二章-4
「グレーテル。母が信頼していた侍女として君に聞きたいことがある」
「はい。何でございましょう?」
「オティーリエ姫が俺宛てに手紙を出していたのは本当か?」
「……誠でございます」
「そうか。俺が、姫宛てに出した手紙は届いているか?」
ヴォルフラムの言葉にグレーテルは息を詰めた。
「殿下が王太子妃様へ、ですか?」
「知らないんだな」
「はい。存じておりません」
表情を強張らせながら、グレーテルは静かに頷いた。
「俺も、姫の手紙を受け取っていない。誰かが俺達を阻んでいるらしい」
そう言ってヴォルフラムはどこか自嘲するような笑みを浮かべた。
「手紙なんて手段に出た俺にも非がある事は分かっている。けれど、俺は彼女と話をしないまま、終わるのは嫌なんだ」
まるで自分に言い聞かせるように、ヴォルフラムは呟く。
「彼女と話をしたい、そのためにまずは届かなかった手紙の行方を探そうと思っている。彼女の事を知るために、目覚めた時渡せるように……グレーテル、力を貸してほしい」
静かにヴォルフラムの言葉を聞いていたグレーテルは、ゆっくりと顔を上げた。
「恐れ多くも、殿下にお願いがございます」
「なんだ?」
「どのような事が起ころうとも、妃殿下を傷つけないと約束してくださいますか?」
振り返ったヴォルフラムの視線の先、真っすぐこちらを見つめてくる青灰色の瞳。射抜くようなその視線にヴォルフラムは小さく頷いた。
「俺が出来るすべてを懸けて、彼女を守ろう」
「分かりました。王太子妃様の侍女の名にかけて、手紙を探し出して見せます」
そう言ってグレーテルは恭しく一礼して見せた。
「ありがとう。恩に着る」
「いえ。妃殿下と殿下のためでしたら」
そう言って彼女には珍しく、穏やかに目を細めたことにオティーリエは驚きを隠せなかった。
(グレーテルがあんな表情を浮かべるだなんて……)
何というか、二人の間に親しげな空気が流れている事が気になった。
昔から侍女として城に仕えているとは聞いていたが、王妃付きの侍女だとは思いもしなかった。恐らくだがその関係でヴォルフラムと親しいのだろう。
信頼し合っているように見える二人に、何だか複雑な感情が胸に宿るのが分かった。
(こんなこと、考えてどうすると言うの……)
頭を振り、オティーリエは目覚めぬ自分を見つめた。
オティーリエの私室を後にしたヴォルフラムは歩み出そうとして立ち止まる。
『どうしたのです?』
「おや、ヴォルフラム様」
ヴォルフラムが立ち止まった理由はすぐに分かった。
廊下の角から姿を現したのは、ヴァイザーだった。懐かしい顔にヴォルフラムは思わず口元に笑みを浮かべる。
「久しぶりだな、ヴァイザー。風邪をこじらせたと聞いたが、変わりはないか?」
「一月ぶりですなぁ、殿下。ご心配せずとも、ただ疲れが出てしまっただけです。やはり、若い頃のようにはいきませんなぁ」
そう言ってヴァイザーは笑う。
「さすがの賢者も、年には勝てないか」
「そのようです。ヴォルフラム様は妃殿下のお見舞いで?」
「ああ。後ろの男は? 魔法使いか?」
ヴォルフラムの言葉で初めてオティーリエはヴァイザーの後ろに控えるように立っている青年に気付いた。
魔法使い特有の黒い外套に身を包んでいるのは、短く刈られた灰色の髪と、切れ長の同色の瞳、南出身者に多い浅黒い肌が特徴的な長身痩躯の青年だった。ヴォルフラムより頭一つ分以上背が高いのに、気づくのが遅れるほど存在感が無い。いや、気配を消すのが上手いのかもしれない。
言い表せない不気味さを持った青年は、ニヤリと軽薄な笑みを浮かべると恭しく一礼して見せた。所作は貴族出身を思わせるほど綺麗だが、まるで下手くそな芝居でも見ているような気分だ。
「エグモント・ボルツマンにございます。以後お見知りおきを、殿下」
「殿下はお会いになった事はなかったですね。半年ほど前から私の下で働いております。中々に見所がある若者ですよ」
「お褒めに預かり恐縮です」
「……そうか」
ヴォルフラムの表情は涼しげだが、その瞳には警戒の色が浮かぶ。
「ヴァイザーは、妃の見舞いか?」
「はい。ああ、ご安心ください。エグモンドはここで待たせるつもりです」
そう言って微笑むヴァイザーにヴォルフラムは少しだけ緊張を解くと一つ頷いた。ふと、ヴァイザーの視線がヴォルフラムの肩口へと向けられる。
「殿下、そちらの鳥はもしや妃殿下の?」
「今の状態では世話が出来ないだろう? だから、俺が預かった」
「ほう」
どこか楽しげにヴァイザーは目元を和ませる。
「珍しい色の小鳥ですなぁ」
「南の鳥らしい。エグモントは、この鳥の事を知っているか?」
「申し訳ありません、殿下。私、南方生まれですが育ちは東方ですので、恥ずかしながら生まれ故郷の事は知らないのです」
「そうなのか……ヴァイザーは知っているか?」
「いえ、存じませぬなぁ。しかし、青い鳥は幸福を運んでくると言う言い伝えがあるそうですよ」
「そうなのか?」
「はい」
ヴァイザーは白い髭を扱きながら、穏やかな笑みを浮かべる。
「お前が……」
ヴォルフラムの視線を受け、オティーリエは思わず首を傾げた。ヴォルフラムの表情は何か言いたげだ。
(こんな鳥が、とか思っているのでしょうね……)
頬を突いてやろうかと考えていると、ふとヴォルフラムはまるで天気でも聞くかのようにヴァイザーに問う。
「聞きたいことがある。妃の容体は、どうなんだ?」
「ご安心ください。妃殿下は必ず、お助けいたします」
そう言って頭を下げるヴァイザーからは、何も答える気はないとその態度から伝わってくる。ヴォルフラムは諦めたように息を吐き、小さく頼んだと呟くとヴァイザーの横を通り抜けた。
『あれ以上聞かなくともよろしいのですか?』
自分が今どういった状態なのか知りたい。そう思いヴォルフラムの足を止めようと思ったが、彼は首を横に振った。
「恐らく、何の進展もしていない。証拠に、恐らく有望な宮廷魔法使いを共に付けてきている……ヴァイザー一人では手に負えないんだろう」
『よく、お分かりになりますね』
「付き合いは長いからな。それくらい分かる」
ヴォルフラムはそう言うが、人をよく見ている。彼は他人の感情の機微に敏感なようだ。少し鈍い所もあるが。
「さて、俺達はどうするかな」
『やはり、彼を当たってみるのが良いのでは?』
「………ラルスか?」
『何も知らないと言うわりに、彼の態度は少々おかしい気がします』
「そうだな……話をしてみるか」
ヴォルフラムは私室を通り過ぎると王宮の方へと歩き出す。
『ラルスに会うのでは?』
「今の時間は兵舎で他の従者と混ざって鍛練をしている」
『ヴォルフラム様が稽古をつけないんですか?』
「ああ。お前は教えるのが下手くそだと言われている……」
そう言ってヴォルフラムは遠くを見つめた。確かに、教えるのが上手そうには見えない。
「ラルスは期待されているんだ。同年代の中でもあれは腕が立つ。本当は俺ではなく王宮騎士団の騎士に付くべきなんだが、な」
『彼は、従者見習いでしたね。殿下の従者にはされないのですか?』
「従者見習いと言っているが、ラルスが本当になりたいのは騎士だ。俺よりも現役の騎士に仕えたほうが良い」
恐らく、ラルスの生家はヴォルフラムと深い結びつきが欲しいのだろう。地位が低いならば、身分の高い人物の従者となり騎士に叙任されれば箔が付く。目を掛けてもらえるのが王太子ともなれば、王直属の近衛騎士となるのも夢ではない。大変名誉なことだ。
「ラルスは本当に俺の従者になりたいんだろうか?」
『何故です?』
「俺は、王太子だ。騎士としての武勲をあげるなら各地方の騎士団に所属した方が良い。俺の傍にずっと仕えていていいものか……」
『誰もが武勲をあげたいと思うものではありません。生涯主人の傍で仕える事を名誉と思う騎士もおります』
ヴォルフラムの考え方は平民上がりの騎士の考えだ。彼らが騎士になるには、騎士の小姓となり従騎士として経験を積み叙任する。さらに上を目指すには武勲をあげ、地位高い主人に仕えなくてはならない。
身近な例をあげれば、近衛騎士のユリウスがそうだ。幼少の頃、騎士の従者となり叙任し、辺境伯の目に止まり北方騎士団員となり武勲をあげた。その功績から王の目に止まり、爵位を賜り近衛騎士となった。平民上がりの騎士にとって最高の名誉を得たと言ってもいい。彼を慕う騎士も多いことだろう。
『ラルスは貴方の従者となることを望んでいるようですが?』
男爵と言っても貴族だ。やはり、考えた方は平民上がりの騎士とは違う。
それに思惑など関係なく、彼は王太子の事を慕っているように見えた。
「俺の従者では、いつか騎士に叙任したとしても周りから何かしら反感を買うだろう?」
実力社会である騎士の世界で、なんの障害もなく騎士となった者は舐められる。だからこそ武勲をあげ、己の力を知らしめる必要がある。
幼いながらも騎士団に放り込まれ、武勲をあげてきたヴォルフラムにとって今のラルスはぬるま湯に浸かっているようにしか見えないのだ。このまま騎士としての誉も得られずに終わってしまうのでは、と恐れている。
『必ずしも武勲をあげる必要があるとは思いませんが、ヴォルフラム様がそう思うのであれば、それをラルスへ伝えたらいかがです?』
「何?」
『ラルスがどうしたいのか、ラルスが何をしたいのか、それも知らずにヴォルフラム様の考えを押し付けるのはどうかと思います』
「……」
『ヴォルフラム様は、ラルスには立派な騎士になってもらいたいのでしょう?』
「……ああ」
『でしたら、それを言葉にしてこうしたらどうかと提案してみればいいと思います』
「そう、だな」
『……いつも思いますが、言葉が足りませんね』
「自覚している」
しかし、改善できていないようだ。
「お前が俺の代わりに話してくれたら楽なんだがな……」
『私を道具として使う前に、改善する努力をされたらどうです?』
「……口が減らない鳥だな」
クツクツと喉奥で笑いながらヴォルフラムはオティーリエの体を指の腹で優しく突いた。




