Episode 49
警察署のデータ分析室に掛けられた時計が、午前九時ちょうどを告げた。
朝の光が曇りガラスの窓を透過し、積み重ねられた資料や電子機器の表面に、白々しく冷たい光を落としている。室内には重苦しい空気が澱んでいた。まるで、過去に葬られたはずの秘密が、いまだ忘却の底へ沈むことを拒み、そこにいる全員の肩に重くのしかかっているかのようだった。
ニシカワ・ハルトはデスクの前に立ち、補助モニターに表示されたデータファイルを慎重に調整していた。彼は今しがた、地味ながらも事件の行方を左右しかねない作業を終えたところだった。旧学務システムのバックアップデータと、旧校舎に設置されていた独立型プリンターの稼働ログを突き合わせる作業である。
「今回、私たちが扱っているのは、稼働の仕組みが完全に分離した二つのシステムです」
ハルトは静寂を破り、そう切り出した。マウスを操作し、大型モニターに表示された二つのウィンドウをカーソルで囲んでみせる。
「学務サーバーは、データベース上で行われた操作を記録するためのものです。先ほど確認したSR-01のアクセス履歴が、その一例です。一方、プリンターのシステムは独立した機器として稼働しており、印刷ジョブに関する独自のログを保持しています。具体的には、印刷命令を送信した端末、ジョブ名、ページ数、そして最終的な処理状況などです」
タカムラ・ケイジは眉を上げ、モニターのすぐそばまで歩み寄った。
「そのプリンターには、出力された文書の詳細な内容まで記録されているのか、ニシカワ?」
「いいえ、そこまでは記録されていません、捜査官」
ハルトは軽く首を横に振った。
「プリンターのログには、すべての文書の本文が保存されているわけではありません。記録されるのはジョブの名称、ページ数、機器の識別コードなどに限られます。それに、実際に席を立ち、排紙トレイから印刷物を手に取った人物が誰なのか、そこまで特定できる情報は一切残されていません」
そう言いながら、彼はキーボードを叩き、前年のアーカイブから復元されたデータを開いた。表示されたのは、シラサワ・ノアが死亡した、まさにその日の記録だった。
画面に浮かび上がったログには、感情を排した機械的な文字列が並んでいた。
19:16 — SOURCE: ARC-02 — JOB: NOA_CHANGE_HISTORY — 2 PAGES
印刷処理のステータスも明確に記録されていた。午後七時十七分頃、二ページの文書が正常に処理され、印刷されたことを示している。
バンソンはモニターへ歩み寄り、細長い目をわずかに細めながら、一文字ずつ注意深く追った。
「このARC-02というコードは、旧校舎の資料保管区画に設置されていた端末のものだな?」
「そのとおりです」
ハルトは確信を込めて答えた。
「この識別コードは、当該室内に設置されていたワークステーションの管理記録と完全に一致しています」
「そして、この印刷命令が送信された時刻は……」
バンソンは顔を上げ、鋭い視線をモニターへ向けた。
「十九時十二分にSR-01がノアの履歴データへアクセスした直後、というわけか?」
「正確には、そのとおりです」
技術担当者は頷いた。
「先ほど同期させた二つの独立したログに基づけば、履歴データへのアクセスは十九時十二分に始まり、操作セッションは十九時十九分に終了しています。そして、そのセッションの最中――具体的には十九時十六分に、NOA_CHANGE_HISTORYという名称の印刷ジョブが、同じARC-02端末から送信されています」
タカムラは即座に手を挙げ、ハルトにシステム上の日付を再確認するよう指示した。
「ニシカワ、もう一度確認してくれ。この二つの出来事が記録されている日付は、それぞれいつだ?」
「昨年、シラサワ・ノアが亡くなった日です、捜査官」
ハルトは即答した。
「フジサワ・レンが死亡した日ではありません」
その瞬間、バンソンは身を翻し、ホワイトボードの端に置かれていたマーカーを手に取った。そして、ノアの死亡当日の時系列が記された欄の脇に、今の情報を書き加えた。
彼は、捜査本部の誰一人として、心理的な落とし穴にはまることを許さなかった。
時刻の数字が偶然一致したというだけで、一年もの隔たりがある二つの出来事を、あたかも一続きの行動であるかのように結びつけてしまう。そのような誤認を、彼は何としても防がなければならなかった。
タカムラはモニター上のジョブ名を指さし、低く濁った声で尋ねた。
「その二ページに何が印刷されていたのか、正確には分かっているのか、ニシカワ?」
「分かっているのは、ジョブ名がノアの成績修正履歴に直接関係する内容を示している、ということだけです」
ハルトは慎重に答えた。
「旧型のプリンターには、文書全体の画像データを保持できるだけの大容量バッファーメモリーがありません。そのため、二ページの中に具体的にどの項目が記載されていたのか、百パーセント確実に断定することはできません」
「では、十九時十六分にARC-02端末の前にいた人物が、アクセス履歴を印刷したと結論づけることはできるのか?」
ハルトは眉間にしわを寄せ、言葉を慎重に選びながら、専門家としての見解を述べた。
「断定できるのは、SR-01によるアクセスセッションの直後、ARC-02端末からノアの履歴に関連する印刷ジョブが送信された、という事実までです。しかし、物理的な証拠という観点では、実際にどのような内容が印刷されたのかを確認できていません。それどころか、プリンターのそばに立って、その二枚の紙を直接受け取った人物が誰なのかさえ、分かっていないのです」
バンソンは、モニターに並ぶ二つの時刻を凝視した。
19:12 ― サーバー上の履歴データへのアクセス。
19:16 ― 関連文書の印刷命令を送信。
業務上の機能と時間的な順序に照らせば、この二つの出来事には、否定しようのない密接な関連性があった。
だが、それを実行した人間の正体だけは、依然として暗闇の中に取り残されていた。
ハルトは続いて、旧校舎の技術図面をモニターに表示した。物理的な配置関係を明確にし、ログから推測できる範囲と、そうでない範囲を区別するためだった。
端末ARC-02は、資料保管室の内部に固定設置されていた。一方、印刷命令を受信したプリンターの識別コードはARCH-PRN-02であり、こちらは室外に置かれていた。すぐ隣の廊下、事務管理用の壁面収納スペースに収められていたのである。
事務管理部門の保守記録によれば、ARCH-PRN-02は、その一帯で働く職員が共同で使用する業務用プリンターだった。
つまり、事務エリアの廊下へ自由に立ち入る権限さえあれば、誰でも何食わぬ顔でプリンターの前まで歩いていき、印刷が終わった直後に排紙トレイから文書を持ち去ることができた。
当時のハードウェアには、印刷物を受け取る際に個人用カードを読み取らせ、利用者を識別する仕組みなど存在しなかった。当然ながら、紙を引き抜いた人物の映像や氏名が記録されることもなかった。
タカムラは鋭い口調で問いかけた。
「その紙が、本当に排紙トレイから取り出されたことを裏づけるデータはあるのか?」
「ありません」
ハルトは首を横に振った。
「操作パネルに表示される『完了』というステータスが示しているのは、データの転送が終わり、プリンターの印刷処理が正常に完了したということだけです。その後、誰かが持ち去ったのか、それとも誰にも気づかれずに放置されていたのか、あるいは丸められてゴミ箱に捨てられたのか。ログからは何も分かりません」
「では、プリンターが設置されていた廊下の監視カメラの映像はどうだ? 十九時十六分頃、そこを通った人物を特定できる可能性はあるか?」
「プリンターのシステムからは抽出できません」
技術担当者はため息をついた。
「それを明らかにするには、独立した監視カメラの映像記録を確認するか、当時その場にいた人物から実際に証言を得る必要があります」
「ニシカワ」
バンソンが即座に口を開いた。
「最初の資料保管室の捜索で押収した、紙の証拠品をすべて洗い直してくれ」
照合結果は、すぐに返ってきた。
該当する押収資料の中に、履歴データの印刷ジョブと内容が一致する文書は一枚も見つからなかった。
しかし、その不在は、印刷物が最初から存在しなかったことや、現場で処分されたことを意味するわけではない。別の場所へ持ち去られた可能性もあれば、誰かの個人ファイルに慎重にしまい込まれた可能性もある。あるいは、ゴミの山に紛れて失われたのかもしれない。もっと言えば、何年も前に跡形もなく消えてしまった可能性すらある。
いずれの可能性も否定できない。だが、それらを裏づける証拠は、現時点では何一つ存在しなかった。
傍らに立っていたアサは、モニターに映し出された廊下の見取り図に目を向けた。そして、鋭い心理的洞察をにじませながら、静かに口を開いた。
「バンソン……。もしこのプリンターが、誰でも自由に近づいて印刷物を持ち出せるような共用スペースに設置されていたのなら、こう考えられるんじゃない? 十九時十二分という時刻に関する秘密を握っている人物が、必ずしもSR-01という識別コードを使ってパソコンを操作していた人物と同一とは限らない、って」
バンソンは、深く同意するように頷いた。
「そのとおりだ、アサ。画面上で電子文書を直接読んだ人間が、必ずしもその文書を作成した人間とは限らない。ましてや、何食わぬ顔でプリンターの排紙トレイまで歩いていき、印刷物を手に取った人間が、後になってレンを挑発するメッセージを書いた人物と同一だという保証もない」
タカムラが、さらに慎重な見方を付け加えた。
「そもそも、印刷物を受け取りに来た人物が実際に存在したことすら、まだ証明できていない。印刷命令が記録されているからといって、こちらの頭の中で勝手に架空の受取人を作り上げるような真似は、絶対にするな」
バンソンは手帳に目を落とし、自らペンを走らせた。互いに混同することのないよう、三つの問いを独立した項目として書き記す。
誰がワークステーションの前に立ち、印刷命令を送信したのか。
仮に誰かが印刷物を受け取った、あるいは目を通したのだとすれば、それは誰なのか。
そして、フジサワ・レンを誘い出すメッセージを作成するだけの情報を握っていたのは、いったい誰なのか。
三つの問いの答えは、互いに何の関係もない、まったく別々の三人を指し示す可能性がある。
だが、そのすべてが一人の人間によるものだった可能性も、同じように残されていた。
現時点では、どちらとも断定できない。
タカムラは捜査チームに対し、履歴データの印刷が行われた理由について、合理的に考えられる可能性をすべて洗い出すよう指示した。最初から、これが何らかの重大な犯罪を隠蔽するための行為だったと決めつけることを戒めたのである。
履歴データを紙に印刷する理由など、日常的な業務の中にもいくらでも存在する。
後日の手作業による照合に備え、物理的な記録として保存するため。
保管されている紙の書類と電子データベースの間に、数値の食い違いがないかを直接確認するため。
権限を持つ第三者へ、情報を直接引き渡すため。
あるいは、日常的な事務処理の一環として、単に指示された作業をこなしただけなのかもしれない。
一方で、印刷を実行した人物が、サーバー上のデータが後に一括削除されたり、改ざんされたり、失われたりする事態に備え、情報を外部へ持ち出す、あるいは手元に確保しておく目的で、紙の複製を作成した可能性も排除できなかった。
だが、最も重要な問題はそこではない。
現在残されているデータの中には、その印刷命令が具体的にどのような動機で実行されたのかを示すログが、一行たりとも存在しないのだ。
バンソンは顔を上げ、技術担当者に目を向けた。
「ニシカワ、その印刷命令は、個人を特定できるユーザーアカウントから送信されたものなのか?」
「古いアーカイブでは、個人アカウントの情報が上書きされたか、記録そのものが省略されてしまっています」
ハルトが答えた。
「現在、確認できるのはワークステーションの識別コード、ジョブ名、それから印刷されたページ数だけです」
「なら、元のファイル名は復元できるか?」
「このプリンターのログだけでは不可能です。ジョブ名は記録されていますが、元ファイルの保存先を示す完全なパス情報は失われています」
タカムラは間を置かず、命令を下した。
ARC-02端末の当時の運用記録をすべて押収すること。問題となる期間における同端末の利用権限者リストを回収すること。そして、廊下の空間配置図を作成し、プリンター設置区域への立ち入りが許可されていた職員の一覧と照合すること。
そのうえで、彼は厳しい口調で念を押した。
「この一覧を作成する目的は、あくまでも各人が物理的に機器へ接近できる立場にあったかどうかを確認することだ。過去のアクセス権限リストに名前が載っていたというだけで、特定の人物を刑事事件の容疑者に加えるようなことは、絶対に許さん」
バンソンも、その方針に全面的に同意した。
十九時十六分の印刷ログには、非常に高い証拠価値がある。
ノアの成績履歴に関する機密情報が、技術的なセキュリティの壁を越え、実際に手で触れられる紙の文書として出力された。その事実を裏づける記録だからだ。
しかし、そのログが自動的に持ち去った人物の正体を明らかにするわけではない。ましてや、その人物にシラサワ・ノアの死や、その後に起きたフジサワ・レンの死の責任を負わせるだけの、法的に十分な根拠になるわけでもなかった。
バンソンは、次の照合作業に取りかかった。
過去の履歴データの印刷記録と、フジサワ・レンが死亡当日に旧校舎へ足を踏み入れた際、慎重に持ち歩いていた薄い書類の束。その二つを比較検討するのである。
捜査チームが収集したデータから、レンが事前に少量の書類を用意していたことは、すでに判明していた。
しかし、現場からその書類が不可解な形で消失していたため、束の中に何が記されていたのか、詳細は依然として分かっていなかった。
レンの私物端末の記憶領域から復元された一部の情報によれば、彼は以前、成績の変更履歴や、過去のアクセスセッションで使用されたハードウェアの出所に関するデータを検索していたらしい。
だが、レンが持ち歩いていた書類が正確に何ページあったのか、どこから印刷されたものなのか、そして昨年出力されたノアの履歴データとまったく同じ内容の複製が含まれていたのか。それらを裏づけるだけの確かな目録や記録は、どこにも存在しなかった。
バンソンは二つの出来事を書き出し、デスクの上に並べた。
シラサワ・ノアの死亡当日:
ノアの履歴データに関連するジョブ名を持つ、二ページの印刷命令がシステム上に記録されていた。
フジサワ・レンの死亡当日:
レン自身が持ち込んだ薄い書類の束が、階段の下で忽然と姿を消した。
二つの情報に目を落としながら、アサがそっと尋ねた。
「バンソン……。レンが命懸けで持ち込んだ書類って、あの古い履歴データを複製したものだったと思う?」
「その可能性は十分にある」
バンソンは、考え込むような低い声で答えた。
「だが、今の俺たちの手元には比較対象となる原本がない。それに、レンが持っていた書類の全容さえ分かっていないんだ」
「じゃあ、この古い印刷記録が見つかったことで、行方不明の書類を探す手がかりは得られたの?」
「一つ、確かなことが分かった。過去に、履歴データが紙の文書としてシステムの外へ持ち出された前例があったということだ。今後、どこかで同じような書類や類似した複製が見つかれば、それを照合する根拠にはなる」
そこでバンソンは、わずかに言葉を切った。
「だが、どちらもシラサワ・ノアに関係する書類だからといって、二つが同一のものだと安易に決めつけることだけは、絶対にしてはいけない」
彼は慎重に手帳へ目を落とし、短い注記を書き加えた。
『ノアの死亡当日に記録された二ページの印刷命令と、レンが死亡当日に持ち込んだ書類の束を、同一のものと見なしてはならない。』
それは、取るに足らないほど些細な区別に見えるかもしれない。だが、捜査における思考の公正さを守るうえでは、決して見落としてはならない、死活的に重要な区別だった。
この線引きを曖昧にしてしまえば、ノアに関係する紙片なら何であれ、警察の手によって、いつの間にか行方不明の書類の一部へと変貌してしまう。証拠がそう示しているからではない。捜査に携わる者たちの想像が、そう仕立て上げてしまうのだ。
捜査官のタカムラ・ケイジは、復元されたプリンターのログについて詳しく確認するため、学校の学務記録管理を担当していたオカベ・マサトと、改めて直接面談することにした。
彼はプリンターのログを複製した資料を、オカベの目の前に置いた。
「オカベさん。シラサワ・ノアが亡くなった日の夜、システムには履歴データを印刷する命令が記録されています。この件について、何か心当たりはありませんか?」
オカベは身をかがめ、紙面に印字されたジョブ名と端末識別コードARC-02に目を細めた。そして、ゆっくりと首を横に振った。
「申し訳ありませんが、この件について具体的な記憶はありません。事務エリアのプリンターは、日頃からさまざまな事務作業に使われていました。何年も前のある晩、誰が席を立ち、排紙トレイまで行って印刷物を受け取ったのかなど、到底覚えていられませんよ」
「では、その二ページに何が印刷されていたのか、具体的に確認できますか?」
「できません。該当する書類については、紙の原本も複製も、現在まで保管していません」
「当時、ノアの履歴データに関係する書類を、学校の生徒に直接手渡したり、引き渡したりしたことはありませんでしたか?」
オカベは顔を上げ、揺るぎない眼差しで否定した。
「私は一度もありません。ただ……私が不在の間に、事務室のほかの職員が書類を受け取ったり、外部へ持ち出したりしていなかったと、百パーセントの確信を持って断言する勇気もありません」
後方に座るバンソンは、オカベの呼吸のわずかな変化から、受け答えの際の反応まで、注意深く観察していた。
オカベは、印刷命令が技術的な記録として存在すること自体は否定しなかった。その一方で、実際に印刷操作を行った人物についても、出力された紙を手に取った人物についても、特定することはできなかった。
現時点で得られている証言とデータには、オカベが真実を隠しているのか、それとも嘘をついているのかを判断できるほどの決定的な力はなかった。
タカムラは、さらに質問を重ねた。
「あなたの見立てでは、学校の生徒が放課後にこっそり侵入し、プリンターの設置場所まで近づいて、書類を手に入れることは可能だったのでしょうか?」
オカベはしばらく考えた後、答えた。
「旧校舎への立ち入り規則は、時期によって何度も変更されてきました。事務用途と共用されていた空間もあり、すべての場所で常に同じ基準に従って施錠されていたわけではありません。古い鍵の引き継ぎ記録をすべて確認できなければ、ノアが亡くなった当日の立ち入り状況について、正確な一覧を提示することはできません」
タカムラは、残存している鍵の引き継ぎ記録をすべて探し出し、直ちに提出するよう求めた。同時に、管理手順に関する証言は、必ず物的証拠と照合しなければならないと念を押した。
面談が終わると、バンソンはタカムラに声を潜めて告げた。
「オカベは記録類に自由にアクセスできる立場にあります。しかし、それだけでは、彼とあの印刷命令を結びつけることはできません」
「そのとおりだ」
タカムラは簡潔に応じた。
「彼に関与を疑うのであれば、本人と書類を結びつける、具体的な物理的行為を見つけ出さなければならん」
バンソンは次に、被害者フジサワ・レンの携帯端末から得られた通信記録へと目を向けた。そこには、いまだに検討する価値のある情報が残されていた。
フジサワ・レンが死亡した日の午後十四時十八分。彼の端末には、非通知の番号から着信が記録されていた。通話時間は、正確に四十六秒だった。
そして、通話が終了して間もなく、携帯電話に標準搭載されていたメモアプリが起動されていた。
端末のフラッシュメモリからは、次の一文が復元されていた。
「19:12――資料保管室」
捜査の初期段階で、捜査チームはすでにこのメモの存在を把握していた。しかし、その文字列が実際に入力された時刻については、正確に特定できていなかった。
アプリのアクセスログから確認できたのは、四十六秒間の通話が終了した直後に、該当するメモが開かれていたという事実だけだった。
その数字が、まさにその瞬間に入力されたのか。それとも、通話以前からメモに記されていたのか。それを証明する決定的な証拠は、どこにもなかった。
さらに二時間後の午後十六時二十分、レンは外部から短いテキストメッセージを受信していた。
「19:12。資料保管室。」
自分で作成したメモの内容と、外部から届いたメッセージが、奇妙なほど一致している。
この符合は、捜査を進めるうえで極めて価値の高い手がかりだった。だが、同時に、互いに相容れない複数の解釈を生み出していた。
第一の可能性。
非通知で電話をかけてきた人物こそが、四十六秒間の通話中にレンへ時刻と場所を直接伝えた張本人だった。そして、その後、同じ人物、あるいはその共犯者が、念を押すようにテキストメッセージを送信した。
第二の可能性。
レンは何らかの情報源から時刻と場所についての情報を自ら入手し、自分の手でメモに書き留めた。その一方で、別の情報経路からあらかじめ同じ情報を把握していた何者かが、挑発するようにメッセージを送りつけた。
第三の可能性。
メッセージの送信者は、レンの行動を執拗に追跡していた人物だった。あるいは、まだ解明されていない何らかの通信上の盲点を通じて、レンの計画を知り得る立場にあった人物だった。
だが、通信システムには、四十六秒間の通話内容を録音した記録は残されていなかった。
発信元の電話番号は暗号化されているか、完全に秘匿されており、現在のデータベースからは発信者の身元を特定できなかった。
さらに、電話をかけた人物と、テキストメッセージを作成した人物が同一であることを裏づける物的証拠も、一切見つかっていなかった。
一連のデータを見つめながら、アサは小さく首を傾げた。
「バンソン……。もし電話をかけてきた人物が、すでにレンに十九時十二分という時刻を直接伝えていたのなら、どうしてわざわざ、もう一度メッセージを送る必要があったの?」
「待ち合わせの予定を再確認させるためかもしれない」
バンソンは指先で机を軽く叩きながら、考えられる可能性を挙げた。
「あるいは、レンに極度の心理的動揺を与えるためだったのかもしれない。もしくは、十四時十八分の電話とメッセージは、そもそも何の関係もない可能性もある。メッセージの送り主は、レンが罠に足を踏み入れようとしていると知り、その事実を利用しただけなのかもしれない」
「じゃあ、結局、どの仮説が真実なの?」
「今の俺たちには、まだ答えがない」
バンソンは迷いなく答えた。
「文面だけを見て、あれこれ推測し続けても意味はない。電話とメッセージ、それぞれの情報がどこから来たのか。それを裏づける客観的な証拠を探し出す必要がある」
バンソンは直ちにニシカワ・ハルトへ指示を出し、この二つの通信事象だけを対象とした、独立した技術分析報告書を作成させることにした。
報告書には、確実性の高いデータと、すでに失われ、もはや復元できない情報との境界を、明確に区別して記載しなければならなかった。
そして何よりも彼は、いかなる報告書や総括資料においても、「電話の発信者」と「メッセージの送信者」を同一の呼称で表記することを固く禁じた。両者が同一人物であるという前提を、知らず知らずのうちに既成事実化してしまうことを防ぐためだった。
捜査室に戻ると、バンソンは自らホワイトボードに大きく一つの問いを書き込んだ。
なぜメッセージの送信者は、十九時十二分という時刻を正確に選んだのか。
タカムラは捜査チーム全員に対し、現実世界に生きる人間が、あの過去の時刻を知り得る経路を、考えられる限りすべて洗い出すよう指示した。
旧サーバーへ不正に侵入し、アクセスログや履歴データを直接閲覧した可能性。
昨年、プリンターから出力された紙の原本、あるいはその複製を入手した可能性。
ノアの事件を目撃した、あるいは何らかの形で関与した人物から、話を聞かされていた可能性。
もしくは、過去の出来事については何も知らず、ただレンが調査を進めていることだけを把握し、象徴的な意味を持つ数字を意図的に選んで、心理的な揺さぶりを仕掛けた可能性。
十九時十六分の印刷命令が存在することによって、二つ目の可能性には具体性と現実味が生まれた。しかし、その印刷物を実際に誰かが手に取ったことを証明する証拠は、依然として欠けていた。
一方、機器識別コードARC-02の存在は、一つ目の可能性に注目すべき理由を与えていた。だが、その端末の前に座っていた人物の正体は、いまだ謎に包まれていた。
そして、四十六秒間の通話記録は、三つ目と四つ目の可能性へとつながる、新たな扉を開いていた。
バンソンは、落ち着いた声で説明を始めた。
「メッセージの送信者がSR-01を直接使用していたのなら、システムから十九時十二分という時刻を自力で取得できたはずだ。だが、単に紙の印刷物を偶然目にしただけ、あるいは誰かから話を聞いただけだとしたら、特別な技術的権限などなくても、その時刻を知ることはできる」
タカムラは考え込むように眉を寄せた。
「では、今の我々が最優先で追うべきなのは、情報を握っていた人間なのか。それとも、実際に何らかの行為に手を染めた人間なのか?」
「両方です」
バンソンはきっぱりと答えた。
「ただし、必ず二つの独立した捜査線として扱わなければなりません」
捜査の対象となる範囲は、恐ろしいほど広がっていった。
情報を握っている人物は、ただ沈黙を守り続けている目撃者にすぎない可能性がある。
機器を操作した人物は、何の罪もない事務職員にすぎない可能性がある。
そして、挑発的なメッセージを送りつけた人物は、命に関わる危険そのものである可能性もあれば、単にレンが真実へたどり着くのを助けようとしていた人物である可能性もあった。
それらの人々を、実際の犯人と安易に同一視してよいとするほど、倫理的にも法的にも十分な根拠は、まだ何一つ存在していなかった。
バンソンはデスクに腰を下ろし、フジサワ・レンが残した、成績修正履歴に関する断片的なメモを一枚ずつめくっていった。
レンは、二つの成績記録から、それぞれ二十点が削り取られていたことを突き止めていた。
彼は旧システムが完全に変更されてしまう前に、改ざんされる以前の原記録を見つけ出そうとしていた。そして、捜査チームによる確認はまだ済んでいないものの、レンは十九時十二分のアクセスに関する情報にも、すでにたどり着いていた可能性があった。
ただし、彼がその情報をどこから入手したのかは、依然として分かっていない。
もしメッセージの送信者が、特定の文書を探させるために、レンを資料保管室へ意図的に誘導していたのだとしたら――。
そもそも、その時点でレンは、例の紙の印刷物が存在していたことすら知らなかったのではないか。
もし送信者の目的が、レンを特定の誰かと接触させることにあったのなら、十九時十二分という数字は、単なる待ち合わせの時刻にすぎず、システム上の履歴を暗示していたわけではないのかもしれない。
そして、レンに対して、自分はノアに関する重大な秘密を握っているのだと思い込ませることが目的だったとすれば、その数字は、あたかも送信者が事件の内部事情に精通しているかのような印象を与えるため、計算ずくで選ばれた可能性もあった。
短い一通のメッセージであっても、そこには三つの異なる解釈が成立し得た。
バンソンは、わずか数文字の文面から、送り手の究極的な目的を勝手に推測することはできないと、はっきり認識していた。
メッセージそのものが、自らの意図を語ってくれることなどない。
送り手が脅迫して金銭を要求しようとしていたのか。何らかの恩恵を与えるつもりで接触を試みたのか。それとも、レンを救い出そうとしていたのか。
文面だけでは、何一つ確定できない。
そのメッセージを不審なものにしているのは、あくまでも事件の背景だった。しかし、背景が存在するからといって、それだけで送り手の意図まで定義できるわけではなかった。
アサは小さく瞬きをし、バンソンを見つめた。
「バンソン……。メッセージの送り手は、二度目の確認メッセージを送らなくても、レンが自分から資料保管室へ向かうことを、確信していたと思う?」
「その可能性は十分にある」
バンソンは答えた。
「だが、十六時二十分のメッセージには、行動を急がせる意味があったのかもしれない。約束の時刻を再確認させるためだったのかもしれない。あるいは、レンが別の場所へ向かってしまわないよう、念を押しただけだった可能性もある。今の段階では、判断できるだけのデータがない」
「じゃあ、結局、その人物はレンについて何を知っていたの?」
「少なくとも、十九時十二分という時刻と、あの薄暗い資料保管室が、レンにとって生死を左右するほど重大な意味を持っていることを知っていたか、あるいは正確に推測していた。その程度のことは言える。だが、そいつがどこから情報を得たのかは、依然として分からない」
再び夜の帳が警察署を覆うころ、バンソンはそれまでの捜査状況を、情報ボードに整理し直していた。
第一の事実――十九時十二分の履歴データへのアクセス。
シラサワ・ノアが亡くなった日、識別コードSR-01によって、ハードウェア端末ARC-02から履歴データへのアクセスが行われた。
ただし、実際に操作を行った人物の身元は、まったく特定されていない。
第二の事実――十九時十六分の印刷命令。
同日、端末ARC-02から、ノアの履歴データに関連する名称を持つ、二ページの文書を印刷する命令が送信された。
しかし、印刷物を誰が手に取ったのか、その人物が実際に存在したのか、そして二ページに何が記載されていたのか。そのいずれについても、確かな記録は残っていない。
第三の事実――レンに送信されたテキストメッセージ。
フジサワ・レンが亡くなった日、正体不明の人物から、次のメッセージが送信された。
「19:12。資料保管室。」
その送信者が、印刷物を読んだこと、SR-01を使用したこと、あるいは十四時十八分に四十六秒間の電話をかけたことを裏づける物的証拠は、何一つ存在しなかった。
この三つの出来事には、文脈上、極めて強い結びつきがあった。
いずれも、シラサワ・ノアの履歴データと、旧校舎の資料保管区画を中心に展開している。
しかし、その結びつきを作り出した人間が誰なのかを証明できる、客観的な証拠は、今に至るまで一つも見つかっていなかった。
バンソンはペンを手に取り、ホワイトボードに三つの欄を設けた。
第一の欄と第二の欄は、実線で結んだ。
ハードウェアのログによって、履歴データへのアクセスと同じ操作セッションの中で、まさにそのARC-02端末から印刷命令が送信されていたことが、明確に裏づけられていたからだ。
一方、第二の欄と第三の欄を結ぶ線は、破線にとどめた。
その脇には、慎重な但し書きが添えられた。
「情報の主要な出所である可能性――現時点では、いかなる証明もなされていない。」
背後に立っていたタカムラは、容赦のないほど厳密でありながら、科学的な原則に従って組み直されたボードを眺め、静かに頷いた。
「ボード上の出来事の結びつけ方を、ずいぶん根本から変えたな、バンソン」
「実際の証拠によって結びつけられるものと、単なる推測にとどまっているもの。その違いが、ようやくはっきり分かるようになったからです」
バンソンは短く答えた。
捜査チームが長い一日の作業を終えようとしていたとき、ニシカワから最後の技術報告書が届けられた。
報告書は、プリンターのシステムが印刷物の受取人の氏名を一切記録していないことを、正式に確認するものだった。
ログが証明しているのは、二ページ分の印刷処理が実行され、紙にインクが定着したという事実だけである。
その後、誰が手を伸ばして紙を取り出したのか。その秘密は、いまだ闇の中に埋もれたままだった。
タカムラは解散に先立ち、最後の指示を出した。
旧校舎の事務エリアについて、ノアの死亡当日における空間配置図と、立ち入り権限に関する規則を直ちに再調査すること。
ARC-02端末を使用できた人物の一覧と、プリンターARCH-PRN-02へ接近できた人物の一覧を照合すること。
ノアの履歴データに関連する、あらゆる紙の複製と、オフライン環境に保存された電子データを徹底的に捜索すること。
そして、レンの死亡当日、十四時十八分にかかってきた非通知の電話と、十六時二十分に届いたメッセージについて、それぞれの情報源を引き続き追跡すること。
バンソンは一人、静かに立ち尽くし、ボードの隅に留められたフジサワ・レンの写真を見つめていた。
レンは、成績修正が行われた真相を突き止めるため、できる限りのことをしていた。
そして今、警察もまた、新たな物的な手がかりを手にしていた。
ノアの履歴データが、かつて紙の文書として印刷されていたという事実。
しかし、その二ページの印刷物を誰が手にしていたのかについては、依然として何一つ分かっていなかった。
その印刷物を手にした人物は、共犯関係を示す秘密の証拠として、大切に隠し持っていたのかもしれない。
だが、上司の指示に従って事務処理を行い、用が済んだ後は何気なく紙を処分した、ごく普通の事務職員だった可能性も、同じように残されていた。
メッセージの送信者は、その印刷物を自分の目で見たことがあったのかもしれない。
しかし、レン本人から直接聞いたのかもしれない。非通知の電話を通じて情報を得た可能性もある。あるいは、暗闇の中に身を潜める、別の何者かから知らされたのかもしれなかった。
いかなる可能性であっても、物的証拠に取って代わることは許されない。
アサはバンソンの隣まで歩み寄った。彼女の肩が、そっと彼の肩に触れた。
「少なくとも……ここまでは、はっきりさせられたんだよね。機密情報が、実際にデジタルシステムのセキュリティ領域の外へ持ち出されていたって」
「ああ」
バンソンは答えた。
「だが、それが誰の手に渡ったのかは、まだ分からない」
彼は顔を上げ、ホワイトボードに記された「19:16」という数字を見つめた。
「そして、それこそが次に解き明かさなければならない問いだ。あの書類に接近し、実際に手に取ることができた人物は誰なのか。俺たちが思い描いている犯人像に似た人間を探すことじゃない」
そう言うと、彼は手帳を閉じた。
二ページの文書が、かつて印刷されていた。
それを手にした人物の正体は、いまだ霧の向こうに沈んでいる。
そして、これらの出来事の狭間には、最も難解な問いが、答えを求めてなお唸り続けていた。
いったい誰が、十九時十二分という時刻を冷酷にも選び、まったく別の日に、フジサワ・レンを死の舞台となった資料保管室へと再び誘い込んだのか。




