、ホームにいる数人の人たちは、この電車が止まった理由を、原因をその目で見ていたのだろう。なかなかアナウンスが流れてこない車内には、苛立っている様子の乗客が何人かいた。私は鞄から本を取出し読もうとしたが、文字が全く頭に入ってこなかった。窓から見下ろした所に、主を失ったであろう黒いビジネスバッグが置いてあった。私は、心臓が一瞬の内に凍りつき、あるいは、焼き尽されるような感覚を味わった。不謹慎なことに、そのバッグがハチ公のように思えた。

 ようやく流れた車内アナウンスによると、駅のホームに到着している先頭車両と二両目、三両目のドアを開けるので、そこから降車してくれとのことだった。乗客たちは口々に文句を言いながら、ドアの開いている車両に向かって歩き出したが、私はしばらく座っていた。今乗っている電車の下に、さっきまで生きていた人間が、自ら命を絶ったという出来事について、考えていた。死を決意し、実行した人間の屍の上をたくさんの乗客が、「またか」、「まいったな」などと言いながら足早に歩いている。ホームではスマホで動画を、撮影している人が何人もいた。私は胸の高鳴りを、必死で抑えながら車内を駆けた。私は何を感じているのか、わからなかった。わからないことが良いのか悪いのかも、わからない。息をするのも忘れかけていた。ホームに出ると駅員らしき人たちが、ブルーシートで現場を隠していた。それぞれの立場の人間が、いるべき場所でやるべきことを、手早くこなしていた。まるで、それが想定されていたかのように、それが起こることを知っていたかのように。現場を隠しているブルーシートの上から、スマホをかざして何とか、「何か」を撮ろうとしている人がたくさんいた。嫌悪が蜘蛛の巣みたいになって、私を覆った。氣付いた時には遅かったようで、人ごみで身動きのとれない私は、強制的にその状況を見続けさせられた。誰に? 私だけじゃない。あの人も、あの人だってそうでしょう、人間なら誰もが心の内に宿しているはず。もっと酷い人は目の前に、たくさんいるのに。しかし、そう自分に言い聞かせていることが、とても卑劣なことだと思うと、悲しくなった。雑踏に混じって、雷鳴が轟いた。私はその場にいることができず、外に出ようと、ホームから改札にむかう階段を駆け上がった。雷光かカメラのフラッシュか、わからなかったが、確かに光った。後ろから、黒くて大きな手が、私を捕まえようとしているのがわかった。それは幻でも何でもなく、黒くて大きな手、そのものだった。

 駅を出てすぐ近くにある小さな花屋さんに、赤ちゃんの手の平位の小さなヒマワリがあった。店頭では女の人が楽しそうに、店員さんと一緒にお花を選んでいた。私は少し安堵し、近くのカフェに入った。


 真っ暗な舞台に、明かりが照らされる。

「ここは、どこ?」

 低くて耳障りな、声が響いた。

「ウマソウナ、ニオイガ、スルゾ」

 大きくて黒い、「何か」がモゾモゾとうごめいた。私は背後に気配を感じて振り返った。そこには、大きくて黒い手が揺れていた。

「コノニオイ、ニンゲンカ?」

 怪獣が私を食べようとしている。


 この胸の高鳴り、あの時と一緒だ! 警笛の大きな音が響いた。途端に私の目はくらみ、二つのライトが物凄いスピードで迫ってくる。「ねぇ! ちょっと!」千香子の声で私は目を覚ました。「大丈夫? 夢でうなされてる人間、初めて見たよ」私はミルクティーを一口飲んで、大きくため息をついた。仕事の終わる時間と帰る方向が同じだからか、千香子は突然、私の前に現れることがよくある。「花屋の仕事も大変なんだね? 今日は私も、仕事が忙しくて大変だったよ。そんでこの人身事故だからね。本当にまいった」千香子の声は、私の頭に入っても、耳には入ってこなかった。

 イギリスのキャラメルはとても柔らかい食感で、口の中でミルクティーと混ざり合うと、私に小さな幸せをくれた。千香子は、飲みかけのホットコーヒーに砂糖を入れている。入れ過ぎると太っちゃうよ、私は両手で頬杖をついた。「ダイエットシュガー」千香子は、シャカシャカと袋を振って音を出し、私の目の前で『ダイエットシュガー』の文字を見せた。なんだか矛盾してる氣がする、私は天井を仰いで呟いた。天井で回っている五つのプロペラが、タバコの煙を誘引している。しかしまだ、背の高い観葉植物の葉や幹には、タバコの煙がまとわりついていた。タバコの火が葉に移れば燃える。火葬されるのは、やっぱり人間だけではないと、口の中のキャラメルを舌で、すりつぶしながら思った。「なんか、だんだん混んできたよ。やっぱりみんな、考えることは一緒なんだね。カフェで暇潰し。……」私は、カフェの外にいる男女を凝視した。外に立っている女性の後ろ姿が、奥さんに似ている。「知り合い?」千香子もカフェの外に目をやった。違う、似てるけどよく見たら、全然違う人だった。嘘だ。「あるある。そうゆうことってあるよね。それにしても若い男と腕組んでデート? いいなぁ……にしてもちょっと歳、離れすぎじゃない? 今は歳が離れてるのも珍しくないか。知らんけど」間違いない、奥さんだ。あの男の人、一度だけ会ったことがある。奥さんの娘が幼稚園で、熱を出した時にお店まで送りに来てくれた幼稚園の先生だ。その時は奥さんも店長も、お店にいなくて私が対応したんだ。歳は確か、私と同じ。「今日はありがとうね。あの先生と同い年だと思うけど、ちょうど良いんじゃない? 彼氏に」そう奥さんは冗談を、私に言っていた。「歳が離れててもオーケー?」私の彼氏に、だなんて。あんまり離れてても嫌だな、すぐ死なれても困るし。例えるならば、心臓を鷲掴みにされて左右に揺さぶられるような感覚。経験したことないけど。「ハハハ、確かに。……また降ってきたか。雨ぇ」心臓が冷気を感じている。「ゴロゴロいってるね」カフェの外に、大きな一輪の真っ赤なバラが咲いた。しかし、それはガラスに張りついた雨粒がモザイクになって、赤くて丸い何か、としか言いようがなかったが「あ、光った」その傘のバラの茎に、はっきりと私を傷つけたトゲがあるのを見た。花の下で男女が寄り添ってどこかに向かって歩いていった。数秒後、大きな雷鳴が私の鼓膜を震わせた。「次の稽古までには、セリフ覚えなきゃ。セリフが長いから、覚えるのが大変だよ」両頬を膨らませた千香子の頭の中には、すでにセリフがほぼ完璧に入っているのを、私は知っている。そんなこと言って、本当はもう全部、頭に入ってるんでしょ? 過去をふり返っても、一番最初にセリフを覚えてくるのは、いつも千香子だった。脚本を書いた人より先に覚えてくる。それだけでなく、他の役者のセリフも覚えてきた。千香子の持つ台本はいつも、すぐにボロボロになった。それほど、読み込んでいるということだ。今も千香子の横に置いてあるバックの中から、仕事の書類と共に見える台本は、ボロボロで薄汚れているけれども、私にはその薄汚れた台本が、醜く見えなかった。むしろ、美しいとさえ思えた。「まだまだ完璧ではあ・り・ま・せ・ん」千香子は謙遜でも謙虚でもなく、何かを隠すように、そう言ったのだと私は感じた。千香子は仕事や、セリフの覚えが完璧なことをおそらく、隠したがっているに違いない。私にとって千香子の言う、「完璧」は雲の上より遠い場所にあった。「あの雲、手みたいじゃない?」いつからか私は、千香子に嫉妬していた。それが昨日からなのか、一年前からなのかは、わからない。「本当だ。黒くて大きな手……あれ?」千香子はいなくなっていた。どこにいるのかしら? 私は千香子に連絡をとろうとしたが 、いくら探しても電話帳に千香子の名前が無かった。私は周囲の客にジロジロと見られるほどに、困惑した。どうゆうこと? そういえば千香子と出会ったのは、いつだったか。忘れてしまっているのか、記憶が無い。私と千香子は、いつもくだらない話しかしてなくて、まともに会話なんてしていなかった。そういえば私、誰ともまともに会話なんて、していなかった。

 しばらくして私は、霧雨に濡れながら家に帰った。その晩、私は頭の中で色々な思い出を渦巻かせ、その姿をより一層あやふやなものにした。目を閉じてまぶたに見える青白いたくさんの光が、夜空に浮かぶ星屑に見えてきて、宇宙空間に放たれた私の思い出は重力を奪われ、地に足を着けることも出来ず、窒息して死ぬだけだった。夜明け前、思考が思想へと変貌しようとする時に、決まって眠氣が私を襲った。いつも答えは、つかみかけると指の隙間から砂がこぼれ落ちるように、逃げてしまう。いや、私自身、その答えをつかむことを拒んでいたのかもしれない。答えを知り、事実に直面することに恐怖を感じていた。翌朝には酷い眠氣と虚しい氣持ちが決まって残った。

 けれども、この日は違った。朝、眼が覚めると部屋に見たことのある、知らない人がいた。いつか一緒に舞台に立った怪獣のような、バラの傘を持つ憧れの女性のような、カフェで一緒に過ごしたような、確かに見たことあるが、知らない人は言った、

「ねぇ、そろそろラストシーン決まった?」

 その答えを私は、ようやくつかんだ。私はずっと、一人だったのだ。 


 雨の匂いが残る病院の玄関を出ると、空には絵に描いたような青空がひろがっていた。夢かもしれない、と一瞬思ったが、白衣を着た男と髪の長い女が、私の後ろに立っているのを見て、現実なのだと確信した。虹が出ていなくて少し残念だったけれど、私はキンモクセイの香りをみつけて、どこにあるのか探した。ふと見下ろした足元の水溜りに反射した空には、虹をすべるようにいわし雲が泳いでいた。

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