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ハイエナ

 ヘスレホルムの宿の朝は、革と油の匂いがする。


 階下の食堂で、冒険者たちが装備の留め具を鳴らしている。わたしは窓際の席でパンをちぎりながら、その音を聞いていた。


 コベンを出て、渡し船で故郷のマルモーへ戻ったのが七日前。その足でギルドに登録した。用紙の職業欄には、「解体士」と書いた。


 ヘスレホルムは、マルモーから馬車で来られる最後の村だ。この先は未開の地で、冒険者たちが狩りをして、狩ったもののいくらかを置いていく。


 わたしの仕事は、その置いていかれたものを解体して、納品することだった。換金のときだけ、マルモーのギルドまで戻る。


 いつも食堂が空になるのを待って、わたしは席を立つ。


 宿の外では、最後のパーティが村の柵を抜けていくところだった。その背中が森の緑に溶けるまで見送ってから、荷物を担ぐ。


 最初の数日は、パーティに入れてもらおうとした。

 一度目は、ランクの高い四人組だった。荷物持ちでいいならと連れて行ってくれたが、彼らは浅い森で足を止めなかった。ウサギや鼠を片手間に斬り、倒れたものには目もくれずに奥へ進む。


「拾わないんですか」


「バッグの空きがもったいない。奥のほうが高く売れる」


 木々の色が変わるあたりで、膝が震えだした。この先は、わたしが死ぬ場所だと思った。頭を下げて、一人で引き返した。帰り道には、彼らの捨てていった獲物が点々と転がっていた。


 二度目は、わたしと同じくらいのランクの三人組だった。今度は浅い森で、今度は戦えと言われた。

 剣を渡されても、構え方が分からない。茂みから飛び出してきたウサギに、刃を向けることもできなかった。


「え、解体士? 戦えないの?」


「なんで狩人にならなかったの?」


 軽い口調だった。悪気はないのだと思う。わたしは答えなかった。

 向いていない。それだけは、その日のうちに分かった。


 ただ、その三人組は、戦いの合間によそのパーティが置いていった獲物も拾って、素材を回収していた。戦って稼ぐのと同じくらい、拾って稼いでいた。


 戦わないのなら、拾うことだけに全部を使えばいい。

 それが最初の一週間で出した答えで、わたしは今、その続きをやっている。


 けっして楽ではない。値の張る素材は、まず捨てられない。

 捨てられたものには、ほかのハイエナが群がる。狩人のいるパーティが通った後には、骨くらいしか残っていない。


 早い者勝ちだった。


 ◇


 バルーンラビットの残骸は、しぼんだ風船のように草に張りついている。

 ビニールラットは群れで倒されるので、残骸も群れで転がっている。

 カフェンリル《モカ》は、野犬とたいして変わらない小さな狼で、腹を裂くと朝のコーヒー一杯と同じ匂いがする。この匂いは、嫌いじゃない。

 コソ泥のコボルト、コソボルトは必ず何かの盗品を落とすから、わたしが着くころには、たいてい誰かの手に渡っている。


 それでも、ほかのハイエナが拾い終えた後に、わたしにはまだ取れるものがあった。皮の裏の薄い膜。耳の付け根の小さな腺。誰も取らないのに、値のつく部分が、どの獣にもたいていある。


 ナイフを入れるたびに、同じことを考えた。

 どうして、わたしはこの職を選んだのだろう。


 考えても、手は止まらない。皮が剥がれ、刃が関節に吸い込まれていく。


 マルモーとの往復を重ねるうちに、ギルドの窓口でランクの数字が書き換えられていった。

 半年で、四つ上がった。そのころには、浅い森での取り合いが割に合わないと思うようになっていた。


 試しに、少し奥の森へ足を伸ばした。中くらいの獣がいる森だ。

 危ないことに変わりはないが、そこまで来るハイエナはいない。残骸は、わたしが着くまで待っていてくれた。


 浅い森ですれ違う冒険者たちが、わたしをうろんな目で見るようになった。戦えない女が一人で奥から出てくるのだから、無理もない。


 身の守り方は、自分で覚えた。


 風上には立たない。空気が止まったら、わたしも止まる。ときどき数歩あとずさって、横の草むらに飛び込む。足跡を途中で切るためだ。歩きながら、木の幹にナイフで小さな傷をつけていく。帰りはそれをたどる。


 奥の森でも、先を越されることがあった。

 死骸をあさるのは、人間だけじゃない。


 腹を裂かれ、臓物だけをきれいに食べられた死骸を、何度か見た。残された歯形は、見るたびに大きくなっている気がした。何かが、捨てられたものを食べて、どんどん育っている。


 そして、ごくたまに、当たりがある。


 キボイラ。背中に光る板を並べた獅子と、腹で草を燃やす山羊と、口から湯気を吐く蛇が、ひとつになった獣だ。

 三つの首のどれを取っても、それだけで大物一頭ぶんの値がつく。


 わたしが見つけたそれには、傷が一か所しかなかった。その一か所で、息の根が止まっていた。核だけが抜かれて、あとは全部残っていた。


 これほどの獲物を、核だけ持って置いていく冒険者を、わたしは知らなかった。同じような死骸は、これまでにも何度か見ている。誰の仕業なのかは、分からない。


 困るのは、持って帰れないことだった。


 でかい。家くらいある。


 マジックバッグには重量はないが、限りがある。値の張る部位から詰めていき、袋の口が閉まらなくなったところで手を止める。


 大量の高価な素材がまだあるのに、残りは置いていくしかない。次に来るころには、たいてい何かに食べられている。


 奥の森からの帰り道、いつもの沢へ向かって歩きながら、つい声が出た。


「もったいない……どこかに、素材を安全に保管しておける場所、ないのかな……他の採集職は、どうしてるんだろ?」


 ◇


 そのとき、音がした。


 こん、こん、こん。


 乾いた、規則正しい音だった。獣の足音でも、枝の折れる音でもない。木槌の音だ。こんな森の奥で。


 わたしは足を止めて、風の向きを確かめた。それから、音のほうへ、草の深いところを選んで近づいていった。


 沢に、橋が架かっていた。


 丸太を組んだ、頑丈な橋だった。切り口がまだ白い。岸辺の木には、前に来たときわたしが刻んだ傷が、そのまま残っている。


 この沢は、何度も石を伝って渡ってきた。橋なんて、なかった。


 あたりに人の姿はない。木槌の音は、橋の向こうから響いてくる。


 橋の先の木立の切れ目に、屋根が見えた。小屋が一つ、二つ。丸太の柵。その奥に、ひときわ大きな建物がある。扉が広く、窓が小さい。中に物を積んでおくための建物だと、ひと目で分かった。


 看板も、道しるべも、どこにもない。


「こんなもの、この前はなかった」


 つぶやいてから、わたしはもう一度、その倉庫を見た。倉庫だ。


「……あるんじゃん」

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