12.喪失と反実仮想①
応接間を出たエルンスト王子とボシュエ卿は、ひとけのない東棟の廊下を歩いていた。
その間、卿は、先ほどの見習い宮廷魔導士からの伝言の内容を王子にも聞かせてくれた。
「――というわけで、これまで止めていた宮殿の廃棄物からは何も出なかったそうです。それから、宮殿内の下級使用人の控室や宿舎はもちろん、筆頭女官キュイーヴル伯爵夫人の私室と市内の伯爵家の私邸まで捜索したようですが、こちらも何も検出されなかったそうです」
「下級使用人はともかく、伯爵家の私室や私邸まで捜索したとは。高位貴族だというのに……」
王子は捜索結果について考えるべきだと思いつつ、驚きが先に立ってしまった。
卿は、当主である伯爵が病臥していて正式に拒絶を表明していない点を突いて、マーリン師が強行したのだと説明を加えた。
一方で当然ながら、皇帝の居殿やフェール女侯の公邸及び私邸は、捜索の打診すらできていないとのことだった。
王子は、実質的な当主不在により弱い立場に置かれているキュイーヴル伯爵家には、つい気の毒に思ってしまった。
一方で、このような状況下でこれまで女官として宮廷に残り続けた伯爵夫人と実力で戦功を立てた准将には改めて感心した。
ちょうどそこで二人は中央棟のギャラリーに出たため、会話は打ち切られた。
数代前の女帝が改築した壮麗なギャラリーは、鈴蘭月の大舞踏会をはじめ帝室の公式行事の会場にもなる。
今はただの回廊としての機能を果たしており、白い漆喰の壁に施された銀の装飾が窓から差し込む午後の光に輝いていた。
南側には銀の扉が2つあり、それぞれ皇帝の居殿と皇太女の居殿に繋がっている。
昨日までは各々の扉の前で宮廷魔導士が立ち入ろうとする者を警戒していたが、今、西側の皇太女の居殿へと続く扉の前には誰も立っていなかった。
とはいえ、扉の向こう側では、多数の宮廷魔導士たちが何らかの捜査を続けているのだろう。
王子とボシュエ卿はギャラリーを通り過ぎ、西棟に向かおうとしていた。
そこに私室を与えられている残りの「容疑者」の一人、筆頭女官キュイーヴル伯爵夫人を訪ねるためだ。
二人がギャラリーを進むと、下級女官が音もなく端に避け、道を譲った。
彼女の他にも何人かの下級女官が忙しなく行き交っていた。
ギャラリーの西の端まで来たとき、王子は彼女たちが中央棟と西棟の境にある水場に出入りしていることに気がついた。
水場の前を通り過ぎながら扉の隙間から中を覗いてみると、弔い用のクリザンテームの花が水揚げのために水に浸けられていた。
別れの準備は着々と進んでいる。
王子はその白と黄の色彩に眩暈を覚え、思わず立ち止まった。
「王子殿下」
彼の数歩先で立ち止まったボシュエ卿に呼びかけられ、王子はまた歩みを再開した。
――アリエノールは戻らない。
――この事件の謎を解明しても、しなくても。
王子は耳を澄ませた。
今こそ皇太女の声を聞きたかった。
しかし、何も聞こえなかった。
***
彼らの伯爵夫人への面会の申し入れは難なく承諾された。
取次役の使用人によると、息子である准将も応接間に在室しているとのことだった。
応接間で二人を出迎えた准将は、午前中に聖堂前で会ったときと同じ最礼装の黒い軍服姿だった。
「王子殿下、ボシュエ卿、この度のこと……改めて衷心よりお悔やみ申し上げます」
それに合わせてキュイーヴル伯爵夫人も優雅にお辞儀をした。
彼女は左手に黒い扇を持ち、右手の黒いハンカチで目元を拭っていた。
40代半ばの伯爵夫人は若い頃から帝国一の美女として名高く、結婚前はその楚々とした佇まいから「百合のジュリエット」と呼ばれていたと聞く。
20年以上前、北の大国がまだ友好国だった頃、美人を手元に置きたがるかの国の女王から、かの国の貴族と結婚して宮廷に上がらないかと声がかかったことまであるらしい。
今は黒一色の喪服を身に着けているが、それでも成熟した美しさは隠しきれていなかった。
王子とボシュエ卿は母子が勧めたソファへと着席した。
「お二方とも、わざわざご足労いただきましたのは、何か故あってのことでしょうか?」
伯爵夫人が穏やかに尋ねた。
王子は伯爵夫人とは何度も会話をしたことがある。
彼女は他の宮廷貴族とは違って外国人の王子に対しても親切にしてくれた。
とはいえ、慎重な王子は誰に対しても心を許し過ぎないよう気を張っていた。
「僭越ながら、母に昨夜のことを聞きにいらしたのでしょうか。……ご心痛を思えば当然のことかと存じます」
母に続いてそう言ったのは准将だった。
少し日に焼けた凛々しい顔に悲しみが滲み、普段の快活さは影を潜めていた。
――気高い皇太女と勇猛果敢な准将。
――改めて考えても、惹かれ合うのが自然ではある。
王子は僅かに俯いた。
ボシュエ卿はそんな王子を一瞥したが、淡々と話し始めた。
「実は、お話を伺いたいのは私なのです。詳しくは申せませんが、神託に関わる件で調査しております。王子殿下も一緒にお聞きになりたいということでお連れしたまでなのです」
ボシュエ卿の話に母子は目配せした。
「ということは、数か月前からあなたが皇太女殿下のお側に上がっていたのは、神託が理由なのですね?てっきり大神殿と宮廷の関係深化のためかと……」
どこか警戒しながらそう言ったのは、キュイーヴル伯爵夫人だった。
続いて准将が切実に問いかけた。
「この度の件についての神託があったということですか?殿下は毒で亡くなったと聞きましたが、下手人が誰なのか神託に示唆があったのでしょうか?」
「詳しいことは申せません。ただ、ご薨御に関わる神託があったということだけ申しておきましょう」
ボシュエ卿が曖昧に言うと、母子はそれぞれに何か思案しているようだったが、結局は伯爵夫人が口を開いた。
「ご事情は承知しましたわ。何なりとご質問ください」




