16.十六夜の聖堂②
「待ってくれ、エルンスト。何故君が『真相』とやらを?宮廷魔導士長として捜査していたマーリン師や神官として調査していたボシュエ卿ならともかく」
静まり返った聖堂で最初に口を開いたのは皇帝だった。
王子は動じなかった。
「陛下、それにお答えするためには、これまで伏せていたことをお話ししなければなりません。ボシュエ卿、君から話してもらえるだろうか?」
王子の視線を受けたボシュエ卿はゆっくりと頷いてから一歩前に進み出て、一同を振り返った。
「元からご存知だった方も、後から察した方もいらっしゃると思いますが、今回の皇太女殿下のご薨御については女神様の神託が下されていました。『冬の夜、皇太女アリエノールの身に危機あり』という内容です。それこそが私が数か月前から皇太女殿下のお側に仕えていた理由でした。更に、私は、皇太女殿下のご指示の下、マーリン師に設えていただいた魔法の覗き窓で、隣室から応接間の監視も行っていました」
聖堂内の空気が揺れた。
覗き窓の存在は、これまで皇帝を含めてほとんどの者が知る由もなかったことだ。
「私は、事件の夜も同様に、隣室から皇太女殿下の訪問客を監視していました。最初はお忍びでいらしたエルンスト王子殿下、次いで皇帝陛下、フェール女侯殿、キュイーヴル准将殿。覗き窓越しでは会話こそ聞くことはできませんでしたが、皆さまが皇太女殿下と面会される様子をずっと見ていました」
「なんと……ボシュエ卿、君は私まで監視していたのか!」
皇帝の鋭い声が聖堂に響いた。
「それから、エルンスト!君も昨夜アリエノールと会っていたとは。まさか君は――?」
「皇帝陛下、隠していて申し訳ありません。しかし、私は女神様に誓って犯人ではありません。まずは、ボシュエ卿の話をお聞きください」
王子は静かに応じた。
ボシュエ卿は皇帝が顔を顰めつつも頷いたのを確認し、言葉を続けた。
「あの夜、午後11時に最後の客人であった女侯殿と准将殿がお帰りになると、皇太女殿下は伯爵夫人により寝支度を整えられて寝室へお入りになりました。そして、午後11時半頃、急にお苦しみになり、私をお呼びになりました。その際、殿下は私に対して、応接間から純銀の花器を取って来るようにお命じになりました。当夜に女侯殿が持参されたあちらの花器のことです」
ボシュエ卿が祭壇前のカラーが生けられている花器に視線を向けると、皆の視線もそれに続いた。
「そして、花器をお渡しすると、殿下はすぐにそれを私の手に戻し『口をつけよ』と――」
ボシュエ卿が言いかけたところで、皇帝が手を挙げて彼を制した。
「ボシュエ卿、君は今、『純銀の花器』と言ったな?すると、皇太女は死の間際に君と『君臣の絆』を結んだということか?」
皇帝の言葉に何人かが息を呑んだ。
「ええ、おっしゃる通りです、陛下。こちらをご覧ください」
ボシュエ卿はゆっくりと宵闇色の祭服の袖を捲り、手首の刻印を示した。
一角獣と薔薇の紋章が月光に輝いた。
「皇太女殿下もこの印をご確認なさり、その上で最期におっしゃったのです。『我が婚約者たるエルンスト王子をして、我が身に起こったことを調査させよ』と」
聖堂内は水を打ったように静まり返った。
誰も身じろぎ一つしなかった。
そして、その沈黙を破ったのは王子だった。
「私は今朝ボシュエ卿からこの話を聞き、卿の協力の下、事件の調査に乗り出しました。最初は『君臣の絆』に縛られたボシュエ卿の追及を逃れられるはずもないと――謂わば諦念から調査していただけでした。しかし、その内にいくつか気づいたことがあり、この事件の真相は私の手で解き明かすべきだと思うに至りました」
王子はガラスの棺に視線を向け、今朝から耳の奥で響き続けている皇太女の声のことを思った。
――あれはきっと私の心が発した声だったんだ。
――私がこの事件の……アリエノールの死の真相を求めていたからこそ、彼女の声が聞こえたんだ。
王子は正面を見据え、改めて切り出した。
「まず最初に気づいたのは12年前の事件との類似性です」
その一言への聖堂内の人々の反応は様々だった。
首を傾げる者、目を微かに見開く者、視線を落とす者、眉一つ動かさない者――王子は彼らの表情を観察しつつも先を続けた。
「二つの事件は、第一に、皇族が毒殺された点が共通しています。第二に、12年前の事件の際には秘匿されていましたが、神託が下されていた点も同じです。そして、第三に、今回の事件の直前に皇太女殿下と接触した方々のほとんどが12年前の事件でも現場に居合わせました」
王子はゆっくりと周囲の一人ひとりの顔を見回した。
「皇帝陛下、フェール女侯、キュイーヴル伯爵夫人、キュイーヴル准将――皆さまは、12年前の夏、事件が発生した離宮で催された当時のアリエノール皇女殿下の10歳の誕生日パーティーに出席されていました」
名指しされた人々は互いに視線を交わし、もしくは、ただ王子を見据えていた。
「そして、もう一つ、二つの事件は、前提となる政治的構図が驚くほど似通っています。まず、12年前、皇帝陛下は事件で亡くなった長男ルイ皇太子殿下との『二頭体制』を構想されていました。皇太子殿下はカリスマ性を備えた勇猛な指導者だったと伺っております。陛下は、高等法院の認可を得て皇太子殿下に譲位なさり、有力新興貴族のキュイーヴル伯爵を宰相に据えて強い政治体制を築こうとなさっていました」
皇帝は王子の考えを見透かそうとでもするように目を細めた。
「そして、今回の事件の背景にも、同じ構図がありました。陛下は今度は皇太女殿下への譲位を模索されていました」
そこで皇帝の低い声が割って入った。
「エルンスト、確かに皇太女は優れた後継者だった。しかし、彼女は私が志向する君主像とはかけ離れていた。対外的に強硬策をとりたい私に対して、皇太女は宥和的な態度を好んだ。そんな彼女に私が譲位を考えるだろうか?」
王子はその問いを予期していたかのようにごく自然に続けた。
「陛下のおっしゃる通り、皇太女殿下は陛下が志向される君主像とは合致しませんでした。北方戦争を巡ってお二方が『主戦派』と『停戦派』に分かれていたことからも明らかです。しかし、皇帝陛下は『強硬さ』を他で補完することをお考えでした。それこそが――キュイーヴル准将です」
その名を聞いた人々の視線が皇帝と准将の間を行き来した。
皇帝は微動だにしなかったが、准将の視線は大理石の床を彷徨っていた。
「皇帝陛下は戦争の英雄にして『主戦派』のキュイーヴル准将を宰相に据えた上で、皇太女殿下に譲位することをお考えでした。『二頭体制』の下、前皇帝からも宰相からも圧力がかかれば、いくら皇太女殿下とて『主戦派』に賛同せざるを得なくなると踏んだのでしょう。春の叙爵でフェール女侯を陞爵させて引退を促し、キュイーヴル准将に伯爵位を授けようとなさっていたのは、その下準備でした。准将が叙爵される伯爵位といえば、宰相になるための最低条件ですから」
王子が確信を込めて言うと、皇帝は深いため息をついてから言った。
「……私は君に会ってすぐ、『この青年を侮るべきではない』と思った。その直感は正しかったようだ。つまり、君は正しい」
意外にも皇帝は微笑んでいた。
「君の言う通り、私は皇太女に譲位し、准将を次の宰相に据えるつもりでいた。譲位のための高等法院の認可も内定していた。だから、准将と彼の母キュイーヴル伯爵夫人には、皇太女に准将の宰相就任を認めさせるべく、彼女の歓心を得るよう指示していたのだ。もちろん、究極的には私の一存で進められないこともないが、無理に進めれば国が分裂しかねない」
皇帝は笑みを消し、鋭い視線を王子に向けた。
「だが、それが今回の皇太女の死とどう関係するのだ?まさか、皇太女が予想以上に頑なだったことを理由に私が娘を殺したとでも?」
王子は静かに首を振った。
「いえ、まだそこまでは申しておりません、陛下。私が申し上げたかったのは、12年前と今回の事件には密接な関連があるということです。それに気づいた私は、12年前の事件の真相が今回の事件の鍵になるのではないかと考えました」
天窓から差し込む月光の冷たい輝きが王子の青い瞳に映った。
「12年前の事件は、多くの人が行き交う当時のアリエノール皇女の10歳の誕生日パーティーの最中に発生したため『誰が殺したのか』と『どうやって殺したのか』の解明は、発生直後でも困難でした。一方で、『何故殺したのか』は、解明の余地があります。これについては、時を経て事件が誰にどんな結果をもたらしたかがはっきりしている今の方が発生直後よりも寧ろ容易かもしれません」
王子は厳かな口調で続けた。
「そこで、私はまず、12年前の事件で『誰が得をして誰が損をしたのか』を改めて整理しました」
聖堂内の人々の視線が王子に集中した。
「まず、6人の皇子女方を亡くされた皇帝陛下は完全なる被害者と考えて良いものと存じます。当時皇帝陛下は長男ルイ皇太子殿下に譲位して『二頭体制』を模索されていました。しかし、その皇太子殿下のみならず、第6子で当時18歳でいらしたテレーズ皇女殿下までの年長の皇子女方を一度に亡くされました。その中のお一人でもご存命なら『二頭体制』を敷く望みは繋がったかもしれませんが、生き残ったのは末子でいらしたアリエノール皇女殿下のみでした。当時僅か10歳だった殿下では『二頭体制』の片翼を担うことはできませんでした」
皇帝は黙したまま頷きを返した。
「次に、フェール女侯殿は結果的には利益を得たと言えます。まず、『二頭体制』が実現しなかったことにより、領土拡大政策が一旦沈静化したことは、戦争に伴う負担を避けたいご実家のエタン公爵家にとっては幸運でした。ただし、この点は、皇帝陛下がご存命の限り大方針は変わらないため、当座を凌ぐ効果しかありませんでした。実際、帝国は3年前から北方戦争に参戦しています。一方、事件発生直後に万能薬を手配して皇女殿下の命を救ったことにより、ご自身がフェール女侯に叙爵されたことは、大きな利益だったでしょう。一介の公爵家の老令嬢から一足飛びに宰相も夢ではない地位を手に入れたのですから」
王子の言葉に女侯は沈黙を守ったまま僅かに眉を寄せた。
代わりに尋ねたのは皇帝だった。
「すると、第一の点はともかく、第二の点においては、女侯は得をしている。つまり、12年前の事件は女侯が仕組んだことだったのか?俄かには信じられんが……」
「いえ、そうとも限りません。出世の足掛かりに事件を利用するだけなら、6人も殺害する必要はなかったはずです。生き残った皇太女殿下は、他の皇子女方に比して僅かな毒しか摂取していなかったと聞き及んでいます。もし、出世のきっかけにしたかっただけなら、全員に少量を摂取させ、全員を救う方法をとるでしょう」
王子はそう言いながら女侯に視線を向けた。
「……王子殿下のおっしゃる通りです。万が一、私が実家や自分の利益のために謀反を働くとしても、もっと上手い手を使います」
女侯は錫の花器を握る手に力を込めながら言った。
「最後に、キュイーヴル伯爵家の方々は、得をしたとは言えません。当主のキュイーヴル伯爵は当時の『二頭体制』の構想の下、宰相に任命される想定でした。しかし、事件によりその道は絶たれ、それどころか伯爵は持病のメリュジーヌ病が悪化して病床に臥しました。その上、後継者である准将は当時まだ学生身分だったため、伯爵家は停滞を余儀なくされました」
キュイーヴル伯爵夫人が王子の言葉に同意を示すように少し眉を持ち上げた。
准将は腕を組んで思案していたが、ややあって口を開いた。
「つまり、事件により、皇帝陛下の夢は潰え、フェール女侯殿は出世したものの手段が過剰、当家キュイーヴル伯爵家は停滞した――となると、誰も犯人とは言えないということではないでしょうか、王子殿下?」
王子は深く頷いた。
「ええ、『事件が起こったことでどうなったか』を考えるとそのような結論になります。しかし、『事件が起こらなければどうなったか』を考えるとまた違った様相が見えてきます」
それを聞いた人々はそれぞれに困惑の表情を浮かべた。
王子は一人一人に視線を向けながら続けた。
「まず、間違いないのは、事件が起こらなければ皇帝陛下は念願の『二頭体制』を実現され、思うままに政治をなさっていたでしょう」
皇帝の鋭い視線が王子を見返した。
「そして、フェール女侯殿は、事件が起こらなければ、変わらず公爵領の経営に注力なさっていたでしょう。稀代の才媛である女侯殿にとって公爵領は狭すぎたかもしれませんが、そこまで悪い結果とも言えません」
女侯は一度ゆっくりと瞬きをした。
「最後にキュイーヴル伯爵家ですが、事件が起ころうと起こるまいと、伯爵の持病の悪化は避けられませんでした。そして、伯爵家のご家族はそれに気づいていました。皇帝陛下のご記憶では、事件前のまだ皇子女方がご健在の折に、伯爵夫人は病気平癒祈願のため東方に巡礼に出かけています。そして、先ほど准将から伺ったところによると、伯爵は事件が発生したパーティーの際には、既に杖をついていたそうです」
准将の暗い色の瞳が王子を見つめ、伯爵夫人はただ視線を落とした。
「つまり、事件当時、当主キュイーヴル伯爵は既に宰相の職務をこなせる健康状態ではなくなりつつありました。あのまま『二頭体制』が成立しても、伯爵はすぐに病のため表舞台に立てなくなったでしょう。かといって、長男の准将はまだ学生で、伯爵夫人は女官ではあってもご自身の爵位はお持ちでなかった。伯爵家は代わりの宰相どころか他の役職を担う人員さえ出すことができなかったのです。そうなれば、宰相を始め政界の要職は別の新興貴族が占めることになり、キュイーヴル伯爵家は新体制下での政治の中心に食い込む余地がなくなります」
王子は言い切り、正面を見据えた。
「では……6人の皇子女が命を奪われたのは……」
皇帝の声は掠れていた。
「そうです。『時間稼ぎ』のためです。当主である伯爵に代わって後継の准将が政界で役割を担えるようになるまで、キュイーヴル伯爵家には今しばらくの猶予が必要でした。そのために、犯人は『二頭体制』への移行を妨げ、現状を維持しようとしたのです」
王子の言葉に、聖堂内の何人かの者が息を呑み、残りの者は互いに目配せした。
「皇太子殿下だけが亡くなっても、他の年長の優秀な皇子女方が残っていては同じことになる可能性が高い。そこで、兄君や姉君と年が離れていて、すぐには『二頭体制』の片翼を担うことができない当時10歳のアリエノール皇女殿下を除いて全員のお命を奪う必要がありました」
そう言って王子は、人々の中でただ一人を見据えた。
「しかし、ただ一つ、予測できなかったことが起こりました。アリエノール皇女殿下は最終的には助かったものの、ご体質のせいか僅少の毒でも一時昏睡状態に陥ってしまいました。あなたは肝を冷やしたはずです。アリエノール皇女殿下まで亡くなると、当時ご存命で不人気だった皇弟殿下が次の帝位継承者になってしまいますから。だから、あなたは、事件当時、昏睡状態のアリエノール皇女殿下に必死に縋り付いたのです――女侯殿の記憶に残り、少年だった准将にも大きな衝撃を与えるほど。それは愛や忠誠ではなく、自身の計画が狂いそうになったことへの焦りが理由だった。つまり――」
王子は両手の拳を握りしめ、言い切った。
「キュイーヴル伯爵夫人、あなたが12年前の事件の犯人です」
名指しされた伯爵夫人の冷たい瞳が扇越しに王子を見つめていた。
次章今回の事件が解明されます。
推理中の方は、トリックの推理をご準備いただけるとよりお楽しみいただけると思います。
もし、その他残る謎についても推理してくださっている方がいらっしゃれば、次々章(最終章)にて真相が明かされますので、引き続き手がかりを集めていただければ幸いです。




