10.得意分野②
王子は花器自体の謎に思考を戻し、昨夜、女侯が花器と苺を携えて皇太女の居殿を訪れた場面を目を閉じて思い浮かべた。
女侯が皇太女に贈り物を渡す場面まで至ったとき、彼は目を開けた。
「女侯殿は皇太女殿下に直接贈り物を手渡したのだろうか?もしそうなら、そのときに『溶ける毒針』を使う機会があったのでは?」
「それがそういうわけでもないのです。まず、筆頭女官の伯爵夫人に案内されて応接間に入室した女侯殿は、苺を伯爵夫人に渡しました。そして、花器を持ったまま長方形の応接テーブルの席に着きました。皇太女殿下の向かいの位置です。その時点では持参した花器をテーブルの上に置いていました。その後、お二人は暫く何か真剣な議論を交わし、最終的に女侯殿がこのようにテーブル越しに花器を渡そうとしたのです」
ボシュエ卿はテーブルの上にあったルバーブジャムの瓶を手に取ると、一度自分の目の前に置いた。
そして、その瓶を花器に見立てて恭しく両手を添え、向かいに座っている王子の方に滑らせた。
「ただ、途中でキュイーヴル伯爵夫人が息子の准将を応接間に連れてきたので、それに気づいた女侯殿は、すぐに花器を自分の方に引き戻しました。その後、花器はテーブルに置かれたままでしたが、女侯殿は花器の存在などないかのように振る舞っていました。皇太女殿下も同様でした」
ボシュエ卿の証言を聞きながら王子は考えを巡らせた。
皇太女と女侯は花器の受け渡しを伯爵夫人や准将に見られたくなかったようだが、単に女侯が皇太女に物を渡すだけのことに何の不都合があるのだろう。
――女侯は贈り物と引き換えに何かを要求していて、それを見られたくなかった?
――例えば、地位や政治的連携など……。
――いや、女侯は既に宰相の職にあり、爵位も春の叙爵で女公にまで昇る……地位は十分だ。
――それに、アリエノールは私の目にも女侯と同じ「停戦派」に見えた。連携を請うのに贈り物までする必要はない。
――そういえば、女侯は皇帝陛下に疎まれているのを感じて辞職を考えていたと言っていたが、その件で何か?
王子は他の仮説を含めて暫く考えたが、これといった答えにはたどり着けなかった。
そこで、また別のことをボシュエ卿に尋ねることにした。
「キュイーヴル准将も、やはり皇太女殿下には近づいていないのだね?」
「ええ、おっしゃるとおりです。応接間に入室した准将は贈り物を全て伯爵夫人に預け、その後は皇太女殿下とテーブルを挟んだ向かいの席――フェール女侯の隣に着席されました。その後、客人がお帰りになるまで、どなたも席をお立ちになりませんでしたから、仮に彼が『溶ける毒針』を持っていたとしても使う機会はありませんでした」
ボシュエ卿はそう言い切ったが、僅かに首を傾げながら付け足した。
「しかし、私は、ご婦人に花束を贈るというのに、直接手渡さなかったことがどうも気になります……」
卿に釣られるように王子も首を傾げて思案した。
――確かにアリエノールは准将より遥かに高位だが、花であれば直接渡しても無作法ではないし、寧ろマナーとしては自然だ。
王子はつい顔を顰めた。
皇太女が准将から花束を受け取る場面を想像してしまったのだ。
同時に皇太女が以前、贈られたカラーに虫が入っていたと言っていたことを思い出した。
そこからの連想で、毒虫が使われた可能性も考えたが、検出されたのが虫の毒ではなく、マンドラゴラ草の毒である以上あり得ない。
彼は小さくため息をついて、次の質問をした。
「そして、皇帝陛下にも針を刺す機会はなかったと」
「ええ、陛下と殿下はただテーブルを挟んで議論をしていただけでした」
ボシュエ卿はそう言ってからテーブルの上の紙――先ほど事件当日の時系列を整理した紙だ――を手に取った。
「今の議論も書き留めておきます」
彼はすぐにペンを紙に走らせた。
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1.「溶ける毒針」を持ち込むことができた者
皇帝陛下
王子殿下
フェール女侯
キュイーヴル准将
2.「溶ける毒針」を刺すことができた者
王子殿下
キュイーヴル伯爵夫人
ボシュエ卿
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「うーん、持ち込めた者は刺せないし、刺せた者は持ち込めない……私以外は」
メモを読んだ王子は小さく呟きながら考えを巡らせた。
「私以外にも、宮廷魔導士の目を盗んで居殿に忍び込んだ者がいた可能性はあるのだろうか?」
「それはないと思います」
とボシュエ卿が考えを巡らせながら言った。
「まず、魔法による侵入は不審な魔法痕がないため否定されます。
次に、宮殿の建物内からの侵入ですが、中央棟のギャラリーから居殿に繋がる唯一の出入口を宮廷魔導士が警備していましたので難しいかと。彼らは出ていく者はともかく、入る者は見逃しません。
最後に、建物外からですが、居殿内の部屋の窓は基本的にはめ殺しなので、その窓を破って入って来たら誰かに気づかれます。
唯一、王子殿下が出入りした中庭に面した応接間のテラスの窓は開閉できますが、応接間の様子は私がずっと見ていましたので、他に忍び込んだ者があれば私が見ていたはずです」
卿の言葉に王子も頷いた。
「となると、現時点で一番疑わしいのは私だな……」
王子がため息交じりに言うと、ボシュエ卿は意外なことを言った。
「ですが、私には王子殿下は犯人から程遠いようにも思えてきました」
「おや、何故だろう?」
「もし犯人であれば、皇太女殿下に口づけをして立ち去ったなどと間抜けな告白はしないからです」
卿の口調には明らかに憐れみが混じっていた。
喜ぶべきか悲しむべきか微妙なところではあるが、王子は卿が彼を信頼し始めている気配を察し、いくらか安堵した。




