九章の2 お昼
テーブルに着いて最初に言葉を発したのは、やはりと言うべきか、アルフィリアからだった。
「それで……この人は誰? イチローの知りあいみたいだけど」
彼女の視線が、桃色にも見える赤みを帯びた金髪の女性、ヘルミーネに向けられる。山岳を主な住居とする職人の多い種族モンシアン、その一人であるヘルミーネもまた職人を目指しているそうだ。服装もそれらしく、他の職人が来ているようなオーバーオール……要するに某有名ゲームシリーズの主人公のような服装をしている。自身を天才と称するその腕前は定かではないが、とにかくこのテルミナスにおいて大成するつもりらしい。
ついこの間トラブルに巻き込まれ、それを協同で乗り越えたところだが……
「うちはヘルミーネ・アイゼンヴァッフェ、職人や! まだ駆け出しやけど、腕は一流やで! イチローはんとは、テルミナスに来る途中で会うたんや。いや~、あのときは……」
「すいません、その件はまだ揉めている所ですのであまり……」
「あ、そうなん? ……ほんで、このフードの人は?」
「私はアルフィリア、最近この街に来て……薬なんかを作って売ってるわ。イチローとは隣人なの。それで……」
アルフィリアの視線はこの家の住人である、黒髪を無造作に伸ばした、弱気と言うかうつむき気味というか、少なくともヘルミーネとは気が合わなさそうな女性、イルヴァ・メストに向けられる。彼女はこの世界の名門魔法学校、レナトゥスを卒業した秀才であり、このテルミナスでちょっとした、と言うには少々大きな騒動を起こしてしまった人物でもある。
その一件は、自分とアルフィリアにサクラ、その他一名の手で真相を隠蔽して事なきを得て、その後彼女は肉体や物を強化したりする魔法、付与術で生計を立てている。今日はオフなのかローブ姿ではなく紺色で半袖のワンピースと、夏らしい装いになっていた。
「イルヴァ、なんか途中で乱入しちゃったけど、何の話をしてたの?」
「えっ、と……いきなりこのモンシアンが、『目を良くする魔法をかけてくれ』って……」
「だって、付与術ってそういうもんなんやろ? 手や足を強くできるなら目かて同じことできるんちゃうん」
「目と手じゃ全然理屈が違う……」
「以前ご一緒した時は特に目が悪いようには見えませんでしたが……」
「ああ、別に目は悪くないで? ただちょっと困ったことがあってな……」
どうにも話が長くなりそうな気配がしてきたが、アルフィリアはその話に付き合うつもりらしい。なのでこちらの選択も必然同じものとなる……どのみち暇ではあることだし、無為に過ごすよりはマシかと考え、ヘルミーネの話に耳を傾けた。
「言った通り、うちは職人になるつもりなんやけど、最初からデカい炉やらなにやら持つんは流石に無理やからな。手持ちの道具だけで出来る事から始めようと思って……修理屋を始めたんや」
「修理って、なんの?」
「何でもや。それで昨日最初のお客が来たんやけどな、頼まれたのが……時計やってん。手のひら大の懐中時計」
「それがどうして、私の所に……」
「時計ってのは細かい部品が多うて、どうしても拡大鏡が要るんや。うちも持ってたんやけど、街に来る途中で壊れてもうてな……」
「ああ……」
ヘルミーナの言に心当たりはある。彼女が山賊に斬りかかられた時、背負っていた荷物がそれを防ぎ、難を逃れたことがあった。壊れたのはおそらくその時だろう。
「それで拡大鏡代わりに魔法で目を良くしようって……短絡的すぎ……」
「せやかて、同じ体の事なんやから出来る思うたもん」
「自分で修理するか、あるいは新しい物を買えばよいのではないですか? 同じような事がある度に、魔法をかけてもらうと言う訳にもいかないと思うのですが」
「そうなんやけど、壊れたのがレンズ……つまり厚みに変化を付けたガラス板部分なんや。ガラスから作るなら炉が無いとあかんし、レンズに使う様なガラスは凄く透き通った無色のガラスで、めっちゃ高いねん……今、家賃やらなにやらで首が回らんし……」
「私への料金は……?」
「銀貨5枚って聞いたで? そんくらいなら」
「10倍貰っても嫌……難しさも責任も10倍じゃ済まないし……」
「そんな殺生な~……」
「ガラス……ガラスかぁ……」
肩を掴んで揺さぶり懇願にかかるヘルミーネと迷惑そうなイルヴァを尻目に、俯き額に人差し指を当てたアルフィリアが何やら呟く。思考が漏れ出しているようなその小声は隣で騒ぐ2人にかき消され聞き取れないが……やがて。
「何とかなるかも、ガラス」
小さく、だがはっきりとそう呟いた。
「なんやて!? それホンマか!?」
「うわ、近い近い」
それを聞きつけたヘルミーネは前のめりに机に乗り上げ、アルフィリアに顔を近づけ……アルフィリアに手で押し返された。解放されたイルヴァは服を整えつつも、怪訝な顔を見せる。
「薬師なのに、どうやってガラスを……?」
「ちょっと、ね……独自の方法と言うか。まだわからないけど……」
「直るんやったら何でもええわ、質のいいガラス板さえあれば後はこっちで削るさかい!」
「じゃあ、ひとまずその壊れたって言うレンズを持ってきてくれる?」
「うん、すぐ持ってくるから待っててんか!」
言うが早いかヘルミーネは飛び出していく。そしてそれを見送った家主が、一言。
「私の家なのに……」
「まーまー。それで、イルヴァの方は最近どうなの?」
ささやかなその抗議は無視され……代わりに、待っている間の世間話の相手に選ばれたようだ。考えてみれば相当図々しい事をしているが、一応彼女にとっては自分とアルフィリアは恩人と言う扱いになるのか、追い出されないで済んでいる。
「どうって言うほどの事も……生活できる程度に稼いでるくらいで……」
「魔法をかけることを商売にしている人はあまり見かけませんが、儲かるのですか?」
「それは……多分そこそこ技術がある人は他にいくらでも仕事があるから……」
「ん~……確かに専属で雇ったりとかありそうよね。イルヴァはそう言うの興味ないの?」
「私は、のんびり暮らすだけのお金があれば……出来ればお仕事も、あんまりしたくないし……もう面接とか試験とかやだし……」
「それは……もったいないんじゃない? せっかくレナトゥスまで出たのに」
「役所の面接って凄く陰湿だし……男性経験、とか……いろいろ、恥ずかしい質問もされたり……」
「それは……一般に戸惑う質問をぶつけることでその人がどう対応するか見ているのでは?」
圧迫面接と言う物は、地球においても存在する……大体において、優良企業であるとか人気のある企業や公務員に多いと言うが……
「……質問に正直に答えさせるアーティファクトがあって……それを使って、色々……うぅ……」
涙目になってしまった……イルヴァは就職活動に失敗してこちらに来たという経緯がある。そのトラウマを掘り返してしまったかもしれない。
「(そう言えば、こっちに来て最初にそんな感じの道具を使われたような……)」
「な、泣くことないじゃない……えっと、ほら、向き不向きとかあるし!」
「くすん……」
重くなった空気をどうにかこうにか持ち直し……時間にして15分ほど経ったころ、ヘルミーナが駆け足で戻ってきた。
「これや! 自分で言うのもなんやけど……結構な高級品なんやで?」
机に置かれたのは、シルクハットの天辺ををくりぬいてレンズをはめたような形状の、片目だけにはめる拡大鏡。だがそのレンズ部分はひび割れ、欠けてしまっていた。
「へえ……こういうのって初めて見た。ふんふん、木製か……ベルトで頭に固定するのね」
「両手が自由に使えるのが良い所なんや。長いこと着けてると目痛くなるけどな」
「このレンズ、預けてもらえる? 多分返せないと思うけど」
「ええで。割れたレンズなんて何にもならんしな」
ヘルミーネが少し弄ると、透明なレンズが床の上に転がる。それを手に取って荷物に仕舞いこみ……
「じゃあ、私は一旦帰って……あ、連絡先わからないとだめよね。私はこの先のアパートに住んでるんだけど、あなたは?」
「うちは職人街の外れの方や。なんか丁度空いた物件があってな……」
ヘルミーネと住所を交換したところで、アルフィリアは席を立った。ヘルミーネは意外と近所に越してきていたらしく、イルヴァの家から5~600mほど。アパートからは1km強といったところだろうか。
そして、そんな「ご近所さん」からの頼みを引き受けたアルフィリアだが……
「何故、初対面の相手にあんな申し出を? 報酬の事も話さないままで……」
「別に慈善事業ってわけでも無いわ。前に言ったような気もするけど……私の魔法って工作に向かないのよ。作れて板材とか角材、頑張ればちょっと曲がったのも作れるくらいでね」
「それを加工できる相手とのつながりを持っておきたい、と?」
「そういうこと。あと私は薬だけで終わるつもりはないのよ。ガラスは……そのとっかかりになれば、ってこと」
アルフィリアの考えはわかった。新市場の開拓と新分野への参入、それを同時にやってしまおうというのだろう……
「話は分かりましたが……そう上手く行くでしょうか」
「半分くらい、物は試しだけどね。やってみる価値はあるはずよ」
彼女の声は弾むかのように明るく楽しげだ。小走りになっている彼女に歩調を合わせ、アパートへの道を急ぐ。小屋から顔を出したサクラに軽く手を振り、そのまま自室へ入った。
「って、なんであんたも入ってくるの」
「荷物を預かったままなので……」
「女の子の部屋をなんだと思ってんのよ……まあいいわ。見張りも要らないだろうし。荷物はそこに置いといて」
部屋の間取りはこちらの物と一緒だが……小さなテーブルにティーセットが乗り、書き物机にはペンといくつかの本。コートかけにハンガーと、最低限の家具がそろっていて、全体的に清潔感があり、きちんと住居として整えられている、と言う印象がある。
「(いつの間に家具を揃えたのか……)」
「さてさて……なんにしてもまずはこのレンズからね……あ、ちょっとテーブル動かして」
部屋の片隅に荷物を置き、壁際に置かれていたテーブルを中央に寄せる。その周囲に広いスペースを確保して窓を閉め……テーブルの上に、割れたレンズを置いた。
「よーし、それじゃあ……」
レンズを中心にオドの光で円を描き、そこからさらに放射状に線を、その先一つ一つにまた円……それぞれに細かく何かが書き込まれており、複雑な、淡く光る紋様が描きあげられていく。その意味するところはさっぱり分からないものの、青い髪を揺らしながら図形を描くアルフィリアの姿はどこか楽しげなのは見て取れた。そんな時、作業を続けながらも、彼女は横目で見返してくる。
「……えっと、あんまりじっと見つめられると、気恥ずかしいんだけど」
「すいません……落ち着いて錬金術を見るのは初めてなので」
「そういえば……そうだっけ。最初は怪我してたものね……よしっ」
最後の円に書き込みを終えたらしく、指先の光を消したアルフィリアは再びレンズの横に立つ。穏やかな光を放ち、直径2m強ほどの円状に広がる幾何学的な紋様は回路図のようでもあり、物質の構造式のようでもある。
「ま、見学したいならしていいけど。魔法使えないんじゃ盗みようもないだろうしね」
「では、お言葉に甘えます」
「うん。さてさて……今回私はレンズ用のガラスを作らないといけないわけだけど、その素材がまだわからないわけ」
「ガラスなのですから、主に……」
「人の話を遮らない!」
大上段に構えてから振り下ろした指先を突き付け、こちらを黙らせる。気恥ずかしいなどと言う割には、割と楽しんでいるようだ……
「マテリアの話は前にしたわね? あらゆる物質はこのマテリアの組み合わせで構成されてるって私たちは考えるの。まあ、一言にマテリアと言ってもさらに段階があったりするんだけど……これは、物をそのマテリアに分解する式なの」
「随分と……大きいのですね。前に見た時はもっと小さかったはずですが」
「これは解析用なのよ。場所を取っちゃうのが欠点だけれど、その分……」
アルフィリアが掌をレンズに向け強いオドの光を放って、その魔法を……起動したようだ。紋様の淡い光が中心から強まり、レンズが光の粒子となって宙を漂い……放射状の線の一つをなぞり、動き始めた。せいぜい亀が急いで歩く程度の速さではあるが、止まることなく確実に、時には分岐点で二つに分かれ、時には一部を円の中に残し……やがて別れた粒子全てが、幾つかの円に収まって止まった。
「これで、レンズがどんな物からできているか分かったわけ……ふ~ん、ほとんどは水晶か。それに若干の金属……これは抜いていいのかどうかね。うーん……」
円の中に留まった粒子を睨み何やら考え込む。紋様の円一つずつが、アルフィリアの言うマテリア……恐らく地球で言う原子や分子に相当する何か、に対応しているのだろう。粒子は微妙に色味も違っているようだが、それにどんな意味があるのかは解らない……そもそも専門家でもないし習得もできないのに、あまり考察しても意味はないかもしれない。
「それでは……」
「ま、とにかく主成分を取りに行くわよ。イチロー、準備して」
「はい?」
仕事は終わったのだし一休みしようと考えていたのだが……どうやら昼食の借りはまだ返済しきれていないらしい。だがそれよりも……
「取りに行くと言っても、主成分は水晶と言いましたよね? 一体どこで……」
「水晶って言えば大仰だけど、要するに砂よ砂。どこにでもある普通の砂」
「でしたら、中庭の」
「砂だって言ってんでしょ。土とは別物」
アルフィリアが円の一つをスマホのフリックのように内側へなぞると、その中にあった粒子が凝縮し、透明な小石になって床に転がった。それを拾ってから手のひらを翻すと、紋様は消え失せ、強い静電気のような音が鳴る。
「今のは……」
「ん? マテリアの段階を上げて、安定させた……要するに、普通の水晶に戻したのよ。さっきパチッって言ったでしょ? 不安定なままだと自分から安定しようとして、ああやって破裂に近い現象を起こすの。微量なら無視できるけど、ちょっと量があると、ね」
「……安全とは、言い難い技術なんですね」
「そりゃ、普通は炉やらなにやら使う物を魔法だけで何とかするんだもの、ちょっとくらい仕方ないわ。そんな事より砂よ砂、湾の向こうに砂浜があったから、そこへ取りに行くわよ」
帰って来たばかりだというのにまたフードを被って出かける準備をするアルフィリア。何とも忙しない事ではあるが、予定があるわけでも無い。今日一日は彼女に付き合うことにして、ついでに散歩もしておくべくサクラの散歩の紐をほどき、2人と1匹でアパートを出発した……




