第二章 一話b
「竜だとっ、なぜこんなところに!?」
レーヴェストはその瞳に睨まれただけで、心臓が握り潰されそうなほどの圧迫感を受ける。
『それはこちらの台詞だ人間よ。ここは我が治めし山。何故に結界を破り立ち入った』
それはレーヴェストにとって、驚きの事実だった。
「(飛行魔術を打ち消したのは竜の結界か)」
彼女も竜の住む山の話は知っていたが、それは目的地とはだいぶ方角が違う。疲労のせいで方角を誤ったのだ。
レーヴェストが竜の聖域に立ち入ったことを謝罪しようとするが、それよりも先にアヴェニールがその逆鱗に触れてしまう。
「嘘」
こぼれた言葉を打ち消すように両手で口を塞ぐがそれは手遅れだった。それまでレーヴェストに向けられていた竜の視線がアヴェニールへと移される。
『それはどういう意味だ、人間の娘。ここが我が地であることを否定するか』
アヴェニールは耳にしてしまった嘘には勝手に反応してしまうのだ。空気が読めないと言われても自分ではそれを止める事はできない。しかも、本人は嘘に反応しているだけで、相手の真意に気付いているわけではない。
「否定したのは私ではないわ、あなた自身ではなくて?」
竜を相手にどう答えるか迷いながらも、あいまいな返事をする。
『つまり、我はここが領地だと自分で認めていないと?』
「そっ、そうよ」
『ふふふふっ……、ふははははっ』
アヴェニールがおそるおそる発した同意に、竜は突如として笑いだす。そして、アヴェニールの言葉を認めた。
『その通りだ。一〇〇年前に我は人間との争いに敗れ、惨めにもこの地へと逃げ込んだのだ。あの忌まわしき王の手によってな。それ以来、我は敗北を隠し、ここを新たな住処として過去を忘却したフリをしたのだ。人間の娘よ。我が屈辱をよくぞ暴いてみせた』
自分の犯した過ちに気づいたアヴェニールの背筋が凍る。
『褒美に痛みすらなく葬ってやろうぞ』
竜はそう宣言すると大きく息を吸い込んだ。そして次の瞬間、あたりの木々もろとも紅蓮の炎でなぎ払う。
その炎を浴びればアヴェニールは瞬時に焼き殺され、確かに痛みすら感じる暇もなかったろう。だが、そうはならなかった。
アヴェニールが炎に包まれる直前、レーヴェストが竜との間に割って入ったのだ。とっさに『八頭蛇』を引き抜き、その八枚の刃で炎を拡散させる。しかし、一度はアヴェニールの身を守ったものの、その薄い刃は高温に耐えきれず融解してしまう。
「苦労して連れてきた客人を、みすみす殺させすわけにはいかん」
背中に流れる冷たい汗を感じながら竜と対峙するレーヴェスト。彼女の力量をもってしても竜を相手にしては勝算は高くはない。それもアヴェニールという盲目の少女を守らなければならなかった。
『黙っていれば見逃してやったものを』
「嘘」
竜の脅すような言葉をアヴェニールが嘘と切り捨てる。
空気を読まぬアヴェニールを見て、レーヴェストは苦笑する。そのことによって彼女を縛っていた緊張の糸がわずかに緩んだ。
「これを使って隠れていなさい」
レーヴェストは『混沌の化身』をアヴェニールに返すと、再び竜と向き合う。
「さきほどの話から察するに、人間をひどく恨んでいるようだな。それならばそう言えばいいものを、人外でありながら人間のように体裁を気にするから要らん恥をかくのだ。
だが、安心しろ。その人間への恨みは、このレーヴェストが忘れさせてやろう、死をもってな!」
レーヴェストの言葉に逆鱗を貫かれた竜は、羽を広げ空高く舞い上がる。そして、再び炎を吐き出そうと、大きく息を吸い込んだ。すでに『八頭竜』は使用できない。レーヴェストはとっさに魔術による防御を敢行する。
「(果たして今の体力であの術を制御できるだろうか。いや生きて国に戻るためにもやりきらねばならん)」
ためらいを打ち消し、レーヴェストが手早く服の隙間から魔術文字に触れる。そしていくつかの手順を踏むと、その文字がチカチカと明滅を始める。
竜はトールよりも強靱な肉体を持っていて、スミよりも強い魔力を持っている。あのふたりの長所をかね合わせた厄介さをもっている。
それでもレーヴェストは怯みはしなかった。自らの使命を果たすために、自らが扱える秘術のなかで最強の魔術を発動させる。
「我が身に来たれ災厄の力『暗黒装衣』!」
発動した魔術は、レーヴェストの身体に刻まれた魔術文字の形を変える。そして、その先端がレーヴェストの身体を離れ、黒い触手なり蠢くと、飛翔する竜の体を捕まえる。
闇色の触手は恐るべき力をもって、竜を大地へ引きずり落し縛り付ける。竜は強引に炎を吐こうとするが、口を触手で押さえられてはそれもできない。
「口の力というのは、噛みしめる時は強いものだが、開くときはそれほどでもない」
『なんだ、人間風情がこれほどの魔力を。何故だ!』
口を縛られながらも、竜のうめきは山々の間に響き渡る。
「魔力の高さにあぐらをかいている貴様などに、人間の術を理解できるわけがない」
レーヴェストから産み出された闇の触手は更に力を増し、竜の巨体を締め付ける。
『この力はまるで強欲……』
悲鳴を上げる竜に触手は更なる力を込める。
「我が父上より授かりし力、とくと見よ!」
レーヴェストが刀を抜き跳躍する。まるで空を駆けるような速度で竜の眼前に迫ると、全体重を魔剣に載せその眉間を貫いた。
「死ねぇ!」
突き刺した刃にさらなる力を込める。
竜が断末魔を上げると、大きな振動と共に大地へと崩れ落ちた。するとまるで相打ちのように『確殺』が中ほどで折れる。
「勝った……だが……」
二本の魔剣と封印の水晶、さらにトールとの戦いで精神抑制の仮面も破壊されている。代償の大きさに表情を歪めた。
さらに強力な術を行使した反動が、レーヴェストの視界を揺らす。
「私は…まだ倒れるわけにはいかない……」
倒れることを拒もうとするレーヴェストであったが、その意識は深い闇から逃れることはできなかった。
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