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7.「溶ける毒針」②

 一同が飲食物について議論していると、それまで沈黙を続けていたマーリン師が咳ばらいをして切り出した。


「その件ですが、王子殿下に要らぬご心労をおかけせぬよう、はっきり申し上げます。まず、未明の宮廷魔導士による検死で皇太女殿下の亡骸から毒が検出されたのは事実です。しかし、今朝、皇太女殿下のお部屋に残された一切の飲食物を検知魔法で検査したところ、どの飲食物からも毒は検知されなかったのもまた事実なのです」

「なるほど。貴腐ワイン、苺、チョコレートはいずれも毒入りではなかったということか」

「さようです。念のため、備え付けの紅茶や皆さまがお使いになった食器含め、応接間や更衣の間、寝室を含めた居殿全体を検査しておりますが、一切毒はありませんでした」

「誰かが事件後に毒を持ち去ったということはないのだろうか?」


 王子は尋ねたが、マーリン師は首を振った。


「考えづらいかと。殿下にお仕えする者は側に上がるときには検査を受ける掟がありますが、確かに、通常は下がるときには検査を受けません。しかし、昨夜は皇太女殿下がお倒れになった直後、当番魔導士たちがすぐに現場を封鎖し、その場にいた側仕えの者たちは検査を受けてから各々の自室や控室に戻っています。また、客人の皆さまが居殿から何かを持ち帰ったという証言もありません」


 マーリン師の言葉に女侯が首を傾げた。


「では、皇太女殿下が居殿にお戻りになる前に召し上がったものが疑わしいということですか?昨夜は礼拝前に食堂で軽食をおとりになったと思いますが、軽食に毒が混入していたとすると、効果が出るのが遅すぎるのでは?」

「ご指摘の通りですな。今回使用されたのは、マンドラゴラ草の毒なので、致死量を摂取すれば数時間以内に効果が現れるはずです。昨夜の礼拝開始は午後7時でしたから、その前のご軽食に毒が盛られていたなら、さすがに午後10時までには何らかの異変が起きていないとおかしい。しかし、女侯殿がお会いになった皇太女殿下はお元気だったということですから、やはり居殿に戻られてから毒を摂取されたはずです」


 薬草に詳しいエルンスト王子も、致死量のマンドラゴラ草の毒を摂取して数時間以上健康でいられたという話は聞いたことはなかった。

 そうだとすると――。


「居殿内からは飲食物含めて毒が検出されていないのであれば、例えば、外傷に毒を塗ったとか、魔法で直接お体の中に送ったなどであれば状況と矛盾せずに実行可能だろうか?」


 王子は顎に手を当てながら言った。

 特に後者は、密かに魔法が使える関係者がいたかもしれないことへの懸念だったが、いずれもマーリン師により否定された。


「恐れながらそれはあり得ません。まず、皇太女殿下のご遺体には治癒痕含めて不審な傷はなかったので、一般的な外傷から毒を摂取したわけではなさそうです。それから、魔法で直接毒を送る場合は、下手人は狙いを定めるために少なくとも皇太女殿下を視認しなければなりません。その場合、毒が効き始める時間を考えると、下手人は居殿内で魔法を使ったことになります。しかし、居殿内に不審な魔法痕はありませんでした。検出されたのは、救命措置をとろうとした魔導士のものを除いては、皇太女殿下の魔法痕のみでした」

「皇太女殿下の魔法痕があったのは、ご自分の『聖なる魔法』をお使いになったからなのでしょうね。それでも死を回避することはできなかったとは……」


 女侯の嘆きを聞きながら、王子は俯いて考えを巡らせた。

 魔法痕とは、魔法が使われた場合、その場に数日間残る痕跡のことだ。

 一般人には検知できないが、訓練を受けた魔導士であれば誰の魔法による痕跡かを特定できる。

 皇太女の魔法痕が残っているのは、女侯が言った通り、「聖なる魔法」で自分を救おうとしたのだろう。

 先ほどボシュエ卿も、皇太女は自身の「魔法」をもってすれば最悪の事態は避けられると考えていたようだと言っていた。

 いずれにしても、その他の人物の魔法痕が残っていないとすると、やはり魔法によって毒を送られた可能性は低いことになる。


 暫くの間、誰も口を開かなかった。

 静寂の中、マーリン師は豊かな顎髭を繰り返し撫でていたが、やがて声を落として切り出した。


「ボシュエ卿、王子殿下は12年前の件についてはご存知ないのでしたな?」


 王子は眉を上げた。

 12年前の件と言えば、先ほどボシュエ卿から聞いた事件に違いない。


「いえ、実は皇帝陛下の許可の下、王子殿下にはその件の詳細が明かされています」

「あら、皇帝陛下が許可されたのですか?珍しいこと……」


 ボシュエ卿の言葉に女侯が呟くように言った。


「ボシュエ卿の言う通り、12年前の事件――夏の離宮で皇太女殿下のご兄姉方が毒により亡くなった事件――については伺いました。その事件において、女侯殿は皇太女殿下の命を救うという格別のお働きをされたのでしたね?」


 王子が先ほど皇帝やボシュエ卿から聞いた話を踏まえて言うと、女侯は視線を落とした。


「いえ、そんな『格別の働き』などと……。当時離宮には万能薬の備えがなかったので、当家の逗留先に待機させていた魔導士に私が懇意にしていた薬種商のところまで薬を取りに行かせただけなのです。彼女は飛翔用の魔道具を扱えましたので」

「しかし、それで皇太女殿下が一命を取り留められたのですから、素晴らしいお働きではないですか」


 王子は穏やかに言ったが、女侯はただ首を振った。


「とはいえ、他の6人の皇子女方は亡くなりました。皆さま優秀でこれからの帝国になくてはならない存在だと言われていました。12年経っても、皇子女方がお苦しみのあの恐ろしい光景が頭から離れません。当時皇后陛下付きの女官だったキュイーヴル伯爵夫人も昏睡状態に陥った当時のアリエノール皇女殿下の御名を必死に呼んでいました……」


 女侯は記憶に慄くように沈黙したが、そのうちに顔を上げてマーリン師に問いかけた。


「マーリン師、その12年前の事件が今回の事件に関係しているとおっしゃるのですか?」


 マーリン師は女侯とボシュエ卿、そして、王子に目配せをしてから切り出した。


「私は12年前も捜査を担当していましたが、今回と状況が似すぎているのです。12年前も、被害者からはマンドラゴラ草の毒が検出されましたが、現場の飲食物などからは毒が検出されず、被害者に不審な外傷もありませんでした。また、現場には被害に遭われた皇子女方7人以外の魔法痕もなかったのです――結果から考えるといずれも毒を克服できる魔法ではなかったようです。毒物や魔法痕の検出精度は12年前からほぼ変わりませんから、見逃されたということもないでしょう」


 そこでマーリン師は白い顎髭を一度撫でた。


「それで、私は、その当時この帝国にもたらされたばかりだった『溶ける毒針』による殺害を疑ったのです」

「『溶ける毒針』?」


 王子が問うとマーリン師は深く頷いた。


「『溶ける毒針』というのは、東方では古くから使われている――いわば、暗殺用の魔道具です。十数年前に西のクラベル王国経由で我が国に持ち込まれました。見た目は普通の縫い針ですが、特殊な魔法がかけられていて、それに毒を仕込み、人殺しに使うのです。針にかけられた魔法の効果で、刺されても痛みはなく、傷跡が残りません。その上、刺した後に針が溶けるので体内に針が残ることもありません」

「魔法痕も残らないのですか?」


 と尋ねたのはボシュエ卿だった。

 

「さよう。魔法が使われるのは針の製造時であって、使用時ではないので、使用しただけの場所には魔法痕は残らないのです。今も昔も我が帝国で入手できる者は限られていますが、人脈と財産がある方であれば可能でしょう」

「当時は『溶ける毒針』が使われた線で調査されなかったのでしょうか?」

「残念ながら、その線での捜査はされませんでした」


 ボシュエ卿の問いにマーリン師は首を振った。


「第一に、『溶ける毒針』は全く痕跡を残さないので、それが使われたことすら特定が難しいのです。毒を仕込んだ後、針を保管する容器には毒が残りますが、『溶ける毒針』の可能性が浮上した時点で事件から一か月以上経っていたので、容器も処分済みだったでしょう。第二に、12年前の事件はパーティーの賑わいの中での出来事でしたから、誰もが皇族方に近づくことができました。仮に『溶ける毒針』が使われたとわかっても、犯人を特定することが困難だったのです。もちろん、当時、私は『溶ける毒針』の可能性について皇帝陛下に言上しました。それで、それ以来陛下のご命令で皇族方の側仕えの者は、側に上がる前に検知魔法で身体検査を受ける掟ができたのです。検知魔法は毒物や『溶ける毒針』のような邪悪な魔道具を見逃しませんから」

「今回もその『溶ける毒針』が使われた可能性があると?」


 そう尋ねた女侯の口調は落ち着いていたが、顔はいささか青ざめているように見えた。


「女侯殿、断言するつもりはありませんが、可能性はあるかと」

「しかし……そうだとすると一体誰がどうやって?私はもちろん『溶ける毒針』など入手したことすらありません。それに准将殿と私は皇太女殿下に針を刺せるほど近づく機会はありませんでした。近づく機会があったとしたら筆頭女官の伯爵夫人なのでしょうが、伯爵夫人は殿下のお側に上がる前に検知魔法で確認を受けていますでしょう?」

「さよう。事件当夜の当番宮廷魔導士が礼拝後の午後8時に側に上がった伯爵夫人とボシュエ卿と他の下級女官などを検知魔法で検査しましたが、当然何も異常はありませんでした。その後、午後11時半の少し前に、西棟側の水場から戻った下級女官も検査していますが、これもまた異常なしでした」


 マーリン師の言葉に王子は思わず眉を上げた。

 師の言う通りなら――。


「さて、王子殿下、もう十分お話は聞けましたね?」


 ちょうどそこでボシュエ卿が有無を言わせぬ態度で言った。

 卿に促されて、客人たちは応接間のドアへと向かおうとしたが、女侯だけは王子に近づいて素早く耳打ちした。


「王子殿下、できるだけ早くお国に帰られませ。皇帝陛下は皇太女殿下にとっては良い父君でしたが、お二人は信条まで共有していたわけではありません。皇帝陛下は政治目的なら何でもなさいます……最近では高等法院に干渉して何らかの認可を得ようとしているようでした。何卒御身の安全を第一に」


 女侯の切迫した様子に、王子はただ頷くしかなかった。

 高等法院といえば、帝国の司法を司る最高機関だ。

 皇帝といえど、帝国法に反する命令を下そうとすれば高等法院から待ったがかかるものだが、そこから認可を得ようとしているとは一体――。


「女侯殿、マーリン師、ありがとうございました」


 ボシュエ卿が礼を言ったのを最後に、女侯とマーリン師が追われるように退出すると、残ったのは沈黙だった。

 王子の頭の中には先ほどのマーリン師の言葉が巡っていた。

 

 永遠かと思われる長い沈黙の中、王子も卿もお互いから視線を逸らしていた。

 しかし、最終的には、エルンスト王子が静かに問いかけた。


「……ボシュエ卿、今朝、最初に話したとき、君は昨夜は皇太女殿下の側には上がらなかったと言っていたと思うが」

「ええ、そう申しました」


 ボシュエ卿は静かに認めた。


「しかし、先ほどマーリン師は、事件当夜、当番魔導士が皇太女殿下の側に上がった君を検査したと言っていた。これはどういうことだろう?」


 ボシュエ卿は答えなかった。


「君がアリエノールを殺したのか?」


 王子の問いが応接間の静寂に響いた。

 ボシュエ卿は少し視線を落としたが、その視線はすぐに王子の青い瞳に向けられた。

 驚くほど鋭い視線だった。

 

「王子殿下、それこそ私があなたに問いたかったことです」


 アメジスト色の瞳に見つめられた王子の頭の中に皇太女の声が響いた。


 “エルンスト、私はあなたを――”


 昨夜、満月の下で最後に聞いた彼女の声だった。

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「春の異世恋推理'26」企画詳細


エドワード朝英国を舞台に、探偵役の女男爵が活躍するヒストリカルミステリー×ロマンスシリーズを書いています。
本作のようにミステリーとロマンスが同時並行で進むストーリーです。

メラヴェル女男爵ミステリーシリーズ

― 新着の感想 ―
謎が謎を呼び、もはや誰も信じられなくなってしまいました……。 物語は物静かに進んで行くのに、とてもスリリングで、早く犯人を知りたいような、もっとこの物語の世界に浸っていたいような気持ちでいっぱいです。
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