第七章 黒星の残業 1
翌朝、学院には妙な静けさが漂っていた。
昨日の戦闘の噂は、夜のうちにほとんど全ての生徒へ広がっていたらしい。食堂へ向かう廊下でも、訓練場へ続く中庭でも、ノアへ向けられる視線が増えている。
銀色の瞳。
黒星。
異常な戦闘判断。
そして、星教会の騎士すら圧倒したという噂。
もちろん誇張も混じっているだろう。だが、それでも周囲の空気が変わったことだけは確かだった。
「……面倒だな」
ノアは小さく呟き、視線を避けるように歩く。
だが、その直後。
「おーい、銀目!」
聞き慣れた声が飛んできた。
アークだった。
朝から妙に元気な声を響かせながら、片手を振って駆け寄ってくる。
「また勝手にどっか行こうとしてただろ!」
「別に逃げてたわけじゃない」
「いや絶対逃げてた!」
アークは笑いながらノアの肩を叩く。
その後ろから、セシリアとルナも歩いてきた。
セシリアは相変わらず無表情だが、どこか周囲を警戒しているようだった。ルナは少し困ったように笑っている。
「朝からすごい視線ですね……」
「見世物じゃないんだけどな」
ノアがそう返すと、アークは豪快に笑った。
「でも実際すげぇからな、お前。昨日の最後とか見たか? 完全に相手の動き読んでたぞ」
「読んでたんじゃない。予測してただけだ」
「それを普通は読んでたって言うんだよ」
くだらないやり取り。
だが、その時間は不思議と落ち着いた。
昨日までの張り詰めた空気が少しだけ緩む。
ノアは仲間たちの横顔を見ながら、胸の奥の黒星を意識した。
脈動は、まだ続いている。
以前より静かに。
だが、確実に。
まるで何かを待っているように。
「……どうしたんですか?」
ルナが不思議そうに覗き込む。
ノアは視線を逸らした。
「いや。少し考え事をしてただけだ」
完全な嘘ではない。
だが、本当のことも言っていない。
黒星については、まだ分からないことが多すぎる。
なぜ自分の中に存在しているのか。
なぜ戦闘中だけ異常なほど思考が加速するのか。
そして――なぜ最近になって脈動が強くなっているのか。
考えれば考えるほど、不気味だった。
訓練場へ向かう途中、ノアはふと足を止める。
視線。
誰かが見ている。
ノアはゆっくり振り返る。
二階の渡り廊下。
そこに、一人の少女が立っていた。
長い黒髪。
白い制服。
細い指先。
そして、こちらを真っ直ぐ見下ろす金色の瞳。
イリスだった。
「……」
視線が合う。
だが、彼女は何も言わない。
数秒の沈黙。
その後、イリスは静かに踵を返し、姿を消した。
「……なんだ?」
アークが首を傾げる。
「いや」
ノアは短く返した。
だが、胸の奥では黒星がわずかに脈打っていた。
嫌な感覚だった。
まるで、何かが近づいているような。
訓練場へ到着すると、すでに多くの生徒が集まっていた。
今日は通常訓練ではない。
学院全体を使った大規模模擬戦。
数十人単位で班を組み、広大な学院内部を使って戦う特殊訓練だ。
「ルールは簡単だ」
壇上に立った師範が低い声で告げる。
「制限時間は三時間。班ごとに“星札”を配布する。他班の札を奪い、最終的に最も多く確保した班が勝者だ」
周囲がざわつく。
単純な戦闘訓練ではない。
探索。
奇襲。
情報戦。
心理戦。
そして連携。
総合的な実力が問われる訓練だった。
ノアの目が細くなる。
面白い。
純粋な戦闘能力だけでは勝てない。
つまり、頭脳戦の比重が大きい。
「これは燃えるな!」
アークが笑う。
セシリアは静かに周囲の班を観察していた。
ルナは少し不安そうにしている。
「作戦はどうします……?」
その問いに、ノアは周囲を見渡した。
広い訓練場。
複数の建物。
中庭。
時計塔。
地下通路。
利用できる地形は多い。
そして、参加者の性格もある程度把握している。
ノアの脳内で戦術が高速で組み立てられていく。
「まず正面衝突は避ける」
「お、奇襲型か?」
「いや、もっと単純だ」
ノアは静かに言った。
「相手同士を潰し合わせる」
アークが目を丸くする。
セシリアだけは、少しだけ口元を動かした。
「……なるほど」
「学院内は広い。班同士が接触すれば、必ず戦闘になる。なら、俺たちは最後に動けばいい」
「漁夫の利ってやつか」
「それだけじゃない」
ノアは地図を指差した。
「この地下通路。ここは音が反響する。つまり、少人数でも大人数がいるように誤認させられる」
「……あ」
ルナが小さく声を漏らす。
「わざと戦闘音を響かせて、別班を誘導するんですね……!」
「そういうことだ」
アークがニヤリと笑う。
「やっぱお前、頭回るなぁ」
ノアは小さく息を吐いた。
戦闘は嫌いじゃない。
だが、本当に重要なのはそこじゃない。
どう動かすか。
どう錯覚させるか。
どう誘導するか。
戦場は、思考で支配できる。
その瞬間だった。
胸の奥で――黒星が脈打つ。
ドクン、と。
今までより、深く。強く。
「……っ」
ノアの表情がわずかに歪む。
視界の端が、一瞬だけ黒く染まった。




