終章-3
胸の奥でくすぶる思いに目を伏せるようにヴォルフラムは茶器を手に取った。
「……小鳥が怪我を負わなくて良かったです。姫の大切な友人だと聞いておりましたから」
「ええ。この子は本当に生まれたばかりの頃から世話をしてきましたから」
オティーリエは口ごもる。この小鳥を贈ってくれた人物の顔がどうしても思い浮かんでしまう。
「瑠璃は貴女だけではなく、俺の事も救ってくれた恩人です」
「え?」
思わず間の抜けた声を上げてしまったオティーリエに、ヴォルフラムは慌てて首を横に振った。
「あ、その、小鳥にはとても心癒されました。色々と、学べましたし……」
しどろもどろになるヴォルフラムに、オティーリエは思わず小鳥は自分だったのだと言いそうになったのを堪えた。
「殿下、この度は本当にありがとうございます」
オティーリエの言葉にヴォルフラムは言葉を失った。
何を言えばいいのか分からない。
「いや、俺は……私は、貴女に礼を言われる筋合いなんて……」
視線を彷徨わせるヴォルフラムにオティーリエはゆっくりと首を横に振った。
「私も、あなたにこんなことを言う筋合いはないのかもしれませんが……助けてくださって、本当に嬉しかったんです。私だけではあの方を止める事は出来ませんでした」
恐怖で屈しなかったのは、ヴォルフラムが来てくれると信じていたからだ。
「あなたは私を、私の心を救ってくださいました」
オティーリエの言葉にヴォルフラムは表情を歪めた。
泣き出しそうな子供のような表情を見せたのは一瞬で、すぐにぎこちない彼らしい不器用な笑みを浮かべる。
「俺も、貴女を救えてよかった」
本当に良かった。そうヴォルフラムは呟き、瞼を伏せる。
嬉しげな表情を浮かべる彼にオティーリエは喜びで心が震えるのが分かった。
「そういえば、こうやってゆっくりお話するのは初めてですね」
「あ……」
「私、お手紙を書いたんです。あなたの事を知りたくて……その、あなたの手に無事に渡ったと侍女に窺ったのですが?」
読んでもらうために書いたとはいえ、本人を目の前にしてこんなことを口にする自分に恥ずかしくなってくる。
火照り始めた頬を気にしながら、オティーリエは顔を上げた。目の前には呆けた表情を浮かべるヴォルフラムの姿がある。
「あ……その、俺……私も、貴女に手紙を書いたんです。ああ、そうだ、すみません貴女宛ての手紙なのに持ってこなくて、い、いや、見せられるようなものではないんですが」
「ふふ、それを言ったら私の手紙も、手紙とは言えませんわ」
書いた内容が読んだ本の感想やら、その日の天気についてだとか、まるで日記だ。本当は返してくださいと言いだしたいが、折角訪れた彼とのきっかけを無くすわけにはいかない。
「南方の視察には、いつ戻られるのですか?」
「三日後には……二月ほど王都には戻られそうにはないです」
「二月も?」
驚きでオティーリエは言葉が続かなかった。恐らく、自分のために無理をして帰ってきてくれたのだ。
嬉しい半面、申し訳ない気持ちに胸が痛んだ。
「どうか、お怪我のないように」
「出来るだけ、話し合いで解決できるよう努めます。ですから、そんな顔はしないでください」
「す、すみません」
どうやら不安が顔に出ていたらしい、思わず頬に手で押さえる。ふと、ヴォルフラムが小さく微笑んだのが分かった。
「えっと、その、視察から戻ったら一緒に遠乗りに行きませんか?」
「え?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。きょとんとした表情を浮かべるオティーリエにヴォルフラムは不安そうに視線を彷徨わせた。
「馬に、乗られると手紙に書かれていましたよね?」
「は、はい。馬は物心ついた頃から乗っていました。兄達と良く遠乗りに出ていたものです」
「そうだったんですね……尚更、ここでの生活は息苦しいでしょう」
ヴォルフラムの小さな呟きにオティーリエは思わず微笑んだ。彼は優しい。自分に逃げ道をくれようとしている。
「そうでもありませんわ。ここに来なければ、知ることが出来なかったことが沢山あります。殿下にもお会いすることは無かったでしょうし」
「っ!」
ヴォルフラムは目を見開く。まさか、彼女からそんな言葉を聞くとは思いもしなかった。
『姫様は、あなたと家族になるために嫁いできたのです』
そう言った小鳥の言葉を思い出す。
嬉しいと思った半面、疑っていたその言葉が真実だと思えてくる。
ヴォルフラムの胸に言い表せない温かな感情が宿るのが分かった。
「俺が帰ってくる頃には、夏も盛りでしょうね」
「……そうでしょうね」
「貴女をお連れしたい場所があるんです。姫が気に入るかは分かりませんが、夏にちょうどいい美しい湖なんですが」
「湖?」
「ええ。珍しい物ではないですが、母が生前気に入っていた場所で珍しい動植物が観られるんです」
「まぁ! ぜひ、連れて行ってください。殿下が戻られるまで、私も馬に乗る練習をしておきますね。ここ最近、乗っていませんでしたから」
「どうか、怪我をしないように」
「ふふ、それは私の台詞です」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。
ふと、柔らかな初夏の風が二人の髪を撫でた。
「風が出てきた、中に入りましょう」
ヴォルフラムは席を立ち、オティーリエに手を差し出した。
「ありがとうございます」
「……そういえば、」
「?」
何かを思い出したようにヴォルフラムが呟く。差し出された手を取ろうとしたオティーリエは首を傾げた。
「俺の事は、ヴォルフラムと呼んでください。堅苦しいのは、その、苦手なんです」
「……はい、ヴォルフラム様。では、私の事もオティーリエと呼んでください。私も、堅苦しいのは苦手なんです」
オティーリエはゆっくりとヴォルフラムの手を取った。
胸が高鳴るのが分かった。
これからがオティーリエの始まりなのだ。
どんな結果になろうとも悔いが残らないようにしよう。
小さな誓いを胸に、オティーリエはヴォルフラムを見上げた。
これからの季節を思わせる新緑の瞳が、穏やかな色を湛えオティーリエを見返す。
小鳥が何かを告げるように囀った。
了
お付き合いありがとうございました。何か作品を上げねばと思い懐かしいものを引っ張りだしてきたのですが、読み直してみると至らぬところが多かったり、こうすればよかった、ああすればよかったという考えが湧いてきます。上げた後に思いましたが、もっとwebで読みやすい表示にすればよかったなと。追々直していこうと思います。上げている途中に評価をくださった皆様ありがとうございます。よろしければ、感想や意見などいただけますと作者が小躍りして喜びます!!!




