九章の3 午後
この島は円状の島に切り込むように湾があり、地図で見れば丁度小文字の「e」のようになっている……筈だ。そのうち地図で確かめてみるとしよう。
その「e」の下部分を目指し、湾を回り込む形で南西へ。闘技場や観光客向けの商業施設が建ち並ぶ区域を抜けていくと、急に視界が開け……目前に、白い砂浜が広がっていた。
「着いた~! うっわ~、広い!」
小走りに、舗装された道路から砂浜に降りるアルフィリアとサクラ。それに続いて砂を踏むと、乾いた軽い感触が靴越しに伝わる。砂浜には飲食物の屋台がいくつも並び、それを買い求める水着の人々はいずれも明るい表情を浮かべている。そして……白い一面の砂を青く切り取ったかのような海。空のそれとは違う深みのある青が彼方まで続き、波の音は爽やかに染み入って来る。
「……どうしたのよ、ぼーっとして」
「いえ、その……こうして本物の砂浜を見るのは初めてなので」
「ははーん、なるほど。イチローって感動した時は見とれちゃう人なのね」
「はあ……とにかく、砂を取りましょう」
「あ~、照れ隠し~」
感動……なのだろうか。動画では見たことがあるのだからそこまでではないような気もする。だが風の肌触りや濃い潮の香、海鳥の声と共に味わうこの感覚は確かに、新鮮なものかもしれない。
砂の採取は特にこれと言ったこともなく完了した。足元にある砂を拾うだけなのだから当然と言えば当然のことだが。砂浜だというのに普段着なのは少々奇異の目を向けられたような気もしたが、それよりも海で泳ぐ方を皆優先しているのだろう。革袋幾つかに砂を詰め終え、いつの間にか波打ち際で遊んでいるアルフィリアとサクラのもとへ戻る……海に近づきすぎたサクラが波をモロに浴び、体を振って飛沫を飛ばしていた。
「あ、お疲れ~」
「とりあえず……用意した袋には詰めましたが」
「うん、それじゃあ用事は済んだけど……せっかくだし、ちょっと海辺を歩いてみない?」
問いかけの形ではあったが、すでにアルフィリアは歩き出している。浜辺の道を行けば、目に入るのはいかにも高級と言わんばかりのホテルが立ち並ぶ光景。見るだけでそれとわかる金持ちが出入りしていて、どうにも自分達は場違いだ。
「そのうち、こんな所で贅沢暮らしってのも、一度やってみたいわね……」
「夢が多いですね……」
「そりゃ生きてるんだもの。やりたいことは幾らでもあるわよ」
何とも、前向きなことだ。普通はやりたくとも無理だということがわかっていそうなものだが……それを出来ると確信しているのだろうか。そのくらいの自信がないと、自営業は務まらないのかもしれないが、自分には何とも共感しがたい心理だ。とは言え彼女にはその夢を実現するだけの能力があるのやも、とも思わずにはいられない。錬金術にはそれだけの可能性があるように思える……なぜ禁術なのかが理解できないほどに。
そんな考えを浮かべながら道を行くと、やがて砂浜が終わり、釣り人がそこかしこに立つ岩礁へと風景が変わる。砂浜と違い、波の音は荒々しさを帯びた砕けるような音で鼓膜に響いていた。
「こんな所もあるのね……あっちに行ってみない?」
「危ないですよ……足場は不安定で、滑りますし」
「うーん……でもちょっとだけだから」
石造りの道から不規則な形の岩に降りていくアルフィリア。引かれるサクラは未知の地形に躊躇っているようだが、それでも野生のなせる技か、岩から岩へと上手く飛び移り、アルフィリアに続く。
仕方なくこちらも岩場に降り、かがみこんで何かを見ている一人と一匹のもとへと近寄ると……岩場にできた水たまりに、ヒトデやエビ、名も知らぬ小魚。海の小動物が身を寄せ合っていた。
「図鑑でしか見たことのない生き物ばっかり……何かに使ったりできないかしら」
「食用以外にはならないと思いますが……」
「本には薬にできるってあったもの。そのうち試してみないとね……」
そういえば、良くわからない亜人も材料にしていた。ヒトデくらい今更と考えるべきなのだろうか……サクラも初めて見るカラフルな生き物に警戒しているのか興奮しているのか、つまみあげられたそれの匂いをしきりに嗅いで……齧った。が、すぐ吐き出す。
「こらサクラ、変なもの食べないの」
「その変な物を薬にしようと企んでいる人が言いますか」
「私はちゃんとやるからいいのよ」
今一根拠を感じられない発言と共に、水の中にヒトデを戻した彼女は背伸びを一つ。傾きだした太陽を見て、「あ」と一言呟いた。
「6時半ってとこか……そろそろ帰らないとね。どうせなら、端のほうまで行ってみたかったけど」
「またいつでも行けるでしょう」
「そうね、その時はまたあんたが荷物持ちよ?」
「私も行くんですか……」
「どうせ暇でしょ」
「それは……否定しづらいのですが」
取りとめのない話をしながらアルフィリアを道に引き上げ、来た道を戻る。アパートに着いたころには、空は薄く染まりだしていた。
ひとまず荷物を置いて、こちらは夕食の準備をしようかと台所へと向かったのだが……入った途端に何か、嗅ぎ慣れない匂いがした。それは火にかけられた鍋からしているようで、小さな影がその前に立ち、何かを鍋の中に入れ……こちらを振り向く。
「や、元気にしてた?」
「それなりには……」
軽い調子で話しかけてきたのはリンラン。自分をこのアパートに紹介してくれた人物だ。草原で暮らす、ヘルバニアンと呼ばれる小柄な種族であり、どうにも神出鬼没な印象がある。薬草の交易をしている一方で探偵のような真似をしていたりと、いまいち何者なのか良くわからないが……一体今は何をしているのだろう。
「こちらで、何を?」
「やー、君のお友達に薬草のお試し品を持ってきたんだけどさ。留守にしてたから、待ってようと思ったらこんな時間になっちゃって」
「その……鍋は?」
「リンランの地元料理だとさ。香草をたっぷり使った魚のスープ。まあ、ちょいと好みのわかれる味だがね。何やら気まぐれを起こしたんだろうよ」
煮込む音がする台所に、アパートの大家サンドラもやってきた。あまり親切そうには見えない独り身の中年女性だが、家賃の支払いをある程度柔軟にしてくれるなど、意外と話の分かる人物だ。リンランとは知り合いのようだがその辺りの詳細は聞いていない……あえて聞かなければならないということでもないだろう。
「たまには故郷の料理を作らないと、自分が何者か忘れてしまいそうになったりしないかい? サンドラ」
「パイでも焼けってかい? 料理一つでどうこうなるような、やわなタマじゃないだろう。お互いに」
「言うね~。あ、君たちの分もあるからさ。アルフィリアも呼んできてよ」
調理はすでに最終段階になっていたようだ。アルフィリアの部屋をノックすると、これほど早く夕食になるとは思っていなかったらしく、中から少し慌てた声。台所で食器を用意しているうちに部屋から出てきたが、リンランの姿を見て慌ててパーカーのフードを被るのが見えた。
「おまた……うわ、何この匂い。香草?」
「あたしの地元料理だよ、召し上がれ」
シチュー皿には薄く白っぽい色の付いた透明なスープが注がれている。具は魚の切り身に、いくつもの雑草を適当に切ったかのように見える葉や茎。見た目は余り食欲をそそらないが……物は試しと、スープを口にする。
最初に感じるのは酸味。酢とも安物の蜜柑とも違うそれには若干の戸惑いを覚える。飲み込むと後味にやや痺れるような辛み。二口目を口にすると酸味に慣れた舌に魚由来らしい旨味が伝わる。そして鼻に抜ける強い香草の香り。
「これは……なんというか。独特な味ですね……」
「複雑な味……すっぱ辛い、辛いけどすぐ次が飲みたくなって……あ、でも魚はパサパサ……」
「本来は淡水魚だから、よく煮ておかないとお腹壊すんだよ。これは鱈だけどね」
「入れるタイミングをずらせばいいんじゃないのかい」
「出汁とる意味もあるからさ」
「(見た目の割に青臭さは無いけど……食感はやっぱり草だな)」
「ん~、ヘルバニアン料理って初めてだけど……中々美味しいじゃない。食べ慣れてくると味がわかってくる感じ」
「三口で食べ慣れるやつは初めてだね~。ま、気に入ったならお代わりもあるよ」
リンラン曰く、淡水魚や小さ目の獣や鳥、時にはトカゲや虫まで。そう言った蛋白源をたっぷりの香草と共に炒めたり煮たりするのがヘルバニアン料理なのだそうだ。他にも芋や豆を主食として食べるそうだが、今回はパンで済ます。
薬草談義で盛り上がるリンランとアルフィリアを横目に、食事を終えて皿を洗い、中庭から橙に染まった空を見上げる。餌をもらい損ねていたサクラが寄って来るが、嗅ぎ慣れない匂いに驚いたのか、くしゃみの様な声を上げて小屋に引っ込んでしまった。寝るにはまだ少し早いかと、水汲み場に寄りかかり雲など眺めてみる。
「物思いにふけるには、まだ早くないかい?」
いつの間にか背後、水汲み場にリンランが立っていた。薬草談義は終わったのか、アルフィリアが部屋に帰っていくのが見える。
「聞いたよ? 死にかけるわ騙されるわで散々らしいじゃないか。よくよく運が無いみたいだね、君も」
「……運も実力のうちと言いますから」
「お祈りでもしてみるかい? 君たちの世界にも、神様くらいいるだろう」
「概念としては。実物は居ません」
「なるほど、祈りなんて無駄って考えか」
リンランが頭上を飛び越え、目の前に降り立つ。振り向くその顔は小さく笑みを浮かべているが……
「いや、嫌いじゃないよ、そういう考え方。何かに頼ることをせず、自分の実力だけを当てにして生きていく。結構なことじゃないか」
「何にも頼らない、というのは難しそうですが……」
実際、アルフィリアの薬を始め他人には頼りっぱなしでどうにかこうにか生きているというのが現状だ。対価を渡してはいるものの、彼女達が居なければ早々に野垂れ死にだろう。到底、自分の実力だけで生きているとは言えない。
「はは、じゃあそれを目指してるって所かな? 何にしてもまだ死んでないし、やる気も萎えてない。それならまだやってけるさ。ほら」
懐から出した封筒らしきものを、リンランはこちらに手渡す。宛名は散々練習した名前、つまり自分あて。差出人の文字列にも見覚えがある……探検者組合の物だ。裏面には赤色のスタンプ……ではない。羅針盤の模様が刻まれたそれはコインのようにも見えたが、触ってみると金属とも違う感触で、剥そうとしているうちに割れてしまった。どうやら、蝋か何かのような物だったらしい。
折りたたまれた紙を広げると、そこには何やら長々とした文章が書かれているが、その半分以上が読むことができない……
「『イチロー様……以前の……終わり……金貨2枚……』」
「……読んだげるよ、貸しな」
どうにも、文字の勉強は滞りがちだ。手紙をリンランに渡し、読み上げてもらう。
「えーとなになに……『イチロー様。先に貴殿が受領された、カソーニ商会の馬車護衛依頼の件に関して、先方との交渉がまとまりましたのでお知らせいたします。カソーニ商会とは当初の依頼通りの報酬、金貨2枚を支払うという形で合意に至りました。つきましては、報酬の受け取りのため、可及的速やかに組合本部まで出頭願います』だってさ」
「事後処理の連絡でしたか……しかし、なぜ組合の連絡書類を?」
「便利屋やってそこそこ経つからね~。いろんなところから雑用頼まれたりするんだよ。特にほら、君は住所を組合に登録していないだろう?」
「……そう言えば」
「ま、探検者は根無し草みたいなものだから一々住所までは確認しないんだけどさ。別に減るもんじゃなし、登録しとけば? 君が何を考えているにしろ、当分この街で生きていくことになるんだからさ」
手紙をこちらに返すと、リンランは母屋の方に消えていった……休み期間は今日で終わりになるだろう。餌袋片手に出てきたアルフィリアと軽く挨拶を交わし、部屋に戻る。明日からは再び日常が始まることだろう。あるいは、今日のような物こそ日常であり、明日から再開される物こそ非日常なのかもしれないが……どちらにせよ、そこに身を投じることは決定している。
夕日が差す窓を閉め、藁のベッドに横たわって目を閉じる。今日は一日アルフィリアと行動することとなり、あまり休んだ気はしない……だがそれは、決して悪い時間ではなかったと、そう思えた。




