__ 旅の同行を交渉する件」
宿から少し離れたところで魔獣が出たらしい。
ジュンは逃走してくる人間を捕まえて情報を仕入れた。現場にはすでにこの街の教会騎士や自警団が出向いているらしく、人々の避難は速やかに行われているようだった。
教会は存在する地域一帯を護る働きを持っている。いわゆる「教会」とは世界に数ある宗教の一つなので、信仰の理由で教会のない街も存在する。しかし教会のあるところ教会は比較的篤く信頼され、信徒になる者も聖職者を志す者も多かった。
ジュンもまた、人々を護るという教会騎士の一面に共感して騎士になった人間である。両親は教会の信徒ではなかったが、教会騎士となった彼は、無辜の民を護ることには静かな情熱を持っていた。――神の名を唱え、人々を護る、能力も振る舞いも立派な音無・盾は、教会騎士の鑑だった。
総じて十二キロの装備を身につけ、全力の八割くらいで現場まで走った。だんだん近づいてくると、普通の魔獣とは違う――どろり、とした気配が漂ってきた。それは魔獣の中でもかなり特殊なもので、滅多に現れない「もの」だとジュンは知っていた。だが、一たび現れれば並みの戦士では歯が立たない。
嫌な予感だった。
しかしジュンは恐れずに最後の角を曲がり、戦闘が繰り広げられている路上に躍り出た。
果たして、そこにいるのはジュンの予想した通りの「もの」だった。
「混沌獣……!」
闇を纏う、昆虫と哺乳類の合いの子のような異形のモンスター。それらの姿を確認したとき、ジュンは思わずその名称を口にした。大きさはそれぞれ違う。一応の形態はあるが、身動きするたびにその動作に合わせるように身体の形が変わる。影が濃く、動いたあとにもこびりつくように闇が残っている。――絶望と、呼ぶにふさわしい禍々しいモンスターどもだった。
十名の騎士が分隊を作り、十五体ほどのそれらと交戦していた。剣兵が三、槍兵も三、神父の装いをした魔術師が二人に弓兵が一人。最後の一人は他と少し違う修道士の装いした大男で、身体と同じくらいの宝石の嵌められた大斧を持っていた。分隊の者達は果敢に闇をまとうカオティックと呼ばれるモンスターに果敢に挑んでいたが、効果は芳しくないようなのは一見して明らかだった。
――彼らはカオティックのことを知っているのだろうか?
カオティックは通常のモンスターとは違う肉体構造を持っている。彼らを攻撃するには強力なマテリアルの攻撃か、もしくはアストラルの属性を持つ攻撃でなければ通用しない。だがアストラルに影響を与えるのは、魔術の中でも小さな一部にしかすぎない。――このことを知っている者達はカオティックと正面切って戦おうとはしないはずであるが、目の前の騎士達は物理武装と中程度の魔術をもって果敢に戦い続けていた。
ジュンは目の前の敵勢力を観察した。
飛ぶものはいない。狼ほどの大きさのものが七、熊ほどのものが六、畳ほどの蠍の形のが一つに、ティラノサウルスみたいのが一体いた。どれも攻撃されれば返してくるが、本気にはなっていないようだった。
状況を見極めたジュンは、剣と楯を構えなおして歩み出た。
「おい、ここの指揮は誰が取っている?」
戦いから一歩退いた場所で全体の指揮をとる、斧を持った大男を捕まえ、ジュンは問いかけた。――昼前にこの街の教会を訪ねたが、その時には見なかったなと思いつつ。
「私だ」彼は唸る様に答えた。――「私はブラザー政清。ここの主教を務める者だ」
「そうか。俺は音無・盾。特級十字騎士だ。お前がここの指揮を取っているなら、職権を発動して今から俺が指揮を取る」
いいな、とジュンは鋭く問う。
ジュンに比べれば位階のひくいブラザー政清は、若い騎士を訝みながらも、その彼を認め一礼した。
「まずは隊列を整えるか……」
自分たちより数の多い敵に、騎士達はすっかり分断されている。放っておけば遠からず全滅する。
『則を超え、神の巷に彷徨いでたる魑魅魍魎。聖ヴァルプルガよ、彷徨う者達を炎で包み退け給え』
低く構えた剣を地面と平行にゆるく振ると、切っ先から赫い炎がほとばしりジュンの眼前にあるすべての敵を包んだ。
騎士達も炎に巻き込まれたが、熱に焦がされることはなかった。何事かと戸惑い、彼らは周囲をきょろきょろと見回した彼らに、ジュンは集合の合図を出した。
「俺は特級十字騎士だ。今からお前達は俺の指示に従ってもらう。いいな?」
集った自分よりも年上の騎士達を前に、ジュンは昂然と宣言した。騎士達はみな得心が行かないようだった。しかしジュンの位階が確かなので逆らうわけにはいかず、これを受け入れた。
「知らない者もいると思うが、あいつらは混沌獣――カオティックだ。奴等にマテリアルの攻撃は効果が薄い。魔術、聖符なら多少効くから使える者はそれを優先しろ。それと、まだ負傷した者はいないようだが、あれの攻撃には毒がある。負傷したらすぐに撤退しろ。――無理はしなくていい。俺が戦うから、お前達は奴等が逃げないように見張りながら、俺の援護をしてればいい。わかったか!」
傲慢とも言えるジュンの言葉。だが、この場でカオティックと渡り合えるのはこの若い騎士をおいて他にいないと、騎士達は理解した。
「剣と槍を持つ者は路地を固めろ。ブラザー、お前は弓兵と魔術師を護ってろ。弓兵と魔術師は俺の援護だ」
「はっ。かしこまりました、特級十字騎士殿」
指示をしているうちに、一団となった騎士達をめがけてカオティックが集まりはじめた。指示された剣兵と槍兵はカオティックの横をすり抜け、防衛を務めるため道の分岐点に立った。
ジュンは剣の切っ先を迫りくるもの達に向け、聖句を唱えた。
『聖エラスムスの焔、神の怒りたる蒼き雷により、我が剣に魔を払う力よ宿れ』
バシッ―― 一条の雷がジュンの剣の切っ先を打ち、刃全体をプラズマのような青白い炎が包んだ。
「それは――聖剣技ですか?」
ブラザーが問う。
ジュンは彼に背中を見せたまま答えた。
「あぁ、俺は魔法剣と呼ぶ方が好きだがな。これがあれば、マテリアルとアストラル、両方の攻撃ができる。――さぁ見てろよ、奴等との戦い方を!」
まずはじめに四足の小さめのカオティックが三体、ジュンをめがけて走り寄ってきた。
闇で出来た身体の背中から、無数の鋭い触手が打ち出される。ジュンは左手に持った鋼で裏打ちされた盾でこれを逸らし、黒いモンスターに肉薄した。
一体がジュンを向かい撃つように飛び上った。すばやく、黒い残像にしか見えない。しかしジュンは冷静にこの動きを見切り、その軌道上にプラズマを纏った刃を構えた。
ズ――と、剣で切りつけても形を変えるだけのカオティックが、柔らかいゴムのように切り裂かれ、再生せずに塵となった。
足元から別の一体が、身体の側面から百足のような大きな牙を生やし、迫る。
ジュンの刃が、カツン……とカオティックを切り裂き、勢いのまま地面に突き刺さった。さらに返す刃で一体を切り裂いた。
流麗、そんな言葉が似合う彼の剣術。刃が纏うプラズマの光が、その鮮やかな剣筋に光る残像をつくり、さらに美しく彩る。後ろの騎士達からは、溜め息のような感嘆が漏れた。
ジュンの動きは止まらなかった。突進してきた大型のカオティックを軽く避け、横腹に一閃。振り返りざまに上段からの一撃を加え、滅した。
バサ――十字を印したジュンのマントが華々しく翻った。
「素晴らしい……あっという間ではないか。それにあの魔法剣、まだ持続しているぞ」背後でブラザーが言った。
魔法剣の難しいところは、剣術と魔術をどちらとも修めている必要があるところではなく、発動させた効果を立ち回りの間も保ち続ける必要があるところにある。精神の刃で斬る――そのように言葉にされる魔法剣は、並はずれた集中力と攻撃性を必要とする。――その魔法剣を操ることこそ、ジュンの本当の強みだった。
と、そのときジュンの視界が翳った。楯を頭上に構えると、とてつもなく重い一撃が降り注いだ。
「チッ……!」
潰される前にジュンは後退して逃げる。
視界に入る恐竜のようなカオティック。
「十字騎士殿を援護せよ!」
声が飛び、それと共に魔法の矢が飛んできた。闇の竜がわずかにたじろぐ。
だがジュンに迫る敵はそれだけではなかった。大型のカオティックが二体、彼を押しつぶさんと砲弾の如く飛びかかってきていた。
身体に沁みついた反射的な動作で、ジュンはベルトに打ちつけてある聖符の一つを引き千切り、聖句を唱えようとした。
が、そのときジュンは違和感を感じた。
「音無殿――!?」
若い騎士が動きを止める、そのことに街の教会騎士の指揮を執っていた男が疑問の声を発した。
ジュンは構えを崩さず、黒い砲弾と化した二体の敵が落下しきるのを見届けていた。すると、二体はジュンの上ではなく、彼のすぐ横の地点に重なり合うように落ちた。
『風穴閃!』
二体のカオティックをまとめて槍の一閃が貫いた。一閃は闇をまとうモンスターの身体に大砲で撃ちぬいたように大穴を開け、そのまま滅ぼした。
「織深・奏治か……」
「おうよ、助太刀してやるぜ」
後衛をつとめていた騎士達を飛び越え、颯爽と現れた長身の男。剥き出しの褐色の腕の筋肉がたくましく隆起していた。彼の右耳では、詩人守護者であることを示す音楽記号の形をしたピアスがキラキラと光っていた。
――ということは、
ジュンは控えている騎士の一団を見やる。と、小型のカオティックが二対、全体に不釣り合いな大きな角を顕わして彼らに迫っていた。
ブラザー政清が手に持った大斧を横に構えた。
「神よ、我が戦いを祝福したまえ。――ぬぅ!」
豪快な一撃が二体を打ち据える。身を大きく削がれたカオティックは、傷口から蒼白い炎をチロチロと出しながら塵となった。
「おみごとです、政清殿!」神父姿の一人がブラザーを讃えたが、
「ちょっと、それは私の戦果よ。私があいつらの再生を音楽でとめているのよ」彼らの背後から声が割り込んだ。
騎士達の間を割って現れたのは、輪琴を抱えた幼い吟遊詩人。琥珀色の形のよい指は、いつでも輪琴を奏でられるように円盤の上におかれている。――さっき敵の動きが狂ったのも彼女のせいだろうと、ジュンは推断していた。
「や、ジュン。手伝いに来てあげたよ」仕事口調でジルコニアが言う。
「頼んでいない。帰れ」
「まぁ、そういうなよ」ソウジが言った。――「ほら、次が来るぞ」
半数を倒されたカオティック達が、殺意をむき出しにしてジュンとソウジを囲み始めた。
グルルル――闇が唸った。あの巨大な恐竜の形のカオティックが、高みから二人を見下ろしていた。
「ソウジ、お前、時間を稼げ」ジュンが半歩退がりながら命令するように言った。
「あ? ――わかった。任せておけ」ソウジは素直に聞き入れる」――「ジル、援護を頼む」
「はいはい。じゃあ、ニ長調でマーチを奏でてあげる」
ソウジは頼りにされれば断れない男。――単純な奴、ジュンは思いつつも彼を当てにした。聖符を無駄に使いたくなくなった彼は、少し時間をかかる強力な魔術を聖符の助けなしに時間をかけて発動させることにしたのだった。
ジルコニアが奏でる甲高いヴァイオリンのような音色で行進曲が響き始めると、槍を手にした黒髪の青年が飛び出した。
敵が彼の動きに反応して、攻撃を仕掛け始める。
四方からの攻撃にソウジは囲まれる。だが――速い。奏でられるリズミカルな旋律に合わせて動きながら、軽やかな長い槍のリーチをうまく使って木枯らしのように立ちまわっている。――吟遊詩人の支援は契約を交わした守護者の身体能力を高めるものであり、ソウジの動きは超人的な力、速さ、反射を発揮していた。
『彼の血に竜あり。呪われし力の権化、毒を撒き、畑を荒らし、人も家畜も食い荒らし暴虐の限りを尽くしたり……』
ジュンが魔術のための集中に入る。唱える聖句は叙事詩。かつて存在したと呼ばれる聖人の、一本の槍で竜を倒したという物語。
『……かくして神をあざける愚かな者、聖大致命者凱旋者ゲオルギイの名の下にその浅はかな力と共に滅びさるがいい!』
ジュンの剣が燦然と輝き始める。それを彼は頭上へかざすと、太陽のごとく剣は輝きを放った。
「聖霊よ、主よ、我が戦いをしかと見届けたまえ!」
「ちょっと待て! 俺が巻き込まれる」
闇の竜とその他カオティックがソウジを中心に集まったところめがけて、ジュンが剣を振り下ろした。
剣は虚空を切ってひとまず地面に食い込む。カーン! ――鐘の音の様な澄んだ音と共に、剣に込められた力が噴流となって敵の一団を襲う。
竜を一撃で滅ぼす聖なる力が炸裂。黒い竜と、他二体が完全に消し去られた。
「すごいなぁ……」ソウジが感心しきった声音でいう。――「けど、まだいるみたいだな」
「あぁ、少し数が多いな。――すべて消してやるけどな」
残ったのは、小型が二、大型が三、そして蠍のような禍々しい姿をした巨大な混沌獣が一体いた。闇の蠍の尾は二又に分かれており、不気味にうごめいている。
『その名を記憶さるる、聖エラスムスの焔よ……』
また、ジュンの剣が青白いプラズマが纏う。
ソウジはジルコニアの音楽を耳にしながら槍を構えた。
二人の男と、六体のカオティックが再び衝突を始める。いよいよ本気になったカオティックは、闇色の風のように二人を囲み、しつこく攻撃した。ジュンとソウジの攻撃はなかなか彼らに当たらず、敵の数を減らすことはできなかったが、自然と動きを合わせた二人はまるで舞い踊る様に、苦のない動きで敵と刃を交わした。
周囲で見守る教会騎士達は、その鮮やかな戦闘を息をつめてみていた。
ジルコニアも、旋律を奏でながらその光景に目を凝らしていた。良い見せものだと、愉しむように二人の男の戦いを見守る。
だがその時だった、路地に面した扉が開き、その中から中年の女性が出て来たのは。
「逃げてない奴がまだいたのか……!」
女性は目の前の光景に小さく悲鳴を上げた。と、彼女に気付いたカオティックの一体がその方へとすかさず迫った。
ジュンも、ソウジも、それを止めようと思うが、敵に囲まれて動くことができない。後衛に控えていた騎士達は急な展開に反応できないかった。
唯一救えるのはジルコニア。彼女はすぐさま指の動きを変え、敵を直接攻撃する旋律を奏でようとした。
「シューティングスター!」
突然、少女の声と同時に光の流星が降りそそぎ、女性を狙ったカオティックの横腹を直撃した。
「な、なんだあの者は!」
騎士達が見て驚愕する新たな登場人物の姿。金細工のような美しくたなびく髪、蒼空のような澄んだ瞳、抜けるように白い肌に天使のように愛らしい小柄な人型の身体。そして何より異様で、美麗な、背に生えた二枚の光の翅。
「逃げて、おばさん。――それともお姉さん? とにかく、早く!」
背中に光の翅を生やしたカミエが強い口調で言った。女性はコクコクとうなずいて速やかに戦場からいなくなった。
「……カミエ! 来るなって言っただろう!」
ジュンが怒鳴った。しかし、全身に光を纏わせた彼女は、ただ無邪気に笑顔を見せただけだった。
「だって、見てられなかったんだもん。それに見た? 私、今、狙って攻撃できたんだよ?」
ジュンは何を言っても無駄だと思った。
肌の内側から力を溢れさせるカミエに、ジュンとソウジの周りのカオティックが畏怖し、動きを止めていた。逃げ出すわけではないが、じりじりと後退していた。
ジュンはカミエと立ち位置を入れ替える。
「話はあとだ。さっさと片付けろ」
「はぁい。――あ、ソウジもちょっと離れててくれるかな。巻き込んじゃうかもしれないから」
「巻き込む? 一人で大丈夫なのか?」ソウジが訝しんだ。
「大丈夫、大丈夫。おっまかせ!」
「ソウジお兄ちゃん、良いからこっちに来なさい」
周囲から言われ、ソウジも前線から後退した。
白いジャケットにパンツというラフな格好で、カミエは闇をまとうモンスターの群れと対峙した。場にそぐわない風体の彼女だが、ほとばしる力がカオティック達を震え上がらせていた。
「行くよ!」
カミエが無造作に腕を振ると、力が幾つもの矢となって放たれた。力の大きさでいえば先程ジュンが撃った「ゲオルギイ」の魔術に匹敵するぐらいのものを、カミエは軽々しく放った。
カオティックは防御した。が、その防御は容易く破られ、二三体があっけなく消滅させられた。
「なんと。圧倒的か……!」
その人間離れした戦いぶりに、街の教会騎士達がどよめいた。
「カミエ、遊ぶな」
「はいはい。じゃ……」
フワ――
カミエの翅が大きく広げられ、燦然と輝き始めた。手のひらにマグネシウムを焚くような、小さくも眩い光の球がつくられる。
目も眩むような光。ジルコニアは音をもって強すぎる光を弱らせるなどしていた。
身の危険を感じたカオティックが、一挙にカミエへと襲いかかる。騎士達は動揺したが、ジュンと、カミエ自身は敵が迫っても悠然と構えていた。まるで、取るに足りない雑魚と対峙しているかのように。
「これで消えちゃえっ……シャイニングイレイザー!」
敵の目と鼻の先で、カミエは手の中の力の球を地面に叩きつける。
その瞬間、すさまじい閃光と衝撃が発生し、周囲を力の洪水が飲み込んだ。空間が力の奔流に軋んで悲鳴を上げ、轟音がなり響いた。
あっという間のことだった。騎士十名にジュン、ソウジとジルコニアがかかって戦い続けていたカオティックが、カミエの登場からわずか三分足らずで全滅していた。
衝撃の余韻が消え去った後、チカチカしているソウジの視界の中で、カミエが頬笑みながら風に髪をたなびかせていた。
バシン!――
戦いのあと、街の教会騎士達が被害状況と敵性残存勢力の確認を行っている中、叩きつけるような音が響いた。
「何故ついてきた? 部屋で待っていろと言っただろう?」
強張った声音で詰問するのはジュン。彼の前に突っ立ったカミエは、白い頬の片方を赤く腫らしていた。
「ごめんなさい……。でも、ジュンが心配だったの」
心から申し訳なさそうにカミエは答えた。
「お前に心配されるほど俺は落ちていない。――帰るぞ」
「あ……」
十字架のマントを翻し背中をみせたジュンを、カミエは慌てて追った。
その二人を見送る、ソウジとジルコニアがいる。
「行かないのか?」
「お兄ちゃんこそ、行かないの?」
まるで牽制し合うように言葉を交わす二人。
短い沈黙があったあと、ジルコニアが口を開いた。
「あたしは吟遊詩人として、物語を乱すような行動はできない。お兄ちゃんはあたしのコーダ。物語を追いかけるのも大切だけど、あたしはお兄ちゃんを失いたくないから、あの物語を諦めるほうを選択できる」
「俺は……あいつらに何か言う気はない。何かしてやる気もない。あいつらはどうせ何言ったって聞きはしないだろうからな。――でもよ、気になるのは確かだ。できればあいつらを見届けてやりたい。けれどあいつらに干渉することはできない。――俺はまだ自分の気持ちを整理できないんだ」
ソウジは矛盾しあう気持ちを意識して、葛藤していた。
ふん、とジルコニアは詰まらなさそうに鼻息を荒くした。――「大人ぶっちゃって。気にいらない」
ソウジは晴れ晴れしく笑って応じた。
「俺は大人だぜ。二十三だったっけか? 変人な妹もいるしな」
「誰が変人な妹よ! ――じゃない、あたしはソウジの妹じゃないよ」
ジルコニアの言葉に、ソウジは少し寂しそうに笑った。
「それより、あたし思い出した。あのお姉ちゃんの使ってた『混沌の光』の力を見て。『混沌の光』のことは知ってる? さっきのカオティックが持つのは『混沌の闇』で、物質を生み出すのが元来的な力だけど、『混沌の光』は物質を消す働きを持ってる。それを持つのは本当に極々少ないカオティック。そして、あとは特殊な人間――」
ジルコニアは一端言葉を打ち切って、戦いのあった路地を見渡した。カオティックが歩きまわったおかげで舗装の石が砕けているが、建物など街並みは変わっていない。――否、建物の色が変わっていた。塗装された表面がこそぎ取られたように、白っぽくなっていた。ジルコニアの言う『混沌の光』にさらされ、表面が消滅させられたのだ。
「混沌の光を使う人間――厳密には元人間だった存在を数少ない物語が記している。彼らのことを『黒き月の独り子』と呼んで」
○
あくる日の早朝、街の外壁の門の前に騎士の少年と金髪の美しい少女の姿があった。少年は鎧を着こんだ勇ましい出で立ちだったが、少女は上下に白い服を着ただけの軽装だった。
日差しがまだ赤みの強い時間、人の気配はまだ全然ない。目覚めたばかりの世界は、みずみずしく輝いていた。
「ねむぅい!」
カミエの高く澄んだ声が朝の静けさに響いた。
「うるさい。さっさと行くぞ」
「うん。今日も楽しいことがあるといいね」
――楽しいことってなんだよ。
ジュンはそう思ったが、口には出さずに歩きだす。カミエは彼の腕に取りすがって一緒に歩く。
開いたばかりの大きな門をくぐった先、道と森と空と、見覚えのある二人の姿があった。
「よう、ジュン。俺たちも連れてってもらうぜ」
ソウジが爽やかに声をかけた。
「お前ら……誰が連れていくと思ってるんだ?」
「えー? だめかな、ナナお姉ちゃん」
声をかけられたカミエは、ジュンの腕から身体を放して考えた。
「うーん。……だめ? ジュン?」
「やかましい。うるさい奴は一人で十分だ」
「そうか。ま、駄目だと言われてもついていくだけだがな」
「……」ジュンは舌打ちするしかなかった。――「好きにしろ」
「やったぁ! ジュン、ナナお姉ちゃん、よろしくね!」
カミエとジルコニアが手を取り合って小躍りしはじめた。
ソウジはジュンと向かい合った。はしゃぐ女二人を視界の端にとらえながら、ソウジは言う。
「ま、よろしくな。なるべく迷惑は掛けないようにするから」
「お前は……」ジュンは聞くことをためらいつつ、やはり問いかけてしまった。――「あいつが死ぬ事を許容することにしたのか?」
ふ……とソウジは微笑した。
「いいや、全然。でもあの子は俺が何言っても心を変えないだろ? なら、俺は何も言わない。あの子に死んでほしくないのは確かだ。――ジルコニアから少し聞いたけど、『黒き月の独り子』には碌な未来が待ってない。記録に残った連中はみんな死んでる。運命は避けられないのかもしれない。――どうしたら良いかはまだ分からない。でも、だから、俺はとりあえずお前たちについていくことにする。そして――そうだな、俺はあの子に、死ぬことしか望んでいないあの子に「生きたい」と言わせたい。まずはそれを目的にすることにした」
――甘っちょろい男だ、ジュンは思う。
だが、不思議と否定する気にはならなかった。否定する必要もないのだが。――できるならやってみれば良いと、どこか共感を持って彼を肯定していた。
「……話はそれだけか? 行くぞ。いつまでもここで突っ立っている気はない。俺は早く北に行って、元のロンバルディア教会に戻りたいんだ。――良いか? 俺についてくる以上、俺の言うことには逆らうなよ」
騎士の一言で三人が反応する。
朝焼けの中、四人となった一行が歩き出す。北を目指して、ここにいる一人の少女を殺して世界を護るために。
第一話はこれで終わりです。
第二話からはまとめて更新するので時間がかかると思います。(二か月とか?)――思い出したらのぞいてみて下さい。
次回はジュンとカミエの旅立ちです。