五章の5 勝者の権利行使
目を見開き、こちらの腕に爪を食いこませたままのベスティアン。10秒か15秒かしてその絶命に気付いたが、それは安堵を意味するものではなかった。
「……大丈夫ですか!?」
腕に食い込んだ爪を引きはがし、肩を抑えうずくまったままのアルフィリアに駆け寄る。刺された肩は、白い服に赤い染みが広がっていた。
「……い、ったい……凄く、痛い……」
「当たり前です……! 早く手当てを……」
「わかってる……お願い、薬、取って……」
アルフィリアの荷物から軟膏の大瓶を取り、ふたを開ける。外套の肩をはだけたアルフィリアは手を服の中に入れ、痛みに喘ぎながらも傷口に薬を塗って、さらに魔法での手当てを施す。
「はぁ……うん、楽になった」
「肩だからよかったものの……首や頭だったらどうするつもりだったんですか」
「だって、サクラを連れてきたのは私だもの……」
ようやく体を起こした彼女の下から、そのサクラも姿を見せる。小さく、ゴムの擦れるような声で鳴きながら辺りを見回し、座り込んだアルフィリアの膝に乗り、顔を舐めた。
「ひゃ。もう、くすぐったいわよ、サクラ」
「(ひとまずこちらは大丈夫だとして……)」
アルフィリアのしかめていた表情が少し柔らかくなったところで、残る一人、ウーベルトの姿を探す。例によって姿を消していたようだが、戦闘が終わったというのに戻ってこない。一つの可能性が頭に浮かぶが、それを確かめる前に繁みから当の本人が出てきた。
「旦那! ……おお、ご無事で」
「ええ、何とか。ただ……」
アルフィリアを横目に見る。既にフードを被りなおしていたアルフィリアだが、傷を負ったことは肩の染みを見れば一目瞭然だろう。
「薬師殿、手傷を?」
「もう手当てしたわ。けど、もっと来たりしたら……」
「ああ、そいつはご心配なさらず。旦那が戦っている間にこの辺り……奴らが来た方は特に念入りに調べておきやした。もう他にはいないようでさ」
「(それで、しばらく戻ってこなかったのか)」
確かに、もう周りから何かが現れるような気配はしない。辺りに散らばった装備を回収して、ようやく一息つくことができた……勝ちはしたが、苦戦と言う他ない戦いだった。
「……これで、弱い方なんですね」
「いやあ、今回は運が悪かった。鎖帷子が無きゃ、旦那の一発で終わってた筈でさ。おそらく、他の探検者からでも奪い取ったんでしょうな」
「少なくとも、次なる犠牲者にはならずに済んだってことね……」
「そうですね……この槍と鎖帷子は貰ってしまいましょう。他に何か、使える部分は……」
「耳を持ってきゃ、討伐奨励金が貰えやすぜ。他は……うーん、これと言ったもんは……」
「奨励金?」
「へえ、この通り邪魔な連中なんで……ま、無いよりはマシ程度ではありやすが」
「(害獣扱いなわけか……)では、耳は取っておくとして……後はキノコですね」
ナイフで耳を切り落とし、汚れた物や潰れた物を避けてキノコを集める。ゴブリンたちが集めていた物も戦利品として取り、何とか今回の目標、キノコ一袋を達成した。長居は無用と立ち去ろうとするが、アルフィリアが三つの死体を見つめて腕組みをし、何か唸っている。
「……どうしました?」
「ああ……ちょっと、ね……」
「お二人とも、いくら周りを調べておいたとはいえ、そのうち血の匂いで獣も集まってきまさあ。長居は無用ですぜ」
「うん、わかってる……ねえイチロー、鉈貸して」
「はい……? どうぞ」
「うん。よし……」
「……ええ!? 薬師殿、何やってんだあんた!?」
アルフィリアは鉈を受け取るや否や、死体の首を切り落としにかかる。鋸のように刃を左右させ、肉は切り開かれたものの、首の骨で苦労しているようだ。
「何って、首落としてるのよ……あ~、だめ、骨が硬い……イチロー、ちょっと手伝ってくれる?」
「手伝ってって……まさか、首を持って帰るつもりですか?」
「そうよ、あと心臓と肝臓! できれば丸ごと持って帰りたいけど、さすがにかさ張るから」
「いや……いやいや薬師殿! それは、あれですかい!? それで薬を作ろうってことですかい!?」
「まだ考えの段階だけどね……あ、良い感じ、よしっ」
刃が骨の継ぎ目に入ったか、手に抱えていた頭がちぎるような音と共に、胴体から離れる。続いて腹を裂き、中身を鉈の先端でより分けだす。
「えっと、腸、胃、で、この辺りが……肝臓、あった! じゃあ、近くに心臓も……」
鉈の刃が完全に血で染まった頃、アルフィリアは二つの臓器を持参の革袋に詰めていた。
血だまりが足元にでき、白い服のあちこちに染みを作っていたが、その顔は満足……と言うか、何かを楽しみにしている風に見える。
「よし、お待たせ……ひとまず一組でいいわ。あ、こらサクラ、めっ」
鉈の血を拭い、こぼれた内臓を食べようとするサクラをたしなめてから、遠巻きに見ていたウーベルトの方へとアルフィリアは足を向け、こちらもそれに続く。後を追いかけてくるものは無く、森を抜け、小屋を通り過ぎ、プリモパエゼにたどり着くと、すでに日は暮れていた。
「は~、あの森にロヴィスがねえ」
「ロヴィス?」
「あいつらの事でさ。ベスティアンってのは総称、あの種類がロヴィスって呼ばれてるんで」
「この辺りも随分静かになったと思ったけど、まだ出るんだねえ。うちの村に犠牲が出る前で良かったよ。大盛りにしとくから、たんと食っていきな!」
2割ほど量の増えた食事を終え、再び馬小屋で宿泊する。特に気兼ねをすることもなく、さっさと寝ようと思ったが……肩をアルフィリアの指先がつつく。
「……イチロー。ちょっと外を見張っててくれない?」
「見張り、ですか?」
「うん、頭と内臓、今のうちに処理しとこうと思って……だから、ね?」
「ああ……わかりました」
「ごめんね、なるべく早く済ませるから。ほら、サクラも行っといで」
外の様子をうかがうようにしながら窓を閉め、声をひそめるアルフィリア。処理、と言うのは当然錬金術だろう。具体的にどうするのかは不明だが、さすがに生首と内臓よりも不審な物体にはならないはずだ。小屋の出入り口に座り、サクラを撫でながら中から声がかかるのを待つ。
「おや、旦那起きてらしたんで」
「ああ……ちょっと星でも見ようかと」
「そうでやすか。時に……」
そこへ通りすがったのはウーベルト……夜の散策でもしていたのだろうか。そのまま通り過ぎるかと思ったが……何か神妙な顔で、話を続けた。
「旦那、あの薬師、一体何者なんで?」
「何者、とは?」
「何と言うか……やばいですぜ、あの女は。いや、薬で命救ってもらっといて、とは思いますぜ? だがそれにしたってだ。あんまり深入りしない方が……」
「何を突然に、そんな……」
「だってそうでやしょう? 臓物やら生首やらを……刻むのか煮るのか知りやせんが、混ぜて薬にして売りさばくなんて……気味が悪い」
「生理的嫌悪感を感じるというのはわかりますが……それと個人の性質の良し悪しは、また別の話では? 動物の皮剥ぎだって、気持ち悪いと見る人は居るでしょう」
「ううむ……いや、しかしですよ旦那。見たところ13,4の子供だ。その歳で親元から離れて、ってのはままある話でやすが……『考えの段階』ってこたあ、高弟とかじゃなく、独立してるってことでやしょ? 普通そんなことはできやせんぜ。おまけに生首やら臓物を笑って切り取るわ……とにかく、普通じゃあねえ。それに……」
「それに?」
「……『幽鬼』でやしょ? 薬師殿」
「……なぜ、そうだと?」
「怪我を治している所をチラ、と見たんでさ。髪が青かった……染めてるんなら、わざわざ隠したりはしねえ。となれば……だ」
「そうですか……」
怪我を治療する必要があったとはいえ、迂闊だったかもしれない。ここで変に否定をしたとしても、ウーベルトはアルフィリアだけでなく、こちらに対しても不信感を持つだろう。では肯定すべきか……しかし、既にばれたとは言え、アルフィリアは隠したがっている。ウーベルトが言いふらすのは避けられないとして、そこに自分の名前が出るのはアルフィリアからの不評を買いかねない……となると。
「何者か……という話でしたが。私も良くわかりません」
「わからないって、旦那……」
「成り行き上一緒に行動してきただけで、経歴だの内面だのに踏み込むような関係ではなかったので」
「へえ……そうですかい。いや、随分と気安い関係のように見えたもんで」
「ただ」
「ただ?」
「私はあの人をこの世界で一番信頼しています。生首を切り落とそうが『幽鬼』だろうが、それは変わりません」
「はあ……旦那がそこまで言うんでしたら……あっしが口を挟むことじゃありやせんな」
「忠告は歓迎するつもりですが……少なくとも、薬の効果は本物だとその体で分かっているはずです。彼女が働いてくれるだけで、私たち皆に利益になる、違いますか?」
「へへ、そうでやすなあ……どんな人間でも実力で評価を得る機会がある、それがテルミナス、探検者ってもんですからなあ。や、ご心配なく。その芽を摘むような野暮はしやせん。それじゃあ、お先に失礼しやす、旦那」
ウーベルトは頭を下げて、宿の方へと戻っていく。どうにか話題をはぐらかせただろうか。
「(いや……もうちょっと、こう……中立的な言い方ができたか……)」
失敗しただろうかなどと考えながら、寝そべるサクラでも撫でようとしたとき。背後の扉越しに声がかけられた。
「お待たせ、もういいわよ」
サクラを連れて小屋に戻れば、錬金術の跡だろうか。ランタンの灯りの中、床に何かの液体や砂の様な物が散らばっているのが見える。
「これは……」
「ただの水よ、砂っぽいのは骨の残骸。で、これが……処理してできた原質! どう?」
アルフィリアがマテリアと呼ぶのは、砂糖をさらに細かくしたような粉末やら、マヨネーズを薄めたような粘性の液体といった、瓶詰された怪しい物質。どうやら種類ごとに分けられているらしいが、その差は自分には良く解らなかった。
「マテリア……ですか」
「そ。あんたにもわかるように言うなら、パンを作るときの小麦粉って所かしら。ここから色々混ぜたりして、薬にしていくのよ」
「生首から直に薬を作る、と言うわけでも無いんですね」
「確かに、それもできるんだけどね。あんたに初めて見せたのはその方法だったし。けど生だとかさ張るし、それにやっぱり……気持ち、悪いでしょ?」
眉を落としながらも、笑みを浮かべるアルフィリア。別に首を落とそうが臓物を抜こうが仕事なのだから気にはしないが、そういうことではないのだろう。
「生首や内臓ですからね……見て楽しい人は少ないかと」
「そっか……やっぱり、そう思うわよね……」
「……原材料や途中課程が見苦しい物なんて、私の世界にも沢山ありました」
「……例えば?」
「……猫の糞から取ったコーヒーだとか」
「こーひー……って、何?」
「ああ……」
自動翻訳は正常に働いている。なのに意味が伝わらないということは、この世界にはコーヒーの概念がないのだろう……飲まないので別に問題は無いが。
「そういう植物があるんです。種を煮だした物が飲み物として世界中で……」
「え? 飲み物? でも今猫の糞って」
「……超高級品だそうです」
「えぇ~……うっそだ~」
「嘘じゃありません」
「だって猫の糞……ええ~……誰がそんなこと考えたのかしら」
笑いと疑いが混ざった声が隣の馬房から聞こえる……実際どこの誰なのだろうか、猫の糞からコーヒーを作ろうなどと考えたのは。
「(……いやいや、話が逸れてきてる。こっちが言いたいのは……)」
「うん、よし! 気が晴れた! 大事なのは完成品だものね……要は見られなきゃいいのよ。ウダウダ言うなら品質で黙らせる! これしかない! ……さ、寝よっか、サクラ。イチローも、おやすみ」
考えている間に、勝手に気持ちの整理をつけたようだ。どうやら気を許したらしいサクラもその隣で寝そべり、両方とも静かな寝息を立て始めた。何とも健康的なメンタルを持っているようで結構なことだが、どうにか気を持ち直させようとしていたこちらの立場という物も少しは考えてくれない物だろうか。
「(……いや、なんでそんなこと?)」
アルフィリアの生活の糧である以上、放っておいても薬を作り続けるのは明白だ。他に仕事を変えてしまうのならともかく、彼女の場合それは考えにくい。『別に気持ち悪くなどない』と答えれば済んだ話ではないだろうか。
「(……寝よ)」
いずれにしても、終わったことの理由など考える意味もない。アルフィリアの気は晴れたのだから問題ないということにしておく。床に横になって瞼を閉じ、やがて隣から聞こえる寝息が遠くなっていった……




